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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第5話 心の檻に棲む野獣 【 全 11 回 】
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解放してあげるわ、あなたの心の檻から

 木暮こぐれは荒い息をつきながら、自分の手の平をジッと見つめた。いつも見慣れているはずの自分の手――指の一本一本を動かし、自分の一部であることを確認する。そのことに安堵すると、今度は川面に映る自分の顔を覗き込んだ。


 おびえた表情をした自分が、川の流れに歪みながら映っていた。


 ――今までの出来事は単なる悪夢に過ぎなかったのだろうか。


 現実と幻の区別がつかず、木暮は自分の身体を抱くようにして震えた。


 ここは木暮が住んでいるアパートから少し離れた、河川敷にある橋のたもとだった。子供の頃から何か嫌なことがあると、よくここへ来て川の流れを眺めては、悲しみを紛らわせたものだ。今も気がつけば、ここへ足が向いていた。


「僕は……どうしちゃったんだ……?」


 昨日からの出来事を思い返し、木暮は顔色が蒼白になるほど怯えた。いや、正しくは一昨日からか。坂田さかたたち空手部の連中に捕まり、凄惨なリンチを受けた、あのときから――






 リンチによって気絶した木暮が意識を取り戻すと、そこは学校の保健室だった。どうやら誰かの手によって運ばれたらしい。体中が痛み、すぐに起き上がることは出来なかった。


 しばらくすると、そこへやって来たのは、その日の朝礼で新任のスクールカウンセラーだと挨拶した 毒島ぶすじま カレンだった。


 カレンは起き上がれない木暮に無理をしないよう言いながら、色々と質問を行った。


 どうして、こんな怪我をしたのか――


 なぜ、クラスメイトたちからいじめられているのか――


 カレンは赴任して来たばかりだというのに、まるで木暮のすべてを知っているかのようだった。


 最初は口ごもっていた木暮だが、少しずつ答えていくと、いつの間にかすべてをさらけ出して話していた。自分のことを。今までのことを。


 幼い頃、木暮の父が亡くなった。当時はまだ三歳だったため、アルバムでしか父の顔を知らない。他に兄弟もなく、木暮は母子家庭で育った。


 その平穏な生活が破られたのは、十年前にあの男がやって来てからだ。


 母の話では、かつては死んだ父の友人であり、母の知り合いでもあったと言う。ある日、ふらりとやって来た男は、どういうわけか自然に居着くようになった。


 その男は仕事もせず、昼間から酒を飲んだり、さもなくばいびきを掻いて寝ていた。父を亡くした母は生活を支えるため、パートタイムの仕事に出ていたので、どうしても木暮は男と一緒にアパートにいることが多かった。


 見ず知らずの男がずっと家庭にいるというのは不自然なものだ。内向的な木暮は赤の他人である男に馴染むことが出来なかった。男もまた、そんな木暮を侮蔑のこもった目で見つめた。


 酒を飲む以外、何もすることがない男が木暮をいびるようになったのは、小学校に入学した頃である。


 一向に打ち解けようとしない木暮を小突き、大した理由もなく足蹴にした。タバコの火を腕に押しつけられたり、灰皿や空になった酒瓶が飛んで来たこともある。


 しかし、木暮は我慢し続けた。なぜなら、男は死んだ父の友人であり、母の知り合いだったからだ。こんなことを母が知ったら、どんなに悲しむだろう。木暮は幼いながらもそんなことを考えて、決して母には虐待について喋らなかった。


 だが、半年ほどしたある日、体調不良でパートを早引けして来た母が、その暴行現場を目撃した。


 母は男に暴力をやめるよう訴えたが、逆上した男によって殴られた。


 木暮は今でもその光景を忘れられない。髪を掴んで引きずり回され、鼻血が出るまで殴られた母――


 それを目の当たりにしながら、部屋の隅にうずくまり、母を助けることも出来なかった自分――


 男が財布をひったくるようにして酒を買いに出て行ったあと、母は木暮を抱きしめながら涙声で謝っていた。ごめんね、ごめんね――と。


 あの日から、木暮はなおさら男の暴力に耐えるようになった。母に心配をかけないために。そして、いつか大きくなったらここから追い出してやる、と心に誓いながら。何年も何年も、声を押し殺し、ひたすらそのときを待った。


 しかし、木暮はいつしか、自分でも知らず知らずのうちに周囲を警戒する癖を持つようになっていた。男の鉄拳がいつ飛んで来るかも分からない環境で暮らし続けたせいだ。


 それは木暮を知らない者の目に、常におどおどしたような態度に映り、他人との関わり合いを避けているように見えた。


 小学校の高学年くらいから、その態度が一部のクラスメイトたちの気に障るようになった。多感な少年少女たちが、そこからいじめへと進展させるのは早い。たちまち木暮は、学校でも孤立するようになっていった。


 家では酒乱の男――


 そして学校では心ないクラスメイトたち――


 木暮に安息の場などなかった。


 ──否。


 一カ所だけ、逃げ込むことの出来る場所があった。それは木暮自身の心の中だ。


 どんなに肉体を痛めつけられようと、誰も木暮の心の中にまでは足を踏み入れられない。しかも、その心の中で作り上げた世界の中にいれば、木暮は自由だった。


 自分に暴力を振るうろくでなしの男に何百回と包丁を突き刺そうとも――


 クラスメイトたちを燃えさかる炎の中へと突き落とそうとも――


 当然のことながら、そんなことをしても誰も責める者はいない。あくまでも木暮の想像の中の話なのだから。非力な自分が唯一無敵の絶対者となれる世界――


 木暮の安住の地は、自らの心の中だけに存在した。木暮への虐待やいじめがエスカレートすればするほど、なおさら自分の殻に閉じこもるようになっていった。


 そんな自分に関することを、木暮はすらすらとカレンに答えていた。なぜかは分からない。今まで誰にも話したことがなかったのに。


 カレンは時には優しく微笑みうなずきながら、時には木暮の怒りを自分のものとして、ずっと聞き入っていた。


 すべてを話し終えると、カレンは木暮に言った。


「今まで辛い人生を送って来たのね。あなたのその悲しみと憎しみ……解放してあげるわ、あなたの心の檻から」


 カレンが何を言わんとしているのか、最初は訳が分からなかった。


 だが、カレンが怪我の治療だと言って何かの薬を注射すると、木暮の意識は次第に心地よいものへと変わっていった。


 そんな木暮にカレンが何事かを囁く――


 どんな言葉だったのか、木暮はよく憶えていない。ただ、それを聞いているうちに、何やら心の奥底から沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。


 それは全身を焦がさんばかりに膨れ上がり、木暮は野獣のように猛った。心からの雄叫び――その瞬間、自分の中の何かが解放されたように思えた。


 そこから再び、記憶がぷつりと途切れている。


 気がつくと、まだ保健室のベッドに寝たままだった。外は明るくなっており、廊下から聞こえる生徒たちのはしゃぐ声に、ここで一夜を過ごしたのだと知った。


 だが、肉体から痛みこそ引いていたものの、重苦しくまとわりつく気だるさが起き上がることを拒み、再び木暮の意識は混沌とした眠りへと引きずり込まれた。


 次に目覚めたのは、およそ半日が経過した夕方近くだった。


 傍らにはカレンがおり、木暮に起きるよう促した。まだ身体がだるい状態だったが、さすがに帰らなくては母が心配しているだろう、と思い、木暮は上半身を起こした。


 その瞬間、自分の中に疑問が湧き上がる。


 ――帰る? 帰るって何処へ?


 ――あんな男のいるところへなんか帰りたくない!


 ――でも、学校にもいたくはない! ここに僕の居場所はない!


 ――僕は何処へ行けばいいの?


 ――僕はどうしたらいいのだろう?


「いらっしゃい。あなたの本当の力を見せるときが来たわ」


 カレンの言葉を聞くと、まるで催眠術でもかけられたかのように、木暮はベッドから抜け出し、彼女のあとを付いて行った。


 招かれたのは二階にあるカウンセリング室で、中にはなぜか理事長の 玉石たまいし あずさ がいた。


 カレンはそのまま開け放してある窓際まで木暮を招いた。そこから外を見るよう促す。


 カウンセリング室から眺められるのは校舎裏だった。そこは昨日、木暮が空手部の連中にリンチを受けた場所でもある。


 すると、その光景をまるで繰り返すかのように、四人の空手部員たちが同じ場所に集まって来た。


 その姿を見たとき、木暮の肉体はカーッと燃えた。そもそもの発端は、コンビニの前でたまたま自転車に接触し、倒してしまったという些細な出来事――その程度のことで、どうして自分が暴力を振るわれなくてはいけなかったのか。


 理不尽さが甦り、激しい怒りが身を焦がした。


 ――同じ苦痛を連中にも味わわせてやりたい!


 次の瞬間、木暮は窓から身を躍らせていた。自分がした衝動的な行為に思わずギョッとする。ここは二階だ。運動を不得手とする自分が飛び降りて、ただで済むはずがない。


 しかし、木暮の肉体は別のものへと変化を遂げていた。全身を黒い獣毛が覆い、手には鋭い爪、脚は鹿か羊のひづめのようだ。無意識のうちに身体が動き、楽々と着地することが出来た。しかも全身からはみなぎる力が――


 木暮は自分自身に驚愕した。


 だが、それよりも驚いていたのは空手部の連中だった。突如、現れた化け物を目の当たりにし、恐慌に陥っている。


 その反応に、木暮の意識は獲物を狩る野獣そのものへと変わった。


 ──逃がすものか!


 木暮は逃げようとする連中の背後から飛びかかった。その身の軽さと素早さ――今までの木暮が持ち得ないものだった。


「ギャアアアアアッ!」


「たっ、助けて……!」


 鋭い爪で標的となった男子生徒の背中を切り裂く。悲鳴の連鎖は木暮の耳を心地よくする。


 呆気ないほどの手応え――


 脆弱に思える相手の肉体――


 飛び散る血は、木暮がずっとくすぶらせ続けていた残虐性に火をけた。


 スピードもパワーも、人間を遥かに上回っていた。暴力でものを言わせて来た者たちを異形の力で蹂躙する――こんなにも楽しい気分になるなんて、木暮には久しくなかったことだ。


 それは今まで心の中で望んできたこと――


 そして、心の中で何度も繰り返し行ってきた行為――


 それらが現実のものとなり、木暮は狂喜した。


 最後まで一方的だった。四人の空手部員たちは血を流して倒れ、苦しそうなうめき声を洩らす。


 立場の逆転――


 今や連中は強者ではない。木暮こそが強者だ。


 すぐには実感として湧かなかったが、他者を圧倒する自らの力に木暮は酔いしれた。


 四人を屈服させると、そこへ誰かがやって来る気配を感じた。


 化け物になった姿を目撃されるのは不味まずいと思い、木暮は校舎の陰に身を隠す。


 ところが、現れたのは木暮をリンチした、もう一人の空手部員だった。仲間たちが倒れているのを発見し、驚きに目を見張る。そして、何事かを怒鳴っていた。


 ──ヤツも殺るんだ!


 もう一人の自分が心の中で囁いた。五人目の空手部員が連中のリーダー格らしいことは、何となく分かる。


 ――ヤツを倒してこそ、初めて復讐は遂げられる!


 意を決して、木暮は飛びかかった。今の自分ならば勝てる――そう信じて。


 だが、次の瞬間、想定外の出来た。相手の姿にも変化が生じたのだ。


 突然、筋肉がグッと盛り上がり、着ていたシャツをビリビリッと破って、上半身が裸になった。五厘刈りだったはずの髪は逆立つようにして一気に三十センチほど伸び、背骨に沿って大きな円錐状のトゲみたいなものが等間隔に突き出す。


「うっ……うううううっ……!」


 トゲは両肘、両膝、そしてかかとからも、さらに大きなものが飛び出した。肌の色は血流が速くなったのを示すかのように赤く変じ、体毛も目に見えて濃くなる。これで金棒でも持たせたら、赤鬼そっくりだ。


 とは言え、相手に飛びかかった以上、今さら引くわけにもいかない。木暮は赤鬼のような空手部員の背後から組み付こうとした。振り返った相手ともつれ合う。


「うるぁぁぁぁぁっ!」


 飛びかかった木暮に対し、赤鬼は上体をひねるようにして振り払った。先程の空手部員たちとは明らかに力量が違う。


 仕切り直すため、木暮は素早く後ろへ飛び退いた。


「ふしゅるぅぅぅぅぅっ……」


 赤鬼は大きく息を吐き出し、木暮を振り返った。変身の影響によるものか、その筋肉は三倍くらいに膨らんでいる。


 校舎裏で二体の怪物が対峙した。


「お前が畑山だぢをやっだのが!?」


 赤鬼が吼えた。発音がしにくいのか、濁音が多く混ざっている。眼には凶暴な光が宿っていた。


「でめえ、だだじゃおがねえぞ!」


 恐らく、こういった修羅場を何度も経験しているのだろう、化け物になった木暮の姿を前にしても度胸が据わっていた。


 一方、相手も変身したことにより、木暮には少なからず動揺があった。猛り狂っていた感情が、やや弱気の虫を覗かせる。それでも懸命に、負けてなるものか、と木暮は自分を叱咤した。


「ぐるぁぁぁぁぁっ!」


 今度は赤鬼から木暮へ飛びかかって来た。


 二体がもつれる合うようにして地面を転がる。互いから野獣の如き叫びが発せられた。


「ガアアアアアッ!」


「ぎゃあああああっ!」


 最後に上になったのは木暮の方だった。赤鬼の顔面に向かって渾身のパンチを放ちかける。


「うらぁぁぁぁぁっ!」


 それを赤鬼は跳ね除けた。変身後の体格では木暮の方が勝っているはずなのに。


 木暮は背中から地面に叩きつけられた。その隙に赤鬼が起き上がる。


 喧嘩の経験――それが木暮には不足していた。自分のパワーをどう扱っていいのかが分からない。


 それに対し、相手は空手部に所属していることもあって実戦慣れしていた。


 ──クソッ!


 木暮は認めたくなかった。念願の力を持った自分が、また誰かに屈するのを。


 力があれば、すべて自分の思うがままに出来ると信じていたのに。それを単なる幻想として終わらせたくない。


「グオオオオオオオッ!」


 腹の底から怒りのエネルギーを吐き出すように、木暮は咆哮し、赤鬼へと突進した。


 ――純然たる力勝負ならば!


 だが、赤鬼は木暮の体当たりを真正面から受け止めた。


 ゴッ――!


 肉体と肉体、骨と骨とが激突する鈍い音が聞こえた。


 赤鬼を吹き飛ばすことは出来なかった。木暮の突進を辛うじて止めている。それでも木暮はがむしゃらに押し切ろうとした。


「甘いな!」


 赤鬼はそう言うと、突如、いなすように身体を引き、木暮の右腕を抱え込むようにして投げた。相撲で言う小手投げの状態だ。柔軟に対応した赤鬼の技に、木暮の身体は呆気なく地面に転がされた。


 ──チクショウ!


 木暮は悔しさのあまり歯軋りした。すぐに起き上がって反撃しようとする。


 ところが、その前に赤鬼の方が攻撃態勢を整えており、木暮は息を呑んだ。


 赤鬼の左脚が真っ直ぐ頭上に振り上げられている――


「喰らえ! マサカリ落とし!」


 それはアキトとの戦いでも出さなかった坂田の必殺技――タメの効いた踵落かかとおとしだった。


 重たいまさかりが垂直に振り下ろされるように、木暮の頭頂部を坂田のかかとが襲う。


 ガツッ――!


 怪物に変身した木暮も、さすがにこの一撃は効いた。重い衝撃が脳天に響き、木暮は思わず膝をつく。


 そのまま昏倒していてもおかしくなかっただろう。意識が朦朧とした。


 赤鬼はその一瞬を見逃さない。再び左脚が振り上げられた。


「もう一丁、喰らいやがれ!」


 木暮は坂田の――赤鬼のマサカリ落としを見上げた。


 ──殺られるっ!


 その瞬間、木暮はすべてを諦めかけた。


 所詮、自分はいつも他人に踏みにじられる存在に過ぎないのだ――と。


 せっかく得た力すらも扱えないダメな人間なのだ――と。


 しかし――


 心の奥底ではもがき続けていた。必死に。


 ――今までの自分を変えたい! それが出来るのは今しかないんだ!


「何だどぉ!?」


 次の刹那、驚愕の表情を浮かべたのは赤鬼――すなわち坂田の方だった。木暮が片腕一本でマサカリ落としをしっかりと受け止めたのだ。


「グアアアアアアッ!」


 木暮はそのまま赤鬼の足首を掴むと、力任せに振り回した。脅威のパワーが為せる技だ。赤鬼の身体は、まるでバットか枕のように軽々と扱われた。


「ガアアアアアッ!」


 赤鬼の身体が地面に叩きつけられた。二度、三度──いや、徹底的に痛めつけられた。赤鬼は逃れることも出来ず、ひたすら頭部をかばうのに必死だった。


 だが、それも長くは続かない。何度も叩きつけられているうちに、次第に全身から力が抜けた。


 気を失ってもなお、木暮は赤鬼に攻撃を加えた。顔を潰し、全身を切り刻んだ。


 やがて、坂田の姿が赤鬼から人間に戻った。木暮はようやく手を止める。これ以上やったら、坂田は間違いなく死ぬだろう。


 木暮の勝ちだった。腹の底から雄叫びを上げる。


「グォォォォォッ……!」


 それでも怪物と化した木暮の闘争本能は燃え尽きてはおらず、次の獲物を求め、まだくすぶり続けていた。

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