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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第5話 心の檻に棲む野獣 【 全 11 回 】
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こんなことをしても傷つくのはキミの方だよ

 教室の中央で今にも襲いかからんばかりに立ち上がっているのは、今朝、つかさが木暮こぐれのアパートで目撃した怪物だった。山羊ヤギの頭蓋骨のような頭を持ち、全身を覆う黒い獣毛――間違いない。


 怪物は眼窩の奥にある金色の眼をつかさに向けた。


「木暮くん……? 本当に木暮くんなの?」


 怪物は返事をする代わりに咆哮を上げた。つかさには、それが木暮の慟哭のように聞こえる。


武藤(むとう)くん、危険だ! 逃げた方がいい!」


 教室に戻って来た大神がつかさの背中を引っ張るようにして促した。


 本当は一人で逃げ出したい大神であったが、ここでつかさを見殺しにしたとあっては、あとでアキトにどんなひどい目に遭わされるか。それを考えるとつかさを放っておくわけにはいかない。


 だが、つかさはそんな大神おおがみに逆らってでも、木暮に近づこうとした。


「どうして……どうしてこんなことに?」


「ガルルルルルル……」


 怪物もまた、つかさを見つめた。


「こ、この野郎……!」


 その間隙を衝いて、まだ教室の出口付近にいて逃げていなかった男子生徒の一人が、床に転がっていた椅子を振り上げ、怪物に向かって投げつけた。


 ところが、椅子は怪物の背中には当たったものの、残念ながら効果はゼロ。むしろ、怪物の怒りを買う結果になった。


 怪物は椅子をぶつけた男子生徒を振り返った。男子生徒の顔が恐怖に引きつる。


「ひぃっ――!」


「ガアアアアアアアアッ!」


「ダメだ、木暮くん!」


 つかさの制止も届かず、怪物は強大な腕を下から振り上げるようにして、近くにあった机を放り投げた。


「うわぁっ!」


 間一髪、男子生徒は頭を抱えながら廊下へ避難できたが、机が激突したドアは物凄い音がし、真っ二つにヒビが走る。その音の凄まじさに、またしても廊下から女子生徒たちの悲鳴が上がった。それはさらなるパニックを招く。


 怪物の怒りは治まらなかった。癇癪かんしゃくを起こした子供が手当たり次第に積み木を崩すのと同じく、次々と周りにある机や椅子を跳ね飛ばす。それらは教室のガラス窓や黒板、そして壁を直撃し、被害を拡大させた。


「やめるんだ、木暮くん!」


 なおも近づこうとしたつかさだが、怪物になった木暮は暴れ続けた。すぐ近くに机が飛んで来る。それはつかさに当たることはなかったが、まるで「近づくな」と警告しているように思えた。


 どうすべきか、つかさは迷う。


 そこへ──


「つかさ! 無事か!?」


「アキト!?」


 つかさがいるのとは反対側の入口から一年B組の教室へ飛び込んで来たのは、騒ぎを知って駆けつけたアキトであった。アキトはつかさと怪物の姿を見て、すぐさま状況を把握する。


 怪物もアキトの方を見た。


 アキトは、つかさに危害を及ぼそうとした怪物をねめつける。


「てめえ、つかさを傷つけたら、ただじゃおかねーぞ!」


「グオオオオオオオッ!」


 怪物はアキトに襲いかかった。鋭い爪を振り上げる。


 アキトは助走なしでジャンプした。教室の天井すれすれまで跳び、怪物の肩口へ跳び蹴りを浴びせる。その威力たるや――


 怪物の巨体は軽々と吹き飛ばされた。


 ガラガラガラッ……ドーン!


 教室の机を跳ね飛ばしつつ、怪物の身体は廊下の反対側である窓際に叩きつけられた。そのまま尻餅をつく格好になる。


 恐るべきは 吸血鬼ヴァンパイア の力だろう。椅子を投げつけられてもびくともしなかった怪物が、たったのキック一発で吹き飛ばされてしまったのだから。


 アキトは軽々と着地すると、鋭い視線を怪物へ向けた。


 いつもの不真面目さは微塵も感じられず、その目には冷徹さと怒りの激情が混在している。こんなアキトを見るのは、つかさも初めてだ。


「つかさ、早くこっちへ!」


 アキトから少し遅れて到着したかおるが、廊下から顔を出して、つかさを呼んだ。怪物の動きを警戒しつつ、避難するよう促す。


 だが、アキトと木暮のことが気になるつかさは逃げていいものかためらった。


 そんな薫の横から、一人の女子生徒が顔を出した。教室の中の惨状を目撃するなり、その表情が嬉々としたものへと変わる。


 彼女こそ、隣の一年C組の生徒で、新聞部に所属している 徳田とくだ 寧音ねね だった。


「これは一大事や! シャッターチャンス、もろたぁ!」


 昼休みも他の取材中で、やや出遅れた感のある寧音であったが、喜色満面の様子でカメラを向けた。怪物を怖がるよりも先に、スクープを喜ぶのだから大したものである。


 しかし、それが危険な行為であることに違いはなかった。


 吹き飛ばされた怪物は近づこうとしているアキトに対し、再び机の投擲を繰り返した。アキトへ重そうな机の一撃が襲う。


 それをアキトは片腕だけで弾き飛ばした。人間(わざ)ではない。そのまま前進を続けた。


 ところが、アキトから狙いを外れた机のひとつが、カメラを構えた寧音へと飛来した。狭いファインダーを覗いていた寧音は反応が遅れてしまう。


「寧音――!」


 隣にいた薫は、寧音を押し倒すようにした。


 間一髪、机は折り重なる二人の上を飛び越し、廊下へと転がり出る。薫が助けなければ、寧音は机の直撃を受けていただろう。


「ううっ……」


 薫のお蔭で助かった寧音は、倒れた拍子に何処か痛めたのか、顔を歪めた。


「大丈夫、寧音!?」


 心配した薫が尋ねた。すると――


「せ、せっかくのシャッターチャンスが……」


 カメラのレンズにヒビが入り、寧音は茫然とする。


 その一言に、薫は鶏冠とさかに来た。


「バカッ! 写真と自分の身体、どっちが大事なのよ!」


 ここで寧音が「写真」と()()()()()()いたら、きっと薫に殴られていただろう。少なくとも空気を読む判断力くらいは寧音も持っていた。


 一方、教室の中ではアキトの怒りが頂点に達しようとしていた。


「てめえ、許さねえぞ!」


 アキトは怪物に飛びかかった。右手が怪物の喉輪にかかる。


「やめて、アキト! その怪物は──!」


 つかさの制止も聞かず、アキトはそのまま怪物を押し出した。すべてのガラスが割れてしまった窓枠を突き破り、ベランダも乗り越えて、諸共に落ちてゆく。この下はグラウンドだ。


 慌ててベランダへ出たつかさは、下を覗き込んだ。


 すでにグラウンドでは立ち上がったアキトと怪物が闘いを再開させていた。


 怪物はパワーに任せて腕を振り回しているが、アキトはスピードで翻弄し、隙を見ては攻撃を加えている。しかし、怪物も相当にタフで、その程度では倒れない。


 つかさは身をひるがえした。そのままB組の教室から廊下へ。途中、薫によって呼び止められたが、構っていられない。


 廊下から階段を駆け下りたつかさは、昇降口から靴も履き替えずにグラウンドへ飛び出した。


 すでにグラウンドの入口付近には、アキトと怪物の死闘を遠巻きにして見守っている生徒たちが人だかりとなっていた。つかさはそれを掻き分け、やっとのことで最前列へ抜け出す。


 つかさの目に対峙する両者の姿が飛び込んで来た。アキトの優勢は変わらない。今もアキトの膝蹴りが怪物の顔面に決まり、巨体がよろめいたところだ。


 だが、怪物は無尽蔵のスタミナを有しているようで、それすらも決定的な一打には成り得ない。低い唸り声を発し、アキトを睨みつける。


「てめえが空手部の連中をやったんだな? まったく、タイミングってもんが悪過ぎんだよ! オレが犯人だと疑われたじゃねーか!」


「グルルルルルッ……」


「しかもオレの大切な者を傷つけようとしやがって……許さねえ……その罪はこのオレの手であがなわせてやるぜ!」


 アキトは直線的に突っ込んだ。怪物が待ち構える。


 その刹那――


 突如、アキトの姿が消えた。怪物は目標を見失い、たたらを踏む。


 次にアキトの姿が現れたのは、怪物の側頭部近く。超スピードのせいで消えたと錯覚したのだ。


 怪物がアキトに気がついたときは遅い。きれいに弧を描いた回し蹴りが怪物の後頭部を捉えた。


 バキッ!


 鈍い音と共に、怪物の巨体は前のめりに倒れた。グラウンドに土埃が舞う。


 アキトはすかさず止めを刺そうと、右腕を引いた。


「待って、アキト!」


 つかさは堪らずアキトの前に出て行き、両手を広げるようにして立ち塞がった。アキトはたたらを踏む。


「おい、つかさ! なぜ、止めるんだ!?」


「この怪物は木暮くんなんだ! もう、これ以上、木暮くんを痛めつけないで!」


 つかさに懇願され、アキトは攻撃を中断せざるを得なかった。つかさと怪物を交互に見やる。


「こいつが、あの青びょうたんだって?」


 にわかには信じられない。


 一昨日の朝、コンビニの前で出会ったときは、普通の人間だったはずだ。仮に人間を装っていたとしても、吸血鬼ヴァンパイア であるアキトの目と鼻は、そういうものを完全に見分けられる。


 だが、つかさには確信があるようだった。倒れている怪物に近づく。


「お、おい、つかさ――」


 引き止めようと、アキトは焦った。


 しかし、つかさは力強くうなずく。


「大丈夫――木暮くん、もうやめるんだ。こんなことをしても傷つくのはキミの方だよ」


 つかさは話しかけた。怪物ではなく、木暮に向かって。


「憎しみは憎しみしか生まないんだ。ボクはキミの本当の苦しみや悲しみを知らなかった……でも、今なら分かるよ! キミの心の痛みが! その姿を見れば分かるよ! そんなキミに、ボクが出来ることは何もないかも知れない。だけど……」


 つかさは声を詰まらせた。鼻の付け根がツンとなる。


「これからは友達として、キミを守ることを約束するよ。自分一人で悩みを抱えてちゃダメだ! 他人を憎んじゃダメだ! 人間のいいところを見つけて、信じていかなくちゃ、ボクらは手を取り合って一緒に生きて行けないよ!」


「ググググググッ……」


 つかさの言葉を聞く間、怪物に暴れる気配はなかった。ただ、金色の眼がつかさを見つめ、懊悩おうのうしているように見える。


 その様子を 毒島ぶすじま カレンは屋上から見下ろしていた。その表情からは、いつもの余裕ある微笑みは失せ、戸惑いの色が浮かんでいる。


「何をしているの? 私の暗示が弱かったとでも言うの? さあ、もっと暴れるのよ! すべてのものに復讐なさい!」


 だが、怪物──木暮は苦しんでいた。つかさの言葉によって心が動かされている証拠だ。


 自分を踏みにじってきた者への復讐――それが木暮をこのような怪物の姿に変えた。


 確かに、誰かを傷つけるときに味わう爽快感は格別だ。胸のところにわだかまっていたものが、一気に吐き出されるような気がする。


 しかし、また時間が経過してしまえば、わだかまりは再び蓄積されてしまう。どんなに暴れても、それが解消されることは決してない。


 つかさが言うように、復讐をしても何の解決にもならない。心の傷は、そんなことでは癒されないのだ。否、どんなことをしても完全に消えることはないのかも知れない。それは一生、心に残り、背負って行かなくてはいけないものなのだ。


 それにばかりこだわっていれば、違う明日へ踏み出すことは出来ないだろう。同じ毎日の繰り返し――それは木暮が望んでいたものではない。


 常に木暮が欲していたのは、昨日と違う今日、さらに今日とは違う明日だ。夢や希望、そして未来と言い換えてもいい。


 そんな木暮に、つかさは初めて手を差し伸べてくれた人間だった。彼の手を取れば、辛かった日々から抜け出せるかも知れない。友達という、何だか心がポカポカと温かくなるような言葉の響きが、木暮にそう思わせた。


 しかし、そんな木暮の心とは関係なく、肉体はまだ暴れ足りないようだった。その荒れ狂う衝動は理性で抑えきれない。


 ──いけない! 武藤くん、逃げて!


 突然、怪物は起き上がり、つかさへと襲いかかった。鋭い爪の一撃がつかさの心臓を貫こうとする。


「――っ!?」


「つかさぁ!」


 アキトはつかさを突き飛ばした。


 ドッ――!


 その刹那、怪物の爪がアキトの腹部を深く抉った。アキトはたまらず身体を二つに折り、口から吐血する。


「キャアアアアアッ!」


 野次馬の女子生徒たちから悲鳴が上がった。リアルな流血シーンに、その場で失神してしまう者もいる。


「アキトぉぉぉっ!」


 つかさが悲痛な声を上げた。彼は身を挺して、自分を守ろうとしてくれたのだ。


「ち、チクショウ、よくも……やりやがったな……」


 アキトは大量出血しながらも、何とか倒れるのだけは免れていた。なおもつかさの盾にならんとしている。


 さすがは超人的な体力と精神力を持つ 吸血鬼ヴァンパイア だけのことはある。とは言え、これ以上の攻撃を受けたら、さすがのアキトも只では済まないだろう。


「グオオオオオオッ!」


 怪物は再び腕を振り上げた。アキトはそれを見上げるが、深手を負ったせいで足が満足に動かない。アキトは思わず目を瞑った。


「アキト!」


 そのアキトを守るように飛び出したのはつかさだった。アキトを抱え込むようにして、怪物の攻撃に自らをさらす。


「グオッ――!?」


 その姿を目の当たりにして、怪物は急に動きを止めた。


 ──武藤くん……キミは……!?


 つかさを守ろうとして、傷ついたアキト――


 そして、今度はそのアキトを守ろうとしているつかさ――


 木暮は負傷しているアキトの姿に自分自身を重ね合わせた。


「グググググッ……ガアアアアアアアッ!」


 怪物は唐突に苦しみ始めた。頭を抱え、足をよろめかせる。頭蓋骨の眼窩から、ありえない涙が流れていた。血の涙だ。


「ど、どういうこと?」


 それを目撃したカレンはうろたえていた。こんなことは予想もしていなかったことだ。


「……どうやら心が二つに割れてしまったようね」


 背後で声がして、カレンはギョッと振り返った。


「り、理事長……」


 それは 玉石たまいし あずさ だった。


「あの変身は、彼の憎悪が生み出したもの――でも、今の彼には迷いが生じているわ。それが変身に影響を与えているのでしょう」


 梓の言うように、怪物の姿はまるで点滅でもするかのように、実体と虚像をダブらせていた。虚像になったとき、その中に木暮の姿が透けて見える。野次馬たちから驚きの声が上がった。


 それはつかさも同じだった。


「木暮くん……」


 異変は徐々にその間隔をせばめ、そして突然の終わりを迎えた。怪物と木暮の肉体が二つに分離し、まるで反発した磁石のように弾かれる。そのまま両者はグラウンドに倒れ込んだ。


「木暮くん!」


 つかさが呼びかけると、木暮は自力で身体を起こした。そして、自分の手や身体をしげしげと眺める。


「僕は……元に戻れたの……?」


 しかし、起き上がったのは木暮だけではない。分離されたはずの怪物もまた立ち上がる。そして、怒りに満ちた咆哮を上げた。


「ガオオオオオオオッ!」


 その光景に笑みを浮かべたのは理事長の梓だった。


「面白いわね。分離したら怪物の方は消えてしまうかと思ったけど、そのまま残るだなんて」


 逆にカレンの表情は硬かった。唇を堅く結んでいる。


「ですが……これからどうなるのか……もう私にも分かりません……こんなことは想定外だとしか……」


「構わないわ。私の目的は 仙月せんづき アキトの力を試すこと。吸血鬼ヴァンパイア の力がどれほどのものか、あの怪物――いえ、新たに産み落とされた “ 負念獣スピリット・ビースト ” との勝負、とくと拝見させてもらうわ」

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