あなたは黙って、自分のイスを温めていればいいのです
第5話「心の檻に棲む野獣」スタート!
「面白そうな子じゃないの。ねえ、校長?」
琳昭館 高校の一階にある理事長室からは学校の正門を望むことが出来る。理事長の 玉石 梓 は、その光景を窓から眺めながら言った。
今はちょうど、朝の登校時間だ。いつもと変わらない生徒たちの姿があった。
校長の 信楽 福文 は、理事長がいつも執務で使う両袖机を挟んで立ったまま、目の前の梓に返答しなかった。それどころか、手にしたハンカチの色が変わるまで、止めどなく吹き出す汗を拭うのに必死といった様子だ。
季節は夏から秋へ移り変わろうとしている。しかも、さらりとした風のある午前中の早い時間帯だ。運動もしていないのに、ここまで汗を掻くというのは、何か他の理由があるとしか思えない。
「やはり、“類は友を呼ぶ” ってヤツかしら? きっと、この学校に引き寄せられて来たのも偶然ではないのでしょう」
緊張した校長のことなどお構いなしに、梓は喋り続けた。その顔には微笑が浮かんでいる。校長だけに限らず、見た者をゾッとさせるような妖艶さで。
理事長の梓は三十代半ばくらい。キツネ目のせいもあるだろうが、ややキツい顔立ちをした細身の美女だ。黒く艶やかな髪は長くふくらはぎまで伸びており、歩くときの後ろ姿は、まるで優雅に尻尾を振っているかに見える。
反対に、信楽校長は背が低く、その割に横方向の幅と太鼓っ腹は立派だった。年齢は梓よりも二十くらい上で、こんがりとゴルフ焼けした丸顔には愛嬌があり、最高級のスーツに袖を通している。
何処となく謎めいた雰囲気を漂わせる美女と俗っぽい垢にまみれた中年男――
理事長である梓を前にして緊張しているのか、信楽校長の表情はかなり強張っていた。
「り、理事長――」
信楽校長は緊張で粘つく口に顔を歪めながら、ようやく言葉を振り絞った。先程から拭き取っている汗の量はハンカチ一枚では追いつかなくなっている。
「か、彼をどうするおつもりですか? 一応は本校の生徒でありますし、滅多なことがあっては――」
一瞬、梓の耳がピクリと動いたような気がして、信楽校長は黙った。梓の逆鱗には触れたくない。
反応を窺いながら、言葉を選んだ。
「そ、それに彼自身、問題の多い生徒かも知れませんが、目に余るようなトラブルを起こしたわけでもありません。学年主任の竹田先生からは、そう報告を受けておりますし、この前の事件に関しても――」
「分かっています。彼を今すぐどうこうしようなんて、私も思っておりません。ただ――」
そこで一度、梓は言葉を切った。
窓に向かって、どんな表情を作っているのかを想像し、信楽校長は固唾を呑む。あまり知りたくはない。
「興味あるじゃない? この学校に、あの一族の者がやって来るなんて」
梓は振り返った。やはり笑っている。まるで、これから先、何かを期待するかのように。
それを見た信楽校長は、益々、理事長に対して萎縮した。
そこへドアがノックされる音が響いた。「どうぞ」と梓が招き入れる。
「失礼します」
一礼して理事長室に現れたのは、白衣姿の美女だった。たちまち、鼻腔をくすぐるような芳香が室内に立ち込めたような気がする。
あらかじめ来訪は予定されていたものらしい。梓は白衣の美女を快く迎えた。
「ようこそ、琳昭館高校へ。私が本校の理事長を務めております、玉石梓です。それと校長の信楽。──校長、彼女は新しく私がお呼びしたスクールカウンセラーの 毒島 カレン さんです。今日から、本校へ赴任していただくことになりました」
「毒島です。よろしくお願いします」
カレンは改めて、信楽校長に会釈した。思わず、信楽校長の表情が緩む。
それは無理からぬことであったろう。
カレンはその知的な美貌もスーパーモデル並のプロポーションも一級品であり、醸し出す色香に惑わされない男はいない。前に屈んだ拍子に、白衣の下に着た赤いシャツの胸元から、豊満なバストによって作られた魅惑的な谷間が確認できる。
「毒島先生は薬学にも精通しながら、深層心理と潜在能力の研究をされていてね。この程、ある理論とその活用法を見い出したそうよ」
「お言葉ですが理事長、私の研究はまだ実験段階で、その理論が完全に証明されたわけではありません」
梓の言葉に、カレンは臆することなく言い添えた。
そんなカレンに、梓は不快感を顕わすのではなく、むしろ嬉しそうにうなずく。両者のやり取りに、一人でハラハラしていたのは信楽校長だ。
「ええ。だからこそ、その理論を本校で完成させてもらいたいの。協力は惜しみません」
梓が保証すると、カレンも微笑を浮かべた。
「ありがとうございます」
梓とカレンの間に、何らかの密約が結ばれていることは明らかだった。しかも、その内容に関することは、信楽校長に一切知らされていない。校長であるにもかかわらず、完全に蚊帳の外だ。非常に嫌な予感がし、信楽校長は慌てる。
「り、理事長! 本校の校長として言わせてもらいます! もし、生徒たちの身に何か危険が及ぶようなことがあるのなら――!」
「信楽校長。あなたは黙って、自分のイスを温めていればいいのです。この学校は私が創ったもの。すべては私が決めます。いいですね?」
梓の口調に激しさはなかったが、信楽校長を黙らせるだけの迫力は充分に込められていた。
信楽校長は頭から冷水を浴びせられたような気分に陥り、その場で硬直してしまう。
それを見た梓は、フッと表情を和らげた。
「お分かりいただけたのなら、もうお戻りになってもらって結構です。私はもう少し毒島先生とお話がありますので」
信楽校長は口を噤んだまま、二人に会釈をすると、理事長室から退出した。
「よろしいのですか?」
校長がいなくなってから、理事長室のドアを一瞥したカレンが尋ねた。ただし、本当に心配しているようにも見えない。
梓も軽く肩をすくめただけだ。
「あんなタヌキのことは気にしなくてもいいわ。コソコソ私に隠れて、何をやっているか分かったものじゃないもの。それより──」
梓は机の上に置かれていたファイルを手にすると、カレンに差し出した。あらかじめ校長に命じて用意させたものだ。
受け取ったカレンはファイルを開く。最初のページに、一枚の写真がゼムクリップで留められていた。
「彼が……」
「そう。毒島先生の研究を完成させるには、手頃な相手だと思いますわ」
梓は妖艶を通り越し、邪悪ささえ感じさせる微笑を浮かべた。
ファイルにある写真は、最近、転校して来たばかりの生徒――仙月 アキト のものだった。
その頃、当のアキトはそんなことなど知らず、大きな欠伸をしながら、通学路を歩いていた。
隣に並んでいたクラスメイトの武藤つかさが、眠そうなアキトの顔を見上げる。
「いつになく眠そうだね」
つかさはアキトの方を窺いながら尋ねた。
アキトは人間ではなく 吸血鬼 だ。東洋系とのことで、見た目、日本人に見られているが、その身体能力は人間のそれを遥かに上回り、ちゃんと人間の生き血をすするための乱杭歯も持っている。
そんな 吸血鬼 が天気のいい朝っぱらから町を闊歩していること自体、常識から外れているのだが、以前、アキト本人が、人間の 吸血鬼 における知識はほとんど当てにならないと言っていた。
とは言え、やはり陽光の下で動き回るのは、吸血鬼 にとっては辛いことなのではないだろうか。そんなことをつかさは心配した。
だが、アキトはひたすら大口を開けると、生欠伸をするばかり。
「昨日、夜中の三時まで妹とゲームやっててよ。あんまりオレが強過ぎるんで、妹のヤツに勝つまで付き合わされちまったんだ」
「へえ。アキト、妹がいるんだ?」
それは初耳だった。そもそも、アキトから家族の話を聞いたことがない。
「妹さん、いくつ?」
「いくつって、お前、オレも妹も 吸血鬼 なんだぜ。実年齢は千年以上で、もう数え忘れちまったよ」
「そ、そう……でも、アキトと同じように学校とか通っているんでしょ?」
「ああ。一応、中二で通してるみたいだが」
「ふ~ん。アキトに妹かぁ。今度、会ってみたいな」
つかさは楽しそうに言った。するとアキトは反対に不機嫌そうになる。
「何で、お前、オレの妹なんかに興味があるんだ? ひょっとしてロリコン趣味だとか言わねえよな?」
アキトらしい物言いに、つかさは苦笑してしまう。
「違うよ。アキトって、何か天涯孤独の一匹狼っていうイメージが勝手にあったから、そういう話を聞いて意外に思って。アキトの家庭に興味があるんだよ」
つかさの答えをアキトは鼻をほじりながら聞いていた。
「吸血鬼 ってのは、一族の結びつきが強いんだよ。だから、大所帯で暮らしていることが多いのさ。その方が、人間社会に溶け込めるって利点もあるんだけどな。怪しい一人暮らしは、逆に目立っちまうもんだし」
「なるほど」
「まあ、ウチは兄貴とオレと妹の三人暮らしで、今は事情があって、オヤジたちとは離れているけど」
「お兄さんもいるの? へえ~、益々、意外。──ねえ、今度、アキトの家に遊びに行ってもいい?」
つかさは友人の承諾を求めた。しかし、アキトは渋い顔だ。
「ウチに? 冗談じゃない! お前なんか連れてったら、たちまち兄貴や妹の餌食にされちまうよ! 誰があんな化け物の巣に、可愛いお前を連れてったりするもんか!」
必死に拒むアキトを見て、つかさは再び苦笑した。自分のことを棚に上げて、よく言えるものだ。
「それより――お前、大丈夫か?」
アキトは自分の首を指差した。つかさの首には白い包帯が巻かれている。先日の事件で負った傷によるものだった(※ 前回の第4話を参照のこと)。
つかさはアキトを安心させるように笑顔を作る。
「平気、平気。ちょっと首を曲げるとき苦労するけど、痛みもないから。それよりも待田先輩が無事で何よりだったよ」
つかさが傷を負ったのは、憧れの沙也加を助けるためだった。だから、この程度のことは大したこととも思っていないのだろう。
事件後、沙也加は何ともなかったが、もう一人、つかさたちと一緒に救急車で病院へ運ばれた加賀美アケミは、あれからずっと昏睡状態だと聞く。
彼女がどのように事件に関わったのか、つかさたちは知らない。昏睡状態から目覚めない原因についても不明とのことだった。
「これも、あのとき助けてくれたアキトのお蔭だね。ありがとう。待田先輩の分もお礼を言わせてもらうよ」
もう何度も口にしている感謝であった。つかさ自身についてはともかく、沙也加が助かったのは駆けつけてくれたアキトの手柄だと十二分に認識している。
その沙也加の名前が出た途端、アキトの動きがギクシャクした。
「そのよぉ、待田って二年の女のことなんだけどよぉ……」
あれからずっと、つかさに伏せていることをどう話すべきか、アキトが迷っていると、
「――おい、どうしてくれるんだ!?」
突然、朝から神経を逆撫でするような怒号が聞こえて来た。
学校から二百メートルほど手前にあるコンビニの前――見れば、四、五人の高校生が、一人の少年を取り囲んで、何やら因縁をつけているようだった。
高校生たちの制服は琳昭館高校のものだ。しかも、揃った面子につかさたちは見覚えがある。
「せ、先輩たち!?」
それはつかさが所属する空手部の上級生たちだった。少し離れたところに副主将の 坂田 欣時 もいて、仲間たちの行為を傍観している。
つかさは慌てて駆け寄った。
「ど、どうしたんですか!?」
つかさは先輩たちに尋ねた。こんな路上で一人を取り囲むなんて尋常ではない。それに相手は小柄な少年で、まだ中学生くらいに見えた。
勝手にしゃしゃり出て来た後輩に、先輩たちの表情は、益々、険悪になった。
「武藤、お前は引っ込んでろ! この野郎はなぁ、畑山 の自転車に傷をつけやがったんだ!」
「しかも新品だぜ。落とし前をつけてもらって、何が悪い?」
空手部の 浜口 に続いて、自転車の持ち主である畑山も言い張った。
確かに、コンビニの入口近くで真新しい自転車が横倒しになっている。だが、どの辺が傷ついているのか、一見したくらいでは分からない。
責められている少年は、恐らく、すでに殴られたりしたのだろう。左の頬を押さえながら、身を縮めるようにしてしている。臆病そうに目をしきりに動かしている挙動は、天敵に襲われた小動物のように見えた。
そんな少年に、つかさはほんの少し前の自分と姿をダブらせる。
「は、畑山先輩、きっと彼だって、わざと自転車を傷つけたわけじゃないと思います。もう許してあげてください」
つかさは畑山に懇願した。
一瞬、今まで先輩に意見などしたこともなかったつかさに対し、畑山を始め、坂田の取り巻きたちは意外そうな顔つきを見せたが、すぐに険しい表情へと戻る。
「しかしだな、この野郎は自転車を倒しやがったクセに、こっちへ一言も謝ってねえんだぜ。──おい、誰か、こいつが謝ったのを聞いたか?」
「いいや」
畑山の問いに、皆、即座にかぶりを振る。
「なっ。他人の自転車を倒して、すみませんの一言もねえってことは、わざとってことじゃねえか、武藤? 謝罪の気持ちってのがないんだよ!」
畑山は声を荒らげた。他の者も同調する。ただ坂田だけが相変わらず、四人とは少し離れたところで沈黙を守り続けていた。
つかさはもう一度、渦中の少年を見た。――ダメだ。視線は何処か一点を見据えたまま、完全に怯えてしまっている。これでは謝罪の言葉すら、口に出すのは難しいだろう。
「武藤よ、オレたちが何か間違っているって言うのか? 間違っているって言うなら、何がどう間違っているのか、ちゃんとオレたちに説明してくれよ! なあ?」




