あいつが怒っているのは自分自身に対してなんだよ
「大神 くん」
アキトと 薫 の過激なやり取りを目の当たりにして、唖然としていた大神であったが、つかさによって現実に引き戻された。
「――ああ、武藤くん。おはよう」
これでアキトの巻き添えにならないで済む、と大神はホッと息をついた。
ところが、挨拶もそこそこに、つかさは少し強張った表情で大神に詰め寄る。
「ねえ、木暮くんがどうしたのか知らない? 昨日、一緒に帰ろうと思っていたんだけど、もうB組の教室にはいなくて……」
「えっ……?」
今朝、つかさが浮かない顔をしていたのは、友達になろうと約束したはずの木暮と、あれ以来、会えていないせいであった。
昼休みには一緒にごはんを食べるつもりだったし、帰りもそうだ。もっと交友を持ちたいと思っていたのに、まったく上手く行っていない。つかさは自分が避けられているのかと思った。
同じ一年B組の大神なら、木暮のことをよく知っているかもと期待し、つかさは尋ねたのだった。
すると大神は急に表情を硬くし、つかさの腕を掴んだ。そのまま周囲を気にしつつ、近くの路地へと引っ張り込む。ただならぬ大神の様子を見咎め、アキトと薫もそれに続いた。
「お、大神くん?」
怖い顔をした大神に、つかさは戸惑った。
しばらくしてから、ようやく大神はつかさの腕を放し、緊張を解くように大きく息を吐き出した。
「勘弁してくれよ、武藤くん。あんなウチの生徒が大勢いるところで木暮のことを持ち出すなんて」
「どうして?」
素朴な疑問をぶつけるつかさに、大神は疲れたような顔をする。
「いいかい? 木暮はウチのクラスどころか、学校中の嫌われ者なんだ。そんなヤツの話を堂々とすること自体、タブーなんだよ」
「そんな――!」
つかさは大神の言葉にショックを受けた。
それに構わず、大神は続ける。
「だから、あいつと仲良くなろうだなんて思わない方がいい。でないと、キミも同類だと見なされるよ」
大神としては忠告のつもりだったのだろう。しかし、つかさはいきり立った。
「どうしてB組の人は、そうやって木暮くんを嫌うの!? 木暮くんがみんなに何かしたって言うの!?」
つかさの勢いに気圧されて、大神は両手で制そうとする。
「お、オレに怒らないでくれよ……でも、クラスのほとんどのヤツは、木暮を何となく気味悪がっているんだ。何を考えているのか分からないし、かと言って、誰とも話さない。どんなひどいいじめを受けても、ジッと黙って見つめるだけ……」
大神は普段の木暮の様子を話した。つかさの知らない木暮の姿だ。
「ひょっとして心の中では、もっとひどい復讐を考えているんじゃないか……そんな風に見えるんだ……だから、みんなから忌み嫌われているんだよ」
「それは勝手な思い込みでしょ!? みんなが木暮くんをいじめるから、余計に自分の殻に閉じこもろうとするんだよ! 木暮くんはただ自分を守ろうとしているだけなんだ! それの何がいけないっていうの!?」
「おい、つかさ」
興奮するつかさをアキトがなだめようとした。薫も心配そうにつかさを見る。
だが、つかさにしては珍しく、感情の高ぶりを押さえられなかった。
「大神くん! キミがいじめに参加していなくても、黙って見ていたのなら同罪だよ! どうして木暮くんを助けてあげないの!? どうして自分のクラスメイトを嫌うの!?」
つかさはギュッと拳を握る。苦しんでいる木暮を助けたかった。今すぐにでも。
「まさか、昨日も木暮くんは……」
「どうだろう? 詳しくは知らないけど、昨日は昼休みから姿を見ていないんだ。たまにいじめがエスカレートすると、早退したり、保健室に避難することもあるみたいだけど……」
つかさはそれだけ聞くと、路地から飛び出して行ってしまう。居ても立ってもいられなくなり、学校へ急いだに違いない。一刻も早く木暮に会って、彼と話をするために。
「つかさ――!」
薫が呼び止めようとしたが、耳に入らないようだった。かと言って、今のつかさを追いかけることも出来ない。
「兄貴……」
助けを求めるように大神はアキトの顔を見た。その肩をアキトがポーンと叩く。
「つかさも必死なんだよ。あいつは青びょうたんの野郎に約束しちまったからな。友達として、何でも力になるって」
「………」
「だから、あいつが怒っているのは自分自身に対してなんだよ。何も出来ない自分自身にさ」
とは言え、アキトも今のつかさにどんなことがしてやれるのか分からなかった。ただ、つかさを見守ってやることしか出来ないのか。
だが、それはときとして苦痛を伴う。
そんなことを考えているうちに一同は学校へ到着した。
つかさをどうしたものか、と頭を悩ませながら、アキトは下駄箱の扉を開けた。
「おっ?」
中には、ノートを破り取ったような紙が二つ折りの状態で入れられていた。アキトはそれを手に取って広げてみる。
『放課後、校舎裏へ来い』
走り書きのような汚い文字で書かれたそれは、どう見てもラブレターなどではない。差出人の名前は書かれていないが、アキトへの呼び出しだ。
この学校の関係者でこんなことをするヤツは、おおよそ見当がつく。アキトは紙切れを握り潰した。
「ちょうどいい。気晴らしに暴れさせてもらおうか」
アキトは残忍な笑みを浮かべた。
肉体の奥底から湯水のように湧き出る力を坂田は感じていた。こんなことはかつてない。まるで自分が無敵になったような気さえした。
すべては昨日、毒島 カレン のカウンセリングを受けてからだ。と言っても、そのときの記憶はほとんどない。
理事長の 玉石 梓 に連れて行かれ、カレンに何か薬のようなものを打たれたところまでは憶えているが、あとは一切の空白になっていた。
気がつくと、いつの間にか空手部の道場で大の字になって寝ており、外はすっかり暗くなっていた。
だが、おぼろげに憶えていることがある。それはアキトとのことをカレンから尋ねられたことだ。
アキトとの道場での一件――それは坂田にとって苦い記憶だ。あれほど完膚無きまでに叩きのめされたのは久しぶりだった(※ 詳しくは第2話を参照のこと)。
中学時代から坂田は喧嘩に明け暮れてきた。喧嘩に勝つことこそが自分の存在価値の証明だ、と信じている。もちろん、時として負けることもあったが、そんなときは勝つまで相手に挑んで行ったものだ。
琳昭館 高校に入学後、各中学で腕を鳴らした不良たちとやり合ったが、場数に勝る坂田がその頂点を極めた。
今、空手部に在籍している 畑山、小柳、奥、浜口 も、その頃、叩きのめした連中であり、以後、ウマが合うようになって、現在に至っている。
当時は上級生からも一目置かれる存在となり、さらに坂田は得意になって暴れまくった。
だが、あるとき、一年生ながら空手部で “最強” と評されていた 羽座間 大作 に勝負を挑んだことがひとつの転機となった。
羽座間は強かった。坂田がまったく相手にならないほどに。あれ程の敗北は初めての経験だった。今のままでは何度やっても勝てない、と思い知らされた。
そのとき、羽座間から意外な誘いを受けた。
「空手部に来ないか」
そして――
「お前には素質がある」
と彼に言われた。
ふざけるな、と最初は思った。喧嘩に負けたからと言って、羽座間の言いなりになるなど真っ平ごめんだ、と。
しかし、その後、羽座間は執拗なくらい勧誘を続け、強引に空手部の稽古を見学させたりした。
やがて坂田は空手部の入部を決めた。羽座間の情熱に根負けしたわけではない。むしろ、羽座間を倒すために、だ。
空手を会得し、羽座間に再挑戦する――そのための入部だった。
それから三年――坂田はまだ、羽座間の実力に遠く及ばない。それでも坂田は諦めていなかった。
今、羽座間はアメリカへ武者修行に行ってしまっているが、卒業までには決着を着けるつもりだ。このまま負けっ放しでは終われない。
ところが、ここでもう一人、とんでもない男と出遭ってしまった。
仙月 アキト――
ヤツの強さは桁違いだった。とても人間とは思えない。ある意味、羽座間とは違う別次元の強さ――しかも、まだ一年生だと言う。
屈辱だった。
あれ以来、坂田を見る畑山たちの目が変わったような気がする。
羽座間に敵わないのは承知の上だ。何より空手部の主将であるのだから。畑山たちだって、それは認めている。
だが、転校してきたばかりの一年坊主にまでやられてしまうとは――
さらには――坂田自身は気絶していたので実際に見たわけではないが――そのアキトを、今度は女のようにナヨナヨしている一年生の武藤つかさが倒したと聞く。毎日、坂田たちにしごかれていた、あの弱々しいつかさが――
それが意味するものを考えると、坂田のプライドはズタズタに引き裂かれた。
このところ、坂田の精神状態は不安定だった。すべてを滅茶苦茶にしてしまいたい破壊衝動が心を突き動かそうとする。
ところが、アキトの顔が浮かんだ途端、それが急に萎えてしまうのだ。そのときに甦るのはアキトに対する畏敬の念――そのことが坂田を責め立てた。
昨日の朝も、畑山の自転車のハンドルを曲げてしまったアキトに、坂田は喧嘩を挑むことが出来なかった。衆人環視を理由に引き上げたのは、勝負から逃げた言い訳でしかない。
仲間たちは何も言っていないが、きっと腑抜けた副主将だと見なし、落胆したことだろう。
しかし、一番苦々しく思っているのは坂田自身だ。どうして引き下がってしまったのか――思い出すと悔しさに歯軋りしたくなる。
だから昼休み、畑山たちが木暮をリンチしているとき、突然、度の過ぎた暴力行為に出てしまった。今までの鬱憤を晴らすかのように。
けれども、無抵抗な木暮を殴れば殴るほど、自分がみじめに感じられ、暴れたくなるのだった。
強い相手に挑めず、自分より弱い相手を蹂躙する――何と器量の小さい男だろうか。
自分で自分に幻滅する。
だが──
今の坂田は絶大なる力を感じ、心を震わせるような愉悦を禁じ得なかった。これならば仙月アキトを叩きのめすことが出来るはず――そんな自信がみなぎった。
力はまるで憎しみから生まれ出るかのようだった。実際、アキトのことを考えると、空手道場での屈辱が甦り、そこから力が溢れて来るように思える。
――殺す! 仙月アキトを殺す!
すでにアキトには、放課後、校舎裏へ来るよう呼び出してある。無視されるかも知れないが、そのときはつかさを血祭りに上げるだけだ。アキトを倒したというヤツにも、改めて先輩の恐ろしさを知らしめておかねばならない。
坂田はアキトを八つ裂きにする場面を想像すると、またしても残忍な笑みが浮かんでしまう。
ところが、その笑みは校舎裏に辿り着いたところで跡形もなく消えた。無惨な姿で倒れている四人の男子生徒を発見したからだ。
「――っ!?」
それは畑山たちに違いなかった。アキトとの再戦で勝利するところを見せつけ、昔の威厳を取り戻すために呼びつけたのである。それなのに彼らは何者かにより、すでにやられていた。
「まさか、仙月のヤツが――!?」
坂田が到着する前に四人をK.O.することなど、あの男にとっては造作もないだろう。むしろ、あの男に以外には考えられない。
坂田の怒りは、さらに膨れ上がった。
「仙月ぃぃぃっ……!」
怒りの呪詛とともに、坂田の全身の筋肉が盛り上がった。血管が浮き上がり、髪が逆立つ。制服のシャツのボタンがちぎれ飛んだ。
その背後から何者かが襲いかかった。どうやら何処かに潜んで、坂田の様子を窺っていたらしい。
アキトか――!?
「うるぁぁぁぁぁっ!」
坂田は振り払うようにして、上体を捻った。襲撃者は後方へ飛び退く。
「何ィ――!?」
襲撃者の姿を見て、坂田は思わず声を上げた。アキトではない。いや、人間ですらない。それは──
謎の襲撃者は再び坂田へ躍りかかろうとしていた。相手が何であるのかも考えずに、坂田は待ち構える。
坂田には自信があった。どんな敵にも勝てる――と。
「てめえが畑山たちをやったのか!? 上等だ、ただじゃおかねえぞ!」
坂田は吼えた。襲撃者が跳躍する。両者はもつれるようにして転がった。
「ガアアアアッ!」
「ぎゃあああああああっ!」
野獣の咆吼の如き唸り声。人外の闘いの幕が切って落とされた――
「ん――?」
アキトが指定された校舎裏に到着したとき、すでに五人の男子生徒がその場に倒れていた。
その五人にアキトは見覚えがある。空手部の副主将・坂田 欣時 とその取り巻きたち──小柳、畑山、奥、浜口だ。
全員がひどいケガを負っていた。特に重傷なのは坂田だろう。上半身はシャツが破けて裸になっており、体中、痣と引っ掻き傷だらけだ。顔は醜いくらい腫れ上がり、口の周りにおびただしい出血が見られ、鼻はひしゃげるように折れている。
辛うじて死んではいないようだが、意識は完全に失っており、誰にやられたのか聞き出すのは難しいだろうと思われた。
「チッ!」
アキトは舌打ちした。ズボンのポケットの中で、手にしていたノートの切れ端を握り潰す。
今朝、下駄箱に入っていたアキトへの呼び出し状に差出人の名前はなかったが、先日の道場での一件を考えれば、どうせ坂田たち空手部に決まり切っていた(※ 詳しくは第2話を参照)。
まさか、その前に何者かにやられてしまっているとは、予想だにしなかったが。
果たして、誰の仕業か。実戦慣れした空手部の猛者五人をこんな目に遭わせるには、大勢で取り囲んで袋叩きにしたか、或いは──
五人の傷を見ながら考え込んでいたアキトであったが、誰かがこちらへ近づいて来る気配に気づいた。こんなところを見つかっては面倒なことになりそうだ。早々に立ち去ろうとした。
だが、踵を返したところで、反対方向からも誰かがやって来るのを察知する。前後の退路を塞がれ、逃げ場がない。
フェンスを乗り越え、学校の外へ脱出しようかとも考えたが、そこまでする必要はないだろうとアキトは思い直してやめた。自分が坂田たちを負傷させたわけではないのだから。
しかし、この判断が裏目に出ようとは。
現れたのは、空手部の他の部員たちだった。きっとアキトにリベンジして勝つところを見せつけようと、坂田が呼んでおいたに違いない。しかし、惨たらしい現状を見て、全員が色めき立つ。
「きっ、貴様ぁっ! さ、坂田さんたちに何をした!?」
予想していた通りの反応を見せられ、アキトは思わず苦笑してしまった。それが彼らの神経を余計に逆撫でる結果となる。
「何が可笑しい!?」
「いや。オレが疑われてもしょうがねえか、と思ってさ」
「何だと? 最近、転校してきたばかりのクセに生意気なヤツだ! また、いつぞやのときのようにオレたち空手部全員を敵に回すつもりか!?」
空手部員たちは二十名ほど。アキトの強さは承知しているが、数に物を言わせることは出来る。皆、副主将たちをやられたと思い込んで、頭に血が昇っていた。
しかし、頭に来ているのはアキトも同じだ。
喧嘩の呼び出しを受けて来てみれば、相手はすでにK.O.状態。せっかくの憂さ晴らしの機会を失い、余計にフラストレーションが溜まっている。その上、空手部員たちからの言われなき非難――この怒りの矛先は彼らへ向けられようとした。
「全員でオレにかかってくるか? ここでぶっ倒れているヤツらみたいになりたいなら、いつでもかかって来ていいんだぜ」
売り言葉に買い言葉、アキトは挑発した。その鋭い眼光に射竦められた空手部員たちは緊張した顔つきになる。
と、そのとき──
「……じゃあ、本当にアキトが先輩たちをやったの?」
その問いは、部員たちがいるのとは反対側――アキトの背後からかけられた。
今度はアキトがビクッと身体を震わせ、背中の筋肉を強張らせる番だった。




