7縁とウィスキー
「うむ。良い湯であった」
夏の夜、風呂上りの縁は、濡れて上気したからだをいつもの陰陽服に包み、冷蔵庫へと歩いて行く。
「牛乳牛乳♪ やはり、風呂上りはこれに限るの。全く、聖武天皇のお蔭で今までこんなに素晴らしいものを知らなかったとは、何たる不覚ぢゃ」
そう言って、居間のローテーブルの横を通り過ぎようとした時だった。縁は、机の上に乗っているある物に気付いた。
「ん? なんぢゃ、この硝子瓶に入っている液体は? 琥珀のような、随分と雅な色をしておるが?」
縁は、その瓶を手に取って、ためつすがめつしてみる。
「「竹鶴」とは、中々に風雅な名前ぢゃの。見たところ、飲み物のようぢゃが? もしかしなくても、勝平のものぢゃろうの」
明らかに勝平のものであろう瓶を手に持って縁は水切り籠からコップを引っ張り出す。人の物だから遠慮しておこう、などという気持ちは一切ないようだ。いや、勝平(他人)のものだからこそだろうか。
縁は、瓶のキャップを取ると、何の躊躇いもなく、中身をコップに注いでいく。注いだところで、匂いを嗅いでみる。甘いにおいが縁の鼻を突き、うっとりとした調子で言った。
「少し煙臭いが、甘くていいにおいぢゃ。む! さては、まろに内緒でジュースでも買って来ておったのか? ええい! 一人で楽しみおってからに!」
そう言うと、縁はコップの中身を一気に呷った。匂いとは裏腹に、甘いと言うよりも苦いと言うべき液体が縁の口の中に流れ込み、喉を焼いていく。
くぅ! しまった。これは酒ぢゃったか。それも、とてつもなく強い酒ぢゃ。
かぁっと内臓が熱くなる感覚に、思わずコップを取り落す縁。どうやら、酒に弱い性質らしく、みるみるその顔が紅くなっていく。
「ただいまぁ。レジが混んでてアイス一つ買うだけでこんなに遅くなっちまったよ。ていうか縁さん? お風呂から出て裸でうろついてたりしないよね? 他の女子なら大歓迎だけど、お前の場合、尻以外に見るものがないし、そのくせ理不尽なくらいボッコボコにされるから、できれば見たくないんだけど?」
縁がウィスキーを口にしてから約十分後、訳の分からないことを言いながら、勝平が返って来た、手にコンビニの袋をぶら下げたまま、玄関から部屋の中に入って行く。すると、
「うわ、何? え? ていうか、酒臭!」
部屋の中にはアルコールの匂いが充満し、その中心に、縁が鎮座ましましていた。
「おう勝平! 帰ったか!」
勝平の姿を認めるなり、縁はおもむろに立ち上がった。そのあまりに常軌を逸した様子に、勝平は思わず後退ってしまう。
「え? お、おう」
そう返事をしながら、縁の様子を観察する勝平。顔は紅く、全身からアルコールに匂いを立ち昇らせ、手にはウィスキーの瓶を持っていた。
「て、それ、俺のとっておきの「竹鶴」! おま、何やってるんだよ!」
その瓶を見た瞬間、勝平は思わず声を上げていた。学生の身には高級品であるウィスキー。その瓶――しかも空っぽ――を縁がしっかりと握りしめていたのだ。さらに、立ち上がった縁の反対の手には、焼酎の瓶が握られていた。
「ふぇへへへへへへへへへ」
不気味な笑いを浮かべながら近づいてくる縁。さらに後退しようとする勝平だが、壁に背中がぶつかってしまってさがれない。
「えい♪」
その勝平の顔を、縁が思い切り抱きしめた。
「ちょ、ば! うぐ!」
顔が縁の胸に埋まり、悲鳴を上げる勝平。
「ふぉ、いひゃい、いひゃい! はにゃが胸板にこふれる! (ちょ、痛い、痛い! 鼻が胸板に擦れる!)」
「それぇ♪」
その勝平の頭に、縁の手によって容赦なく焼酎がかけられた。
「ぐぼ! がぼがぼがぼ!」
縁の服が酒を吸い、溺れたようになる勝平。空気を吸い込もうとしてもがくほどに、鼻や口からアルコールが侵入してくる。
そしてついに、
「け、けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ」
勝平も堕ちた。
「ふぇへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」
縁と二人して、不気味な笑い声を上げる。
「それぇ♪」
「んぐんぐんぐんぐ……ぷは!」
正気を失った二人は、ケタケタ笑いながら、そこらにある酒を無限に呷り始めた。こうなったら、もはや何者にも止められない。酒に酔った人間ほど性質の悪いものは無い。
結局、二人の酒宴は、次の日まで続いた。
当然、翌日は痛む頭を抱えながら、色々な物を掃除する羽目になった。
参考:竹鶴の公式ページhttp://www.nikka.com/products/malt/taketsuru/ ウィキペディアの牛乳のページhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
共に2015/6/21に訪問