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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第4話 虚蟬の魔鏡 【 全 5 回 】
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ボク、折り畳み傘、持ってますっ!

 つかさが宿題に取りかかって三十分もすると、とうとう図書室の窓を大きな雨粒が叩くようになった。


 勉強に集中していても気がつくくらい、強く激しい雨音だった。つかさは思わず席を立つと、窓から外の様子を窺わずにはいられなくなる。


「うわぁ……」


 驚愕の一語は洩れたものの、そのまま二の句が継げなかった。


 よく、「バケツをひっくり返したような」という比喩が使われるが、そんな生易しいものではない。まるで滝だ。それもナイアガラとか、とてつもない水量を誇る大瀑布を想起させる。


 こんな雨に当たったら、濡れるだけでなく、全身に痛みさえ覚えるだろう。視界も十メートル先さえ霞んでよく分からないくらい悪くなっていた。


「とうとう降ってきてしまったわね」


「あっ……」


 聞き覚えのある女性の声に振り返ると、ちょうど二年生の 待田まちだ 沙也加さやか が一冊の本を抱えて図書室にやって来たところだった。


 他の女子と同じセーラー服姿なのに、その清楚で可憐な雰囲気に圧倒され、つかさは口を半開きにしたままフリーズしてしまう。


 そんなつかさに向かって、沙也加は微笑んだ。


「今日は居残り勉強?」


 沙也加に話しかけられたつかさはドギマギした。このところ何度か、直接話す機会があったにもかかわらず、憧れのマドンナを前にすると、どうしてもアガってしまう。


「い、いえ……あの……アキトを待っている間に、ここで宿題を片づけようかなと思って……」


「友達を?」


「は、はいっ!」


 緊張のあまり、直立不動にまでなってしまうつかさであった。それを見た沙也加がおかしそうに吹き出す。


「そんなに私って怖い先輩かしら?」


「い、いえいえいえっ! 決して、そんなことは――!」


 ふふっ、と笑った沙也加は、つかさと並んで窓の外を眺める。すると、すぐに憂いを帯びた顔つきになった。


「凄い雨……これじゃあ、とてもじゃないけど帰れないわね」


 困った様子の沙也加を見て、自分に何か出来ないか、つかさは考えを巡らせた。


「あ、あのぉ――」


「何?」


「ぼ、ボク、折り畳み傘、持ってますっ!」


「えっ?」


 一瞬、勢い込んだつかさに対し、沙也加はキョトンとした。しかし、すぐにその表情がほころぶ。


「――そんな、無理よ。いくら傘があっても、この雨じゃ役に立たないわ。このままやり過ごすのが賢明よ」


 ちょっと考えれば分かりそうなことを沙也加に指摘され、つかさは真っ赤になった。自分でも、愚かなことを言った、と恥ずかしくなる。そして後悔した。


「それに傘なら私も持ってるわ。慌てず騒がず、小降りになるまで待ちましょう」


 そう言うと沙也加は図書カウンターへ移動した。そして、持って来た本の返却手続きを係員にお願いする。


 そんな沙也加の後ろ姿を眺めながら、つかさは宿題をやっていた席に戻った。


 いつもの図書室なら、もっと利用する生徒がいるはずだが、さすがに今日は早く家路に就いた者も多いようで、つかさを含めて六人くらいしかいない。


 本の返却を終えた沙也加はそのまま図書室から退出せず、嬉しいことにつかさのところへ引き返して来た。反射的につかさは立ち上がる。


「ほら、気にしないで、続けて」


「あっ、いや……この前のお礼をちゃんと言っておこうと思って……」


「この前のお礼?」


「保健室まで連れて行ってもらったときです。あのときは先輩に傷の手当てまでしてもらって……」


「ああ、あれね。そんな、気にしないで」


「いえ、あのときは本当にありがとうございました!」


 つかさは心から感謝の意を表す(※ そのときの出来事は、第2話を読み返してください)。


 そんな改まった態度の後輩に、沙也加はくすぐったそうだった。


「お礼を言われるほどのことじゃないわ」


「そんなことはありません! 先輩はボクの――」


 女神です、と思わず赤心を吐露しそうになって、つかさは恥ずかしさに口をつぐんだ。これではまるで告白同然だ。


「――ところで、何の宿題をやっているの?」


 会話が途切れかけたところで、沙也加の方から話題を変えてきた。


「えっ? ――あっ、英語です。ボク、あまり得意じゃなくて」


「どれどれ」


 沙也加は教科書を覗き込みながら、つかさの隣の席に座った。つかさもそれにならう。すると、想像以上に至近距離だったので、つかさの胸は高鳴った。もう少しで肘と肘とが触れ合ってしまいそうだ。


「雨が小康状態になるまで帰れそうにないし、宿題、見てあげましょうか?」


「えっ、いいんですか?」


「もちろんよ。遠慮しないで」


「で、でも……待田先輩、何か他の用事があって残っていたんじゃ?」


 沙也加に宿題を見てもらえるのは嬉しいが、このまま憧れの人と一緒にいたら、つかさは緊張でおかしくなってしまいそうだった。


 一方、そんなつかさの動揺を沙也加が見透かした気配はない。


「生徒会の仕事が残ってたから、今までそれをやってただけ」


「あー、生徒会の」


「でも、それも片づいたから大丈夫よ」


 沙也加は生徒会副会長を務めている。このところ生徒会長の 伊達だて 修造しゅうぞう が休んでいるので、彼女にそのシワ寄せが行ったのだろう。


 その伊達が学校を休んでいるのには理由がある。たった今、アキトが生徒指導室に呼ばれている件だ。


 もっとも、テニスコートでアキトに暴れられたことよりも、精神的なショックに繋がる出来事が他に起因しているとは、その当該者であるつかさも知らないことだが(※ どうぞ第3話を参照してください)。


「それよりも、ここをやってみて」


 沙也加が人差し指でひとつの設問を示す。


 つかさは問題よりも、ついつい沙也加の指先に見惚れてしまった。マニキュアを塗っていないピンク色の爪がツヤツヤしている。まるで小さなサクラ貝のようで、そんなところさえ素敵だと思ってしまう。


「ん? どうしたの? 難しい?」


 設問を凝視したまま固まった状態だったので、沙也加はつかさが問題を解けないのかと思ったらしい。


「い、いえ、大丈夫です!」


 ハッと我に返ったつかさは、まさか「爪に見惚みとれていました」とは言えず、慌てて問題に取りかかる。


 すぐ隣に沙也加がいるのを意識しつつも、今はとにかく宿題に集中しようと、つかさは全神経を注ぐ努力をした。


 しかし、答えのヒントを出してくれる沙也加の声がしたりすると、途端に聞き惚れてしまい、集中力など一分と長続きしない。解答を書くはずのシャーペンの動きは非常に鈍かった。ここまで勉強が手につかないのは、つかさも初めての経験だ。


 こんなことなら、つかさ一人でやった方が早く宿題を終えられたかも知れない。


 とは言え、沙也加と一緒の時間を過ごせるのも幸せなことであり、出来ればずっとこうしていたい、という気持ちもなくはなかった。


 沙也加が図書室に来てから、さらに三十分。つかさの宿題にも、ようやく終わりが見えてきた。


「あとは、この一問だけね」


 そう言って、沙也加は腕時計で時間を確かめた。午後四時半を回っている。


 外は夜のように真っ暗になっていて、相変わらずゲリラ豪雨が降り続いていた。まだまだ帰れそうにない。


 沙也加は席を立った。


「私、生徒会室へ行って、鞄を取って来るわ。生徒会室も閉めないといけないし」


 つかさの宿題を見てやることに没頭していて、すっかり自分の荷物のことを忘れていたらしい。それに生徒会長の伊達がいない今、生徒会室の施錠も副会長である沙也加に責任があるのだろう。


「分かりました」


 最後の問題に取り組みながら、つかさは返事をした。図書室の利用時間は夕方の五時まで。アキトもまだかかっているらしく、生徒指導室から帰って来ていない。もう少しだけ沙也加と一緒にいられそうだ。


「じゃあ、戻って来るまでに、この問題、解いておいてね」


 そう言い残し、沙也加は生徒会室へ行ってしまった。


 その後ろ姿が見えなくなった途端、つかさはぷつりと糸が切れた操り人形みたいに力が抜けた。そのまま机に突っ伏して呻く。


「あーっ、緊張したぁ。全然、勉強が頭に入って来ないし……参ったなぁ」


 それでも至福の時間を過ごせたと、つかさは大いに幸せだった。ガバッと起き上がると、椅子にもたれかかり、思い切り伸びをする。


「さて、もうひと頑張り」


 自然と顔がほころびつつ、つかさはシャーペンをノートの上に走らせた。






 生徒会室から傘と鞄を持ち出した沙也加は、施錠をし、鍵を職員室へ返却した。


「何だ、待田。まだ、いたのか」


 教え子の姿に気づいた二年E組の担任教師である 大泉おおいずみ が声をかけた。長時間、パソコン作業に没頭していたせいか、疲れた顔で少し目をしばたかせたり、こすったりしている。


「生徒会の仕事が残っていたので」


 担任の大泉に向き直り、沙也加は優等生らしく丁寧に答えた。


「早く帰れよ――と言いたいところだが、この天気じゃなぁ」


 大泉は恨めしげに窓の外を見やる。きっと大泉もこのゲリラ豪雨が収まるまで、帰るに帰れないクチなのだろう。車で通勤している先生は帰宅したらしく、職員室はいつもよりもガラガラだ。


「せめて雨が小降りになるまで待ちます」


 自分の傘を示しながら、沙也加は応じた。


「そうだな、それしかないな。まあ、気をつけて帰れ」


「はい。では、失礼します」


 担任に一礼してから、沙也加は職員室を退出した。


 人気ひとけのない廊下を歩きながら、沙也加は一階の職員室から三階の図書室へと向かう。ほとんどの教室は電気が消され、日中の喧騒が嘘のように静かだ。リノリウムの床に上履きのキュッキュッという靴音だけが響く。


 体育館が見える窓から外を眺めると、三十分前に見た景色とまったく変わっていなかった。


 叩きつけるような横殴り雨は衰えることを知らず、校内にある木の枝がもがき苦しんでいるみたいに()()()、葉は千切れて吹き飛ばされてゆく。ゴーッという獣のような唸りを上げる強風は、台風の直撃よりも凄まじく感じられた。


 本当に帰れるかな、と不安を覚えつつ、沙也加は東側の階段を上がった。職員室から図書館へ行くには一番近くて便利な階段で、却って中央の大階段を使うと遠回りになってしまう。


 担任の大泉と職員室で別れて以後、沙也加は誰とも会わなかった。多くの生徒は下校しただろうが、全員が帰ったとは思えない。皆、何処へ行ってしまったのか。無人の校舎には得体の知れない不気味さが漂う。


 階段を二階まで上がったところで、沙也加は異変に気づいた。


 上の踊り場にある蛍光灯がチカチカと点滅している。蛍光灯が切れかけているのか、或いは照明器具そのものの不具合か。


 これは設備管理をしている用務員に連絡しておくべきか、沙也加は迷った。


 しかし、用務員はこのような事態に備え、放課後になると校内を巡回している。わざわざ沙也加が知らせる必要はないだろう。それに、とっくにこの不具合を発見していて、すでに交換の手配をしているかも知れない。


 結局、沙也加はそのまま階段を上ることにした。


 ところが最初の一段目に足をかけると、パチンという音がした。次の瞬間、二階の廊下の電気がすべて消えてしまう。沙也加はギクリとした。


 教室はともかく、廊下の電気はほとんどの職員が帰る夜にならないと消さないはずだ。それが消灯してしまうというのはおかしい。


 上の踊り場では、相変わらず蛍光灯が不規則な点滅を繰り返している。


 沙也加は階段の下を覗き込んだ。一階は通常通りに照明が点いている。やはり消えたのは、この二階の廊下だけらしい。


 誰かの悪戯いたずらなのか。


 確か各階廊下の照明のスイッチは職員室に一括してあったはずだ。生徒の誰かが悪戯をするとは考えられない。とすれば、職員の誰かが誤って消してしまったのだろうか。


 とにかく廊下にスイッチがない以上、沙也加にはどうすることも出来ない。


 これが普段の日であれば、それほど神経を逆立てる必要はなかっただろう。しかし、外はゲリラ豪雨だ。照明が消えてしまうと、今日の廊下は真っ暗になってしまう。少し遠くに非常誘導灯が発する緑色の光がポツンと見えるだけだ。


 かと言って、このまま突っ立っていても仕方がない。片手に傘と鞄を、反対の手で手摺りを掴み、沙也加は慎重に一歩ずつ階段を上がった。


 何か異常事態が起きているのではないか――そんな不安を胸に抱きつつ、沙也加は踊り場に到着した。図書室まで、あと少し。そこにはつかさも待っている。


「――っ!?」


 ところが、そんな沙也加を嘲笑うかのように、三階フロアの照明まで落ちてしまっているではないか。五メートル先に、暗闇が色濃く凝り固まっていた。


 これで身近にある明かりは、今いる踊り場の頭上で頼りなく点滅している蛍光灯だけになってしまった。沙也加はどうすべきか迷う。


 職員室へ戻って大泉を呼ぶか、それとも図書室まで行くか。ただ、どちらにしても暗闇の中を突っ切らなくてはならない。


「よし――!」


 ここから近いのは一階の職員室よりも、すぐそこの三階にある図書室だ。沙也加は唇を固く結び、このまま階段を上がることに決めた。


 そこへ――


 三階の上がり口に誰かが立つ気配があった。暗くて足下だけしか分からないが、女子生徒のものだ。


「ねえ、大丈夫!?」


 沙也加はその女子生徒に声をかけた。やはり校内に残っていた生徒がいたのだ、と少し安心する。


 ところが、その女子生徒は何の反応も示さない。沙也加を見下ろすように、ただ突っ立ったまま。


「ねえ、あなた――」


 もう一度、呼びかけようとして、沙也加は突如、不安に襲われた。人の形をしていながら人ではない存在もの――そんな直感が働いたからだ。


「先輩――」


 女子生徒が喋った。そして、ゆっくりと階段を降り始める。踊り場にいる沙也加に向かって――


「待田先輩……ですよね?」


 それは陰々とした声だった。沙也加は警戒心を強める。


「……ええ、そうよ」


 徐々に女子生徒の姿が見えるようになって来た。最初は白いソックスの足下だけだったのが、スカートを履いた下半身、そしてスカーフを結んだ上半身へと――もう少しで顔が分かりそうだった。


 しかし――


 プツッ!


 突然、踊り場の蛍光灯が切れた。その刹那、とうとう階段までもが漆黒に呑まれてしまう。


「キャッ!」


 沙也加は短い悲鳴を上げた。完全な闇の中に取り残される。そんな状況でも正体不明の女子生徒は足音も立てず、沙也加へと着実に近づいて来ているはずだ。


「待田先輩……」


「ひぃっ――!」


 思ったよりもそばで声がし、沙也加は後ろに下がろうとした。だが、背中がすぐ壁に当たり、それ以上、逃げようがない。


 そのとき、稲妻が走った。踊り場にある明り取り用の窓から、カメラのストロボのようなまばゆい光が一瞬だけ射し込む。その稲光はすぐ目の前にいる女子生徒の青白い顔を照らし出した。


「あなたは――!?」


 浮かび上がった女子生徒の顔に沙也加は見覚えがあった。名前までは分からないが、確か一年生のはずだ。あれは先週、生徒会室で――


 その顔も再び暗闇の中に消えていった。ただ、残像だけがくっきりと目の網膜に焼きついている。


 ドォォォォォォォン! ゴゴゴゴゴゴォッ……!


 稲光の直後、今度は物凄い雷鳴が轟いた。鉄筋コンクリートの校舎にすらビリビリと響く。ひょっとすると学校の近辺に落ちたのかも知れない。


「先輩に……お願いしたいことがあるんです……」


「私に? ――あっ!」


 真っ暗な踊り場で、沙也加は女子生徒にいきなり手首を掴まれた。その手が異様に冷たい。まるで血が通っていないかのようだ。


「先輩……私のお願いを聞いてもらえませんか……?」


 背筋を凍らせるような声が暗闇の中で囁いた。

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