朱く、紅く。2
また過去編です!忘れてしまった人は、朱く、紅く。を見ることを推奨致します。
「君が、黒河琴音ちゃんだね?」
ボスと出会ったのは、雪原での一件から1週間ほど経過した頃だった。
父親が殺人を犯す現場を見て、あたしを襲った男の言葉が本物であることを悟ったあたしは、家中を調べ、父が殺し屋であるのという決定的な証拠を見つけてしまったのだ。いくら家族であろうとも、組織の構成員の顔が知られてしまったからには、あたしはなんらかの処分を受けるはずだった。
「はい、ボス。」
「あはは。そんなに畏まらなくていい。君の父である黒河真司とは長い付き合いでね。その娘なら、親戚も同然だからね。」
「さて、君は本当に良かったのかい?」
「…なにが、ですか??」
「殺し屋に加わるということは、明るい世界には戻れないということだよ?今まで通っていた学校には通えなくなるし、いずれ、人の命を奪う日もやってくるだろう。…本当にそれでも良かったのかい?」
優しい笑顔を浮かべながら、それでいて、本当にあたしを気遣うように聞いてくる。その姿はどこか父に似ているような気がした。
ー…あたしは、殺し屋組織ジャンクに加入することで、処分を免れたのだ。
「もう、決めましたから。」
しかし、元々あたしに選択肢なんか無かった。もし、ジャンクに加入しなければあたしは殺されるかもしれない。つまりは、殺すか殺されるかの二択なのだ。
「そうか…。
田嶋君、こっちに来てもらえるかい?」
ボスはそう言うと、部屋の扉付近に立っていたスーツを着た30代くらいの男性に声をかけた。
「はい、ボス。如何なさいましたか?」
「新しくジャンクに加わった黒河琴音ちゃんだ。幹部の黒河真司の実の娘でね。彼女の指導役には君をつけようと思うんだけど良いかな??」
「…承知致しました。」
田嶋と呼ばれた男性は、深々と頭を下げた。
「じゃあ、もう下がって良いよ。」
「はい。失礼しました。」
田嶋さんは敬礼すると、あたしにもそれを目で促したので、おずおずと敬礼する。
そのまま、田嶋さんと共にボスの部屋をあとにすると、彼に連れられ、書庫室という看板の打ち付けられた部屋へと入った。
少し埃っぽい部屋。あまり使われていないのか、あたしたち以外は誰もいなかった。
あたしの身長よりも遥かに高い本棚が、いくつも連なり、本棚に入りきらなかったのか、本棚の上にまでいくつかの本が積まれていた。脚立も用意されていたが、9歳の幼い少女には、それを使ってでさえ、本棚の最上段には手が届かないだろう。
「あ、そこの椅子に座って。」
田嶋さんに促され、あたしは近くの椅子に腰かけた。少し古いもののようだが、細かいところまで彫刻された木製の立派な椅子だ。
「はじめまして。今日から君の上司になる、田嶋裕だ。よろしくね。」
「…宜しくお願いします。」
「緊張してるのかな…?まあ、しょうがないよね。急にこんな物騒な組織に放り込まれて緊張するなっていう方が無理な話だろうし。
殺し屋に来るやつなんて大抵が訳有りだからさ。君のように家族や親戚がジャンクの構成員だと言うことを知ったが為にここに入ることになったやつだって勿論いるから。きっとすぐに慣れるよ。」
緊張を解すつもりだったのか、田嶋さんはそう言った。
「…知ったのに、身内がジャンクの構成員だということを知ったのに、ここに入らなかった人はどうなったんですか。」
田嶋さんの顔が、強ばる。
「…みんな、殺された。」
やはりそうなのだ。やはり、加入しなければ殺されるのだ。あたしも、きっと例外ではなかった。今ここにいなければ、今頃土の下だ。
「…君は、自分の選択が正しかったと思うかい?」
田嶋さんは、悲しそうな、それでいてどこか怒りを含んだような表情で尋ねてくる。表情だけでは、彼の心の内は分からないが、殺し屋になり、人を殺めた彼だからこそ、あたしの知らない思いがあるのだろう。
「…はい、正しかったと思います。そうでなければ、あたしは今ここにいませんから。」
だから、あたしはこう答えた。これが本心だったから。
「そう、だよね。」
ぎこちなさはあったが、彼はすぐに微笑んだ。
「簡単に、組織の構造を説明するね。
まずは最下級員である、研修員。君の立ち位置はここね。基本的に、専属の上司役が1~2人ついて基本的なことの指導を受ける。例えば礼儀や武道、必要な教養とかね。専属上司のいうことは勿論、他の上司の命令にも忠実に従う。
次に、下級構成員。大体研修員から半年~1年で昇級するんだ。研修員の仕事は主に雑用だけど、下級構成員は殺しの現場に言って、上司のサポートをするんだ。まぁ、不発弾の処理とか、見張りとかそういうレベルのことしかやらないけどね。
次に、中級構成員。ちなみに僕はここね。上司からの推薦で下級構成員から昇級できる。…僕は3年かかったよ。この時初めてジャンクのナイフと拳銃が支給されるんだ。つまりは、殺しの仕事が本格的にくるってこと。それと同時に、研修員や下級構成員の指導も仕事の内かなぁ。
次に、上級構成員。君のお母さんの黒河芽依さんはここだよ。上級構成員に昇級できるのはほんの一握りで、ボスから直々に昇級を認められた20人だけなんだ。ここまでになると、単独で仕事を任されたり、構成員の指揮を任されるまでになる。
そして、幹部。君のお父さんの黒河真司様がそうだよ。ここまでなれるのは本当の殺しの天才だけ。上級構成員の中から、ボスと幹部達で選ぶらしいんだけど、幹部は5人と決まっているから、幹部が殺し屋を引退するか、死ぬかでしか新しい幹部に選ばれることはない。幹部にまで昇級すると、上層部会議への出席や、仕事への拒否権など、様々な特権が与えられるんだ。」
母が、父が、思ったよりも上の人間であることに驚いた。
一体、その地位を手にいれるまでに、どれ程の血を流し、どれ程の人の命を奪ったのだろうか。
「……田嶋さん」
「ん?どうしたの。」
「あたし、怖いです。」
「…そりゃ、まだ9歳だから当然だよ。大人である僕だって、未だに殺しには躊躇してしまうよ。
安心して。まだ、君は人を殺さなくていいんだ。僕が、必ず守ってあげる。」
そう言って、田嶋さんは優しくあたしの頭を撫でてくれた。
きっと彼は同情していた。彼の目に映る、闇社会の中に放り込まれた哀れな9歳のか弱い少女に。
でも、それは違った。
根本的に、あたしは殺しについて恐怖したことはないのだ。あたしが恐れているのは快楽だった。
きっとあたしは殺しが好きだ。好きになってしまうという、妙な自信があった。それはあの雪原で既に確信に変わっていたけれども。
一度この手で殺しを犯した時に、あたしはこれまで知らなかったほどの快楽を得る。そうしたらきっと止まらない。何十人、何百人でも殺してしまうであろう。そして、それが黙認されてしまう殺し屋では、もう善悪の認識なんてものはない。ただ欲のままに、ただ命令のままにあたしは自我を失いながら、血飛沫の中で、命を奪う姿が容易に想像できてしまったのだ。
しかし、田嶋さんはあたしの心中を知らない。あたしが彼の心中をなにも理解していないのと同じように。
それでも、初対面ながらあたしを気遣い、微笑んでくれた彼の前では、あたしはまだか弱く哀れな9歳の少女でいたかった。
だから、あたしは「ありがとうございます。」とだけ答えて、子供らしい笑みを浮かべた。
それはきっと、無邪気なものとは程遠いけれども。