何だよ、オレは関係ないだろ?
身をすくめた寧音は、怖々といった様子で、ゆっくり後ろを振り返ってみた。
彼女を後ろから押さえ込んでいたのは、黒いフルフェイスのヘルメットを被った人物だった。寧音よりも頭ひとつ分高い。ヘルメットのバイザーも真っ黒なため、どんな人相なのか見ることは出来なかった。
すっかりアキトに気を取られていたが、寧音がコンビニに入るとき、男はそのすぐ後ろから、くっつくようにして入店して来た。そして、撮影しようとした立ち止まった瞬間、突然、後ろから拘束し、ナイフを突き出してきたのだ。
「金を出せ!」
男はレジにいる男性アルバイトに命じた。これでコンビニ強盗だと確定する。寧音を引きずるようにして、レジへと近づいた。
その騒ぎに、さすがのアキトも気づいたが、ヘルメットの男に捕まっているのが寧音だと分かり、意外そうな顔をしたまま事態を見守った。
レジの男性アルバイトは、通報ボタンを押そうとカウンターの下に手を伸ばしかけた。
ところが、コンビニ強盗はそれを鋭く見咎めたらしく、さらに人質である寧音の顔へナイフを近づける。
「おい! 妙なマネをするんじゃねえ! 警察なんか呼びやがったら、この女の顔に傷がつくぞ!」
その脅し文句に、男性アルバイトの動きが止まった。相手の表情が見えない分、隙を窺うことが難しい。伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「さあ、早くレジの金を出せ! 紙幣だけでいい!」
強盗の男はそう言って、一度、店内を振り返った。
コンビニにいた客はアキトの他に――同じく雑誌コーナーで立ち読みをしていた若いサラリーマン風の男、レジに並ぼうとしていたOLらしき女性、そして、冷蔵庫の扉を開けたまま硬直している薄汚れた作業服姿の中年男性の三名だ。
誰もがこの状況に対して、どうしていいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。
「お前らも動くなよ!」
コンビニ強盗は店内の客たちにも警告した。さらに寧音が、
「ご、後生やから、動かんといてな」
と震える声で懇願する。人質にまで念を押されては動くわけにもいかない。──ただ一人を除いて。
いきなり、アキトが出口の方へと歩き出した。まるで強盗など見なかったかのように、寧音たちと目も合わせず、ごく自然に。
「――お、おい、待て! 待てってんだ、この野郎!」
澄ました顔で行きかけるアキトをコンビニ強盗が見逃すはずがなかった。それでもアキトは無視するかのように出て行こうとする。自動ドアが開いた。
「待たんかい、ボケェ!」
アキトの背中に罵声を浴びせたのは、強盗ではなく寧音だった。今の一瞬だけ、目の前のナイフのことも忘れて大きな声を出す。同級生を見殺しにしようという、その態度がとてつもなく腹立たしい。
さすがのアキトも、それを耳にして立ち止まった。
「何だよ、オレは関係ないだろ? 帰らせてもらうぜ」
いけしゃあしゃあとアキトは言ってのけた。寧音たちには背を向けたまま。
「警察を呼ばれちゃ困るってんだよ!」
コンビニ強盗は苛立ちを込めて凄んだ。明らかにアキトの態度はナメている。寧音も黙ってはいない。
「ウチを見捨てる気かいな! この薄情モン! 死んだら化けて出たるでぇ!」
何だか、寧音が強盗の味方にでもなったかのようだった。
それを聞いてアキトは鼻で笑う。
「知ったことか。むしろ、オレの周りを嗅ぎ回るヤツがいなくなってくれれば、こちとら清々すらあ」
「ひ、ひっ、ひっ、人でなしーっ!」
寧音は歯を剥き出しにして呪った。
……確かにアキトは人間ではないのだが。
「じゃあな、あばよ」
アキトは平然とコンビニから出て行こうとした。無論、それを強盗が許すはずがない。
「ふざけるな!」
「うひゃーっ!」
強盗の怒号と寧音の悲鳴が重なった。強盗がアキトの方へ寧音の身体を突き飛ばしたのだ。
アキトは振り返り、寧音の身体を抱き留めた。その隙を狙って、強盗がナイフを手に襲いかかる。寧音の身体をアキトに預けさせ、動きを封じようという、なかなかに上手い手並みだ。
「おい、ぺぺ! 脚をしっかり伸ばしてろ!」
とっさにアキトが命じた言葉の意味を寧音は理解できなかったが、名前のボケにツッコミを入れるのも忘れ、反射的に意識が脚へ集中した。
するとアキトは寧音の背中と膝の裏に手を回し、素早く抱え上げた。まるで新郎が花嫁を抱え上げるような格好だ。
突然、宙に浮くような感覚を味わい、寧音は驚く。
だが、アキトはさらにその場で一回転すると、寧音の身体を爪先から放り投げるようにした。
「――っ!?」
そこへ突進して来た強盗は堪らない。待ってました、とばかりに、ちょうど寧音がドロップキックを浴びせるような形になる。寧音のキックは強烈に、強盗の胸元を直撃した。
「ぐえっ――!」
声にならない苦鳴が洩れ、強盗の身体は後方へ弾き飛ばされた。そのまま仰向けの格好でツルツルな床の上を滑り、頭から陳列棚に突っ込む。
ガッ! ドサドサドサーッ!
その衝撃で、おにぎりがこぼれるように落下した。
アキトが握ったままにしていた寧音の腕を強く引くと、放り出されたはずの身体はグンと引き戻され、自然に着地することが出来た。
アキトによって抱き留められながら、寧音は信じられないといった様子で、床に転がったコンビニ強盗を見下ろす。――アキトと寧音によるコンビネーション・アタック。アキトの助けがあったとは言え、ここまで鮮やかに決まるとは驚きだ。
「『お手柄女子高生、コンビニ強盗を撃退!』ってところか? ご活躍だな」
からかうようにアキトは言った。それでようやく、寧音は我に返る。
「な、何言うてんねん! あんさんがムチャしよったからやないか!」
寧音はアキトに抗議した。一歩間違えれば、大怪我をしていた可能性もある。
だが、アキトは取り合わなかった。
「まあまあ、上手く撃退できたんだからいいじゃねえか」
「人を何やと思うとんねん? 人の身体、勝手に振り回しおって!」
「武器の代わり──と言いたいが、それにしちゃあ重かったしな」
「何やて!」
「──とっ!」
小馬鹿にするアキトに、寧音が拳を振り上げた瞬間――陳列棚に突っ込んだはずのコンビニ強盗が、むくりと起き上がった。どうやらヘルメットを被っていたお蔭で、あまりダメージを受けなかったらしい。
手には相変わらず凶器のナイフを握ったままだった。寧音は背中を向けているので、立ち上がった強盗に気づかない。それでも、目を見開いたアキトを見て、背後の気配を察知する。
「退いてろ!」
寧音が後ろを振り向くよりも早く、アキトが押しのけるようにして前に出た。弾みでレジカウンターに吹っ飛ばされる寧音。それでも何が起こったのかを確かめようと、寧音はアキトの方を振り返った。
「死ね!」
コンビニ強盗は短く叫びながら、全身でアキトにぶつかった。
寧音の位置から見ると、強盗が手にするナイフは、一瞬、アキトの身体の陰で見えなくなったあと、再び背中の辺りから突き出したように現れる。
「うわぁぁぁっ!」
思わず寧音は悲鳴を上げた。大きなナイフの刃がアキトの身体を貫いたように見えたからだ。
しかし──
「へっ!」
アキトは笑った。余裕というよりも、まるで楽しんでいるかのように。
白い歯をこぼしたときに見えた八重歯──本当は 吸血鬼 の乱杭歯──が、なぜか寧音の背筋を寒くさせた。
アキトの身体を貫いたかに見えたナイフは、寧音の錯覚に過ぎなかった。ナイフが突き出された刹那、アキトは紙一重で躱し、コンビニ強盗の腕を左脇に挟み込んだのだ。
「くっ――!」
動きを封じられたコンビニ強盗はすぐさま腕を抜こうとしたが、アキトによってガッチリと固められていて逃れられない。
「少し大人しくしてな!」
強盗を押さえているのとは反対の右腕を斜め上に振り上げると、アキトはその首筋へ手刀を叩き込む。その威力たるや、一瞬、コンビニ強盗は動きを硬直させたかと思うと、そのまま床に倒れ込んでしまった。
やっと店内の緊張感が解けたようだった。寧音を始めとして、アルバイトの店員や客たちが、ホッとしたように大きく息をつく。
一人、アキトだけが肩をすくめた。そして、呆気に取られたまま、こちらを凝視してい寧音を振り返る。
「まったく、お前を二回も救うなんてな──いや、トラックに轢かれそうになったのもカウントすれば三回か」
ニヤリ、とアキトは何かを企むように笑う。
「な、何や? 何が言いたいねん?」
たじろぐ寧音に、アキトはずいっと迫った。
「な~に、簡単な話さ。こっちは危ないところを助けてやったんだ。ちょいとばかり礼をしてもらったって罰は当たんねえだろ?」
アキトの笑みは、益々、邪悪さを増していた。




