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夏の幽霊  作者: 狂花
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第一幕

 お盆には、家にご先祖様が帰ってくる。だから、お盆中はお墓にはご先祖様はいない。それなのになんで、お墓参りをするんだろう。

 ふと、思う。真夏の太陽が墓石に反射して、目を焼いた。手にしていた柄杓で墓石に水をかけると、濡れた墓石はあっというまに乾いてしまった。綺麗に磨いた墓石に、暑そうに汗を流している私の姿が薄く映る。

「玲奈。あとちょっとしたらお婆ちゃん家行こうか」

 首から白いタオルをかけたお母さんが、手に線香と丸めた新聞紙を持って歩いてくる。その後ろには、お供え物であろう果物とペットボトルのお茶を持ったお父さんも一緒だ。お供え物をしても、カラスが供物を荒らすのを避けるためにその日のうちにどうせ持って帰ってしまうのに、と心の中で呟く。

「はーい」

 この霊園には、私たち家族以外にも何組かの家族が墓参りをしていた。みな、とても暑そうだ。山の斜面にこの霊園が建てられているせいで木陰は多かったが、それでも日本の夏らしくじめじめして蒸し暑い。ただ、あたりに漂っている線香と土の香りがなんとなく気持ちを引き締めていた。

 お母さんは、新聞紙を丸めるとライターでそれに火をつけ、父と私それぞれに線香の束を渡した。

「ほら、早く線香あげちゃうわよ。お婆ちゃん、玲奈たちのこと待ってるんだから」

「でもお母さん。ご先祖様のお墓にお線香こんなにあげるの?」

 私は手元の線香の束を見る。ざっと見ても五十本以上はある。お父さんが手にしている束も、私と同じくらいの量はありそうだ。父と母と私でこんなに線香をあげてしまっては、他の親戚の方々はどうするのだろうか。

「そんなわけないでしょ。余ったやつは周りのお墓にあげるのよ」

 死んでからもご近所づきあいというものがあるのだろうか。私たちは普段お隣さんに何かをあげたりもらったりするのだから、確かに死んでからもそのようなもらったりもらわれたりの付き合いがあるのかもしれない。そう思った私は、火をつけた線香の何本かを母の旧姓が書かれている墓に備えると、残りの線香を他の家の墓に配り始めた。この霊園はそこまで広くないこじんまりとしたものなのだが、この暑さで線香を配り歩いていると、嫌でも汗が噴き出てくる。先ほどまでは少しダサいと思っていたお父さんやお母さんが首から掛けているどこかの会社からもらったタオルが、少しだけうらやましくなった。

 蝉の声がやかましく耳にまとわりついてくる。墓場独特の香りを身体に纏いながら、私は次々と墓に線香を供えていく。立派でよく手入れがされている墓もあれば、雑草になかば埋もれかけている無縁仏のような墓まで、いろいろある。だが、そのすべてから墓独特の雰囲気が醸し出されていた。

 小さな霊園は、あっという間に一回りできた。遠目に私を待っている母の姿が覗く。

「とりあえず配れるとこまで配ってきたよ」

「そう、パパも終わったみたいだから、そろそろお婆ちゃんの家に行きましょうか」

 母は額の汗を手で拭い、少し離れた場所にいた父に手招きをした。歩き始める母の背を追って、私も足を進める。

 近くに流れている川のせせらぐ音が、私の背中を撫でた。


 ちりんちりん。夏のむわっとした風に吹かれて、かすかに風鈴が鳴る。火の付いた線香を仏壇に供えると、鐘のようなものを慣らす。静かに手を合わせて、瞳を閉じるとなんとなく涼しい空気があたりを包んだような気がした。目を開ければ、元の蒸し暑い空気が戻ってくる。

 廊下を挟んだ居間の方からはお父さんとお母さん、そしてお婆ちゃんの笑い声が聞こえてくる。私は線香を供える順番が一番最後だったせいもあり、すでに母たちは居間で談笑しているようだ。

「玲奈ちゃん、そんなとこいないでこっちにおいで」

 あまりにも私が遅いので気にしたのか、頭に手拭いを巻いたお婆ちゃんが、仏間に顔を出した。

 お婆ちゃんの後に続いて居間に入ると、すでに私の分の茶とお菓子が準備されていた。

「玲奈ちゃん。元気だったか?」

「うん。元気だよ」

「そうかそうか。それならよかったなぁ」

 お婆ちゃんはしわくちゃの顔でにっこりと笑う。私は、この優しくて腰の曲がった

しゃがれ声のお婆ちゃんが小さい頃から大好きだった。家は離れているけれど、それでも年に何回かはこうして家に訪ねていたし、父方の祖父母は私が生まれてすぐに亡くなってしまったせいもあるのか、私にとって祖母といえばこの人だった。

「そういえば伸二、今日は玲奈ちゃん連れて盆踊り行って来たらいいべ」

 急にお婆ちゃんが思い出したように言った。

「盆踊り? あぁ、近くの駅前で毎年やってるやつか。そういえば俺が小さい頃、お袋に連れられてよく行ったもんだな」

「んだ。せっかく来たんだから、盆踊り見てから帰ればいい。出店も出るし玲奈ちゃんも喜ぶだろうし」

「そうだな、たまには行ってみてもいいかもな……玲奈、行くか?」

 お婆ちゃんは、私のほうを見てにこにこと笑っている。高校生にもなってお祭りではしゃぐほど子供ではないが、こういう顔をされると「行かない」とは言いにくい。私がこくりと頷くと、お婆ちゃんは「そうかそうか。行くか」と言いながら何度も頷いて満面の笑みを浮かべた。

「そういや、死んだ親父も盆踊り好きだったっけな。毎年この季節になると、家で練習してたっけ」

「だねえ。あの人はそういう行事が大好きな人だったから」

 お婆ちゃんは、しみじみと懐かしむように呟く。お爺ちゃんは、私がまだ生まれて間もないころに病気で亡くなってしまったそうなのだが、私はお爺ちゃんの顔をほとんど覚えていない。周りの親戚には「玲奈ちゃんはお爺ちゃんに本当かわいがってもらってたわよねえ。お爺ちゃん、玲奈のこと一回抱っこしたらずーっと抱っこしたまんまだったんだから」とよく言われる。母からすれば、お爺ちゃんは普段はとても厳しい人だったそうで、私を抱いて笑っている姿はまるで慈悲深い仏のようだったそうだ。もしおじいちゃんが今も生きていたなら、きっと私のことを笑顔で迎えてくれるに違いない。

「まあ、ここらの盆踊りは出店もたくさん出てるし、楽しみにしとけ」

 そう他人事のように言ったお父さんの顔は、少し笑っていた。廊下からは、オレンジがかった太陽の光が淡く差し込んでいた。


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