小話―ある酒場の話―
帝都の裏路地、目立たぬ場所にひっそりと佇む酒場がある。地元の人間も知らない人が多いそこはちょっとした隠れスポットだ。流行っているとは言えないが誰にも知られずに飲みたい時には重宝する。そう例えば、やんごとなき身分の方が羽目を外したい時などだ。
「だぁーかぁーらぁ!!私はねっ!!隊長を愛しているの。好きなの、ラヴなのよぉ!!」
「分かってる、分かってるって」
「もうほんと、一目ぼれ?運命の出会いって奴?配属されて初めて見てもうキュンと来ちゃったわけよ。十字星教の言う星の神に感謝の祈りを捧げちゃったわよ」
グイッとグラスを煽るその顔は真っ赤だ。直ぐに酔う癖に中々、潰れる事が無い。アルコール度数の高い酒を水の様に煽りながらどんどん危険な言葉を吐いて行く。とてもではないが他の連中に見せる事は出来ない。
「隊長もさぁフリーっぽいと言うか、婚約者とかもいないっていうかそういう雰囲気なかったじゃん?だから私が恋人立候補しても良いかなぁって前にちょっとアプローチしてみたらさぁ、何か片思いの人がいるみたいでその時は諦めたよ?どんな人かなぁっては思ってたよ?でもさぁそれがさぁ、あんな方だなんて思わないじゃない」
「そうだな」
信念を捧げる人がいてその上、実は婚約者もいたのだ。
フローラの空回りだったとしか言いようがない。
「もうさ、最近はさ。片思いの人がいるって分かってたけどもう2番さんでも3番さんでも愛人さんでもいいかなぁって思っていたんだよ?」
「伯爵令嬢がそんなはしたない事を言うなっての」
「抱かれたいの!!ヤリ……っ!!」
「はーい、ストップ!!ストップだからな!!ちょっと声が大きいかな伯爵令嬢!!」
何でもない、何でもないですよーとラウルは笑顔を引き攣らせながら周囲に主張する。何だか憐みの目を向けられた。辛い
と言うかコイツは本当に伯爵家令嬢なのだろうか。偶に嘘じゃないのかと疑いたくなるラウルはフローラの口にツマミのナッツを押し込んで黙らせた。大人しく口に含んだと思ったら指まで噛まれた。痛い。
もぐもぐと口を動かしながらフローラはテーブルに突っ伏した。
「私は隊長が好きなの」
「だから分かっているって」
「ううん」
フローラは静かに否定するとゆっくりと顔を上げた。その顔はアルコールで真っ赤だったが眼だけが真剣そのものだった。
「多分ね、ラウルには分からないよ。私の気持ちは」
「…何だよそれ」
ムッとした表情を見せるラウルにフローラは苦笑してみせる。
「むきになんないでよ。あのね、私が分からないっていったのは私が女だからだよ。ラウルは男でしょ」
「そりゃそうだが」
今一要領を得ない説明にラウルが眉を顰めるとフローラは憂いを帯びた笑みを浮かべ、
「初めて会った時、私は隊長の美貌に心が奪われたの。黒髪がどうのなんて私には何でも無かった。最初はね、イイ男の部下になれたラッキー程度にしか思っていなかった。でも任務をこなしていく内にね、その力量と才覚に私は初めて他人に敬意を感じたの。ラウルだってそうでしょ?」
「まぁ、な」
思い返してみると最初の頃は噛みついている事の方が多かった気がする。若気の至りと言う奴だ。そんな事言うとドーラ辺りからはまだまだ若造のくせに生意気だと言われるのだが。けれどその若気の至りも任務をこなしていく内にカラスへの崇敬へ変わっていく。それ程までにカラスには力があった。
「そして隊長は強くて優秀なだけじゃない。帝国騎士として立派な精神を持ち、とても敬虔深い信徒だった。あの人の事をより知って私はもっと尽くそうと思ったの」
そうするに値する人物なのだと心の底から思った。
「私はね隊長に優秀な部下である事を求められれば優秀な部下になる。女として求められれば女として応えるわ。そうさせるだけの魅力があの人にはあるの」
ラウルは獣欲の相手を求められて応えられるのと意地の悪い顔で尋ねられる。返答に窮しておかしな顔をするラウルをひとしきり笑った所でフローラはグラスの氷を回す。
「女として求められたかったけどね…何か今日の見ちゃうと望み薄よねぇ」
相手が悪いとフローラが言うとラウルは首を横に振った。
「あの方の…立場とか地位は関係ねぇよ。隊長は、隊長だからあんだけ一途に想っているんだ」
「そっか…うん、そうだよね」
そう言われて納得したようにフローラは頷く。きっと何処までも誠実なカラスだからこそ地位がかけ離れたエミリアの事を長年に渡り想い続ける事が出来たのだ。
そう思える信頼がラウルにもフローラにもあった。
「あーっ!!でも一回くらいヤッてくれないかなぁ!!隊長ぉ!!」
「はーい、そろそろ帰ろうか。ホント今のお前の姿、隊長には絶対見せられないからな」