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0 プロローグ

 春のここちよい風が窓から教室を無邪気に駆け巡る。私はぽかぽかとした陽気に誘われ、10分ほど前からまどろみの中にいた。教壇の前で話す若い先生のハスキーな声は、今の私にとってクラシック音楽と等しい。そもそも、どうしてせっかく苦労して警察学校に入ったのに『法』の授業なんか受けなくてはいけないのか。高等部からの編入は入った後が大変だということを周りの大人たちに散々聞かされていたが、まさかこれほどまでに座学が多いだなんて。これから卒業までは、まだ3年の学習と2年の実務体験をつんだ上、卒業試験の合格が必要だ。警察官になるための道のりは、今の私にとって、ウインブルドンより遠かった。

「あすか、水奈鳥あすかさん」

「あ、はい」

 先生からの突然のご氏名だ。あわてて、まどろみから抜け出し、立ち上がった。

「あなた眠そうね。授業ちゃんと聞いていたの」

「聞いてました。普段の状態で眠そうに見える顔なんですよ」

「ふーん。まあ、いいわ。最初の授業で重要なことをしゃべっているんだから、ちゃんと聞いてね」

「はい、もちろんです」

 乗り切った。席に静かに座る。隣のタケシがくすくす笑っているのが目に入った。あんにゃろ、その年でこっそりバイク乗り回してるの先生にチクったろか。

 黒板には、私がノートに書いてないことがたくさん記述されている。黒板にあいたスペースの量から考えてかなり高速でノートをとらないとやばい。えーと、『社会的動物である人間は、集団生活を送る以上、揉め事の際は「第三者」が客観的、かつ公平な立場で揉め事を収める必要がある』だって。なんだ? 社会的動物って。授業聞いてなかったからさっぱりわからん。でも、この言葉テストに出そうだな。他には、『揉め事の解決には誰もが納得できる正しい正解というものは存在しない』。あれ、この言葉たしか正義の授業でもおんなじこと書いたような……。よく見れば、他に書いてある言葉もみんな正義の授業で習った言葉だ。

 「えー、みなさん。既にお話しましたが、今までの話は『正義』と『法』の共通の考え方になります。それでは秋根十五君、正義と法の決定的な違いはどこにあると思いますか」

 十五が立ち上がる。一番後ろの席は周りがよく見渡せていい。さっきみたいに多少眠くてもごまかしやすい席だし。

 「えーと、やっちゃいけないことの明文化、ですか」

 「はい、そうです。法では、規則をきっちり文章として落とし込みます。これを条文といいます」

 背を向き、ガリガリと黒板に『条文』と書き出す。赤だ。これはテストにでるな。

 「せんせー」

 三つ前の席の子が手をあげる、名前は、なんだっけ。脳内あだ名はノラちゃんだ。実家の周りにすんでいる野良猫に雰囲気が似ている。

 「条文、っていうのはこの国に住む人が絶対に守らなくてはいけないものなんですよね。」

「そうですよ」

「でも、先生、最初に社会の変化によってそれに適した規則が必要になるっていいましたよね。わざわざ言葉にして、絶対に守らなくちゃいけない規則なんか作ったら社会の変化に対応できなくないですか」

「ふーん、あなたいいこと言うわね。警察官になる才能あるわよ」

 先生がほめるとノラちゃんはえへへ、と照れくさそうに笑い、ほっぺたをかいた。やっぱりそのしぐさはあの猫ちゃんみたいに見える。

「じゃあ、あなたが条文を作る側だったら、どうするかちょっと考えてみて」

「条文を常に時代にそった文章に書き換える、とかですかね。でもそれってちょっと難しいですよね。だって、一度決めたものを簡単に書き換えるわけにはいかないし、それに社会全体の守るには条文ってすっごいたくさん必要になりますもんね」

「そう。でもそうするしかないわよね。みんなもよく理解してね。こういう風に法って言うのはね―――」

 先生は、そこで一拍ためた。続けて、かみ締めるように言葉を続けた。

「法って言うのはね―――矛盾だらけなのよ」

 ああ、今後一年間もこんな風に如何に法が矛盾したものなのかを学ぶ時間を過ごさなければならないなんて。そんな小学生でもわかる当然の話、延々と続けたって意味はないのになあ。まあ、反体制側の思想を学び、彼らの行動原理を理解するということは重要だということはわかるけど。高等教育をつんだ第三者が、彼らの心のままに揉め事を解決する、『正義』の制度『法』より優秀なのは自明の話だ。それができる警察官には子供のころからあこがれていたし、今もそれを目指して勉強のまっただなか。先は長いが、絶対に警察官になってやる。


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