エピローグ―帰る場所―
夜が明けた。アーデル・フリューゲル城の周りには操縦席のみを貫かれ地に落ちたハルパーが8機。普段は警備の軍人すら少ない後宮は多くの軍人で騒がしく現場検証の為、男子禁制の帝室規範は一時的に免除されていた。
その現場検証の傍らカラスはマリーベアから怒られていた。
独断専行及び遣り過ぎで。
「確かに貴官に後宮の警備は任せたが双腕乗肢機まで持ち出せとは言っていない。そもそも何だあの口上は」
「敵の注意を引くには良いかと思って…」
「聞いていてさむい」
ですよねとはカラスも言えなかった。しかし結果的に<ポラリス>を殲滅した事には代わりない。時を同じくしてディーンもまた別行動をしていた<ポラリス>のガルムを討ち取ったとの報告がある。これでダーナ帝国は危機を脱したと考えるべきかそれとも、
「情報が正しければこれで帝都内のテロリストは片付いた筈だが」
マリーベアはディーンからの追加情報―帝国内部、それも上層部に今回の黒幕がいると言う情報に眉を顰めた。カラスも彼女がその情報を知っている事を察して難しい顔をする。
「カノータス中佐がガルムを討ち取った場所と言うのは確か」
「<黒翼>殿、憶測で語るものではない」
だがアイリーンはリーディアを脅していた。リーディアは罪を犯し第1皇女をはじめ、更なる悲劇が訪れるところだったのだ。
問題はその物証がないという事だ。リーディアが持ち込んだワインとてアイリーンの物であるとは証明できない。証明できない様に痕跡を消しているからだ。
アイリーンもまた消されてしまった証拠の一つなのだ。彼女が撃ち殺されたと聞いてカラスはアイリーンもまた黒幕に踊らされていた人物の一人なのだと考えた。黒幕を捕えない事にはまた凶行が続くかもしれない。カラスがそう考えていると、
「幸いリーディア様は助かられた。今後はリーディア様への警護を強化する。だからそれ以上の事はするな<黒翼>殿」
マリーベアが釘を刺してきた。その言葉にカラスは目を瞬かせバツが悪そうに視線を逸らすと、
「了解しました」
と言った。カラスはやると決めたらとことん行う。その末に議会関係者が何人行方不明になるか等、マリーベアは考えたくなかったのだ。
<ポラリス>の生き残りでもいれば共犯関係を吐かせることも出来たかもしれないが致し方ない。
「さて血生臭い話は以上だ。<黒翼>殿、今回の件で貴官に褒賞を賜らせたいと言うお方がいらっしゃる」
「は?」
何の事だとカラスが首を傾げ―る前に逃げ出した。気配を感じ取ったからだ。
しかし読まれていた。マリーベアが指を鳴らすと彼女の部下たちに進路を塞がれた挙句、横からゼクスがタックルを決めてきた。脇腹に肘が入った。痛くて動けない。
いやいつの間に<紅翼>(アンタ)ここにいたんだ。そんな事を考える間もなくその方はカラスの前にやって来た。
「大義でしたザーノス卿」
「…エミリア様」
柔らかく微笑む彼女の前でカラスも何時までも地面に転がっている訳にはいかない。
臣下の礼を取るとエミリアはそのドレスが汚れる事を躊躇わず膝を折り、カラスの手を取った。
カラスはやめてくれと言いたかった。
関係を疑われるよりも自分のこの血塗られた手を彼女に触られるのが心底、辛かったのだ。しかしそんなカラスの心の声もエミリアにはお見通しだった。
「貴方に剣を執らせたのは私よ」
「いえ、それは―」
カラスが言おうとした言葉にエミリアは首を振って、
「私が見てしまったから。だから貴方は帝国の騎士となった」
あの日の出会いがカラスの運命を決定づけてしまった。もしもエミリアがカラスの未来を予知しなかったら彼の手はこんな悲劇に染まっていなかった筈だ。
エミリアはずっとそう考えていた。
けれど、
「誓いは、今もここにあります」
カラスは首から下げた十字架を握り締めた。リーディアが一命を取り留めたと言い、侍女長から返されたのだ。レアが有難うと言っていたとの事も。
その十字架はエミリアが後宮に嫁いでいくその日にカラスがなけなしの勇気を振り絞って誓った証だった。
貴方の出会いが私にとって一番の幸福なのです。それはカラスの偽りなき本心、あの日エミリアと出会わなければきっと自分は人並みの幸福を知り得なかった。
エミリアが飽きもせず自分に話しかけ続けてくれたから心を開く事が出来た。
エミリアがいなかった大切な人がどう言った存在なのか知る事も出来なかった。
それをエミリアが教えてくれたからカラスは血を吐く思いで任務をこなし、その過程の中でゼクスやディーンと出会い、頼れる仲間を得た。
自分の髪色を厭わず付いて来てくれる部下たち(ドーラ、ラウル、フローラ)、精鋭騎士の地位まで支えてくれた頼れる上官。利害と打算、けれども帝国の為に剣を執る事を裏切らない同僚。
全ては彼女がいなければここまで来られなかった。
「今一度、誓いますエミリア様。私は帝国を救う騎士となります。貴方が信じて下さった私になる為に」
その言葉にエミリアは眦を下げ小さな声で有難うとカラスに伝えた。
カラスとエミリアの間にある絆を知るものは少ない。
元上官でもあるゼクスやある作戦でエミリアから助言を貰った事のあるマリーベアなどを除けば<黒翼>小隊くらいだ。
その中でも最近、エミリアの事を知ったフローラはカラスとエミリアの間に流れるその想いに心臓がずきりと痛んだ。
「そっか…隊長は」
その言葉の先は誰の耳にも届く事無く風に消えて行った。
ジェガス17世は椅子の上で目を覚ました。どうやら寝落ちしていたようだ。アーデル・フリューゲル城から離れたジェガス17世が所有する別宅の一つに移されてから夜を通して情報の収集と報告を受けていた。分かったのは<ポラリス>によって後宮に奇襲が行われた事。そして帝国議会のアイリーン・ストロフが何者かに殺されたという事だった。
今日は議会に顔を出さねばまた荒れるなとジェガス17世は疲れた眼を揉んだ。
その時、
「お久し振りですねジェガス17世陛下」
ここはジェガス17世の私室だった。誰であれ彼の許可なく入る事は出来ない。そしてその声にジェガス17世は警戒心をあらわにした。
色白の優男、口元の笑みは何処となく嘘くさい。何年も前から変わらないその姿にジェガス17世は苦々しくその名前を呼んだ。
「メルクリウス…」
「えぇご無沙汰しております。親愛なる皇帝陛下」
ジェガス17世の冷徹な視線がメルクリウスの顔面に突き刺さる。だがどこ吹く風と言った感でメルクリウスの笑みは崩れない。
「何用か。貴様は惑星パルムの攻略に出向いていた筈だろう」
「えぇ。ガーランド中佐なら無事に送り届けましたよ。御心配には及びません。すべて順調です。只―」
メルクリウスの瞳が妖しく光る。
「陛下がお約束を反故になされようとした以外は」
「…何の話だ」
「はは。お惚けにならないで下さい。第2皇太子のテオドア9世殿下を帝都から逃がそうとしたではありませんか」
皇帝の矜持として表情を変える事は一切なかった。しかしジェガス17世の心臓がドクンと大きな音を立てる。その音が聞こえでもしたのかメルクリウスはニヤニヤと笑い、
「隠し立ては無駄ですよ。公務と称してテオドア9世殿下をガアナ星系へと送り出しそのまま幽閉するつもりでしたのでしょう?命を狙われていると知ったから」
ジェガス17世は何も答えない。だがその背に冷たい汗が流れる。
「陛下がまさか私たちと結びました約束を違えるとはついぞ思いもしませんでした。18年前、まだ皇太子であられました陛下が今の地位を得るが為に私たちに―」
「やめよ!!」
ジェガス17世が叫ぶ。感情を露にする姿などこの数年、誰にも見せた事が無かった。
メルクリウスは口の端を三日月の様に上げ、
「お約束したではありませんか陛下。私たちが貴方様の御世を保証すると。もしもテオドア9世が、いえハルト殿下の出生が公になれば陛下の治世に大きな影響が出ましょう。だからこそ私たちは動いたのですよ」
そうだ。それが分かっていたからテオドア9世を帝都の外に出そうとしたのだ。息子の想い人を知らずとは言え彼女を奪った愚かな父と憎まれようとも、若き日の自分と瓜二つな息子と見る影もなくやせ細った自分と比べ劣等感を抱こうとも。
ただ死んで欲しくはなかったのだ。
「貴様…」
「それに陛下もお困りではなかったのではありませんか?第1皇太子派だの第4皇太子派だのに帝位を狙われて。いい機会だと思いまして両陣営を摘み取ろうと考えたのですよ」
しかしメルクリウスはにやけ顔を引っ込め首を横に振り、
「途中までは上手くいったのですが…いやいや流石は精鋭騎士。皇帝陛下が信を置くダーナ帝国騎士団の勇士ですね。こちらの動きを読んで止めに入るとは」
アルカシア公爵家の事はジェガス17世も報告を受けていた。危うく第1皇女を始め3人の皇女が命を奪われかけた事も。そしてリーディアが今、生死の境に立たされている事もだ。
「そしてそもそもの火種であるハルト殿下。これもまた<黒翼>の翼に守られました。ふふ、ダーナ帝国騎士団では彼のお方を軽視する騎士が多いそうですが果たしてそれは正しいのでしょうか」
自分の企みを2度、防がれた事にメルクリウスはカラスへ興味を抱いていた。
「メルクリウス。もしこれ以上の事をしようというのなら」
「あぁいえ。もう流石にやめておきます。これ以上、ハルト殿下を狙うと殿下の出生の秘密が公になりそうですし」
事が大きくなれば当然、ハルトに目が向く。後ろ盾もない第5皇妃の息子だから世間の関心も少なく今まで出生の秘密に眼が行く事は無かったが注目が集まればそれも危ぶまれる。メルクリウスにしてもこれ以上、時間を割くつもりは無かった。
「カノータス中佐から頼まれている仕事もありますし私はそろそろ惑星パルムに戻りますよ」
この怪物が帝都から離れると聞いただけでジェガス17世は安堵した。
しかし、
「陛下。努々お忘れなきようにお願い致します。私たちは陛下の御世が長く続く事を望んでいるのです。全ては18年前に結んだ約定の為にです。その為に私たちは陛下にお力をお貸ししますし星間連合軍とも戦火を交えましょう。ですが陛下にも約定を守って頂きとう御座います」
「分かっている…」
「おや?では当然分かって下さっていますね?」
何をだとジェガス17世が視線を上げる。
その視線の先のメルクリウスは邪悪な笑みを浮かべ、
「約定に反したその対価で御座いますよ」
報告を受け駆け付けたディーンは滅多に見せない表情をした。
動揺、困惑、そして怒りだ。
「これは、どういう事だ」
そう尋ねられたディーンの部下もどう答えればいいか分からない。
気付いた時には起きてしまっていたとしか言いようがない。全く前触れもなくこの事態は起きた。10分おきに確認をしていたにも関わらず、いやその10分の間にこの惨劇が起きたのだ。そちらの方がより問題だ。
「分かりません。しかし事が10分間に行われたのだけは間違いありません」
「10分でこの事態を起こし、いや貴官らに見付からず撤退まで行ったというのか」
そうなりますとディーンの部下は答えた。どれだけあり得ないと分かっている事でもこの人の前で嘘や事実と違う事は口に出来ない。口にしたところでそれを見抜くしディーンもそれを嫌う。
だから部下から事実のみを告げられディーンも漸く感情が落ち着いて来た。
そして冷静に事実を受け止める事にした。
3人の皇女を匿っていた隠れ家の一室、そこにはバラバラに砕かれた女性の死体があった。
手も足も身体も原形を留めていない。唯一、形がまともに残っているのは恐らくわざとそうしただろう彼女たちの頭だけだ。
誰かなどと言及するまでもない。3人の皇女だ。苦悶の表情が見られないのはこの惨事が一瞬で行われた証左だろう。しかしだとすればより一層に謎は深まる。
「音も何も無かったのだな」
「はい」
「部屋には死体以外に損害は無かった」
「そうです」
一体どうしたらそんな事が出来るのだ。ディーンは舌打ちをした。部屋には確かに荒らされた跡はない。あるのは本当に彼女たちの死体だけなのだ。だが原形を留めない程の破壊が行われてその痕跡が死体以外に一切無いとは不可解極まりない。
原因を考えようにもディーンの頭脳をもってしても答えは出なかった。
「…至急、シミッター少将に連絡を取れ」
マリーベアの下にはリーンハルトとコルネリアがいる。あの二人が狙われないとも限らない。そして、
「御三方はこのまま毒殺という事で情報を広めろ。シミッター少将以外への口外は許さない」
「了解しました」
ディーンの命令を受け部下がマリーベアへ連絡を入れに行く。
この3人の死亡は公に出来ないとディーンは考えた。
何故なら殺害方法が全く分からないからだ。極めて残忍な殺害方法でありながらその手段が全く分からない。余計な混乱を生み出さない為にもテオドア9世の時以上に情報統制を行わなければ混乱の隙を突かれて同じ事をやられる可能性もある。
その矛先が蜂蜜色の髪をした彼女に向かわないとは限らないのだ。
ディーンは拳を握り締めた。
隠れ家の様子を監視していたその男は一瞬の凶行に目を疑った。
3人の皇女が張り詰めた様子で互いを互いに見張り合う中、その女は突然現れた。皇女たちが驚きの声を上げるよりも早く女は皇女たちの身体に触れた。
たったそれだけの事だ。それだけの事で皇女たちの身体は木端微塵に吹き飛んだのだ。
一体、腕に何を仕込んでいるのだ。男の背に冷や汗が流れる。
「…終わったのか」
そして隠れ家から女の姿が消えると男は後ろを振り返った。そこには先程まで隠れ家にいた筈の女が立っていた。
突然消えたと思ったら今度は背後に立っている。油断ならないと男は警戒を露にする。
だが、
「消えた私の気配を一瞬で気付く貴方も如何かと思いますが」
「私の背後を取れる奴などそうはいない。貴様は危険だな」
そう言って手に握るライフルに力を入れた。しかし銃口を向ける事はしなかった。
まだこの女とその後ろにいる組織には使い道がある。ここで関係を断つには惜しかった。
「それで?貴様の務めとはこれで最後か?」
そう尋ねると女はえぇと頷き、
「私の務めは終わった」
金髪の女―イシュと名乗っていた彼女はそう答えた。
後で話は聞きに行くから一度休んで来いと言われカラスは邸宅に戻る事にした。
正直、まだ大丈夫だと思ったのだが、
「お前がこれ以上、何かしでかさないかそっちの方が怖いんじゃねぇか?」
マリーベアの心の内を読んだゼクスにそう言われ思わず納得してしまった。普段の行いの重要性を改めて考えさせられる。
だったら反省してくれと部下から視線で訴えられたが笑顔でスルーしてそれぞれにもゆっくり休む様に言ってその場から去った。
「無自覚って怖いっすよね」
「そうだな」
「ウチの小隊は兎に角、男勢が暴走するから…」
その様子を見ていた他の騎士たちは半眼でこう思った。
お前らが言うなと。数々の武勲と騒動を起こしてきた<黒翼>小隊はある意味で有名だった。何をしでかすか分からない<黒翼>の隊長とそれに追随する部下たち。
鏡を見た事が無い人間は自分の姿を客観視できないという事だ。
閑話休題。カラスは歩いて邸宅に向かっていた。見知った帝都の街並みは相変わらず霧に包まれていた。冷たい空気がカラスの頬を刺す。その痛みがカラスには心地好かった。
エミリアから貰った言葉を喜んではいけない。自分は彼女たちの為の剣なのだ。そこに個人的な感情を混ぜてはいけない。それを戒めるのに冷たい空気は丁度良かった。
なのに、
「駄目だなぁ俺は」
たった一言、感謝されただけでカラスの心は満たされてしまった。触れて欲しくない手も本当は嬉しかった。どれだけ遠くに行ってしまっても彼女が自分の事を覚えてくれている。それだけで良かったのだ。彼女の横に立つ事が出来なくても彼女の場所を守る事が出来ればそれで良かった。
彼女の望みを叶えてやれただろうか。
「いやまだ、か」
そう彼女の望みは帝国を救う騎士。あの日、言って貰えたあの言葉を現実にするその日まで。カラスは剣を執り続ける。例えどんな困難が待っていても。
「…ん?」
霧の向こうに邸宅が見えてきた。霧に包まれよく見えないが誰かが立っている。その気配に気付いてカラスは眉を顰めた。早足に近付けばその正体は感付いた通りだった。
「何をしているんだジュリエッタ」
「は?折角、出迎えてあげた婚約者に向かってそれはないでしょ」
そう言ってキセルを吹かせる彼女の頬は白かった。何時からここに立っていたのだか。カラスは上着を脱いで彼女の肩に掛けた。
「汗臭いのは我慢してくれ。そんな薄手の格好じゃあ風邪をひくからね」
「別に、気にしないわ」
そう言ってジュリエッタは視線を逸らした。無自覚でこう言った所作をするものだからジュリエッタも困る。何の裏もなく単にジュリエッタを気に掛けてくれているだけなのだ。
それが他の恋人たちとは違う点だった。
そう言った所でカラスは只のお世辞だと思って聞き流すだろうから言わないが。
「それで?何で家の前に立っていたんだい?」
「だから出迎えだって言っているでしょ。バーバロイ卿からアンタが帰って来るって言うから婚約者らしく待っていてあげたのよ」
と言ってからジロリと睨み付け、
「寝所を共にした婚約者に一言もなく仕事に出た誰かさんと違ってね」
「あー…」
そう言えば騒動の大きさからすっかり忘れていた。多分それを言ったら刺されかねないと流石のカラスも分かっているので素直に謝った。
「どうせ仕事で、誰にも言えない、大変な事件だったんでしょ」
鋭い。
「で?終わったの?」
「取り敢えずはね。後で色々と報告をしなきゃいけないけどその前に一休みしに、ね」
ふーんとジュリエッタは言い、
「だったら背中でも流してあげましょうか?」
「急に何っ!?」
仕事で疲れているんでしょ癒してあげるわよとジュリエッタはニヤッと笑って言った。冗談なのか本気なのかカラスには区別がつかなかった。降参だと肩を竦めて見せるとジュリエッタはクスクスと笑いカラスの腕を取った。
「あぁそうだ。言い忘れてた」
「何?」
カラスが尋ねるとジュリエッタは眦を下げて、
「おかえり」
帰る場所。そこが何処なのか改めてカラスは思い出して、
「ただいま」
そう答えた。