第18話 <レイヴン>・下
何が起きた。エドモンドは機体を動かすのも忘れてそう呟いた。敵機との距離はまだあった筈だ。
だが現実に敵機に襲い掛かろうとした2機はビームブレードで貫かれている。
無造作に敵機が腕を振るって光刃を払った。
そこでエドモンドは気付いた。
敵機の腕が倍に伸びているという事に。
「何だあれは…伸縮ケーブルでもない、腕が…関節が増えている!?」
特殊機構とは精鋭騎士用にカスタマイズされたデュランダルに備えられた武装の事だ。秀でた操縦技術を持つ精鋭騎士たちはそれぞれ自分こそが帝国一であると自負する技を持つ。<紅翼>ゼクスなら徒手の格闘戦、<緑翼>のレグルスは射撃の名手だ。
そしてカラスにも特技がある。驚異的な索敵能力、気配を読む力。それを活かし相手の隙を知る力。相手の意識が向いていない場所を相手に気付かれる事なく突く―つまりは暗殺者としての技能だ。普段は隠されている汎用のデュランダルと比べて2倍近い長さを持つ腕はその為の武器だ。人で言う肘に当たる関節は二つ、その長さとフレキシブルな動きで敵機の間合いより離れた位置から穿つ事も己の間合いを自在に変化させ相手の視覚の外から光刃を煌かせる事も出来る。
変幻自在な刃、暗闇から襲う烏、これこそが<レイヴン>。
暗殺仕様機としてカラスの為に作られた彼の剣なのだ。
「ふっ!!」
墜ちた2機を横目に次へと襲い掛かる。アーデル・フリューゲル城の周囲には民家はないとは言えあまり派手に敵機を破壊して被害を出すのは不味い。ならば狙うのは操縦席の一点のみ。レイヴンの両手が唸る。隙の一番大きい1機をまず墜とし、返す刃で次の機体を狙う。だがそれはフェイントだ。迫る光刃に目を奪われて更に1機、横っ腹から刺し貫かれる。これで敵は半減、エドモンド達もカラスを倒さない限りこの先へと進めない事を覚悟する。
『全員で掛かれ!!これ以上、時間も掛けられない!!』
急がなければ増援を呼ばれる可能性もある。そして相手は足止めを考えられる程、半端な相手ではない。全力で戦い、どの様な形であれ倒さなければエドモンド達は先へ進む事が出来ない。
ハルパーの1機が突出する。先走った様にも見えるそれはブラフだ。カラスは迫る光刃を避けて後背を取ると腕を後ろに回してそのまま操縦席を貫いた。残り3機、カラスは目を逸らさない。機体のスペックと操縦者の技量で言えばカラスの方が圧倒的に有利ではあるが数の不利を覆す事は出来ない。油断なく構え、真下から狙ってきた光刃を左腕で払い除ける。
だがそれもエドモンドは想定済みだった。払い除けられた腕を軸に機体を旋回させて本命の左腕を使う。刺されば抜けない鉤爪、レイヴンの右腕は後ろに回されていて伸ばしきったその腕を戻すには遠すぎる。
長い腕はリーチと言うメリットと共に懐に入り込まれた時のデメリットにもなる。エドモンドはこの戦いの一瞬でそれを見極めて行動に出たのだ。ハルパーの鉤爪がレイヴンの右肩に突き刺さる。捕らえた、これでカラスがエドモンドをどう倒そうともその間に動きを封じられたカラスを他の2機が打ち倒す。他の2機もエドモンドごと斬り伏せる覚悟でビームブレードを振り上げる。
勝ったとエドモンドは確信した。
しかし、
「それも想定内だ」
カラスは静かにそう呟いた。真下から狙われた時点で、いや8機のハルパーと対峙した時に既に一番の実力者は誰か見抜いていた。だからこの1機には特に注意をしていた。真下から狙ってきた時も左腕の鉤爪に一番用心していた。
そして装甲の薄い肩を狙わせたのだ。
カラスは機体を強引に動かす。
ハルパーの鉤爪は本来、刺し捕らえた時点でどれだけ機体を揺り動かそうともその爪の返しで抜けない様になっている。だがレイヴンの装甲は限界まで削られた機動性重視の物だ。ハルパーの鉤爪は肩の装甲を引き千切り、レイヴンは拘束から抜け出た。
操縦席で警告音が響くがレイヴンの右腕はまだ動かせる。迫る2機よりも早くレイヴンの光刃はその操縦席を穿った。
馬鹿なとエドモンドは呟いた。旧式とは言え8機の双腕肢乗機を瞬く間に墜としたこの技量。夜の闇で確認できなかったその左肩に刻まれた紋章は三本脚の烏だ。
『精鋭騎士…っ!!<黒翼>のカラス・ザーノスっ!!』
その正体にエドモンドが気付いた時にはもう遅かった。
ハルパーの背後に回されたレイヴンの両腕が静かにその操縦席を貫いた。
何が起きたかもわからずエドモンドはビームの熱によって蒸発した。
アーデル・フリューゲル城の騒乱は帝国議会を預かるアイリーンの耳にもすぐに届いた。尤もガルムに皇女及び皇太子の暗殺指示を出した彼女なので驚きはしなかった。その手法が些か派手であったと言う以外はだ。まさかアーデル・フリューゲル城にまで双腕肢乗機で奇襲をかけるとは思わなかった。ガルムに時間が無かった事を考えればそうした手段に出てしまったのも分からなくなってはないが。
「けれどまさか、カラス・ザーノスがそれを予期して双腕肢乗機を用意していたなんて」
その点にはアイリーンも驚かされた。黒髪とは言え実力はやはり精鋭騎士、頭の回転数が違う。アイリーンは軍事的な事は詳しくない。だが精鋭騎士の実力とガルムの策が露見していた事を考え、この暗殺は失敗するだろうと爪を噛んだ。
本来であれば第2皇太子テオドア9世の暗殺から始まる皇太子及び皇女連続暗殺はダーナ帝国騎士団の失態として言及する手筈だった。過激派組織<ポラリス>の潜伏を許し、その上この帝都内に双腕肢乗機まで待ち込ませていた。更にはそのせいで皇太子が次々と暗殺されると言う事態、ダーナ帝国騎士団の無能を詳らかにする事で議会の手を介入させる予定が滞っている。
「第2皇太子の暗殺だけでは不十分なのよ…あの女傑がいる限り議会派がダーナ帝国騎士団に介入なんてできる筈がないわ」
第1皇女ルーツィエ、数多くの軍人を輩出しているアルカシア公爵家の夫人であり第4皇太子派の影の頭目。ダーナ帝国騎士団にもその影響力を及ぼす彼女がいる限りテオドア9世の暗殺を口実にしても議会が介入する事は出来ない。己が利権の為に暗殺など可愛く見える様な妨害工作をしてくるのは分かり切っていた。
故にリーディアにルーツィエの暗殺をさせようとしたのがそれも失敗に終わった。リーディアを監視させていた騎士からの話では<黒翼>が何かしたらしい。取り敢えずリーディアがこれ以上、余計な事を話さない様に口封じはしたとの事だ。
第1皇女がまだ生きている以上、ダーナ帝国騎士団へ介入するには更に被害を拡大させてルーツィエの手では収束できないところまで持っていくしかない。
まずは第5皇女と第6皇太子。幼い彼らの死は大きな宣伝になる。
そして、
「…私よ。第4皇太子の件、実行に移しなさい」
秘匿回線を開くとアイリーンはそう命じた。何か月も前から第4皇太子のガルバニアの下へ間諜を忍ばせていた。帝国議会の議長とは言えアイリーンにここまでの事が出来るのも偏にあの方々のお陰で―
「―その連絡先の相手を教えて貰おうか」
背後から聞こえて来た声にアイリーンは息を呑んだ。同時に背中に当たる鉄の筒の感触。振り向く事すら恐怖で出来ないアイリーンは声を震わせる。
「どうして…アーデル・フリューゲル城にいるのでは」
「陽動だ。向こうの騒ぎが大きくなればなるほど、他の警戒は薄まるからな」
そうガルムは抑揚なく答えた。
皇帝陛下が住まう皇城で事件が起きれば当然、人の注意はそちらに向く。結果として帝都内の警備は薄まりガルムはこうしてアイリーンの邸宅へ忍び込む事が出来た。
「な、何が目的よ。そっちの要求は守ったでしょ」
「だからお前の要求が通るとでも?これまでの信頼関係をぶち壊す真似をしたのはそっちだ」
突き付けられる銃口の力が強くなる。
「俺たちはこの帝都で静かに根を下ろすつもりだった。旧派の教えを正確に伝え、対話によってこの帝都に旧派の教会を置く事を許してもらい―最後は俺の首を差し出すつもりだった」
旧派の教えを残し血に染まった<ポラリス>と共にガルムは死ぬつもりだった。その為の地均しをしている最中で横やりが入ったのだ。ガルムが2年を掛けた計画は全て水泡と消えた。それも最悪な形で。
「この暗殺が<ポラリス>の物となれば最早、この帝都で<ポラリス>が旧派の教えを広める事は出来ない。いやこの帝国中でだな」
「その復讐に私を殺すの?!」
「それもいいがな。だがこの計画、お前に立てられるとは思ってはいない」
一つは頭の問題として。政治の世界ではやり手だとしても暴力の分野は枠外だ。だからこそ容易く後ろを取られる事になる。
もう一つは―力だ。
「お前に力を貸したのは誰だ?大よその見当はついているがな。二つに一つだろう」
「何を言って―」
「誤魔化すな。教主派の<三つ目>ジジイのマシューか?それとも<開拓者>を詐称する新派のドレイクか?」
アイリーンは肩を震わせた。どちらの名前で肩を震わせたかをガルムは確認すると、
「そうか…」
アサルトライフルの引き金に指を掛けた。
しかし直ぐにガルムはアイリーンに飛び掛りその首に腕を回して捉える。背中に突き付けていた銃口をアイリーンの顔の横に動かし、
「出て来い。居るのは分かっているぞ」
「…気配の断ち方ではやはり武人には劣るな」
そう呟きながら扉の外からガルムに消音機付きの拳銃を向けていたのはディーンだった。
特徴的なその外見にガルムは直ぐに気付いた。
「…<灰翼>、ディーン・カノータスか」
「私も貴様を知っているぞ。<番犬>ガルム」
<ポラリス>で最も頭が切れそして危険を察知する能力に掛けては追随を許さずガルムによって守られたメンバーは数多い。その分、星間連合軍やダーナ帝国騎士団が苦汁を飲まされてきた。ついたあだ名が<番犬>、危険に鼻が利き<ポラリス>と言う家を守る男。
「ふん。流石に陽動だとバレていたか」
「その可能性もあると考慮しただけだ。貴様の目的が後宮への奇襲であるのならそちらは問題ないからな」
ディーンはつまらなそうに言う。そう何も問題はない。あの場にはカラスが居る。どれだけ気に入らなくてもその実力はディーンも知っている。
皇帝とあの皇妃への忠誠心、如何なる事があろうとも揺らぐ事のないその忠誠心にディーンは恐れすら抱いている。
カラスはあの方々の為であれば何でもする。剣も名誉も命も懸けて―それを全て捨て去る様な汚い手段だろうとも目的遂行の為には迷わずに取る。
何をしでかすか分からないから最も恐ろしい。帝国最強の騎士はゼクスだ。しかし最恐と言う意味では間違いなくカラスが帝国一だ。
その帝国最恐の騎士とそれに追随する部下が守るあの後宮に何が起きると言うのだ。
少なくともディーンは何も起こりはしない、と言うよりも起こせはしないと考えていた。
「下手な抵抗はやめた方が良い。既にこの邸宅は包囲してある。それに私は武人程ではないが帝国騎士であり、軍人の端くれだ。この距離であれば外し様がない」
「…部屋の外には俺の部下がいた筈なんだがな」
ガルムが前髪から暗い瞳を覗かせる。ディーンは眉を顰めてからあぁと呟き、
「全員、殺したが?」
ディーンが入って来た扉の外、僅かに開いた扉の向こうに彼女の髪が広がっているのが見えた。ガルムはそれを冷静に確認し、
「軍人の端くれか。どの口が言うんだ。この部屋に来るまで俺に気配を全く感じさせず邸宅内にいた3人の部下を全員殺して回るなんて―普通じゃない」
「だろうな」
そう返したディーンの瞳は縦に細く蛇の様だった。ガルムの背にゾクリと震えが走る。噂では<灰翼>は薬物投与などで超人的な頭脳と軍人としての能力を手に入れたと聞いた事がある。それが帝国最年少で精鋭騎士になったディーン・カノータスと言う男。
だが、
「噂に違わない<灰翼>も人質を無視して俺を撃てるか?」
アイリーンに突き付けるアサルトライフルに力を入れる。当たり前だがこの距離ならディーンが撃つよりもガルムが先にアイリーンの頭を弾けさせるのが早い。或いは同時か。ディーンが人質の命よりもガルムの首を狙うならそれもあり得る。
少なくともアイリーンはその可能性を危惧した。ディーンが何も言わず銃を突き付けたままなのも先に自分を始末する為ではと考えてしまい、
「い、いやあっぁぁ!!」
火事場の何とかと言うのか。出鱈目に振り回した腕がガルムの顎に当たった。急所への一撃にガルムに隙が生まれる。腕の力が緩み、アイリーンはガルムから抜け出し部屋の外へ走り出そうとした。
しかし僅か数歩、大きな窓の前まで進んだ所で彼女の足は止まった、いや止められた。
窓ガラスを突き破って奔り抜けたライフル弾によってだ。
ディーンとガルムの頭に狙撃と言う言葉が同時に浮かぶ。
しかし先に行動したのは、
「ぐっ」
手にしたアサルトライフルを床に落とし蹲るガルム。その腹からは鮮血が滴り落ちていた。狙撃手を警戒したガルムに対してディーンは躊躇する事無く引き金を引いた。
もしも狙撃手がディーンを狙っているとしたら既に撃たれていた筈。にも拘らずアイリーンが狙撃しやすい位置に動いた途端に行動に出たという事は少なくとも狙撃手の目標はディーンではない。ならばまず倒すべきは目の前の<番犬>、そう判断してディーンは引き金を絞ったのだ。
「…」
ガルムを撃った後も狙撃はない。となれば目標はアイリーンとガルムという事かディーンは考えた。このタイミングでの狙撃、否が応でも口封じと言う単語しか出て来ない。
一瞬でアイリーンを狙撃してみせた凄腕の狙撃手もだが、
「問題は誰が裏で手を引いているか、だな」
この帝都で起きた事件、その首謀者はどうやらディーンにすら今だ瞳に捉えられない相手である様だ。