これから毒島先生のカウンセリングを受けていただきましょう
「おらぁっ、立てよっ!」
空手部の三年、小柳 は、恫喝の声を上げて、地面でうつ伏せになっていた獲物を強引に立たせた。
哀れな犠牲者になっているのは、朝のトラブルで彼ら空手部を怒らせた一年生、木暮 春紀だ。
すでに登校時よりも凄惨なリンチを受け、立つことすらもままならない。
口の周りは血だらけで、涙と混ざり合ってまだらに染まっているし、何度も地面に倒されたせいで、肘から手の先まで擦り傷だらけだ。おそらくは制服の下にも大きな痣を作っていることだろう。
それでも、彼らはまだ木暮を許すつもりがないらしい。
木暮にとっては、不運としか言いようがなかった。
昼休み、隣の教室にいるつかさと一緒に弁当を食べようと思ったのだが、朝のトラブルのせいでコンビニでおにぎりを買いそびれてしまい、食べる物がなかった。
そこで仕方なく購買部へ行こうとしたのだが、その途中でたまたま空手部の連中に目をつけられ、こうして校舎裏へ引っ張り込まれたのである。朝の因縁の蒸し返しだ。
連中は朝と同じ顔ぶれだった。副主将の坂田を始めとして、自転車を傷つけられた 畑山、そして 浜口、小柳、奥 の全部で五人。どれも空手部では名の知られた猛者であり、ケンカならさらに得意にしているヤツらばかりだ。
対する木暮はと言えば、中学生と間違えられるほど小柄で、人相からしておどおどしており、とてもではないが太刀打ちは不可能に見える。
おまけに誰かが助けに現れてくれるような気配もまったくない。
元々、人気の少ない校舎裏だ。ましてや怒号と罵声を浴びせながらのリンチである。昼休み中とはいえ、そこを通りかけた生徒たちは、誰もがトラブルを恐れ、来た方向に引き返してしまう。
まさに校舎裏は白昼の死角になっていた。
「お前のお蔭で、オレの自転車は滅茶苦茶にされたんだよ! 一年坊主のクセに、ナメやがって!」
一番、怒りを叩きつけているのは畑山だ。木暮のせいにしているが、半分以上は自転車のハンドルを曲げてしまったアキトへの腹いせでもある。畑山は、小柳が後ろから羽交い締めにした木暮の腹部を、力一杯、拳で抉った。
「ううぅっ……!」
執拗なリンチを受けているというのに、木暮は一言も発しなかった。暴行に対する苦鳴は洩らすが、許しを請うことも助けを呼ぶこともしない。それが余計に彼らを苛立たせた。
まだ、木暮が泣き叫んでいれば、彼らの嗜虐心も満たされただろう。
朝のときもそうだ。
畑山の自転車にぶつかって倒したのは偶然だと彼らも分かっている。しかし、それに対して木暮は決して謝罪も弁明もしなかった。ただ、ひたすら黙ったまま。
彼らの怒りを膨らませているのは、木暮自身に責任があると言えなくもなかった。
「おい、退け」
少し離れたところで、今までリンチを傍観していた副主将の坂田が、畑山の肩を押しやるようにして木暮から離れさせた。
木暮の状態を見た畑山たちは、これ以上のリンチをやめさせようと、坂田が割って入ってきたのかと思った。坂田は今朝の件に関しても、あまり気乗りしていないように見えたからだ。
と言うよりも、最近の坂田は何となく生来の荒々しさが失せてしまった感じがする。その原因については彼らも察しはついているのだが、同時に坂田らしくもないとも考えていた。
ところが次の瞬間、坂田をよく知る彼らも驚きに息を呑んだ。まるで豹変でもしたように、いきなり坂田が木暮を殴り始めたからだ。
坂田のパンチは半端ではなかった。木暮の首がもげるかと思うほど、殴った拍子に大きく捩じれる。後ろで木暮を支えていた小柳すら身体がぐらついた。
しかし、それはほんの手始めに過ぎなかった。
坂田はなおも木暮を痛めつけた。都内でも名が轟いている 琳昭館 高校空手部副主将のパンチだ。畑山たちの威力とは比べものにならない。
木暮は文字通りサンドバッグと化した。生身の肉体で出来た、赤い血を流す、無抵抗なサンドバッグ――その惨たらしさに、周囲の四人は声を失くす。
坂田はパンチだけでは飽き足らないようだった。一歩、後ろへ下がると、膝蹴りを木暮の鳩尾にめり込ませる。羽交い絞めをしている小柳までよろめく強烈さだ。下手をすれば内臓破裂を起こしかねない。
ようやく畑山たちは、坂田の様子がおかしいと気がついた。
「お、おい、坂田――!」
奥が坂田の肩に手を置いて、やめさせようとした。だが、坂田はそれを邪険に振り払う。そして、木暮の頭部を狙って後ろ回し蹴りを放つ。
「――っと!」
とっさに木暮を羽交い締めにしていた小柳が後ろに倒れ込んでいなければ、もっと大変なことになっていたかもしれない。それこそ木暮は死んでいた可能性だってある。
自ら倒れ込んだ小柳は木暮の下敷きになり、うっ、と呻いた。
回し蹴りがまさかの空振りに終わったことで、さらに凄まじい形相を坂田は見せた。
「小柳ぃっ! てめえ、何しやがる!?」
「やめろ、坂田!」
他の三人も坂田を取り押さえにかかった。しかし、坂田はそれをも振り払おうと暴れる。頭に血が昇りやすい性格だが、こんなことはかつてなかった。
「おい、坂田! どうしちまったんだ!?」
「お前、ヤツを殺す気かよ!?」
畑山たちの声も坂田の耳には入らないようだった。野獣のように吼え猛り、ぐったりとしている木暮に襲いかかろうとする。
「離せ、この野郎っ! 離しやがれぇぇっ!」
暴走する坂田に、四人はどうすべきか、一瞬、躊躇した。
その刹那――
「何をしているのです!?」
鋭い声がして、全員をハッとさせた。校舎の陰からベージュ色のスーツを着た細面の女性が現れる。
玉石 梓――琳昭館高校の理事長だ。
「ヤベェ!」
リンチの現場によもや理事長が現れると思っていなかった畑山たちは、慌ててその場から逃げ出した。他人のことなど構っていられない。一目散だ。
ただ一人、坂田だけは逃げなかった。途端に放心状態になったらしく、荒い息をつきながら、倒れている木暮を黙って見つめている。
そんな二人の生徒を梓は交互に見やった。
「不知火」
梓の言葉と同時に、一人の男が背後に立つ。不知火――それが彼の名前なのか。いや、そもそも、いつからそこに控えていたのか。
精悍な顔立ちをした男ではあったが、表情からは一切の感情が消え失せている。黒いスーツに身を固めており、まるで梓の影のようだった。
「お前はこの生徒を保健室へ運べ」
梓から下された指示に黙したまま従い、不知火は気絶している木暮を軽々と抱え上げた。そのまま保健室へと運んで行く。坂田は何も言わず、それを見送った。
その場には梓と坂田だけが取り残された。梓が暴行していた坂田を見つめる。ただし、それは教育者として生徒の暴挙を責めるのでも悲しむのでもなく、むしろ興味を持ったかのように目の奥が妖しく光っていた。
「さて、今度はあなただけど……校内で暴力沙汰とは感心しないわね。クラスと名前は?」
「三年C組……坂田 欣時……」
問われるがままに坂田は答えていた。
「三年の坂田……じゃあ、あなたが空手部の?」
「………」
「坂田くん、あなたの素行については聞いているわ。学校の内外で問題が多いそうね。何か学校や家庭に不満があるのかしら?」
「別に……」
坂田は無愛想に答えた。
この場からさっさと離れたかったが、梓の細いキツネ目に見つめられると、なぜか身体が動かない。まるで心の奥底まで見透かされるような、そんな目――全身の血の巡りが悪くなり、冷たくなっていくのを感じた。
「今後、このようなことがないよう担任の先生に指導してもらうのは当然ですが、あなたの場合、もっと根本的なところから解決しないといけないようね」
「………」
「では、これから 毒島 先生のカウンセリングを受けていただきましょう」
嫌だ、と坂田は答えるつもりだったが、なぜかその言葉を発することは出来なかった。それどころか、梓が先に立って歩くのを逆らうことも出来ずに付いて行ってしまう。まるで自分の身体ではないかのようだった。
カウンセリング室の前まで来ると、どういうわけかドアが丸ごと壊され、廊下から筒抜けの状態になっていた。これにはさすがの梓も不審な顔をする。
そこへ奥から白衣姿のカレンが姿を現した。カレンは理事長である梓の難しい顔を見るや、薄く笑って肩をすくめる。
「先程、一年A組の生徒たちにやられてしまいました」
「一年A組の?」
クラス名を聞いて、梓の目つきが鋭くなりかけた。カレンはお手上げのポーズを作る。
「彼との接触を試みましたが、邪魔が入りまして。この次には何とか」
カレンの言葉に梓はうなずいた。
それからようやくカレンは梓の後ろにいる坂田の存在に気づいたらしく、チラリと視線を投げた。
梓が紹介する。
「彼は三年の坂田くん。これまでも何度か暴力事件を起こして、学校としても困っていたのです。彼の悩みを聞いて、どうすればいいのか、毒島先生から助言してもらえませんか?」
梓は理事長らしく、もっともらしいことを言ったが、坂田にはなぜか空々しく聞こえた。ここへ連れて来たのは他の目的がある――そんな風に直感していた。
しかし、相変わらず身体の自由は利かなかった。ここから逃げ出すのは無理だ。
そんな坂田にカレンは微笑んだ。
「じゃあ、こっちに座って頂戴」
カレンに促されるまま、坂田は面談用のイスに座った。その背後では、梓が壊れたドアの代わりに、あらかじめ備え付けてあったカーテンを引いて、カウンセリング室を外から遮断する。
中にはスクールカウンセラーのカレンと坂田、そして梓の三人だけになった。途端に坂田の持つ不安が強くなる。
ここから逃げ出したいと出口にばかり気を取られていた坂田は、いきなり左腕に痛みを覚えて顔をしかめた。いつの間にかカレンが注射器を握っており、坂田の左腕に何らかの薬液を注入しているのを見て、ギョッとする。
「な、何を……!?」
坂田は反射的に手を払い除けようとした。だが、急に目が霞み始め、スッと意識が遠退く。全身からも力が抜けた。さっきまでの自由の束縛とはまた違う感覚がする。明らかに打たれた注射が原因だった。
「うっ……ううっ……」
瞼が完全に落ちる寸前、坂田が最後に見たのはカレンと梓による微笑だった。スッと暗闇の底へと堕ちる。
「さあ、あなたと 仙月 アキト のことを話して頂戴」
──どうして仙月の野郎のことなんかを?
一瞬、疑問が浮かんだが、坂田の意識はすぐに失くなってしまった。
「おはよ」
登校途中の通学路、薫 はアキトとつかさの姿を見つけ、小走りで駆け寄った。
ところが、アキトは右手を挙げて応えたものの、つかさの方は浮かない顔で薫に気づきもしない。薫は眉根を寄せて、アキトに目で訴えかけた。
「今朝から――というより、昨日の放課後からこうなのさ」
とアキトは諦めたように肩をすくめて見せる。
つかさの姉みたいな存在だと自任している薫としては、何に悩んでいるのか問いただしたかったが、声をかけようとしたところをアキトに止められた。
「ちょっとワケありでな。今はそっとしておいた方がいいかも」
「どうして?」
アキトはつかさから距離を置くようにしてから、重い口を開いた。
「B組の木暮っていう青びょうたん、知ってるか?」
意外な名前が出て、一瞬、薫は戸惑った。
「えっ……ええ……上級生なんかに、よくいじめられてるっていう話は聞くわ。直接は知らないけど。でも――」
こんな風に薫が言い淀むとは珍しい。いつもなら白黒ハッキリつけるタイプだ。
「実を言うと、私もちょっと苦手なのよね。何となくだけど」
と告白した。アキトは驚いたように薫を見る。
「へえ。曲がっていることの嫌いなお前のことだから、もっといじめに対して不快な思いを抱いているのかと思ったけど、意外だな」
「もちろん、いじめは良くないわ! でも……何となく木暮くんに同情できないのよ。こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、彼自身、何を考えているのか分からないようなところがあって……」
薫は表情を曇らせた。アキトが言うように、薫はいじめなどの陰湿な行為を断じて許せない性格だ。
だが、その反面、いじめられている木暮を何処か蔑視している自分にも気づいており、ジレンマに陥っているようだった。
すると――
「同感だな」
さらっとアキトが同意した。薫はまるで自分の肩を叩かれたような気になる。
「オレも昨日、ちょっと見ただけだが、あの青びょうたん、腹に一物、何か持っているような気がしてならねえ。それが周囲の人間を苛立たせる──いや、不安にさせるのかもな」
「どういうこと?」
薫に尋ねられ、アキトは首を傾げる。
「さあ。オレも直感で言っているだけだし、正しいかどうかなんて分からねえよ。でも、お前も含め、多くの人間が同じように感じているのは間違いねえ」
アキトはそう言って、前を歩いているつかさに視線を向けた。つかさはずっと考え込んでいるようで、薫との会話に気づかない。
「――だが、つかさだけは、そんな風に青びょうたんの野郎を見なかった」
「何のこと?」
アキトは昨日の出来事を薫にかいつまんで話した。薫がうなずく。
「ふ~ん、つかさが自分から友達を作りに行くなんてねえ。ちょっとは誰かさんに影響されたのかしら?」
薫はそう言って、アキトの顔を見た。だが、アキトは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「オレは何もしてねえよ。まあ、きっかけくらいは作ってやったかも知れねえけどな」
アキトが謙遜して言うので、薫は驚いてしまった。明日は雪かもしれない。
「あいつが臆病だったのは、自分が弱いからじゃない。他のヤツらよりも秀でた力を持っていたせいだ。そのせいで、誰かを傷つけないか臆病になり、勝手に自分の中で封じ込めていやがったのさ。とにかく力を使わないようにしようってな」
つかさの背中を見ながら、アキトはそう評した。初めて出遭った夜のことを思い出す。
「でも、今のつかさは自分の力をどう使うべきか、やっと分かったんじゃねえか? だから、つかさは変わったんじゃなく、普通になったんだと思うぜ。自分の力を認めて、ようやく初めて本当の自分ってものを知ったのさ」
つかさのことをよく見ている、と薫は感心した。アキトが転校してきて、まだ二週間くらいなのに。
「あいつは強さと優しさを同時に持つことが出来るヤツなんだよ。けど――あの青びょうたんは違う気がする。つかさとは根本的にな。つかさは自分と重ね合わせたそうだが、あの野郎の腹の中には得体の知れない──」
そこまで喋って、アキトは薫から向けられた視線に気がついた。目を丸くして、意外そうな顔のまま固まっている。
「なっ、何だよ?」
「いや、だって……アンタもまともなことを喋れるんだなって、ビックリしたもんだから……」
「あのなあ、オレを何だと思ってたんだ?」
「ただのバカ」
「………」
「ただのスケベ」
「………」
「ただの変態」
「………」
「それから──」
「……もういい」
アキトと薫が夫婦漫才をやっていると、脇道からカメラを首から下げた 大神 憲 が二人の姿を見つけて、手を振りながら合流して来た。
「兄貴、おはようございます!」
「おう」
「朝っぱらから 忍足 さんと並んで登校とは、兄貴も見せつけてくれますねえ」
そう言って、大神はカメラを構えた。
そんなことを言われて、薫が黙っていられるわけがない。
「ちょっと変なこと言わないでよ! こんなヤツと一緒に並ぶわけないでしょ!」
今まで横に並んで会話していたというのに、薫は露骨に嫌な顔をしてアキトから離れた。シャッターチャンスを失った大神は苦笑する。
「そんな照れなくても……」
「照れてなんかいません!」
ずいっ、と薫に本気で凄まれ、さしもの狼男も尻尾を丸めるしかなかった。これ以上からかうと、とんでもない目に遭わされそうだ。
その薫にスッと後ろから肩に手を回したのはアキトだった。
「そう言うなって。将来、オレたちの子供に、父さんと母さんの若かりし頃の写真を見せてやるのは、きっといいことだと思うぞ」
南無三――
ドガッ! バギッ! グサッ! ドドドドドドッ! ドカーン!
戦闘スイッチがオンになった薫によって、アキトはアッという間にボロ雑巾にされた。
「ぜー、はぁーっ、ぜー、はぁーっ……だ、誰が父さんと母さんなのよぉ!? それに何!? 『オレたちの子供』って!?」
「あ、『愛の結晶』……と呼んだ方が良かったか?」
「そう言う問題じゃないわぁぁっ!」
止めの一撃! ズバババババッ!
「むっ……無念……」
パタッ……!
アキト、ここに死す――いや、殺しても死なないタマだろうが。
惨状の一部始終を目撃した大神は、吸血鬼 さえ歯牙にもかけない薫の恐ろしさに戦慄した。




