神様
それから、深山とは廊下ですれ違えば少々会話するようになった。同じような理不尽な境遇(女役の抜擢)であることを知って、親近感が湧いたらしい。こちらとしても、彼に近づける理由が出来て、好都合というものだ。
学園祭の準備期間も大詰めを迎え、あたしは忙しなく生徒達が行き交う廊下を歩いていた。なんでも、模擬店の看板を着色するためのペンキが無くなってしまったらしく、暇そうにしてたあたしに3階の物品庫まで取りに行くように命じられたのだ。こんな雑用、普段ならさぼるところだが、クラスメイト達の学園祭にかける熱意にあてられ、少しはなにもしないことに罪悪感を抱くようになっていた。
3階までの階段を上りきり、一番端にある物品庫にたどり着いた。ここは太陽の光が1日中入らないので、少し肌寒い。はやく済ませてしまおうと、近場の段ボールを漁ってみる。
…さすが男子高、全く整頓されていない。
なぜかフラフープと、食品サンプルが同じ段ボールに押し込められていた。どういうカテゴリーだ。
数分間数十個の段ボールを開けたり閉めたりして、ようやく目立ての赤と黒のペンキを発見し、少しの達成感を感じた、と同時に
「あれ、白河君。」
「…うえ。」
真っ黒の瞳と髪の毛、折れそうなほど細長い手足、見るもの全てを見下ろすことになるであろう高身長…。
出きれば二度と会いたくない人物ナンバーワンの岸部波斗先輩だった。
「奇遇だねぇ。こんなところで会うなんて。折角だし、ちょっとボクとお話していかない??」
前会った時とは違い、白衣を纏っていないので、目の下の隈のせいもあってか、随分と陰湿な雰囲気が漂っていた。
「いえ、していかないです。急いでるので失礼します。」
そういって、足早に立ち去ろうとするが、物品庫の出入口は岸部先輩の立っている扉しか無いため、彼がそこを避けない限りは、あたしが此処からでることは不可能だ。
「…避けてくれますか?」
「だーめっ」
なんて、可愛らしい口調で返してくるが、全然可愛くなんてない。こいつはとにかく危険人物なのだ。あまり近付くのは得策ではない。
「この間は月宮君に邪魔されちゃってゆっくり話せなかったしさ?ボク、キミに聞きたいことがたーっくさんあるんだよねぇ…」
耳元でそう囁くと、ゆっくりとあたしをドアから遠ざけ、反対側の壁へと追いやる。
「っ!なんなんですか!?」
思いっきり腕を押し付け、距離をとる。危機的状況に、反射的に袖もとのナイフを握った。
「もー、そんなに暴れないでよー。ボク、そういう運動神経を問われるような行動は苦手なんだよねー。」
そういって、彼は制服のポケットに手を伸ばした。すかさず、あたしは一気に距離を詰めて、その腕を掴み、自分の肩まで持ち上げ背負い投げをしようとする。が、しかし結構な身長差があるため、それは不可能だと判断し、掴んだ腕を捻りながら、首もとにナイフをあてがった。
岸部先輩は目を大きく見開いたあと、肘を曲げながら、掴んでいない方の手を頭よりも高い位置に挙げた。
「ふふ、凄いねキミ。」
首もとにナイフをあてられていてもなお、彼は楽しそうに笑った。
「…なに笑ってんですか。」
「え?楽しくて、面白くて、たまらないからだよ?」
真っ黒い瞳が、あたしを映す。真っ直ぐに見つめられるとどうにもその瞳の中の闇に飲み込まれそうな気がして、すぐに目を反らした。
「ボクね、人が殺される瞬間を見たことがあるんだ。」
岸部先輩は唐突にそう告げた。
「殺されたのは、ボクの父親だった。」
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に自分の父親をこの手にかけた時の記憶が浮かんだ。
「ボクの父親を殺したのは、ボクと同い年くらいの小さな子供だった。」
岸部先輩はそういって、首もとのナイフを左手で強く握りしめた。肉が刃に食い込み、そこから鮮血が流れ出す。
どくん、どくんと脈が速くなるのを感じる。
ナイフを握る力が弱まってしまい、彼は意図も容易く床にナイフを叩き落とした。
カシャン、とナイフが床に落ちる音を他人事のように聞きながら、岸部先輩の手から溢れる紅い血を見つめていた。
…あぁ、殺したい。
そんな欲を内に秘めながらも、彼の次の言葉を待った。
岸部先輩は、血で汚れた左手を優しくあたしの頬に添えた。
「キミでしょ、ボクの父親を殺したのは。」
…そういうことか。
彼はあたしが殺してきた標的の中の誰かの息子で、偶然殺人現場に居合わせ、あたしの顔を覚えていた。だから、あたしのことを恨み、あたしを殺そうとしているのだろう。
自分の父親が目の前で殺されたとなれば人格が歪んでしまうのも無理はないし、彼のこれまでの行動すべてに説明がつく。
…つまり、正体が元々バレているなら、こいつを消してしまっても、問題にはならない。
久しぶりに人を殺せるということに、強い快楽を感じながらも、それを悟られないように、必死に表情を取り繕った。次に彼の隙ができる瞬間を見逃さないように、さっきとは別のナイフをひっそりと忍ばせようとした。
しかし、次に起こったのはあまりにも予想外な展開だった。
「…あぁ、やっと会えたね。ボクの神様。」
岸部先輩は、強くあたしを引き寄せて、抱き締めたのだ。