回避
依然として頭に突き付けられた猟銃の銃先を、両手で強く握る。視界の端に猟師の驚いた顔がちらついたが、台本なんて気にしてはいられない。次の台詞を言えば、こいつは引き金を引いてしまうのだから。
猟銃を思いっ切り下方向に引っ張り、銃先を下に向ける。急なことに反応できなかった猟師の手がするりと猟銃から離れた。その隙に銃の安全装置を戻し、右手で猟銃を握りしめると、猟師の額に銃先を向けた。
突然のあたしの行動に、猟師役の委員長は唖然としていた。そりゃそうだ、台本とまるで違う行動を本番の舞台で、しかも主人公がしているのだから。
「失せろ。」
あたしの殺気に当てられたのか、猟師は顔を真っ青にして、ステージ横にはけていった。
あ、やばい。口調がめっちゃ崩れてる。
しん、とした空気が体育館一帯を包み込み、堪え難い地獄のような沈黙の時間が数秒流れる。そして、なにかを察してくれたらしい照明が、舞台を暗転させ、それに続くように次のシーンである小人達の愉快な登場曲が鳴り始める。その隙に急いで、この居心地の悪い空間から逃げるようにしてはけた。
「あー、今日も働いたなぁ。」
「久々に、お酒でもいっちゃいますか!?」
「お、いいねー!」
「あれ、無いよ?冷蔵庫の中空っぽだ!」
「嘘だろ!?泥棒か?」
「おい、冷蔵庫の中に入ってたものを食った奴、正直に名乗り出ろ?」
「……。」
「…すまん、俺だ。」
「いや、お前かよ。」
舞台裏で、小人達の茶番劇をぼんやりと見つめながら、「この本物の猟銃はどうしようか。」なんて考えていると、突然右肩を軽く叩かれ、驚いて振り返ると、フード付きのマントを被った佐久間が居た。ここは結構薄暗いので最初は佐久間だと気づかなかったが、紫の丈の長いドレスを着ているのは佐久間しかいないので、消去法で彼であると断定した。
「どうした、雪音。」
その言葉の意味は、きっと先程の台本とは違う演技のことだろう。
「あ、えっと……セリフ飛んじゃって。」
苦し紛れの言い訳だが、馬鹿そうなこいつには通用するだろう。
「へー。雪音でも緊張とかするんだな。」
「うん、まぁ。」
次のあたしの出演まで、ほんの数分。それまでにこの猟銃を隠して、舞台終了後直ちに指紋検証やら、製造年月日やらを調べなければならない。
「あれ、雪音。そろそろ出番じゃない?」
佐久間にそう告げられ、ぎくりとしながらも適当に頷いて、取り敢えず階段下に立て掛けて置いた。
「……。」
物語も進行し、終盤に差し掛かった。
老婆に扮した佐久間から、例の如く毒林檎を受け取り、それを食べて倒れる。因みにこの毒林檎は紙粘土で出来ているので、かじったふりである。
早く終わらないかな、なんて考えながらステージの冷たい床に頰を擦り寄せていると、ふわりとした浮遊感が全身を包んだ。叫びそうになったのをぐっと堪えて、薄眼を開けて状況を確認する。
「…さ、くま?」
そう小声であたしを横抱きにしている当人の名前を囁けば、佐久間は少し口角を上げた。
なんだ、この展開。聞いてないんだが。
「な、なにをする!?白雪姫を離せ!!」
王子役である小林も、この展開に驚いているのか、演技とは思えないような表情でそうあたし達の方へ駆け寄った。
台本通りなら、この王子役に寸止めのキスをされ、口臭が臭すぎて目覚めるというなんとも色気の無い原作が大迷惑を被る展開になるはずなのだが、一向に魔女である佐久間が退場する気配を見せない。それどころか、あたしを今こうして抱き上げているのだから、もう本当に意味が分からない。
「おっと、それ以上近付いたらこの姫の脳天こいつでぶち抜くで?」
そして、ひやりとした感触が額に当てがわれる。ちょっと待てこれ、あの時の猟銃…!?
流石に半目の状態で本物か偽物かを識別することは出来ないので、余計に不安が募る。
「っ!?待て、そんな事しなくても、すでに姫は毒を受けてるんだぞ!?」
小人の一人がそう主張すると、佐久間はこてんと首を傾げてみせた。
「せやから、この綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしたいんやろ?」
ゾッとするような、いつもより少し低めの声で佐久間はそう言って微笑んだ。
佐久間が何を考えてこんな奇行に出たから知らないが、この状況は不味い。猟銃が先程の本物であれば、脳天を打ち抜かれてしまう。かといって、毒を受けている設定なので、猟師に撃たれそうになった時のような力技を披露することは許されない。
いっそ嘔吐でもして、毒を吐き出した事にでもしようか。それならこの状況を作り出した憎き佐久間にちょっとした仕返しもできる事だし。
なんて、姫役とは思えない汚い発想を巡らせている間に、事態は動いた。