ホントはつかさと顔を合わせる度胸がないクセに
因縁をつけてきた空手部の五人を痛めつけた木暮が次に復讐すべき相手は決まっていた。ずっとアパートに住み着いている、あの酒乱の男だ。
怪物の姿からなかなか元に戻れなかった木暮であるが、夜になってようやく変身が解けた。その後、自宅に帰り着いたのは夜の八時過ぎである。
男はすでに酒を飲んで酔い潰れたのか、居間の隣の部屋で高鼾を掻きながら眠っていた。
寝ている男に復讐するのは簡単なことだが、その時点で母もパート先から帰って来ていた。さすがに怪物になるところを母に見せるわけにもいかない。昨日、家に帰らなかった理由を適当にはぐらかし、その夜はとにかく寝た。
翌朝──つまり今日の朝であるが、母がパートへ出掛けたのを見計らって、木暮は隣室の襖を開けた。そこにはまだ寝ている男がいた。
口からは涎が垂れ、大きな鼾をかいて寝ているろくでなしの男。こんなヤツのために、十年以上もおどおどしながら生きて来なければならなかったのかと思うと、木暮は無性に怒りが込み上げた。
木暮は足で蹴飛ばし、寝ている男を起こした。
最初、何が起きたのか分かっていない様子の男だったが、側に立つ木暮を見上げると、自分が足蹴にされたのだと気づいた。途端に嫌悪の顔つきになる。
だが、それに構わず、木暮はさらに足で男の脇腹を突いた。
男はカッとなった。そして、頭の下に敷いていた枕をやおら掴むと、木暮の方へと投げ飛ばす。寝ながらの体勢だったので、枕は木暮を外れたが、背後の襖をドスンと震わせた。いつもの威嚇――
そのとき、木暮は心臓の鼓動がひとつ、大きく響いたような気がした。
「グルルルルルル……ガアアアアアアアッ!」
野獣の如き咆哮と共に、木暮は再び異形の姿へと変身した。それに伴い、全身に力がみなぎる。攻撃本能が剥き出しになった。
その瞬間、男の顔が引き攣る。初めて木暮に見せる “恐怖” という感情――木暮は愉快だった。
──よくも今まで!
積年の恨みを晴らすべく、木暮は男に襲いかかった。言葉にならない悲鳴を上げて、逃げ出そうとする男。しかし、狭いアパートの室内に逃げ場などない。簡単に捕捉することが出来た。
「は、春紀ーっ!」
男は木暮の名を呼んで助けを求めたが、もちろん、それで許すつもりなど毛頭なかった。
念願の復讐は呆気なくも簡単に果たされた。無抵抗な男をものの一分ほどで半殺しにしてしまう。血だるまになったか弱い獲物は動かなくなってしまった。
もっとズタズタに引き裂きたかった。もっと自分の痛みや苦しみを思い知らせてやるつもりだった。
だが、ピクリとも動かず、逃げることも、泣き叫ぶこともしなくなった男は、横倒しになったタンスや食器棚と何ら変わらない。あまりにも強大な力を得たがために、木暮は怒りの捌け口をすぐに失くしてしまったのだ。
存分にストレスを発散し切れず、木暮の破壊衝動は収まらなかった。
アパートの中を滅茶苦茶にしても飽き足らず、思い余って外へと飛び出す。
そのとき、木暮はつかさの姿を見かけた。
なぜ、友達になろうと言ってくれたつかさが、アパートの前にいたのかは分からない。ただ、木暮の姿を目の当たりにしたつかさの顔が、驚きに強張るのを木暮はハッキリと見た。
醜い怪物と化した自分の姿――猛り高ぶった感情のまま彼をも傷つけてしまいそうで、木暮は逃げるように、その場から急いで離れた。
その後、変身を解くことも出来ないまま、木暮は無意識に母校である小学校へ向かった。そこはクラスメイトたちにいじめられた最初の場所――またしても怒りが甦って来た木暮は、まだ始業前の小学校を荒らした。
暴れまくった結果、木暮の姿は多くの人々によって目撃された。怪物、化け物、と恐れられ、逃げ惑う人々。
最初のうちこそ、自分の持つ力を見せつけているようで、木暮は得意がっていたが、次第にそれも虚しいものに思えるようになった。
力を持つ以前も、力を持った今も、人々が木暮を受け入れようとしないのは同じだ。暴れれば暴れるほど、孤立感が深まった。
しかし、その悲しみと寂しさは、自分を分かってもらえない苛立たしさを招く。やがて、それは怒りへと再び転じ、怪物の暴走を助長させた。一向に歯止めが利かない。
母校の小学校に続いて中学校にも向かい、木暮は校舎に破壊の爪痕を残した。
どうして誰も自分を分かってくれないのか――
この苦しみから誰かに救ってもらいたい――
そう心で願いつつも、肉体は怒りによって突き動かされた。
パトカーのサイレンが聞こえたところで、ようやく木暮は我に返った。それと共に変身も解ける。そこで初めて、自分がとんでもないことをしでかしたのだと気づいた。
怪物の出現でパニックになっている中学校から、木暮は混乱に乗じて抜け出し、今は河川敷の橋のたもとで膝を抱えていた。自分がしたことに恐怖と後悔を覚えながら――
「僕は……これからどうすればいいんだ?」
木暮は半ベソを掻きながら、一人呟く。
自分が恐ろしい怪物だと知られたら、周りの人たちはどんな目で自分を見るだろうか。母は? つかさは? これから犯罪者のように逃げ隠れしながら生きて行かなくてはいけないのだろうか。
こんなはずではなかった。
そんな木暮の持つ不安に答える者がいた。
「さあ、復讐を続けるのよ」
冷たく言い放つ声に、木暮はハッと振り返った。
いつの間にそこにいたのか、腕組みをしながら立っていたのは、琳昭館 高校の新任スクールカウンセラー、毒島 カレンだった。
木暮は立ち上がると、一歩後退った。弱々しく首を振り、拒絶する。
「ふ、復讐なんて……僕は……」
だが、カレンは真っ直ぐに木暮を見据えていた。まるで心の奥底を見透かすかのように。
「何を言っているの? あなたは力を欲していた。それはなぜ? それは自分を蔑んできた者たちに思い知らせるため。現にあなたは、因縁をつけてきた空手部や、長年、家庭の平和を踏みにじってきた同居人の男を半殺しにしたじゃない」
「あ、あれは……」
「力を使ったとき、あなたはどうだった? 楽しかったでしょ? 胸がスーッとしたでしょ? これはただの鬱憤晴らしではないのよ。復讐なの」
カレンの顔は、すぐ目の前にまで近づいていた。その眼差しに木暮は怯える。
「今まで他人によって虐げられて来たあなたには、仕返しをする権利があるのよ。復讐すべき相手は、まだいるでしょう? 分かっているわね?」
「せ、先生……先生はいったい、何者なの?」
木暮はさらに後ろに下がった。このままだと川に落ちてしまいそうだ。だが、目の前の美人カウンセラーは、邪悪な契約を迫る悪魔のように思えてならなかった。
カレンは微笑んだ。艶然と。
「私はあなたの味方よ。決まっているじゃない。あなたの悩みをすべて聞いてあげた。そして、あなたに眠っていた力を解放してあげた」
「せ、先生が……?」
「ええ、そうよ。でも、私がしてあげたのは、ほんの手助けに過ぎないわ。その力はあなた自身のもの。あなたの心が産み落としたもの。すべてはあなたが望んでいたことなのよ」
「そんな……そんな……」
「さあ、学校へ行きなさい。そこに復讐すべき相手がいるわ」
「い、イヤだ……僕は行かない!」
木暮は頑なに拒否した。するとカレンの瞳は苛立ちの色が濃くなる。
「何を今さら。あなたを差別して来たクラスメイトに復讐しなくていいの? あなただって復讐したいのではなくて? だから、母校である小学校や中学校へ行ったのでしょ?」
「そ、それは……」
見透かされている。木暮は恐ろしくなった。
「でも、あなたをいじめた人たちは、すでにそこにはいないのよ。あなたと同じく卒業してしまったんですもの。でも、今、あなたをいじめているクラスメイトたちの居所は分かっているはず」
カレンはゆっくりと木暮に近づいて来た。もう、これ以上は下がれない。木暮は身を固くした。
そんな木暮にカレンは両手を差し伸べた。白くたおやかな手が、木暮の頬に触れる。そのまま木暮の顔を引き寄せるようにした。
「もっと良く見せて、あなたの力を。さあ、内なるケモノを解き放つのよ!」
そう言って、カレンは魅入られたように竦んでいる木暮に、血のように濡れた赤い唇を重ねる。
ねっとりとした舌が木暮の口の中に潜り込んだのと同時に、カプセルの錠剤みたいなものが喉の奥へと滑り落ちた。
アキトは琳昭館高校の校舎裏に来ていた。
昨日、坂田たち空手部が何者かによって襲われた現場だ。腹立たしいことに、そこへたまたま居合わせたアキトが犯人だと疑われた。
つかさからも疑惑の目が向けられたアキトは、「オレが真犯人を捜す!」と威勢のいい啖呵を切ったものの、結局、何の手がかりも得られず、こうして学校を訪れるしか方法が思い浮かばなかった。
そもそも内部犯行説がアキトの考えである。真犯人は学校関係者の誰かだ。
だからと言って、おおっぴらに姿を現すわけにもいかない。きっと校内では事件のことが広まっているはずだ。アキトの姿が見つかれば大騒ぎになるだろう。
「さて、どうすっか……」
ちょうど今は昼休みの時間である。授業中は人気のないここにも、生徒が偶然通りかかるかも知れない。出来れば、犯人捜しを命じている大神と連絡を取り合いたいところだが――
「何してるのよ、不審者!」
どうしようか、と思案しているところを、アキトは早速、見つかってしまった。背中の筋肉が強張る。しかし、かけられた声には聞き覚えがあった。
「――ったく、ビックリさせんなよなぁ」
通りかかったのは同じクラスの 忍足 薫 だった。なぜか自転車を押している。
「それに不審者って……オレはここの生徒だぞ」
アキトからは、いつもの勢いが失われていた。やはり、バツが悪いのだろう。
だが、そんなアキトにも薫は容赦なかった。
「ウチの生徒なら、どうしてコソコソした真似なんかしてんのよ? 授業にも出ないで」
「そりゃあ、まあ、色々とよぁ……」
アキトは胸の前で、人差し指と人差し指を合わせながら、上目遣いに薫の顔を見た。薫は大袈裟にため息をつく。
「何よ、『オレは無実だ~!』って大見得を切ったんでしょ!? だったら正々堂々と登校して来ればいいじゃない」
「バカ野郎。疑われたまま、おめおめと教室へ行けるか! 絶対に真犯人をとっ捕まえてやる!」
アキトは鼻息も荒く言ってのけた。しかし、薫は冷めた目つきだ。
「とか何とか言っちゃってぇ、ホントはつかさと顔を合わせる度胸がないクセに」
「うっ……!」
図星を刺され、アキトの顔色は赤くなったり青くなったり、信号機のように目まぐるしく変わった。
こういうときは話題を変えるに限る。
「そ、そう言うお前こそ、自転車なんかで何処へ行くつもりだ? ひょっとして、サボるつもりじゃねえのか?」
だが、この反撃はすぐに切り替えされた。
「アンタと一緒にしないで! 私は昼休みを利用して、剣道部で使う備品の買い出しに行くだけよ! ちゃんと先生の許可も貰ってありますっ!」
薫は唇を突き出すように言った。この気の強いところさえなければ、そんな表情も可愛いのだが。
「でも、その自転車は? お前、自転車通学じゃないだろ? ――はっ! さては無断借用だな!」
「違うわよっ! これは部活の先輩のを借りたの! 誰が、そんな泥棒みたいなことをするもんですか!」
「左様で。──そうだ、買い出しに付き合ってやろうか? 後ろに乗ってってやるよ」
「結構です! アンタなんかと二人乗りしたら、何をされるか分かったもんじゃないわ!」
「信用ねえなあ」
「そういうことは自分のその手を見てから言いなさいよ!」
そのとき、アキトの両手は自然と何かを揉むように指が蠢いていた。それに気づいて、アキトはわざとらしく、いやらしい笑みを洩らす。
ところが、薫はふと真顔に戻った。
「……バカなこと言ってないで、少しはつかさのことも考えてやってよ。あいつ、アンタのことで落ち込んでんのよ。今日も何だか遅刻して来て、ずっと浮かない顔しているし」
「……分かってるよ」
アキトもまた、しょげたような顔になる。どうやら胸がチクリと痛んだらしい。
「だから真犯人を捕まえるんだ。オレの無実を証明するためにも、つかさに笑顔を取り戻すためにもな」
「………」
薫は一瞬、寂しそうな表情を作った。やはり、男同士の友情に女の自分が入り込む余地はないのか、と。
「──にしても、ぼちぼち現れてもよさそうなもんだがなあ」
コロッと砕けた感じになって、アキトは呟いた。「何が?」と薫が尋ねる。
「真犯人に決まってんだろ。ほら、よく刑事ドラマなんかだと、『犯人は必ず現場に舞い戻る』って言うじゃんか。だから、ここにいれば真犯人を捕まえられるかと思ったんだが」
「あ、そ」
聞いて損した。そんなおめでたい犯人なら苦労はないだろう。
すると、アキトが何かを思いついたように、「あっ!」と声を上げた。
「ひょっとして薫、お前が犯人じゃねえだろうな? 買い出しというのは真っ赤な嘘で、本当はここに残した何かの証拠を消しに来た、とか」
容疑者として名前の挙がっている男に、まさかの疑いの眼差しを向けられ、薫は拳に力がこもった。いや、もちろん冗談であることは分かっている。こんなバカ相手に少しでも真面目になった自分が情けない。
アキトはなおも、「お前の凶暴さなら空手部の連中を半殺しにするのも容易い」などとほざいており、本気で抹殺しようかという気になって来る。
薫が自転車を頭上に持ち上げて、アキトにぶつけてやろうかと思った刹那――
何処かでガラスの割れる音が聞こえた。それは断続的に続き、さらに女子生徒の悲鳴らしきものもする。この近くではないが、校舎の表側のようだ。
二人は顔を見合わせた。
「出やがったか!?」
考えるよりも早くアキトが駆け出した。薫もそれに続く。校舎からは、さらに激しい物音と悲鳴が聞こえて来る。
「野郎ぉ! オレが行くまで待ってろよ!」
アキトはひと暴れ出来そうな予感に嬉々としながら、事件が起きている現場へと急いだ。
ガラスが粉々に砕け散るような音が聞こえたのは、ちょうど昼休みにつかさが弁当箱を開け、祖母のつばきが作ってくれたきんぴらごぼうを摘まみ、口に入れたときだった。
このところ、ずっとまとわりつくようにいたアキトもおらず、また薫も剣道部の買い出しとかで出掛けて行ったため、つかさは久しぶりに一人で弁当を食べる羽目になった。
周囲にはぞれぞれ談笑しながら、各々の昼食を味わうクラスメイトたち。何となく寂しさを覚えつつも、朝からずっと行方知れずになっている木暮のことも気がかりだ。今ひとつ食欲が湧かないつかさであった。
そんな感傷など一気に吹き飛ぶ突然の大きな音に、つかさばかりでなく、一年A組の生徒全員が顔を上げ、ピタリと私語を中断した。
続いて、女子生徒らしき悲鳴が聞こえた。隣の教室からのようだ。それは聞いている方が鳥肌を立ててしまいそうなほど、逼迫した感じだった。
聞こえて来る悲鳴は、その位置を変えていた。移動しているのだ。それを裏づけるかのように、机や椅子を引きずるような騒々しさとバタバタと逃げ回るような足音が悲鳴に重なる。さらにロッカーか何かが倒れるような派手な音もした。
隣は一年B組――大神 と木暮のクラスだ。
クラス中の生徒が、隣で何が起きているのか不安そうな表情で、まるで透視でも試みるかのように教室前方の黒板を見つめた。
次の刹那──
ドーン!
何かを叩きつけるような重い音が響き、黒板が 白墨 の細かい粉をパラパラと落としながら震えた。
その音にクラスメイトの何人かはビックリしたように仰け反り、何人かは慌てて腰を浮かせる。女子は互いに身を寄せ合うようにしていた。
悲鳴とも叫びともつかない奇声を上げながら、隣の教室から廊下へ逃げて行く生徒たち。何か異常な事態が隣のB組で起きていることだけは確かなようだ。
「まさか――!」
つかさは今朝の光景が頭を過ぎり、弾かれるようにして教室を飛び出した。
「うわぁぁぁっ!」
廊下へ出た途端、つかさはB組の教室から飛び出してきた男子生徒とぶつかり、危うく吹き飛ばされるところだった。背中を壁に張りつかせるようにして、逃げ惑う集団をやり過ごす。その中にB組の生徒である大神の姿を見つけた。
「お、大神くん! 何があったの!?」
つかさが問うと、大神は背後を気にしながら、苦しそうに唾を飲み込んだ。
「こ、木暮だよ! ヤツが教室へ来るなり、突然、化け物になったんだ!」
「えっ、化け物!?」
「グオオオオオオオーッ!」
つかさが言い終わらぬうちに、B組の教室から凶暴な肉食獣の咆哮が聞こえた。それは他の音を掻き消すほど大きく、教室のドアや窓のガラスをビリビリと震わせる。つかさは表情を硬くした。
(まさか、木暮くんが――!?)
何かの間違いであることを祈りながら、つかさはB組の教室へ飛び込んだ。




