オレのつかさに手を出すとは、いい根性してるじゃねえか!
つかさとアキトは、日が落ちた通学路を並んで歩いていた。
――写真部の 大神 が連続抱きつき魔!?
もちろん、まだそうだと決まったわけではない。しかし、部室のロッカーから出てきた写真の数々を見れば、怪しむには充分だ。
どのような女性が被害者になったのか、新聞などからの情報では分かるはずもなかったが、あの部室から発見された女性の写真は、皆、美人ばかり。そのような推測を立てても無理からぬことだろう。
別に親しいわけではないが、同級生が犯人かも知れないと言うことに、つかさは少なからずショックを覚えていた。
「今夜は満月か」
夜空を見上げながらアキトが言う。やはり 吸血鬼。昼間よりも夜の方がいいのだろうか。
「とにかく、大神くんに確かめてみないと」
つかさはアキトのように月を眺めている余裕などなかった。
結局、あれから校内を隈なく捜したのだが、大神の姿はなく、その後の足取りも掴めなかったのだ。
「ヤツなら、今夜動くさ」
アキトは自信ありげに言った。
「動くって……誰かが狙われるってこと?」
もし大神が犯人ならば、罪を重ねる前に止めなければならない。つかさは警察に通報すべきか迷った。
「あいつ、道場で写真を撮っていたよな」
アキトの言葉に、つかさはハッとした。
――あのとき道場にいたのは。
つかさの脳裏に、クラスメイトである女子生徒の顔が浮かんだ。
「ま、まさか……薫を? で、でも、狙ったって、返り討ちに遭うのがオチじゃないかな?」
つかさは自分を安心させるように軽口を叩いた。
あの男勝りの薫なら、抱きつき魔など半殺しにするに違いない。アキトだって、それは数時間前に身を以って知ったはずだ。だが──
「抱きつき魔が人間でないなら、あの処女の剣士に勝ち目はないだろうよ」
アキトの言葉は意味深だった。つかさは気になってしょうがない。
「に、人間でないならって……どういう意味なの?」
「オレの鼻は処女を嗅ぎ分けるだけじゃないんだぜ」
そんなことをクソ真面目に言う。ふざけているのか、とつかさは軽蔑の目を向けかけた。
ところが、
「道場で見かけたとき、あの大神ってヤツから人間のニオイはしなかった」
「――っ!?」
つかさは目を見開いて、アキトの顔を見た。つい横に並んで会話をしていると忘れそうになるが、アキトも人間ではないことを思い出す。
「そ、それってさぁ……それって、もしかして……」
「ああ、オレがさっきから『イヌ臭え』って言ってただろ?」
つかさはゴクリと喉を鳴らした。さすがの薫も人間ではない存在を相手に出来るだろうか。
夜道を歩く薫が襲われるシーンを思い描いた刹那――
「キャアアアッ!」
聞こえてきたのは、絹を裂くような女の悲鳴だった。
「ヤツか――!?」
そのとき、アキトの目が爛々と輝いた。
彼は 吸血鬼――血を欲する者。それは闘いの血でもあるのかも知れない。
アキトは風に鼻をヒクつかせた。
「イヌ臭え! ──こっちだ!」
そう言うや否や、アキトは疾走を始めた。まさしく、“風を切る” という表現が似つかわしい。つかさも全速力で追いかけたが、簡単に置き去りにされそうだった。
だが、意外と現場が近くだったお蔭で助かった。距離にして二百メートルと走らないうちに、アキトの足が止まる。
「やいやいっ! このイヌっころぉ! とうとう尻尾を掴んだぜ!」
アキトが威勢良く啖呵を切った。
その視線の先にいたのは、セーラー服姿の女子生徒を後ろから抱きすくめた大神だった。
つかさは、その女子生徒が薫ではないかと気を揉んだが、その予想は外れた。名前は分からないが、薫と同じ剣道部の一年生だ。
「大神くん、どうしてこんなことを!?」
つかさは大神に問うた。これ以上、彼に罪を重ねて欲しくない。
だが、大神は女子生徒を抱きすくめたまま笑っていた。そして、女子生徒のうなじに顔を寄せ、匂いを嗅ぐ。
「う~ん、いい匂いだ。この匂いが堪らない」
大神の表情は恍惚に緩んだ。女子生徒は嫌悪と恐怖に震えている。
「もう、写真だけじゃ満足できないんだ。やっぱり女の子はナマで感じないとね」
まるで変質者のようだった。いや、そのものか。
「いい趣味してるじゃねえか、イヌっころ」
アキトもニッと笑う。ただし、それは残忍さを連想させる 吸血鬼 の笑みだ。
「彼女を放しな。オレがギタギタに刻んでやるぜ!」
アキトの右手がバキバキッと鳴った。大神に向けて、鋭く爪が伸びた五指をガッと開く。
「クックックックッ、人間が粋がると長生き出来ないぜ」
そう言うや否や、大神の身体に変化が生じた。全身が膨れ上がったかのように見えた刹那、着ていた学校の制服が破け、灰色の体毛が生え始めたのだ!
獣毛は全身から伸び、顔を覆い、耳が尖り始めた。さらに鼻と口が盛り上がり、剥き出された歯が鋭い牙と化す。特撮映画で見たことのある光景が、今まさに目の前で起こっていた。
「ウォォォォォォォッ!」
遠吠えが夜気を震わせた。
大神は狼男に変身したのだ!
「キャアアアアッ!」
その姿を見た女子生徒は、悲鳴を上げて失神してしまった。
つかさも思わず後退ってしまう。吸血鬼 の次は狼男とは……
この世界には、どれだけの魔物が人間を装い、紛れ込んでいるのだろう。
「ようやく正体を現したな、イヌっころ!」
アキトだけは、まるでこの状況を楽しんでいるようだった。満月ということで、彼の血も騒いでいるのだろうか。
「さっきから黙って聞いていれば、イヌ、イヌと言いやがって……」
大神は気絶した女子生徒をその場に寝かせると、アキトをねめつけた。狼の頭部になっても人間の言葉が喋れるから不思議だ。
「オレは……オレは……」
身を震わせる狼男。つかさは危険なものを感じた。
「オレはイヌなんかじゃない! オオカミだぁーっ!」
そう吠えた “大神” はアキトへ突進した。その俊敏さは目にも止まらない。
「へっ!」
ところがアキトは余裕の表情だった。しかも飛びかかる狼男に対し、右手を前にただ突き出しただけ。
だが――
ガシッ!
その右手は正確に大神の頭を鷲掴みにしていた。
突進を片手一本で完璧に止められ、狼男に変じた大神の眼が見開かれる。信じられないという表情──いや、狼がそういう表情を出来ればの話だが。
メキッ! ミシミシミシィッ……!
嫌な音がした。大神の頭蓋骨からだ。
「トロくせぇぜ!」
アキトは残忍なまでに笑みを浮かべた。これではどちらが悪者だか分からない。
「キャウウウン!」
そのまま突き飛ばされた大神は、負け犬の悲鳴のような声を上げて、その場を転げ回った。相当なダメージだったのだろう。狼男という怪物でなければ瞬殺されていたかも知れない。
そんな大神に、アキトは容赦なく蹴りをくれた。
ボゴッ!
「ぐふぉっ!」
身体をくの字に折り、またもや七転八倒の苦しみを味わう大神。
「ぐっ……ぐうっ……人間にしては……やりやがる……」
大神は蹴られた腹部を押さえながら、負け惜しみの言葉を必死に絞り出す。
だが、つかさが見ても、アキトと大神の実力の差は歴然としている。
「誰が人間だ?」
アキトの目がスッと細くなった。そして、口許から乱杭歯を覗かせる!
それを見て、ようやく大神は相手の正体を悟ったようだった。瞬く間に顔面蒼白に──いや、これもまた狼男がそうなるのなら、だが。
「お、お前は……いや、あなた様は……!?」
口調まで改まった。
「そう。闇の貴族――吸血鬼 だ!」
これで黒いマントがあれば満点だったろうが、それでもその迫力たるや、本物にしか出せぬものであった。演出効果を狙ってか、背中に満月を背負う。
「そ、そんな……」
大神は 吸血鬼 にケンカをふっかけたことを後悔したに違いない。
一部の伝承などによれば、吸血鬼 は狼たちを従えることがあるという。つまり主従関係は昔から成り立ち、両者の格はあまりにも違い過ぎたのだ。
大神の視線が彷徨った。何とかして、この場を切り抜けなくては……
アキトは地面に寝かされた女子生徒に近づいた。
「まったく、自分の欲望のままに動きやがって。しかも、由緒ある狼男が抱きつき魔に身をやつすとは情けねえ。おまけにオレにまで嫌疑がかけられたじゃねえか。人間社会で暮らすなら、それなりに大人しく暮らすんだな」
自分もつかさの尻を撫で、写真部の部室で押し倒しておきながらよく言う。つかさにしてみれば、どっちもどっちだ。
「――どうだ、つかさ。これでオレが無実だって分かったろ?」
アキトはつかさの方を振り返って言った。つかさは肩をすくめ、うなずく他はない。
そのとき、大神の眼が光った。
武藤つかさ。クラスは違うが、大神もどんな生徒か知っている。まるで女の子のような外見と同様、争い事が苦手で、男子生徒たちにからかいの対象とされていることも。背は低く、腕もか細い。
突然、現れた 吸血鬼 と行動を共にしている点は気になったが、彼を人質に出来れば形勢逆転も可能かも知れない。
ちょうどアキトは気絶した女子生徒の方に気を取られていた。
――今がチャンスだ!
「ガァァァァッ!」
大神は一瞬の隙を突き、つかさに襲いかかった。
「――っ!? つかさぁ!」
初めてアキトの表情が強張った。三者の位置関係において、アキトが一番遠い。助けに入ろうにも、大神の方が速いのは明らかだった。
つかさの眼前に迫る狼男の鋭い牙。
――殺られる、と考えるよりも先に、つかさの身体は本能的に動いていた。
腰をわずかに落とし、短く呼吸を整える。体内で《氣》を集束させ、それを練り上げるイメージ。
それも一瞬──
大神の牙が届く寸前、つかさは拳を突き出していた!
「破ッ!」
その手は光ったように見えた。
これぞ発勁。体内で練った《氣》を相手に叩きつける、古武道の達人のみが会得できる奥儀だった。
「キャイイイン!」
つかさの発勁をまともに喰らい、大神は再び悲鳴を上げた。愚かしいことに、二度も相手の実力を見誤ってしまうとは。
ダァァァァァン!
大神の身体は宙を舞い、電柱に叩きつけられた。その威力たるや、コンクリートの電柱が揺らぐほどだった。
満月の狼男。だが、不死に近い肉体を持ちながらも、アキトばかりか女の子みたいなつかさにまで吹き飛ばされ、大神の自信は粉々に砕けてしまっていた。
そして──
ボキッ! ベキッ!
指を鳴らしながら近づくアキトの殺気立った表情。その影が大神の上にのしかかるように伸びた。
「この野郎……オレの……オレのつかさに手を出すとは、いい根性してるじゃねえか!」
「……誰が、『オレのつかさ』なワケ?」
多分、聞こえちゃいないだろうと思いつつ、つかさが小さくツッコミを入れた。
「ひっ……ヒィィィッ!」
「ブッ殺してやるッ!」
ドガッ! グシャ! ベシャ!
バキバキバキバキッ! バリバリバリバリッ!
「お、お助けを~っ!」
「許すかぁ!」
凄惨な地獄絵図は、それからしばらく続いた。
翌朝。
昨晩の血生臭い出来事が原因で、つかさは朝食も喉を通らず、げんなりとしていた。通学路を歩く足下もおぼつかない。
大神は──とりあえず、アキトに殺されずに済んだ。と言うより、やはりそこは不死身の狼男、人間なら最低でも十回は死んでいてもおかしくはないのだが、驚異の再生能力が大神を生き長らえさせた。
腸まで抉り出そうかというアキトを見て、さすがにつかさも失神しかけたのだが、大神がこれ以上、女性たちを襲わないことを条件に、アキトも許してやることにした。
大神は泣いて感謝し、以後はアキトの舎弟になることを約束した。当初、アキトは「イヌ臭えからヤダ!」と嫌がっていたが、それをつかさが「まあまあ、そう言わずに」となだめるように取りなし、どうにか丸く収めたのである。
さて、大神を見逃してやるとなると、襲われた女性たちのケアもしてやらねばならない。
催眠術を利用した精神操作を被害者に施し、襲われたときの記憶を消しておく、とアキトは自分から言い出した。
何ともご都合的な術を持っているものだ、とつかさは呆れ返るしかなかったが、ここは本物の 吸血鬼 に事後処理を任せた方がいい、とは理解した。きっと、これまでにも正体がバレて、そのような処置を行ってきた経験があるのだろう。
アキトはその場で気絶していた女子生徒に術を施した。
その後、他の被害者たちの自宅や入院先を知っている大神を伴い――ターゲットにした女性のことは、あらかじめ何でも調べ上げていたのだ――、アキトはつかさと別れた。
今頃はきっと、これまで大神の餌食になった女性たちの記憶もきれいに消されてるはずだ。被害を受けたことは気の毒だが、この先、トラウマを抱えたまま生きていくよりはいいだろう。
それにしても、あの大神を吹き飛ばした発勁には、つかさ自身が驚いていた。
確かに、古武道の師範だった祖父の源氏郎から習った技ではあるが、実戦で使ったのは昨日が初めてだ。あんなことが出来たこと自体、つかさはまるで現実味がなく、夢でも見たような気分だった。
――お前は強い。そんじょそこらのヤツよりもな。
アキトと初めて会った日の夜、彼に言われた言葉を思い出した。あの好色で残忍な 吸血鬼 は正しかったのか。
つかさは思わず、自分の手を誰か知らない別人のもののように見つめた。
「おはよ、つかさ!」
近づく足音とともに元気な声が後ろから響き、次の瞬間、バシッと背中を強く叩かれた。振り返る間もない、またしても不意討ち。
「てっ! か、薫ぅ~」
苦痛に顔を歪ませ、つかさは薫を振り返った。
「な~によ、また朝から景気の悪い顔で」
「いいから、ほっといてよ」
何も知らず屈託のない笑顔を向けてくる彼女を見ていると、夕べ、少しでも薫の身を案じた自分が愚かしく思えてしまう。
やはり剣道で無類の強さを誇る薫なら、たとえ狼男の大神に襲われても撃退してしまったのではなかろうか。うん、きっとそうに違いない、とつかさは勝手に結論づける。
「もぉ、男なんだからシャキッとしなさいよね」
「分かってるってば」
いつものお節介な薫に辟易としながら、つかさは周囲の目を気にして、登校の足を早めた。
すると、その前に立ち塞がる長身の人影がひとつ――
「よぉ、ご両人!」
「なっ……!?」
「げぇっ!?」
つかさと薫は同時に立ち止まり、驚きに目を見張った。言葉を失う。
その人影は、説明するまでもなくアキトであった。しかもどういうわけか、つかさと同じ 琳昭館 高校の制服を着て――
「転校生の 仙月 明人 で~す。アキトって呼んでくれていいぜ! よろしく!」
「………」
どうやら厄介な 吸血鬼 に目をつけられてしまったようである。
つかさと薫は互いに顔を見合わせ、諦めにも似た、深いため息をついた。
第1話おわり