1章 颯爽(3)
カンカンカンカーンと通路には私たちの足音が鳴り響く。いつおそいかかってこられても大丈夫なように、全身の緊張を硬直させる。足音にはあきらかに私たち以外の音が混ざっていた。足音は二人分だ。やったぜヤマさん。
30mも走ると開けた場所に出た。工場の作業場だ。そのさらに奥には夏の太陽の輝きが見える。が、である。とうとう来た。
開けた場所にでた瞬間、ちょっとスピードを緩めたのがよくなかった。通路手前左方に隠れていた男のおそろしくきれいなストレートは見事にヤマさんの頬を捉えた。右方に飛んでいく。後ろからその様子を見ていた私は、ストレートを受ける直前、若干首を引く動作を見ることができた。直撃は避けたか。だが、どうにも劣勢だ。ヤマさんを追う相手の姿を見て、0.1秒ほど助けるシナリオを思い浮かべる。いや、やはり私一人でも脱出して、応援を呼ぶべきだ。
私の非常な決断をあざわらうかのように。
ビュン。
何かが前方から飛んでくる気配を感じ、私は慌てて腰を折る。直後、さっきまで私の頭があった位置に鋼鉄製のパイプが飛んできていた。パイプの発射点を確認すると、細身だが非常に筋肉質な体をしている男が、既に第二投の構えをしていた。二人いるのかよ! 私は走りの勢いを極力殺さぬよう、第二射を前転で躱す。これで相手との距離3m。私はそのままの勢いで、右足を薙ぐようにふる。全力の足払いである。直後、硬い竹をけったかのような感覚。でも、ここで押し負けるわけにはいかない。
「ふぅうあああああああー」
私の奇声が工場の高い天井の位置まで届き、こだました。声に比例するかのように、相手は体勢を大きく崩した。それとは対照的に立ち上がる私。一気にこのまま押しとおる。
「死ぃにさらせえええ」
垂直ジャンプからの一回転。世界が一瞬私中心に回る。右足だけ前にだし、後はカカト落としの容量だった。そのままカカトに全体重を乗せながら、倒れた相手の頭を目指す。
ズドン。鈍い音が今度は工場の床を響かせた。決まったぜ。この間5秒の出来事だった。後ろからはさらに二人の敵が迫ってきている。ヤマさん大丈夫か。
振り返る。その時、なぜか脳裏には
『きいつけろ、そんときゃ身内から死人が出たぞ』
そんな言葉がリフレインする。
ヤマさんは後ろから首を絞められる格好で革命軍兵士に拘束されていた。
「動くな」
チープなセリフだが、右手にナイフを構えられている状態だと説得力が違う。
私の脳は5、6回、再起動を繰り返し、1秒ほどの隙を作ってしまった。
その間、通路の闇から出てくる男二人。一人はジーパン姿で一見大学生風、もう一人はスーツを身にまといメガネをかけた一見平凡なサラリーマン風。しかし、息一つ乱れない二人の姿はある種これ以上ない異常性の証明だった。
「重ねて言うが――」
二人の登場を確認し、再度下ろされる死刑判決。
「動くな」
落ち着き、たしなめるように言う声には、確かに指一本うごかせなくするような怒気が混じっていた。
「お前らが奪った書類を渡してもらおうか」
静かに、言葉を選びながら、私に向かって言う。だが、奪った書類? そんなものに心当たりはない。とりあえず出まかせを言ってみっか。
「えっっと、奪った書類といいますと・・・・・・。ここにあった書類のことですよね」
「そうだ。分厚いA4用紙の束。それをよこせと言っている」
わー知らん。私もヤマさんも、そんなものは一切見つけていません。まいったな、勘違いパターンか。
「チープなセリフだからあんまりいいたかないが、仕方がない。『さっさとださなきゃこの男の命はないぞ』。やれやれ、とんだ悪人台詞だぜ」
男の軽口、それを返せるほど私に余裕はなかった。
「奪ったのが私達じゃないって言ったら信じてもらえますか」
眉をあげる男。少し考えた後、
「信じてもいいが、その場合二人とも殺す」
という当然の答えを返してきた。これは詰みましたわ。
あきらめるな、と本能はささやくが、理性が無理だと判断する。残された道があるとするならば、ヤマさんを置き去りにして逃走する手段。そんな考えが一瞬脳裏をよぎった直後、同時に人生の走馬灯を見た気がした。
裕福な生まれ。進学校への入学。飛び級をしたうえでの警察学校への入学。血をにじませ覚えた魔法術。2年間の実施研修を終えての最終試験。技能試験、技術試験の合格。最終面接試験での精神的な脆さを指摘されたうえでの警察官試験不合格。二年後の情報部合格。
基本的には正直に生きてきた人生だったと思う。警察官になるため正しく生きることを強く目指した時期もあった。ただ今の私は、情報部。たぶん重要なのは、生き残って情報を伝えること。
必要なのは覚悟だった。
自分が選んだ選択が正しいと思える、いつまでも思える覚悟がその選択には必要だった。
だから。
私は、
弛緩していた筋肉に活をいれる。
右足を前に推し進める。
やっぱり私は、
心に正直に生きたい!
私は、相手に向かって走り出した。何の策もなし。だが、それを、勢いだけの私の無策を、突然眼前にあがった炎が後押しした。
ヤマさんをつかんでいた男の眼の前で爆発する炎、光と熱さが男の視力を奪う。
「くそっおお」
精読魔法だ。ヤマさん、そんな技つかえたの! 知らなかったよ~。教えてくれよ~。
炎の勢いで緩んだ首に回された腕を山さんは両手でしっかりとつかんだ。そして、そのまま腰を沈め背中で相手をしょった。そのままの体制で持ち込むのは一本背負いだ。
「悪いな。まだ死ねないんだ」
山田は腕を抱えながら、相手に受け身を取らせない状態で背中から地面にたたき落とした。工場の床は再び人間の骨の音を響かせる。これで後二人。
脇にいた男二人は慌てて、魔法札を構え、呪文を唱え始めていた。炎魔術LV3。これだけ至近距離で叩き込まれたら、大きな打撃になる。その様子を目でとらえた瞬間、私も対抗呪文を唱え始めた。手には最初の男から奪った魔法札。
――抱け、はじけよ地底燃やす炎。
男二人の声がユニゾンする。合わせ、私も対抗呪文を発動する。結果、辺り一面を鈍色の下品な炎で焼き尽くすはずだった炎は、私の対抗呪文によって不発に終わり、
「お前も死ねええい」
右手に突き出したのはまたしても最初の男が所持していた警棒。わたしは、それを右手の男ののど仏に突き刺した。男は、唾をまき散らしながら倒していった。
「あと一人は、俺の仕事だな」
私が、右手にのど仏を貫く感触を感じ、左側を確認したとき。それはちょうど、ヤマさんのけりが男の股間を突き上げるのと同タイミングだった。やはり倒れこむ男。
股間に手をあてみじめに膝を落とすサラリーマン姿の男の顔面に山田は容赦なくこぶしを振り下ろした。ガツン、という大きな音ともに、男はエビぞりにひっくり返る。
そして30秒ぶりに訪れる静寂。どうやら敵全員の沈黙に成功したみたいだ。
「あすか」
呼ばれ、ヤマさんの方を向く。ヤマさんは右手の親指を天井に向けて、いた。おお、グッジョブのポーズ。自然と頬が緩んだ。
気が付かなかったが、工場内には初夏の涼しげな風がふきこんでいた。体表の汗にふれ、高すぎる体温を覚ましてくれる。
よかった。まさか5人もいるなんて完全に計算外だった。おそらく奪われた書類というものがよほど重要なものだったのだろう。なんだろ。5人で追うようなものだしなあ。すごく重要。5人。5人。誤認。……。ん、5人?
『革命軍は4人単位で動くことを基本とする』
それは私が警察学校で覚えた命題の一つ。
ならば、5人というのは。
覚えた違和感は一瞬遅く、
今度は私の頭蓋が揺れる番だった。