2つのなろうらしさ
なんでも細かく分けるのはよいことなのか?と言うとそれは違う。ただ分ける事でより良い方向に進むなら分けるべきだ。所謂分類、分析、要素還元の思考テクニックになる。これには弊害がある。それさえ知っておけば良い。細分化する事が目的化してしまって目的を見失ってしまうから。私は今回のケースは分けるべきだと思ってる。
なろうらしさと、なろうの先端の刺激は違う。多くの人は先端の刺激をなろうらしさだと変換してしまう場合が多い。これは何故か?誇れる?承認欲求?こういったものが感情的に左右して摩り替えてしまうから。思考と感情を分けるべきって単純な話じゃない。感情が思考の邪魔をしてるなら絶対に切り離すべきだ。感情と思考は分けるべきって単純な2元論じゃない。
分かりやすく言えば、日本の技術力が今現在の日本らしさだと思う。それとは違う歴史を背負った日本の伝統のらしさと言うのは明らかに種類が違う。もちろん両方とも大きな日本らしさに含まれる。私がずっと書いてきたのは一部のなろう作品はアニメ史の中で最先端の刺激を創ってると書いてきた。だがそれはなろう小説全体のらしさではない。この2つは分けて考える部分も必要となる。
なろうの中の先端の刺激は、ゲームや漫画的世界になる。両方あわせて創作世界って形で良いと思う。だがなろうの上位作品は必ずしもすべて創作世界的ではない。何故なろうが外で通用したか?と通用しない部分を分けなくてはいけない。アンチなろう的な批判が多いが、それはなろう作品全体への批判と、先端の刺激を混ぜて批判してるからになる。
創作世界観ってのは、決して馬鹿にされるようなものじゃない。逆にすごいものを生み出したと自負して良い。昨今レベルの話が多いが、私はこれはアニメ漫画においてはレベルの高い作品だとはっきり言える。何故なら新しくてアニメ漫画的に面白いからだ。ゲーム世界の代表はオーバーロードだろう。
私は魔法科は作者にはあまり高い評価を与えてない。あれは根本は90年代流行った魔法技術系のものに過ぎない。作者は古臭い60、70年代のSF世界観しかない人だと看過した。たまたま魔法がはまってヒットしたけど、実際はあの作者はSF的な世界観で止まってる時代遅れのオールドタイプだと見ている。
SFが悪いわけじゃないが、現代ナイズされて無いSFはただただ古臭いとしか言えない。何故SFが廃れたのか?ならアニメ漫画では簡単だ。古臭くい世界観で次の世代に見捨てられたからだ。それを小説的に読み解いても何も見えてこない。世界観がもつ感覚的、イメージにおいて瞬時に好みから除外されたからになる。
オーバーロードはMMORPGって分かり易いネトゲの世界観があるが、漫画的世界観は良く分からないが、これは謙虚堅実が代表作品だと思う。ゲームと言う分かり易い枠組みじゃなくて、物語世界の中で生きる主人公って話し作りになる。特にわかりやすいのが、その中でも良くあるケースの悪役令嬢パターンになる。別に令嬢じゃなくて良い、ゲーム世界観でもストーリー性の強いRPGの悪役、魔王などを使ったテンプレ悪役の立場から再構成する物語は数多くあるだろう。
フィクションが氾濫した現代だからこのケースが先端になる。SFからハイファンタジー、キャラ萌えが混ざったローファンタジー。学園者。次またハイファンタジーが繰り返された?私はそうは思わない。この中で創作世界って新しいジャンルが誕生したと見ている。先ほども書いたが、これが新しいのは当たり前なんだ。漫画アニメゲームが氾濫した後じゃないと受け手にそれらの常識が無いから誕生するわけが無い。
じゃなろうらしさとは創作世界なのか?ならそれは大きな間違い。なろうの中では新しいものを誕生させなくてもランキング上位にこれる。ここがなろうを外の世界から見て馬鹿にされてる部分で、創作世界って新しい世界観の誕生はそれらのエッセンスを同時に含んでるから馬鹿にされてるだけで、実際外でレベルの高い受け方してるなろうらしさは先端の刺激になる。
じゃなろうらしさとは何なのか?自己投影と主人公活躍になる。後はこれにファンタジー要素を絡めれば良い。それどういう事?皆不思議に思わないだろうか?俺TUEEEは学校のいじめっ子、町の不良、チンピラや、犯罪組織ヤクザなどでも可能な事を。そんなジャンルが大きな勢力になってるのは一切なろうに無い。実は俺TUEEEは重要な要素じゃなかった。
ファンタジー要素が絡む事が絶対条件での俺TUEEは人気な要素に過ぎない。主人公活躍とは、自分SUGEEE、俺TUEEって細分化された要素を大きくくくったものになる。よってファンタジー要素が無い主人公活躍もあまり受けないだろうと予想される。自分SUGEEEとは、性別によらないって点とバトル(暴力)に特化したものじゃないもので、代表例は本好きの下克上のような現代知識SUGEE作品も含めた統括したものになる。これをさらに抽象化したものが主人公活躍型となる。
自己投影はそのままで、自分に重ねてると成る。これによって転生転移はただの演出に過ぎないって分かる。あれは本質的なものじゃない。より自己投影、主人公活躍、ファンタジーを高めるものとしてのからくりの1つに過ぎない。何故転生転移ブームが去っても、なろうは特に変化が無いのか?はこれが理由になる。
2つのらしさは、円環と螺旋の関係になる。円環は閉じていて繰り返しても良い流行。螺旋は似たようものに見えるが、決して交わらない、以前とは違う発展をしていくものになる。どうみてもベースはハイファンタジーだが、今なろうにある創作世界タイプは螺旋的発展をきちんと成し遂げていて、自己投影主人公活躍タイプは、根本的にはコナンザグレートのような古典的ヒロイックファンタジーと大きな変化は無い。