今度、そんな口を利いたら、こんなもんじゃ済まないわよ!
「つかさ、どうしたの?」
突然、声をかけられ、つかさはギクッとした。薫だ。
薫は部活の途中でたまたま通りかかったのか、剣道着の姿で、手には竹刀を持っていた。
「い、いや、別に何でも……」
よりにもよって、面倒なところを誰よりも面倒な人間に見られてしまうとは、とつかさは心の中で冷や汗を掻いた。
「そっちは誰? 部外者?」
薫が当然のように、つかさの横に立つアキトを見咎めて言った。何せ、制服ではない人間が校内にいるのだから、彼女が怪しむのも無理はない。
「これは、その……」
つかさが言い淀んでいると、アキトの方から前にしゃしゃり出た。
「オレは 仙月 明人。つかさの親友さ。アキトって呼んでくれ。よろしくな」
見るからに胡散臭い輩に思えるのだが、アキトはいけしゃあしゃあと自己紹介した。薫も面食らった様子だ。
つかさは何とか話題を変えようと思い、慌てふためいた。
「そ、そういう薫こそ、部活どうしたの?」
「私? 私は稽古中に足首を捻挫したコを保健室に連れてった帰りよ」
「あ、そう……」
だったら、なぜ竹刀を手放していないのか、つかさには疑問だった。保健室への付き添いに必要ないだろうに。肩の辺りに担ぐようにしたポーズは、まるで生活指導の鬼体育教師だ。
だが、初対面のアキトはそんな薫のオーラにも気づかないのか、平気で近づく。そして、何やら鼻をヒクヒクさせて、薫の周囲の匂いを嗅いだ。
「な、何よ……?」
初対面の男にそんなことをされ、当然、警戒する薫。
すると、
「ねえ。キミ、まだ処女でしょ?」
アキトは内容にそぐわぬ、にこやかな顔で尋ねた。
次の刹那、目にも留まらぬ早業で、薫の竹刀が打ち下ろされた。
ビシッ! バシッ! ガツッ!
もちろん、アキトに避ける暇もない。往復で頬を張られ、最後は渾身の突き。竹刀の切っ先がアキトの口を塞ぐように押し込まれていた。
「今度、そんな口を利いたら、こんなもんじゃ済まないわよ! いいわね!?」
「もがっ……もがもがっ……!」
薫は殺気を帯びた目で睨みつけると、アキトの口から竹刀を引いた。思わずアキトは咳き込む。
つかさはどうしていいのか分からず、オロオロしていたが、薫の紅潮した表情を見て、余計に何も言えなくなった。薫がつかさと目線を合わせかけて、慌てて逸らす。
薫は機敏な動作で踵を返すと、そのまま道場の方へ足早に帰って行った。その後ろ姿を見送る二人。
「あー、顎が外れるかと思ったぜ」
両手で顎の関節を撫でながらアキトは言った。ちっとも悪びれた様子はない。
「キミが悪いよ」
つかさはアキトをたしなめた。同情の余地なし。
「フッ、オレは何千という女に咥えさせてきたが、咥えさせられたのは今日が初めてだ。今度はオレが咥えさせてやる」
「……だから、下品だって」
つかさは益々、頭が痛くなった。
「彼女の名前は?」
「知ってどうするの?」
「いつかモノにしてやる!」
「殺されても知らないよ」
アキトが 吸血鬼 で不死身だということを差し引いても、薫にかかったら無事では済まないのではないか。つかさは本気で考えた。
「おい、つかさ。今の女が向かった場所に案内しろよ」
「えっ? 道場に? どうして?」
「決まってんだろ。学校見学だ」
どうやらアキトに何を言っても無駄なようなので、つかさは大人しく剣道部が稽古をしている武道場へ案内することにした。
琳昭館 高校は球技よりも、剣道や柔道、そして空手といった武道系の部活を重んじる学校である。であるから、道場は複数の部活が同時に使えるよう、体育館に匹敵するくらいのものが整備されていた。
武道場の近くまで行くと、怒号にも似た掛け声が飛び交っていた。
つかさはまだ買い出しの途中であったので、空手部が練習している道場に顔を出しづらかった。もしスポーツ飲料を持って行けば、練習に戻らなくてはならない。だが、アキトを一人にして、下手な騒ぎを起こされるのは賢明ではなかった。
自分では道場を覗かないようにしながら、アキトに中を見せた。
「おっ! やってる、やってる!」
アキトが覗くと、ちょうど薫が防具の面を着けているところだった。練習試合をするらしい。
「何だ、相手はでっけーねえちゃんみたいだな」
アキトが実況中継よろしく伝えてくれる。
「薫の相手は同じ一年生じゃ務まらないんだよ。三年生は受験で引退している人が多いから、多分、二年生でしょ」
「ふーん」
薫は相手と対峙すると、一礼した。
「お願いします!」
蹲踞の姿勢から両者立ち上がり、
「始めぇ!」
と開始の合図がかかると同時に、薫は相手に向かって突進した。まずは出方を窺う、などというセオリーは持ち合わせていないらしい。
薫の方が背丈が低いのに、その迫力に相手も気圧されたものか、思わずたじろいだように見えた。
弱気は隙に繋がる。
ダン、と大きく踏み込むと同時に、薫の竹刀が振り下ろされた。
「メェーン!」
瞬殺。パァァァーン、という乾いた竹刀の音が道場に響き、審判の白い旗がサッと挙がった。
「一本!」
わああっ、と歓声が沸いた。おそらく薫と同じ一年生のものだろう。
両者、再び一礼してから列へ戻り、薫は防具の面を脱いだ。ふぅ、と大きく息を吐き出す。額には汗が光っていた。
「すげぇ! 勝っちまったぞ!」
アキトは興奮したような声を出した。目にも止まらぬ電光石火とはこのことだ。
一方のつかさは、さも当たり前のように、
「薫に勝てる女子なんて、ウチの学校にはいないよ。男子を含めたってどうだか」
「ふーん、随分と詳しいんだな」
アキトの口調には少し冷やかしも含まれていたが、つかさは気づかなかった。
「まあね。彼女は 忍足 薫。同じクラスだし、向こうは学校の有名人。ボクなんかとは大違いさ」
冷めたようなつかさの答えに、アキトは温かい視線を向けた。
「なるほど、そういうことか」
「何が?」
「いや、こっちの話さ」
アキトがつかさから目線を外すと、その向こう、およそ十五メートルくらい離れたところにいた一人の男子生徒に気がついた。その男子生徒は一眼レフ・カメラを手にし、剣道場の中を撮影しているらしい。
「おい、つかさ。あいつは?」
アキトが顎をしゃくった。
「ああ、隣のクラスの大神くんじゃないかな? 彼、写真部だから」
「ほう、写真部ね」
「とは言っても、ウチの学校は新聞部の方が活動が活発で、写真部は廃部同然だって話だけど」
そんな会話をしているうちに、大神がアキトたちの方に気がついて、そそくさとその場を立ち去った。
それを見ていたアキトが怪しむ。
「……臭いな」
さっき薫にしたみたいに鼻をヒクヒクさせながら、アキトは呟いた。つかさには何のことやらさっぱり分からない。
「何が?」
「この臭いは……イヌか」
「イヌ? イヌって、『ここ掘れワンワン』の?」
「ああ」
そう言ってアキトは、大神のあとを追うようにして歩き出した。
イヌなんて校内にいるわけがない。何かの間違いじゃないか、とつかさはアキトの言葉を疑う。ただ、部外者を勝手に歩き回らせるわけにもいかない。仕方なく、つかさはアキトを追いかけた。
大神は尾行されていることを知ってか知らずか、一度もこちらを振り返ることはなかった。
一方のアキトも慎重に行動しているようだ。見ると表情が真顔になっている。こんな真剣なアキトをつかさは初めて見たような気がした。
大神が角を曲がった。見失わないよう、アキトは曲がり角まで足を早める。そして、こっそりと様子を窺った。
「しまった!」
アキトは思わず舌打ちした。
「どうしたの?」
「撒かれた」
「えっ?」
つかさも首を覗かせると、確かに大神の姿は忽然と消えていた。ここは校舎裏で隠れるところなどないというのに。
「ヤツめ、こっちに気がつきやがったか?」
「大神くんがどうかしたの?」
「……ヤツは臭い」
「だから、それはさっきも聞いたって」
「きっと、ヤツは――そう言えば、つかさ。女性を襲う事件がどうのこうの言ってたよな?」
「ああ、それは──」
つかさは搔い摘んで、抱きつき魔の事件を話した。すると聞いていたアキトの目が鋭く光る。
「そいつは益々、臭いな」
「臭いって、またイヌの話?」
「──つかさ、ヤツが行きそうな場所に心当たりはないか?」
つかさは少し考えてから、
「写真部の部室かな。現像とかなら暗室に行くだろうし。最近はデジタルカメラが多いけど、大神くんのは昔ながらのフィルム式みたいだからね」
「よし、そこだ。案内しろ」
つかさはアキトがどういうつもりなのかさっぱり分からなかったが、断ることも出来ず、校舎に併設されている写真部の部室へ向かった。
そこは安っぽいプレハブ小屋で、運動部の更衣室や零細文化部の部室として宛てがわれていた。
周辺はろくな掃除もされていないため、枯れ葉や捨てられた紙コップなどが散乱し、また校舎の北側ということもあって陽が当たらず、うらぶれた感じがする。その一角に写真部の部室はあった。
アキトはつかさにノックするよう促した。用事があるのなら自分でして欲しいものだと思いつつ、指示されるがままドアをノックした。
二回、三回……
だが、中から返事はなかった。
「誰もいないんじゃない?」
部員もロクにいない部なのだ。不在であっても不思議ではない。
「開けてみろ」
だから命令しないでよ、と反論も出来ぬまま、つかさは自分が情けなくなりながらもドアノブに手をかけた。
ギギギギギィ……!
開いた。
つかさはどうするべきか迷い、アキトを振り返ったが、答えは無言で顎をしゃくるだけ。入れ、と言うのだ。
「失礼しまぁす」
弱々しく声をかけながら、つかさは真っ暗な部室の中に足を踏み入れた。
明かりと言えば、ドアから差し込む外光だけであったが、それでも狭い室内に誰もいないことを確認するには充分だった。
それにしても、部室は散らかし放題に荒れていた。長らく掃除をしていないらしく、床や机には埃が積もっている。
ただ、入口から右手奥の暗室──今はカーテンが開けられているが──までの床面は、比較的、汚れが目立たない。
とりあえず写真の現像にだけは大神などの部員が訪れて、使用しているらしいと分かった。
「大神くん、いないけど?」
「そうか」
アキトはそう言って、自分も部室に入って来た。
バタン!
突然、ドアが閉められた!
つかさの顔に緊張が走る!
(まさか、大神くんに閉じこめられたの!?)
と同時に、つかさへ大きな影が覆い被さって来た。
「うわあああっ!」
つかさはビックリしたのも手伝って、埃の積もった床に倒れ込んでしまった。
そのつかさにのしかかっているのは──
アキトだった。……おいおい。
「ぐっふふふふっ、ようやく二人だけになれたな、つかさ」
欲望丸出しな笑みをアキトは浮かべていた。
つかさは突然のことに声も出ない。
「オレはこれまで欲しいと思ったものは、みんな手に入れてきたのさ!」
アキトの右手がつかさの下腹部をまさぐった。空手着の下を脱がしにかかる。
「な、何を!?」
つかさは怯えた。
「もち、お前の処女をいただく!」
舌舐めずりするアキト。涎が滴り落ちそうだ。
腰紐が解けた。
「ふ、ふ、ふざけるなぁーっ!」
つかさは右膝でアキトの股間を蹴り上げた。キーン! 直撃!
「うおっ!?」
アキトは顔面蒼白になって目を剥く。ダメージ大だ。男の急所は、吸血鬼 であっても変わらないらしい。
怯んだアキトに向かって、つかさは上半身を起こしながらアッパーカットを喰らわせ、その長身を跳ね除けた。
「ぐあっ!?」
トドメの一撃は、くるっとアキトの方に両足を向け、屈伸を応用した必殺キックが炸裂。それをまともに受けたアキトは宙を飛び、身体をロッカーに叩きつけられた。
ドンガラガラガラ、ガッシャン!
派手な激突音と甚大な埃を舞い上がらせ、アキトは床に倒れ込んだ。ノックダウン。
つかさはハアハアと荒い息をつきながら、立ち上がって、脱がされそうになった空手着を直した。
「まったく! 油断も隙もあったもんじゃない!」
つかさは顔を真っ赤にさせながら、好色な 吸血鬼 をねめつけた。
「うぐっ、ぐっ、ううっ……」
アキトは股間を押さえながら、涙目で床を転げ回った。吸血鬼 にあるまじき、情けない姿だ。
「今回という今回は許さないからね!」
つかさは憤怒の形相で、ポキポキと指を鳴ら――そうとしたが、鳴らなかったので、そのフリだけをしながら宣告した。つかさを知る誰もが見たことのない、ぶちギレ状態である。
「ま、待て……こ、これを、見ろ……!」
アキトは尻だけを持ち上げた腹這い状態のまま、床に散乱した写真を示した。どうやらアキトが激突した拍子にロッカーの扉が開いて、中に入っていた写真をぶちまけてしまったらしい。
そんな言い訳でアキトを許すつもりのなかったつかさだが、何気なく写真に目がいった。
それは遠くから若い女性を狙った写真だった。女性の顔の向きはカメラの方を意識していないような感じで、明らかに盗み撮りをしたものだと分かる。
他に散乱している写真を見ても、どれも同じようなものばかり。しかも美人揃いだ。琳昭館高校の女子生徒もいれば、何処ぞの女子大生やOLらしき女性の写真もある。
そして何より気になったのは、すべての写真には赤いマジックで罰点のマークがつけられていたことだろう。
「これは……?」
つかさは写真を拾い上げ、アキトの方を見た。
「連続抱きつき魔の犠牲者……かもな」
「――っ!?」
つかさは恐る恐る、扉が開いたままのロッカーに近づいた。
ロッカーの名札には『大神』とあった。