ねえ、木暮くん。ボクと友達になってよ
畑山 ら先輩たちの怒りの矛先は、自転車を倒した少年から、仲裁に入ったつかさへと向きつつあった。下級生のクセに上級生に意見するとは生意気だ、ということだろう。今度はつかさの方がたじろぐ番だった。
「い、いや……それは、その……」
チリンチリン!
そのとき、窮地のつかさを救ったのは自転車のベルの音だった。
皆が音の方向を見やると、一様にギョッとした。
そこにいたのは、畑山の自転車に跨ったアキトだったからだ。
「先輩、なかなかいいチャリンコですなあ」
アキトはハンドルを握って、まるで自分の物のように左右に振りながら、感想を洩らした。畑山たちは慌てて、自転車に乗ったアキトを取り囲む。
「お、お前は――!」
「お、おい! 勝手にオレの自転車に触るな!」
畑山たちはアキトを取り囲みはしたものの、手出しするのはためらわれた。その理由は、二週間ほど前、彼らが四人がかりでアキトを痛めつけようとして、逆に瞬殺されたからである(※ 詳しくは第2話を参照)。
手をこまねいている畑山たちを見て、アキトは余裕綽々だ。畑山たちの声が聞こえていないかのように、自転車のあちこちをわざとらしく眺め続ける。
「確かにいいチャリンコだが……ちょっとデザインが平凡かな?」
そう言うと、アキトはハンドルを逆手に握った。あらよっ、という軽いかけ声ひとつで、難なく自転車のハンドルをぐにゃりと曲げてしまう。
「あーっ!?」
悲鳴のような大声を持ち主の畑山が上げたのも無理はない。新品の自転車のハンドルは、まるで猛牛の角を思わせるかのように、真上へと向けられてしまったからである。
どんな怪力の持ち主でも、あんなに簡単に自転車のハンドルを曲げられるわけがない。これもアキトが 吸血鬼 であり、超人的な力を持つがゆえだ。
「うん! これでカッコ良くなったんじゃね?」
周囲の慌てぶりにも我関せず、アキトは満足げに言った。自転車から降りると、持ち主の畑山にタッチし、ハンドルを預けようとする。
だが、畑山はショックのあまり茫然自失となり、ハンドルの受け渡しをスルー。そのままガシャーンという派手な音を立てて、自転車は再び横倒しになってしまった。
「ありゃま」
倒れた自転車に対してアキトは悪びれもせず、それどころか、つかさに向かってペロリと舌を出した――確信犯だ。
たちまち、畑山以外の三人が殺気立つ。
「てめえ!」
「ふざけたマネを!」
どうやら望んでいた展開になりそうだ、とアキトは不敵に笑った。吸血鬼 の血が、やはりそうさせるのか。
しかし──
「やめろ!」
鋭い制止の声が場の空気を震わせた。今まで成り行きを見守っていた空手部副主将、坂田 欣時 による一喝だ。それを聞いた三人の空手部員たちは振り上げた拳をピタリと止めた。
今までずっと黙っていた坂田の方を見て、アキトはニヤリと笑った。坂田はそれを真っ向から睨み返す。
下級生にコケにされた三人は収まりがつかない様子だった。
「坂田、なぜ止める!?」
「お前、畑山のチャリがあんなことになって、黙ってろって言うのか!?」
三人は坂田に理由を問うた。
それに対し、坂田は無言で顎をしゃくり、コンビニの店内を示す。
コンビニの中からは、店員と客が一同の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。これだけの騒ぎになれば無理もない。もちろん、通りがかりに足を止めている者も少なくなかった。
「こんなところでケンカをおっ始めれば、学校や警察に通報されるぞ。それでも構わねえなら、オレは止めねえがな」
坂田は冷静な状況判断を下した。
アキトほどではないにしろ、度々、学校でも問題を起こしている彼らにとって、これ以上のトラブルは不味い。渋々ながら、殴りかかろうとした拳を下ろす。
「行くぞ」
四人は坂田に促され、怒りの感情を燻らせながら立ち去って行く。
去り際、坂田の鋭い目がアキトを射抜いた。
今回は引き下がるが、次は容赦しない――といったところか。
普通の者ならばすくみ上がりそうな坂田の睨みにも、アキトは平然としていた。むしろ、そのときを楽しみにしている、とばかりに口の端を吊り上げる。
とりあえず大事に至らず、つかさはホッと胸を撫で下ろした。アキトが畑山の自転車のハンドルを曲げてしまったときは一悶着を覚悟したが、こうして誰も傷つかずに済んだのは幸いである。──いや、一人、負傷者がいたが。
「キミ、大丈夫?」
つかさはまだ突っ立ったままの少年に声をかけた。
やはり少年は空手部の誰かに殴られたあとだったらしく、唇の端が切れて出血している。とりあえず怪我はそれだけのようで、見たところ他は大丈夫そうだ。
目の前の少年は、つかさよりも少し背が低いくらいだった。つかさも決して高い方ではないが、少年は色が白く、シャツの半袖から伸びた腕が皮と骨だけみたいに細いせいで、余計に華奢に見える。
やがて、つかさはひとつ思い違いをしていたことに気がついた。
「キミ、ウチの生徒?」
小柄な体型のせいで、てっきり中学生だろうと思い込んでいたが、シャツの左ポケットには見慣れた 琳昭館 高校の校章が縫い込まれていた。
少年はうなずくと、弱々しい笑顔を作った。
「あ、ありがとう。助けてくれて」
「ううん。礼を言うなら、ボクよりもこっちのアキトに言ってあげてよ。彼が先輩たちを追い払ったようなものだから」
するとアキトは露骨にイヤな顔をした。
「いくらオレが処女好き、童貞好きと言っても、一応、こっちにだって選ぶ権利ってもんがあるんだからな。こんな青びょうたんなんかに好かれても、オレは嬉しくも何ともねえ!」
「アキト!」
無神経なアキトに対して、つかさは鋭く制した。その剣幕にアキトがたじろぐ。坂田の睨みよりも効果は絶大だったと言えよう。
「い、いいんだ。僕、そういうの慣れているし……」
少年はおずおずとした様子でつかさに言った。つかさは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね。根はいいヤツなんだ……と思うんだけど」
「おい、つかさぁ! そこはちゃんとフォローしとけよ!」
一言多いつかさに、アキトはツッコミを入れながら苦笑する。
「ところでキミ、名前は? ボクは──」
「一年A組の武藤つかさ君だろ?」
つかさが名乗る前に、少年は知っているようだった。つかさは驚く。
「どうして、ボクの名前を?」
「だって、ウチの学校じゃ有名だもん。結構、キミのことを可愛いって言っている女子も多いし……」
少年の言葉に、つかさは困ったような顔をした。
「それは異性としてと言うより、ボクが女の子みたいだからでしょ? ――いや、気にしないで。そう言われるのは慣れているから」
とは言うものの、つかさの表情に、一瞬、翳りが浮かんだ。
そんなつかさの背後から、いきなりアキトがガバッと抱きつく。
「バカだなぁ。お前にはオレがいるじゃないか」
「こ、こら、アキト! 何をしてるんだ!?」
耳元にフーッと息を吹きかけられ、つかさは真っ赤になって抵抗する。
「傷ついたお前の心を、このオレの口づけで癒してやるぜ」
アキトはつかさの首に腕を回し、唇を尖らせてキスを迫った。
「ば、バカーッ!」
アキトの唇から逃れようと、つかさはとっさに裏拳を喰らわしていた。アキトの顔面をまともに痛打する。
「はぎゃっ!」
アキトは短い悲鳴を上げると、後ろにひっくり返った。今のうちに止めを刺しておこうか、とつかさは本気で考える。
「ハハハハハッ……!」
すると少年が可笑しそうに笑い出した。先程までとはまったく違う、腹の底から出す笑い声だ。それを見て、つかさは何だかホッとした。
「そんなに可笑しい?」
「はははははっ、そりゃ、お、可笑しいよ! キミたち、冗談なのか本気なのか分からないんだもん!」
少年は笑い過ぎで、涙まで浮かべていた。アキトが本気でキスを迫ったのは間違いないだろうが。
つかさも笑った。暗い顔をした少年より、少しでも明るい笑顔の方がいい。
ひとしきり笑ってから、少年は自分がまだ名乗っていないことに気がついた。
「僕は一年B組の 木暮 春紀。よろしく」
はにかんだ表情を浮かべ、木暮は自己紹介した。
「B組? じゃあ、大神 くんと同じクラスだ」
つかさの言葉に木暮はうなずいた。
「うん。武藤くんは大神くんとも友達なの?」
「友達って言うか、何て言うか……」
つかさは答えに窮して、思わずアキトの方を見た。
大神は廃部同然の写真部に所属しているカメラ小僧だ。そして、その正体は狼男であり、今ではアキトの舎弟みたいになっている(※ 詳しくは第1話を参照)。
「いいなあ。武藤くんは色々と友達がいて。僕なんか同じクラスでも、友達なんかいないよ。むしろ僕は、みんなから嫌われているんだ」
木暮は表情を曇らせた。つかさが心配そうに顔を覗き込む。
「どうして、そう思うの?」
「だって……みんな、僕のことを変な目で見るんだ。まるで、汚いものか何かを見るように。だから、僕に話しかけてくる人なんて滅多にいないよ」
「そんな……」
「たまにいたとしても、それはただ僕をからかいたいだけ。背が小さくて、身体が弱い僕をからかって、楽しんでいるんだよ」
「木暮くん……」
つかさは胸が痛んだ。
木暮は、つい最近までのつかさと同じだ。
つかさも女の子と見間違われる顔立ちのせいでクラスの男子生徒にからかわれたし、空手部では先輩たちに容赦ないしごきを受けた。毎日、学校へ通うのが嫌になるくらい、周囲からの疎外感を感じて過ごしていた。
だが、今はアキトという友達がいる。彼は常につかさの味方だ。そして、いつもそばにいてくれる。それはつかさにとって、とても有難いことだった。
……ただし、同じくらい迷惑なこともあるけれど。
アキトと出遭って以来、つかさに対する周囲の接し方も変わってきた気がする。
そして、自分もまた――
今の木暮には信頼できる友達が必要だ、とつかさは強く感じた。
「ねえ、木暮くん。ボクと友達になってよ」
つかさは励ますように言った。木暮が顔を上げる。
「武藤くん……」
「これから何かあったら、ボクに話して。ボクに出来ることだったら、何でも力になるから」
「本当?」
「うん、もちろんだよ」
つかさは右手を差し出した。
一瞬、木暮はそれを見つめ、おずおずとつかさの手を握り返す。
つかさは力を込めた。それに釣られて木暮も力を込める。
二人の誓いの握手だった。
つかさとアキトが学校へ到着すると、朝のHRの代わりに臨時の朝礼が行われるとの知らせがあった。噂によれば、新任の職員を紹介するのだと言う。
各クラスの担任教師に教室を追い出されるようにして、皆、集合場所の体育館へ向かった。
その途中、つかさの後ろを歩きながら、アキトが声をかけた。
「つかさよぉ、大丈夫か?」
「何が?」
「あの木暮って野郎のことだよ。友達になる、とか言ってたけど」
つかさは怪訝な顔で振り返った。
「それがどうしたの? 木暮くんと友達になっちゃいけない?」
「……お前、あいつに自分を重ね合わせたんだろ?」
アキトは何でもお見通しといった感じだ。敵わないな、とつかさは舌を巻く。
「分かる? 何だか木暮くんを見ていると、ついこの前までの自分を見ているような気になるんだ。みんなにからかわれ、一人でコンプレックスを抱えていた自分をね」
つかさは表情を曇らせた。過去の自分を振り返ったのだ。
「でも、今のボクはアキトのお蔭もあって、以前ほど、イヤな思いをしなくなったし、ちょっとは自分に自信が持てるようになった。だから木暮くんも、いい友人が出来れば変われるんじゃないかって思ってさ」
「今度は自分がその番だってことか」
「うん。ボクが少しでも木暮くんの悩みを軽くしてあげられるんだったら、それに力を貸してあげたいんだよ」
そう話すつかさを見て、アキトは大きく鼻から息を吐き出した。
「やっぱりな……お前のことだから、そんなこったろうと思ったよ」
「……アキトは反対なの?」
あまり表情が晴れないアキトを見て、つかさは尋ねた。一瞬、アキトは答えを迷ったようだが、すぐに首を横に振る。
「うんにゃ。別に反対はしねえ。お前の好きにすればいいさ。――だが」
「だが?」
一拍置いてから、アキトはいきなりガバッと抱きついてきた。
「つかさ~ぁ、オレからあんな青びょうたんに乗り換えようなんて、絶対に思うなよ~ぉ!」
「そ、そんなんじゃないってば! ――こ、コラッ! どさくさに、何処を触っているのぉ!?」
周囲の生徒たちが驚いて引くくらい、二人は大きな声を出してじゃれ合った。
体育館には全校生徒が集められ、すし詰め状態だった。様々な私語が飛び交い、野放図の状態だ。
間もなく、お決まりと化しているマイクのハウリングが起こり、続いて司会進行役の教師が第一声を発した。体育館内の反響で何倍にも騒がしかった生徒たちは、徐々に静かになる。
進行役の開会の挨拶を受けて、壇上に校長の信楽と生徒たちも初めて見る女性が上がった。
ようやく静かになりかけていた館内が、再びざわめき始める。
無理もあるまい。
登壇した女性は白衣を着た妙齢の美女で、否が応でも生徒たちの耳目を集めた。
「おおーっ!?」
もちろん好色なアキトも、真っ先に反応した一人だ。最前列のつかさには、後ろを振り返らなくても分かる。
「あー、諸君、静粛に! 本日より、スクールカウンセラーとして本校へ赴任された 毒島 カレン 先生をご紹介します。──では、毒島先生。一言お願いします」
信楽校長に紹介され、カレンは艶然と微笑みながら、マイクを受け取った。
「スクールカウンセラーの毒島カレンです」
苗字はともかく、名は体を表す。その第一声で男子生徒たちはカレンの虜になった。
「本日より、皆さんの悩み事を聞かせていただきたいと思います。三年生は進路のことで悩んでいるでしょうし、他の皆さんもご両親や先生、友達にさえ話せないような問題を抱えていることと思います」
カレンは生徒一人一人の目を見ながらスピーチした。人心掌握に長けている。
「でも、どうか自分一人で悩まず、私に相談してください。どんな些細なことでも構いません」
つかさはカレンの話を聞きながら、木暮にカウンセリングを受けさせても良さそうだ、と考えていた。
「もちろん、秘密にしたいことは、どのような内容であっても、ご両親や担任の先生に明かしたりはしませんので、その点も安心してください。ぜひ、私と一緒に悩みを解決して、素敵な高校生活を送っていただきたいと思います」
カレンが挨拶を終えると、館内から盛大な拍手が沸き上がった。その内訳としては、言うまでもなく女子よりも男子生徒の比率が高い。
「カレンちゃ~ん!」
割れんばかりの歓声の中、指笛を吹き、投げキスをして手を振っているお調子者までいる。もちろん、アキトだ。
カレンは壇上を降りる際、チラリとアキトの顔を確認したようだった。そして、口元に微笑みを浮かべる。
それが意味するものを知っているのは、彼女の隣で汗を拭っている信楽校長だけだった。




