僕の名前を知っててくれるなんて光栄だな
アキトたちが立ち去ったあと、その場には伊達と 薫 の二人だけが残された。
すると伊達は、改めて薫に向き直る。
「忍足 くん、ありがとう。キミが間に入ってくれなければ、今頃、どうなっていたことやら」
「いえ。私はたまたま通りかかっただけで……」
そう言う薫の頬が赤らんだ。伊達を直視できないかのように視線を逸らす。
(おやっ――!?)
伊達にとって、そんな薫の反応は意外だった。
薫は 琳昭館 高校の中でも一、二を競うほどの美少女だが、剣道部で活躍しているように男勝りな一面が強く、これまで伊達のモーションに引っかかって来なかった。二年の 待田 沙也加 同様、なぜか落とせない女子生徒の一人だ。
……もっとも、二人の美少女から相手にされないようでは、伊達の人気も大したことがないように思えるが。
それはさておき、今見せた反応はどうだ。今日の薫は明らかに伊達のことを必要以上に意識しているように見える。
(フフッ、ようやく僕の魅力に気づいたかな?)
伊達がそう考えたのは、自意識過剰な部分もあっただろう。こういうことにかけては察しがいい。そして、これは薫を口説き落とす千載一遇のチャンスだった。
「あ、あのっ……わっ、私、失礼します!」
薫はその場から逃げるように踵を返した。伊達は慌てて、そのあとを追おうとする。
「待って、忍足くん」
もう少し親密さを増しておこうと、伊達は薫を引き止めるべく、彼女の腕を掴もうとした。
すると、サッと薫が振り返り、予想もしなかった竹刀の一撃が飛んで来る。
パシッ!
それはテニス部で鍛えた敏捷性を以ってしても、回避不可能なほど鋭い一撃だった。美少女剣士の竹刀が伊達の顔面にヒットする!
「きゃあっ! ごめんなさい!」
いきなり打ち込んでおきながら、薫は自分の行動に対して驚いたように謝った。
伊達の目の前でチカチカと星が飛び散ったが、その場に倒れ込むような醜態はさらさず、何とか踏み留まって鼻を押さえた。その指の間から血がドクドクと流れ落ちる。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ふぇ、ふぇ、ふぇ~き(平気)らよ、これくらい……気にしないれ(で)……」
そう強がって見せたものの、伊達はすっかり涙目だ。
薫は申し訳なさそうに、自分のハンカチを手渡そうとした。
「ごめんなさい! 私、男の人に背後に立たれると、防衛本能って言うんですか、なぜか反射的に攻撃しちゃうクセがあるんです!」
「まるれ(で)ゴ○ゴ 13 みらいらね(みたいだね)……ふぁふぁふぁっ……」
伊達は濁音を上手く発せられない言葉で、薫に心配させまいとする。だが、鼻から溢れる出血は止めどがない。
やはり忍足薫に手を出すのは、まだ早かったか。
薫が差し出したハンカチを丁重に断り、自分ので鼻出血を押さえながら、伊達はよろめきつつ、校舎の方へ歩き出した。
「れは(では)、忍足くん。失礼するよ……」
「あっ、先輩……私に何か用だったんじゃ?」
竹刀を持ったまま近寄ろうとする薫に、伊達は過剰な防衛本能からビクッと身を引きつらせ、力なく笑う。
「い、いや、もういいんら(だ)……気にしないれ(で)」
また無闇に近づいて、無意識に竹刀を振り下ろされては堪らない。諦めよう。薫をモノにする前に、こちらの命がいくつあっても足りやしない。
だが、恥ずかしげな表情をしながら見送ってくれる薫を見ていると、すぐに抑え込んだはずの欲望がもたげてくる伊達であった。見た目は文句なしに可愛いのに。ああ、勿体なや。
そんな伊達の姿がようやく校舎の方へ消えてから、薫は一人、顔を真っ赤にさせながら呟いた。
「……もお、先輩のズボンのファスナー、全開なんだもんなぁ……でも、やっぱり先輩のためにも教えてあげた方がよかったかなぁ」
伊達は鼻血を押さえながら、止血のために保健室へと向かった。
こんなところを女子生徒の誰かに見つかったりしてはカッコ悪い。――それよりもズボンのファスナーが開いていることの方が問題だと思うが、本人は気づいていない状況だ。誰にも見られないよう、伊達は周囲の気配には充分に気をつけた。
幸い、誰の目にも触れることなく、伊達は保健室まで辿り着くことが出来た。中には保健医の先生もいない。抜き足差し足、そろりと保健室の中に入る。
まず消毒液を浸した脱脂綿で、血だらけだった鼻の周りをきれいにし、鏡を覗き込んだ。どうやら傷はないらしい。触ってみると、鼻の骨も折れているということはなさそうだ。
とにかく鼻血を止めようと、伊達は脱脂綿を小さくちぎって、鼻の穴に詰め込んだ。そして、改めて鏡を眺める。顔の角度を様々に変えた。これで鼻に詰め物をしているのは分からないはずだ、と入念に確認する。
伊達はひと安心し、治療を終えた保健室から出て行こうとした。
すると、それまで気づかなかったのだが、白いカーテンの向こうから、すこやかな寝息が聞こえてきた。伊達の他に誰かいたらしい。
カーテンの向こうにはベッドが置かれている。伊達は何となく気になり、カーテンの隙間から中を覗いてみた。
「――っ!」
ベッドに寝ている人物を見て、伊達は息を呑んだ。そこには一人の可憐な少女が寝ていた。言うまでもなく伊達の好みのタイプだ。
伊達はまるで引き寄せられるかのようにベッドへ近づいた。
「うーん……」
その気配を感じ取ったのか、少女は目を覚ました。つぶらな瞳がパチリと開く。
「やあ」
伊達は少女に対し、これまでグルーピーたちを悩殺させてきたキラースマイルを向けた。すると少女は驚いたように、益々、目を大きく見開く。
「あっ……」
「ごめん、起こしちゃったかな?」
伊達はスマートな物腰で話しかけた。ベッドに寝ていた少女は慌てて上半身を起こす。
少女は制服ではなく、体操着を着ていた。想像した通りの華奢な身体。今すぐにでも抱きしめてしまいたい、と伊達の悪い虫がムズムズする。
「え、えーと、伊達さん……ですよね?」
少女は伊達の名前を呼んだ。伊達は微笑む。
「僕の名前を知っててくれるなんて光栄だな」
「そ、それは、その……この学校の生徒会長ですから……お名前くらいは当然、生徒の誰でも知っていると思いますけど……」
そう言いながら、少女は顔を赤らめた。そんなウブな反応を見て、伊達は内心でほくそ笑む。
「フフフ。それより君の名前は?」
「武藤……武藤つかさです」
賢明なる読者諸君にはお分かりいただけただろう。そう、保健室のベッドに寝ていたのは少女などではなく、歴とした男であるつかさだった。
あろうことか、伊達は完全につかさのことを女子生徒だと勘違いしていた。
確かに、女の子のような容貌を持ったつかさであるがゆえ、無理からぬことではあるだろう。おまけに上半身は制服ではなく体操服姿で、下半身は布団によって隠れてしまっている。このことも誤解に拍車をかけた。
「つかさクンか」
伊達はつかさの名前を口の中で繰り返した。
彼の頭脳には琳昭館高校に在籍する、すべての女子生徒の名前と顔がインプットされている。なのに、どうしたわけか、つかさの名前が脳内リストに登録されていない。
(ま、まさか、こんな美少女を見落としていようとは! この 伊達 修造、一生の不覚!)
伊達は心の中で自分の迂闊さを悔やんだ。――まあ、本当は男なのだから、伊達がつかさのことを知らなくても当然なのだが。
「つかさクンは一年生?」
「はい、一年A組です」
一年A組と言えば、忍足薫と一緒のクラスだ。
「寝ていたようだけど、ひょっとして具合が悪いのかい?」
「ええ。体育の時間に貧血を起こしてしまって……」
「それはいけないな。このまま放課後まで寝てるといいよ」
「いえ、もう大丈夫ですから」
つかさは慌てて、ベッドの布団を剥ごうとした。それを伊達が優しく制する。
「ダメだよ、病人は大人しくしていなくちゃ」
このとき、つかさがベッドから出ていれば、あっさりと誤解が解けていたことだろう。
ところが、伊達は休息を指示し、起きようとしたつかさを寝かしつけた。さらには、つかさの髪に優しく触れてくる。そんなドキッとするような行為に、つかさは顔を真っ赤にさせた。
「だ、伊達さん……?」
「さあ、目をつむって」
息もかかりそうなくらい顔を近づけ、伊達は囁いた。この場にアキトがいたら、嫉妬に怒り狂っていたことだろう。その後の惨劇は想像に難くない。
そこへ始業のチャイムが鳴った。昼休みの終わりだ。
「おっと、僕は行かないと」
伊達はつかさから離れた。別れの挨拶にと、得意のウインクを決める。
「じゃあ、つかさクン。ゆっくりとおやすみ」
そう言って、伊達はカーテンを元通りにし、教室へと戻って行った。
残されたつかさは、暑さに耐えかねたように布団を跳ね除けると、再び上半身を起こした。伊達が立っていた場所を見つめながら、耳まで真っ赤にして呟く。
「あ~、伊達さんのファスナーが開いてたこと、教えてあげればよかったかなぁ」




