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WILD BLOOD  作者: 西禄屋斗
第4話 虚蟬の魔鏡 【 全 5 回 】
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ねえ、何を私に頼みたかったの?

※ この第4話「虚蟬の魔鏡」は新作です。

  RED文庫(http://red2468.g2.xrea.com/)には

  掲載しておりません。

 学校には七不思議というものが存在する。


 それは様々な形を取って、人から人へと言い伝えられ、そして今なお根強く信じられている。多分、これから先も、この不可思議な話は延々と語り継がれていくに違いない。


 ここ 琳昭館りんしょうかん 高校にも七不思議があった。


 その中でも一番有名なのは、校舎三階の女子トイレにまつわる怪談だろう。


 琳昭館高校には、北棟と南棟のそれぞれに男女のトイレがある。そのうち、北棟三階の女子トイレだけは、誰一人として使用する生徒がいなかった。


 別に壊れているわけではない。使用は可能だし、毎日の清掃もちゃんと行われている。しかし、そのトイレには「出る」という噂があった。


 内容としては、何処ででも聞かれる「トイレの花子さん」に近い。ただ違う点としては、出ると噂されているのが、個室のトイレの中ではないということだ。


 問題は洗面台の上についている鏡にあった。


 各トイレには手洗い用の洗面台が必ず三台あり、その上に四角いシンプルな鏡が備えつけられている。ところが、三階北側の女子トイレだけ一番左の鏡が割れてしまったため、あるときから代替品が取りつけられていた。


 いったい誰が、何処から持って来たのか不明だが、その代替品の鏡は相当に古い年代物であった。形状も一般のものと異なり、縦長の楕円形で、まるで炎を模したような意匠が周りを縁取っている。その割に肝心の鏡面はやや曇って写りが悪い。


 当初は暫定的なものであったはずなのに、どういうわけか長年そのままにされている。新しくして欲しい、との要望もあるのだが、未だ聞き入れられていない。


 そして、ここからが肝要なのだが――


 この古い鏡には不思議なものが写るという。


 例えば、年老いた自分の顔――


 或いは、恐ろしい形相をした見知らぬ女の顔――


 或いは、亡くなった身内や近しかった友人たちの顔――


 反対に、何も写らないという話もある。写るのは、その背景だけ。この場合、鏡に写らなかった者は一週間以内に死亡するそうだ。


 他にも、様々ないわくがあるらしい。


 そのような話が流布しているため、この鏡のあるトイレは女子生徒たちの間で常に敬遠されていた。だから三階は南側の女子トイレばかりがいつも混む。


 ところが、この日、忌避されたはずの三階北側の女子トイレに、敢えて足を踏み入れようとする一人の女子生徒がいた。


 その女子生徒もトイレにまつわる噂を信じていないわけではないようで、その証拠に足取りはおずおずとしたものだった。顔も緊張のせいなのか硬く、やや青ざめてさえいる。それでもなぜか足を止めない。たった一人で中へ入ってしまう。


 問題の鏡は入口近くの右側にあった。向かって一番左の鏡なので、奥側ということになる。


 鏡の存在は噂で聞くだけであって、実物を見た者はほとんどいなかった。その女子生徒も半信半疑であったかもしれない。


 しかし、入って間もなく、その真偽を確かめることが出来た。明らかに普通の鏡とは異質の代替品。女子生徒はしばらく、その正面に立つことをためらっている様子だったが、やがて意を決したように歩を進めた。


「これが……」


 女子生徒は鏡を見て、息を呑んだ。


 噂の鏡は確かにあった。形も話に聞いた通り古風で、どう見ても学校のトイレにはいささか場違いな代物だ。


 ただ不思議なことに、鏡はなぜか結露していて、女子生徒の顔は写っていない。他の鏡は何ともないというのに。


 鏡の正面に立った女子生徒であったが、今のところ不可解な異変は結露以外に見られなかった。噂はあくまでも噂だったのだろうか。


 だが、この結露を取り去ればどうだろう。鏡にはただの自分の顔が写るだけか。それとも――


 女子生徒はしばらく逡巡していたが、唇をキュッと結び、鏡に手を伸ばした。


「――っ!」


 手の平で鏡に触れると、思わず手を引っ込めそうになるくらい冷たかった。まるで氷のようだ。それでも構わず、女子生徒は自分の手で結露を拭う。


 きれいに結露を拭き取ってみたものの、鏡には何も写らなかった。経年劣化のせいなのか、表面がくすんでしまっている。すでにこの古い代替品は鏡としての用を為していなかった。


 この結果に、女子生徒は拍子抜けするのと同時にホッと胸を撫で下ろしていた。何も起きなかったのだ。やはり学校の七不思議は誰かの作り話だったのだろう。


 結露で濡れた手をハンカチで拭き、女子生徒は何事もなかったかのようにトイレから立ち去ろうとした。


 三階北側の女子トイレに恐ろしいことなど何もない――友人にでも、そう教えるつもりだった。これはこれで話のネタとして使えるだろう。それを想像すると、ようやく緊張が解け、ふと笑みが洩れた。


 ところが――


「ねえ」


 不意に背後から声をかけられた。女子生徒はハッとして足を止める。


 ここは三階北側の女子トイレだ。誰も好き好んで使用する生徒はいないはず。彼女が入ったときも、個室のドアは全部開いていて、人がひそんでいる気配など全然なかった。


 それなのに――


「ねえ」


 もう一度、呼ぶ声がした。女の声だ。今度はさっきよりもハッキリと聞こえた。女子生徒との距離が縮まったのだ。


 何かは不明だが、得体の知れない “それ” は女子生徒のすぐ背後にまで近づいていた。言い表しようのない気配をひしひしと感じる。恐怖が心臓を鷲掴みにした。


 逃げよう――と思った。しかし、足が動かない。


 悲鳴を上げて――とも思った。しかし、声は喉に引っかかったまま。


 動くことも、助けを呼ぶこともままならず、女子生徒はただ目をつむることしか出来なくなった。全身の震えが止まらない。


(帰ってよ! お願い、見逃して!)


 心の中での懇願は、果たして “それ” に届くものか。


「ねえ」


 三度目の呼びかけ。聞き覚えのある声だ、と女子生徒は気づく。


 今のは耳元で聞こえた。もう、“それ” は触れるか触れないかの距離にいるのだ。


「私に用があったんでしょ? ねえ、何を私に頼みたかったの?」


 その囁きに女子生徒は怖気立つ。知っているのだ、と。自分が何のために、わざわざ禁断の場所へ足を踏み入れたのかを――


 そう、彼女がここを訪れた理由――すべては自分と大好きな先輩のため。


 だから――


「ねえ、教えて。あなたの願いを」


 女子生徒は声の主に思い当たった。道理で聞き覚えがあるはずだ。


「ねえ、アケミ」


 自分の名を呼ばれ、戦慄した女子生徒――アケミは背後を振り返った。


「――っ!」


 やはり、そうだ。アケミの後ろにいたのは、自分と瓜二つの人物――鏡の中から現れた、もう一人のアケミだった。






 終業のHR(ホームルーム)が始まる頃には、かなり風が強まり、雲行きも怪しくなっていた。


 朝やっていたテレビの情報番組では、夕方の時間帯に局地的な大雨――すなわちゲリラ豪雨に見舞われるとの気象情報が流されていた。昔と違い、最近の天気予報はよく当たる。


 教室内の生徒たちも窓の外を眺め、帰りは大丈夫か、そわそわした様子だった。


「これからゲリラ豪雨になるという予報が出ています。用のない人は、早く学校から帰るように」


 一年A組の担任である竹田たけだも生徒たちに早々の帰宅を促した。降り始めたら、帰れなくなってしまうだろう。


「先生」


 クラス委員である 忍足おしたり かおる が質問しようと手を挙げた。


「何だ、忍足」


「部活は中止ですか?」


 剣道部でもある薫は竹田に尋ねた。いつもなら、放課後には部活動がある。


 すると竹田は少し苦い顔になった。


「そうしようかという声もあったんだが、大会が近い部活もあるというので、それぞれの部で判断することになった。――本当は、こんなときくらい早く帰るべきだと思うんだが」


 つい竹田は、ポロリと本音を洩らす。学年主任でもある竹田としては、生徒の安全面を考慮し、部活の休止を訴えたに違いない。それを運動部の顧問に反対されたのだろう。


 琳昭館高校は武道系の部活動に対し、特に力を入れている。薫が所属する剣道部も約一か月後に秋の大会が迫っていた。あまり時間がない。なるべくなら稽古しておきたかった。だから竹田に尋ねてみたのだ。


「分かりました。部の方へ顔を出してみます」


「そうしてくれ。――他に何かあるか? なければ終わりにする」


「起立!」


 今日の日直がフライング気味に号令をかけた。早くHR(ホームルーム)を終わらせ、家路を急ぐつもりなのが、ありありと分かる。このような天候では致し方あるまい。


「礼!」


 お座なりにも見える一礼を終えるや否や、ほとんどの生徒たちは教室の出口へと殺到した。急げばゲリラ豪雨に遭わずに済むかもしれない、と信じながら。


「おい、つかさ。オレたちも早く帰ろうぜ」


 授業中、ずっと寝ていた仙月せんづきアキトは大きな欠伸あくびをしながら、今になって鞄に教科書やノートを仕舞っているクラスメイトの武藤むとうつかさに声をかけた。普通の生徒はHR(ホームルーム)の前に済ませておくものだが、つかさには少し要領の悪いところがある。


「あっ、うん。今行く」


「あれ? つかさは帰るの?」


 剣道部へ行こうとしていた薫がつかさを見咎めた。つかさは空手部所属だ。


「空手部は朝の段階で、放課後の稽古はなしって言ってたから」


「あ、そ」


「薫も早く帰った方がいいんじゃない?」


 多分、薫には無用だと思ったが、つかさは老婆心ながら言ってみた。


「んー、今日は体育の授業もなかったし、少しばかり身体を動かしておきたいのよねぇ。ゲリラ豪雨が来たら、止むまで素振りでもしてるわ」


「あ、そ」


 いかにも薫らしい答えだと、つかさは思った。同じ運動部に所属してはいるが、そこまで部活動にかける情熱をつかさは持ち合わせていない。


「剣道バカは放っておけって。オレたちは帰ろうぜ」


 アキトは薫に構わず、帰り支度を終えていないつかさを急かした。もう、ほとんどの生徒は教室から出て行ってしまっている。


「じゃあね、つかさ」


 薫もアキトの挑発を無視し、部活へと向かう。これで残ったのはアキトとつかさだけ。


「お待たせ」


 ようやく帰り支度が整い、つかさたちは帰ろうとした。そこへ一旦は教室をあとにしたはずの担任の竹田が戻って来る。


「忘れてた。おい、仙月」


「何か?」


「お前、ちょっと生徒指導室まで来い」


「ええっ!?」


 いきなりのことに、アキトは嫌な顔をした。


「先日、テニスコートで騒ぎを起こしたそうじゃないか」


 心当たりはある。生徒会長である 伊達だて 修造しゅうぞう とのテニス対決だ(※ 第3話をご参照くださいませ)。


「あれは、あの野郎が――」


「勝負を申し込んだのは、お前からだったと聞いているぞ」


「………」


 間違いなかった。


「その前には空手部でも乱闘騒ぎを起こしたよな?」


「うっ……!」


 それについても心当たりがある。副主将の 坂田さかた 欣時きんじ を始め、他四名の空手部員といざこざを起こし、K.O.(ノックアウト)した(※ こちらは第2話を参照してください)。一応は手加減したつもりだが。


「まったく、転校して来たばかりだと言うのに、どうしてこうも騒動ばかり」


「そ、それは……」


 一見すると何処にでもいる普通の高校生にしか思えないアキトだが、その正体は東洋系の 吸血鬼ヴァンパイア だ。どちらの騒動もつかさに関連する理由があったとはいえ、血が騒ぐ性分は抑えきれないのだろう。


「お前の言い分は生徒指導室で聞いてやる。ちょうど予定が変更になって、時間が空いたしな」


「えーっ、マジかよ!? 勘弁してくれよ、先生! これから長いお説教を聞いてたら、ゲリラ豪雨で帰れなくなるじゃんか」


「まっ、そういうことになるな。つまり、時間はたっぷりあるってこった。覚悟しとけ」


 学年主任も務めているだけあって、この竹田というベテラン教師は融通が利かないことで有名だ。そのいかにも生真面目そうな顔から『メガネ地蔵』なんて仇名あだなもつけられている。


「つかさぁ……」


 アキトは涙目でつかさに救いを求めた。しかし、こればかりは、つかさもどうしようもない。


「ここは観念するしかないんじゃない?」


「な、何だとぉ!? この薄情者ぉ!」


 親友にあっさり言われ、アキトは思わず胸倉を掴んだ。つかさは苦笑する。


「お前には友達を思いやる気持ちというものはないのか!? ええっ!?」


「いやぁ、それとこれとは話が別のような……」


「つかさッ!」


 必死な形相のクラスメイトに、心優しいつかさは折れるしかない。


「……分かったってば。終わるまで待っててあげるから。だから行って来なよ」


 妥協できるのはここまでだ。さすがに生徒指導の免除を竹田に嘆願するわけにはいかない。


 そう言われては、アキトも否とは言えなかった。


「ぐっ……ぜ、絶対だぞ……絶対、帰るなよ!」


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。図書室で待ってるから、生徒指導が終わったら来てよ」


「どうやら決まったようだな。じゃあ、仙月。来てもらおうか」


 メガネ地蔵が悪童生徒を促した。アキトは渋々ながら、それに従う。


「なるべく、手っ取り早く済ませてくれよな」


「それはお前の態度次第だな」


 かくしてアキトは生徒指導室送りにされた。まるで警察へ連行されるようなアキトの背中を見送りながら、つかさは肩を落とし、嘆息する。


「さーて、図書室で宿題でもしてよっと」


 最後の退出者になったので、つかさが教室の電気を消すと、まだ夕方には早い時間なのに、天候が不安定になってきたせいか、室内が真っ暗になってしまう。


 図書館へ向かう途中、何処か遠くで雷が落ちたような音が聞こえた気がした。

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