1章 颯爽(4)
背後からせまった人物は、私が振り向くより早く、パイプのようなものを私の頭にたたき落とす。つむじから響く衝撃は脳を揺らし、眼球を震わせ、歯を痺れさせる。後頭部から、生暖かい物が流れるのを感じながら、私は倒れ伏せた。私を追い越し、さらにかけていく二つの影。
つまり、2チームいたのだ。残りの3人はおそらく、出口付近を見張っていたのだろう。だから、つまり……。私の考えを痛覚の波が奪う。叩かれたのは頭頂部だという訳なのに、どういうわけか、体のふしぶしから痛みを感じた。こう痛くては、指の関節一本動かすのすら叶わない。ああ、ここまでの経験は人生で3番目だなあ。いや、もう何も。考え。
ドスン
私の意識が消える5秒前、頭上から聞こえたのは聞きなれぬ爆発音で。続けて、
「全員動かないでください」
私達の来た通路から、甲高い少年の声が聞こえた。透き通る声は、こんな置き捨てられた廃工場の空気ですら、朝の教会の厳かな気配にかえてしまいそうな、そんな声。私は、残りの力を振り絞り、倒れた状態のまま正面を向く。
闇の奥から颯爽と現れたのは、黒衣の服を身にまとった少年だった。ガラス細工のように細く白い右手を前に向けている。少年のほかに視覚に入ってきたのは倒れた男と、山田。そしてその山田を地面に組み伏せている革命軍の兵士だった。
「細川。大丈夫か」
私を倒した男が声を荒げる。おそらく倒れている男の名前だろう。この少年がやったのだろうか? でも、いったいどうやって。倒れた男と少年にはここからでも距離があるように見える。ん、右手に何か小さなものをもっているのか。
「あなたたちの探しているものはこれですね」
男の罵声などなかったかのように、少年は服の中から、左手で分厚い紙の束を取り出した。その流れるような一挙手一挙動には、気品が含まれている。
「手前、お前が」
「そう、これを奪ったのは私です。初めは黙って去ろうとしたのですが、さすがに殺されちゃ寝覚めが悪い。だから、わざわざこうして現れました。」
帽子を深くかぶっており、表情はうまく読み取れないが、まるで感情のこもっていない声。応援が来た、という喜びよりも、何か話が嫌な方向に転がっていくような強い予感を優先して覚える。
「聞かれる前に、答えておきましょうか。私は帝都情報部零課所属 七峰というものです」
ゼロ、部?
「零部……」
背後の男が息を呑み込むのがわかる。この男は何か知っているようだ。
「まさか、零部の人間にお会いできるとはなあ。こいつは運がいい」
「これが、それだけ重要なものというわけです」
七峰が左手の書類を揺らし、強調する。
「帝都内部にいる裏切り者……。これを解読すると、革命軍に協力している帝都内部の人物の情報が入っていると聞いてますよ。私の任務はその中の重要人物を抹殺することでしてね。これがいるんですよ」
「手前、ここから無事で出られると思うなよ」
少年の声を遮るかのように、山田を組み伏せていた男が少年の前に飛び出る。すると、再び、ドスンという聞きなれぬ爆発音が耳に響いた。直後、同様に前から倒れる男。倒れた場所からは、大量の血液が広がっていた。
いったい、何を……。少年を見ると、右手に持った黒い小さな物から煙が上がっているのが見える。目を凝らしてみると、それは小さな少年の右手より一回りだけ大きな金属製のもので、中指をそれの持ち手のような部分にかけているのがわかる。そして、まるで口のような穴が倒れた男の方を向いているのがわかった。
「手前、何をした!」
響く怒号。この男も何がおきたか解らないようだ。
「殺しました」
呟くように返す少年。声色は全く変わっていない。
「あなたも」
その口のようなものを私の方にむけながら言葉を紡ぐ。
「殺します」
「ゼロ課あ」
叫びながら、突進する。
だが、三度響くのはあの音。
ドスン
当然のように倒れる男。背中から、血が泉のように噴出した。私は、この音が、死を呼ぶ音だと、やっと理解した。
そして少年は、まるで最初からなにもなかったかのようにすたすたとこちらに向かってくる。
「ご無事ですか、お嬢さん。ちょっと傷跡を見せてくださいね。」
少年が、私の長髪をかき分けている気配を感じる。ちょうど殴打された部分をいじられた時、私は鈍いうめき声をあげてしまった。
「ん、まあ、死ぬことはなさそうですね。とりあえず塗り薬で止血だけしときました。痛みを麻痺させる効果もありますから、しばらくしたら動けると思いますよ」
「あなたは、いったい……」
「いやいや、あなたたちもタイミングが悪い。あと一時間遅く着てたら、とっくに僕もあいつらもここから離れてましたよ。ま、僕としてはこれで追っ手を気にする必要がなくなったのでラッキーでしたよ」
「おまえ、零課っていったな」
「ああ、でもこれナイショですよ。あんまりいいふらしちゃいけないことになっているので」
「若いな。いくつだ」
「18です。まあ、事情は色々」
「お前がこいつらを殺したのはどんな手口だ。高度な魔法か何かか」
魔法、私も最初はそれが思い浮かんだ。でも、私はこんな強力な魔法を知らない。
「違いますよ。武器ですよ、武器。銃って言います」
「じゅう? 聞いたことねえな」
「まあ、国が情報統制してますからね。これはね、どんな人でも一撃で殺せる武器なんですよ。それこそ、僕みたいな子供が、訓練した大人を一撃で殺すことを可能にするような。すごいでしょ」
彼は左指一本で装置の通し穴に指を通し勢いをつけて空中に放った。黒く、小さなそれはまるでおもちゃのようで。空中でくるくると回るそれは、子供のころに遊んだ風車を想起させた。それに恐怖と畏怖を感じなければいけない、という私の理性を簡単に壊してくる。だめだ、とりあえずあれから意識をそらさなければ。
私は一度なんとか立ち上がり、研磨機のような、私の知らない埃をかぶった機械に体重を預けた。
「ねえ、七峰君、でいいのよね」
「はい、いいですよ」
七峰君は、きらきらとした笑顔を私に向けてくる。
「その君が回収したその書類って二日前にここであるはずだった取引に関係ある物なの」
「そうですよ。あ、お姉さんたち、もしかして取引にこなかった方を追っていました? だったらまたラッキーですね。暗号を解読しなくちゃいけないんですけど、なにかその人持っていませんでした」
そう言って書類を高く掲げる少年。
その機会は、淡々と狙われていたんだろう。
自身が倒され、仲間が殺され、それでもその人物は自分に課せられた任務を果たすために淡々と。
死体のふりをしてでも。
ぶぁっとその書類に火が燃え広がるのは一瞬だった。間違いない、精読魔法。
すぐに動けたのはヤマさん。最初に銃で攻撃された男にの延髄に向かって、お得意の蹴りを叩き込んでいた。
私はその時初めて少年の表情が変化するのを見た。