朱く、紅く。
琴音(雪音)の過去編です。
流血表現注意
「琴音、新しい洋服を買ってきたぞ!」
「あら、丁度私も髪飾りを買ってきたの。琴音に似合うと思って。ちょっとつけてみてもいいかしら?」
「うん!」
あたし、黒河 琴音は、父親の黒河 真司と、母親の黒河 芽依の一人娘だ。どちらかと言えば裕福な家庭で、不自由無く、両親からたくさんの愛情を注がれて生きてきた。
ただ、射的、弓道、ピアノ、華道、柔道、合気道などの習い事を4歳のころからやらされてきた。柔道で年上の男の子に投げ飛ばされた時は、痛くて、痛くて泣きながら「もうやめたい」、と訴えた。が、しかし、父は「いつか、必ずお前のためになるから。」とだけ告げて、風邪をひいても、骨を折っても、休むことも、やめることも決して許してはくれなかった。
母も食事のマナーや言葉使いに厳しく、食事で粗相をした場合には、その日は何も食べさせてくれないことだってあった。そういうところだけは、他のどの家庭よりも厳しかったのではないかと思う。
それでも、そうやって叱った後は、必ず「ごめんなさい。」「愛してる。」と頭を撫でながら、抱き締めてくれたのだ。
両親の愛に包まれて、あたしは幸せだった。
「ねぇ、お父さんとお母さんって何のお仕事してるのー??」
9歳のある日、小学校で夏休み中に、親のお仕事について調べるという課題を与えられたため、両親にこの問いを投げ掛けた。
父は、少し困ったように笑ってから、
「……お医者さんだよ。みんなの病気を治しているんだ。」
と答えた。
母はあたしを抱き締めて、
「…お母さんはね、……通訳のお仕事をしているのよ。」
と言った。その声がほんの少し震えていたことに違和感を感じ、顔を上げたが、抱き締められていて母の表情は分からなかった。
あぁ、そうか。父はお医者さんで人を助けるお仕事をしているのか。だから、いつも帰りが遅いのかな。
母は、通訳のお仕事をしているんだね。だから外国の人が時々家に来るんだね。お友達がたくさんいていいなぁ。
あたしはまだ、自分が無知であることを知らない。
9歳の冬、あたしと両親は、スノーボードをやるために北海道に訪れていた。
「あの、すいません。ボードの外し方が分からなくて…教えてくれませんか?」
前髪の長い、茶髪の男性だった。年は30代くらいだったと思う。
「良いよ。」
あたしはそう答えると、その男に近づいた。距離が詰まっていくと、ふと違和感に気づく。
「おじさん、それもう外れてるよ?」
男性の足は、既にスノーボードから外れていたのだ。
疑問を投げ掛ければ、男はにたりと笑って、「あぁ、そうだね。」と言うと、あたしの腕を引っ張りあげて、首を絞め始めた。
「ぐっ……、がっ……!」
苦しい、苦しい苦しい苦しい!!!!
今までに感じたことの無い、気道への凄まじい圧迫感。男の手を払おうと、首を絞める手に爪をたてるが、厚手の手袋をしている彼への影響は、皆無に等しい。
「っ、たす……げ、てぇ……!」
声を振り絞って助けを求めても、こんな雪原の中じゃ、響かずに、届かずに宙に消えてしまう。
「恨むなら、自分の父親を恨めよ?小娘。あの男は俺の人生を滅茶苦茶にしたんだ。」
男は、憎悪の目であたしを睨み付ける。
「……あいつは、あの野郎は、俺の妻を殺したんだ!!!!!!!!!
だから俺も、あいつの大切なものを奪ってやる……!!あはははははっ!!!!!!死ねぇ!!!!」
その瞬間、締め付けられていた首に、更に強い力が加わる。
「ぁ゛、……!!!」
視界がぼやけて、男の顔すら歪んで見える。その歪んだ顔は、幼いあたしに更に恐怖を与えた。
このおじさんは何を言ってるの?お父さんが人を殺した?
違うよ?お父さんはね、人を助けるお仕事をしているの。
人の命を救ってるんだよ。
どうして、そんな嘘をつくの?
どうして、そんなに怒っているの?
どうして、あたしを殺すの?
ついに、痛みも感じなくなって、抵抗していた両腕が、だらんと垂れた。
あぁ、死ぬんだな。
死を悟った時。その瞬間。
バンッ
グチョ
突然の銃声、肉が弾ける音がした。
「っ……ごほっごほごほっ」
突如、気道を絞めていたものが無くなり、あたしの体は雪の上に投げ出された。
ふと男を見ると、頭部から流れ出す赤に包まれ横たわっていた。
「…なに、これ」
まだ意識が朦朧とする中、男から流れ出す赤に手を伸ばした。
……あぁ、これ、血、か。
「琴音!大丈夫か!?!?……あぁ、ごめんな。怖かっただろう?」
暖かい温もりに包まれて、ふと我に返る。
お父さんだ。お父さんがあたしを抱き締めている。
あぁ、なんだ。あたし、生きてるんだね。
ぎゅうっと強く抱きつき返そうとした。さっきあった怖い話を、お父さんに聞いて貰おう。そしたら、お父さんは、「怖かったね、もう大丈夫だよ。」と言いながら、優しく頭を撫でてくれるのだ。
抱きつき返そうとして、ふと、あるものに目が止まる。
お父さんの右手に握られている、拳銃。
その瞬間、先ほど男が言っていた言葉を思い出した。
「……あいつは、あの野郎は、俺の妻を殺したんだ!!!!!!!!!」
あぁ、なんだ。
「……お医者さんだよ。みんなの病気を治しているんだ。」
嘘をついていたのは、お父さんだったのね。
お父さんの腕から離れて、もう動かなくなった男を見下ろす。
憎悪に満ちた黒い目に、太陽が雪に反射して瞳に光を灯しているように見えた。
彼の下に広がる雪の白に、血の朱が広がって、まるで花に囲まれているようだ。
「死んだのも、あたしじゃなくておじさんだったね。」
あたしは泣き出した。
声は出さずに、静かに泣き崩れた。
そんなあたしをみて、父はやはり、「怖かったね、もう大丈夫だよ。」とあたしの頭を優しく撫でて、強く抱き締めたのだった。
でもね、違うの。
涙は、そういう意味で流した訳じゃないの。
美しいと思ってしまった。
白い雪の中に、紅く染まるその死体が。
つい先程までの憎悪も恐怖も感じさせない、沈黙したその死体が。
だから、あたしは思わず涙が出たのだ。
死の美しさを知ってしまった。
自らの異質さを知ってしまった。
死のスリルから逃れた快感を知ってしまった。
そして、いつかこの手で人を殺める日が来るのだろうと直感してしまったのだ。
これは、あたしが初めて人を殺す、1年前の話。
ちなみに、
赤→死への恐怖
朱→死への興味
紅→死の美しさ、死への愛
という琴音の死に対する心境の変化を表しています。