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流星のヴァルキリー  作者: 夢見 旅路
第4章 騎士の帝国
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第16話 とある妃の隠し事・④

 エミリアの後宮入りの話は瞬く間に広がった。

 グレイシア卿からも祝いの品と言葉が届き、奥方からは嫁入り教育に全面協力をさせて欲しいと申し出があった。母を亡くしているエミリアとザーノス家にとって渡りに船だった。明くる日から早速、エミリアはグレイシア卿の家に通い奥方から教育を受けていた。

 使いの者が来てから2日後、エミリアがグレイシア卿の家に行っている間に珍しい事にカラスは当主から呼び出しを受けていた。

 エミリアの後宮入りに関してだろうとカラスは考え、書斎に向かうと当主は椅子に座り窓の外を眺めていた。

「……当主様?」

「あぁ…来たか」

 ノックをして返事もあったというのに当主はカラスが書斎に入って来た事に今気づいた様だった。

 どこか様子がおかしいのは明らかだった。体調が優れないのだろうか。

「……カラス。お前はエミリアからこの事を聞かされていたのか?」

 後宮入りの事だろうとカラスは考え首を横に振って否定した。

「いいえ。私は只、待って欲しいと言われていただけでした。エミリア様が皇帝陛下のお妃になられるとは思いもしませんでしたが…これ程、ご本人とザーノス家にとって名誉な事はないでしょう」

 そうカラスは本心から言った。

 だが当主は一瞬、険しい顔をしてそして、

「いや、そうだな。我が娘が皇帝陛下の寵愛を受ける事になるのだ。素晴らしきことだ…きっと祖先も、妻もそう言ってくれる」

 気弱なそんな言葉を口にして当主は俯いた。

 カラスは小さくなったその肩を見てグッと堪えた。

「……当主様、どうかそのお言葉をお聞きに行くのは暫くお待ち下さい。半年後にはエミリア様の結婚式があるのです。そこに当主様の姿がなくてはエミリア様の一生の記念の日に一点の曇りを残すことになります」

 エミリアが後宮に上がれば必然的に婿を取ってザーノス家を存続させるという道は無くなる。何よりも家の存続と名誉を上げる事を考えてきた当主には自分の代でザーノス家を終わらせてしまう、その事を気に病んでいるのだとカラスは思った。しかし当主にはもう暫くの間は現世でその家名を守って貰わなければならない。エミリアの晴れの舞台に居てもらわなければならないのだ。

「…その事で話がある」

 当主はそう言って顔を上げた。

 その顔は何か憑き物でも落ちたかのようにある種の諦観があった。

 そして続けられた言葉はカラスが予想だにしない物だった。

「カラス、貴様を次のザーノス家の当主に任命する」

「…は?」

 理解できなかった。あれほど自分を嫌っていた当主がザーノス家の誇りを守ろうとしていたあの当主が黒髪の自分を次の当主に?

 信じられずに呆けていると当主は淡々と話を続けた。

「帝国騎士団にはそのまま入団せよ。戦場で何か功の一つでも上げたら適当な所で退団して嫁を取れ。出来れば…そうだ、グレイシア卿の再従妹に商家の者がいる。そこの家に私の叔母が嫁いでいるのだが年頃の娘が何人かいるはずだ。出来ればその家の者を娶れ。そうすればザーノス家の血が少しは濃くなる」

「お、お待ち下さい!!」

「子を成し、家を存続させる事だけを考えよ。それ以上は求めはせん。叔母は貴族が嫌いで貴族籍を抜いて出て行ったが、致し方あるまい。私も骨を折って頼み込もう」

「ご当主!!」

 カラスは視線を虚空へ彷徨わせたままの当主に向かって大きな声を出した。

 だが当主は静かに首を横に振り、

「全ては…エミリアが考えた事だ」

 と言った。その言葉にカラスは頭を鈍器で殴られた様な衝撃を受けた。

 当主の前でなかったらそのまま床に崩れ落ちていたかもしれない。

「未来…予知」

 掠れる声でそう呟くと当主は遠い目をする。

「戯言…子供の戯言だとずっと思っていたよ。そうでなければ如何して妻の事故を教えてくれなかったのだと。妻を止めてくれなかったのだと思わずにいられんよ」

 何時の日にかエミリアが言っていた。

 偶にそう言った物が見えるだけ。

 見たいものが見える訳ではなく全てが見通せる訳ではない。

 その話も昔ほどしなくなった。

「こうなる事をあの子は知っていたのだ。だからきっとお前にも心を砕いていたのだろう」

 そう言って当主はフッと思い出したように笑い、

「存外、帝国を救う騎士と言う話も本当なのかもしれんな」

 そうであればザーノス家の名誉は何と誇らしい事だろう。皇妃と帝国の剣、歴代を遡ってもこれ程の誉れはない。そんな事を当主は考えていた。

 けれども当主が生きてその誉れを見る事が出来たのは片方だけ。エミリアの後宮入り後、2か月して静かに彼は息を引き取ったのだ。


 懐かしい夢を見たとカラスは呟き目を覚ました。時計を見ればまだ1時間も経っていなかった。今日は色々な事があり過ぎた。そのせいで目が―いや勘が冴えているのかもしれない。カラスはベッドから身を起こすとベッドサイドの水差しを手に取った。

 別に喉は乾いていなかった。コップに水を灌ぐ振りをしながら機を待つ。

 そして扉が開かれる瞬間を狙って―

「っ!」

 扉を開けた人物は驚いた。突如として顔面に冷たい水を叩きつけられたのだから。

 カラスは手にした水差しを横に振るい侵入者の顔へ水を叩きつけたのだ。殺傷に至る程ではない。だが突然、水を掛けられれば当然誰しもが驚く。その隙を狙ってカラスは侵入者の身体を抑え床にねじ伏せた。

 だがそれをカラスは大いに後悔した。

 言い訳をさせてもらえばまずカラスの勘は冴え渡っている代わりに神経は過敏だった。侵入者をよく確認せず対処する程度にはだ。

 次に暗闇でよく見えなかったのだ。烏の癖に夜目は抜群だろうとディーン辺りには揶揄されるがこの時は本当に見えなかったのだ。

 次にまさか相手が女性だったとは思わなかった。床にねじ伏せた時に触れた胸の感触で気付いたとは絶対に言いたくない。

 最後にこの場所に彼女が居る筈があり得なかったのだ。

「は…?」

 カラスは目を見開いた。

 床にねじ伏せた相手。それは先ほどまで夢の中に出てきた自分の恩人でありそして―

「エミリア、様…?」

 そして―皇妃だとはたとえ誰であっても予想は出来なかった筈だ。


 自分はまだ寝ぼけているのだろうか。あぁきっとそうだ。これは夢に違いないとカラスはぐるぐると頭の中で考え込んでいた。

 だってそうでなければおかしいのだしこの腕に触れている柔らかい感触だってきっと気のせいで―

「えっち」

 その一言でカラスは我に返った。音もなく一瞬で飛び退き両膝をついて額を床に叩き付けた。遥か昔より東洋に伝わると言う最大の謝罪を現すと言う秘儀であるとカラスは聞いている。その秘儀の名は―所謂、土下座である。

「もももももも、申し訳っ!!」

「カラス。夜中よ静かにしなさい」

 そう言われカラスは口を噤む。

 いやその前に待て。何でここにエミリアがいるのだ。幼少ならともかくここ最近は例の未来予知とやらも出来なくなっていると聞いている。人目を避けて後宮の館から館へ訪れるのは難しい筈。そうカラスが考えていると、

「この躑躅の館と勿忘草の館は地下で繋がっているのよ」

 第1皇妃様たちの館のようにねとエミリアは言った。そうか緊急時の避難経路としてあるのか。カラスにそれを教えなかったのは恐らく、エミリアとの事を疑われてだろう。

 だが問題は何故、エミリアがここに居るかだ。カラスは土下座の姿勢から片膝をつき、跪く。

「エミリア様。この様な夜更けに何故―」

「……相変わらず他人行儀な口振りね」

 ハァとエミリアは溜息をついた。カラスは勘弁してくれと言いたいのを堪えた。折角、こちらが余計な噂が立たない様に気を付けているのに。エミリアが後宮に入った際に第4皇妃と言う立場から様々な悪評も立った。その中には黒髪の愛人がいるという物もあった。カラスはその意図を察し、エミリアとの接触をこれまで断つ様にしてきた。だと言うのにこの人妻になった従妹は事ある毎に手紙やら送って来るのだ。返事を出さない訳にもいかないので書くのだが任務の性質上、返事が2か月や3か月後になる事もある。それでもエミリアは手紙を出す事を止めない。

 手紙の中でそれとなくもう手紙を出さないでくれと伝えているのだが分かっていて無視しているとカラスは思っている。本当に危険なのだ。只でさえ後宮内ではジェガス17世から格別の寵愛を受けているという事で他の皇妃たちの妬みを受けているのだ。妙な隙を見せないで欲しい。直接会いに来るなんて論外だ。

 等と口にしたところでこの人が聞いてくれる筈もないのは幼少の頃より知っていた。

 全てを諦めカラスは顔を上げた。

「…ではエミリア様。何かご用向きが御座いましたらどうぞお申しつけを」

 一番、面倒がないのはこのままエミリアの用向きを聞いてさっさとそれを済ます事だ。幼少の頃よりの諦観である。先程まで見ていた夢に引っ張られているせいか色々と余計な事を考えている自分に気付く。

 ただ違うのはあの頃よりもその用向きの内容が真剣であるという事だ。

「カラス。ダーナ帝国騎士団の騎士として貴方にお願いします」


 これまで後宮は皇室規範により皇妃は3名までと定められていた。しかしジェガス17世はこの規範を変えて第4皇妃としてエミリアを迎え入れた。

 それはジェガス17世がエミリアの噂を聞いたからだ。

 未来を予知できると言う噂、原因不明の病を抱えるジェガス17世はその噂に縋った。自分は治るのかを、それが無理ならば自分の死期が何時なのかを知りたいが為にだ。

 後宮に連れて来られる前からエミリアはそれを知っていた。だから最初の晩にエミリアはその事を告げその上でジェガス17世に告げた。

「望む未来が視えるかどうかは分かりません。視える回数も年々、減っています。それでも陛下は私を傍に置かれますか?」

「構わん。お前は常に視えた事か視えなかった事を私に告げればいい」

 この時、ジェガス17世は焦燥に駆られていた。エミリアを強引に後宮まで引き上げたのも音もなく近づく死への恐怖故、彼とてエミリアの未来予知を本気で信じてはいなかったのだ。この時はまだ、だ。

 エミリアはその後、度々だがジェガス17世にその片鱗を見せた。簡単な失せ物や天気、日々の小さな事をエミリアは当てて見せた。そしてその穏やかな人柄がジェガス17世の心を少しずつ凪の様に収めて行った。病を恐れて顔を出す事が少なくなった皇妃たちと違い、エミリアだけがジェガス17世と過ごす事を拒まなかった。

 9年の時の中でジェガス17世とエミリアの間には子供は生まれなかった。病のせいかもしれない。ジェガス17世も周囲の人間も誰もがそう考えていた。

 しかし4年前、第2皇妃の侍女であったリーディアがジェガス17世の子供を授かったのだ。

 偶然、目に留まったリーディアがジェガス17世に気に入られ一夜の相手を務めた。それが切っ掛けで子供を授かった事からジェガス17世が責任を持ち彼女を第5皇妃として迎えた。と言うのは半分ほど表向きの理由だ。

 その日、体調が優れなかったジェガス17世は久方ぶりに第2皇妃と夕食を共にした。だが食事が進むにつれジェガス17世の体調は悪くなり席を早々に立った。その時、通された部屋にいたのがリーディアだった。

 これは噂だが寵愛が薄れゆく第2皇妃が既成事実を捏造しようとしたのではないかと言う話だ。子は出来なくても愛されてはいるのだぞと。とても短絡的な事でそれを証明しようとした。その為に夕食にも良くない薬が盛られていた。その薬の影響でジェガス17世は意識が朦朧とする中、リーディアに手を出してしまった。何故そこにリーディアがいたのか。それは分からない。当の本人も頑なに語らない。ただ大きな後ろ盾のないリーディアが第2皇妃の命に逆らえただろうか。

 第2皇妃の誤算はリーディアがその後、子を成してしまいジェガス17世がその事を覚えていた事だ。

 ここまではカラスも把握していた。

「ですがその時、リーディア様には意中の方がいたのです」

「…婚約者がいたのですか?」

 それはカラスも初耳だった。しかしエミリアは首を横に振った。

「いいえ。互いに秘密の逢瀬だったとの事です」

 それを知ったのはエミリアも最近の事だった。彼女がハルトを身籠ったのを予知した時だった。しかしそれはあり得ない事だった。

「私が予知したのは5か月前にハルト殿下がお生まれになる瞬間でした」

「…?3ヵ月前では?」

 そうカラスは聞いていた。

「いいえ。本当は5か月前にお生まれになっていたのを隠していたのです。妊娠時期を誤魔化す為に」

「リーディア様が妊娠された時期にジェガス17世がお相手されたのが矛盾するからですか?」

「えぇ。その時期、ジェガス17世は長く床に臥せており皇太子が式典の代役を務めるなどしていました」

「式典…」

 それに皇太子。カラスの頭の中で様々な事が思い返される。

「……第2皇太子のテオドア9世様は、確か昨年にリーディア様と式典に出られて、いましたね」

 そんな事があるのかとカラスは思った。だがエミリアは否定しなかった。

 カラスは息を呑んだ。

 リーディアの4年前の意中の相手、それはテオドア9世だったのだ。レアはジェガス17世がリーディアを皇妃として据える際に遺伝子検査をしている。ジェガス17世の本当の娘であると証明する様にと周囲から求められたからだ。なのでレアがジェガス17世の御子である事は間違いない。

 しかしハルトは違うのだ。

「ハルト殿下の父親は、テオドア9世様なのですね」

「……リーディア様は仰っていました。誰も裏切るつもりは無かった。けれど自分の心に嘘も付けなかったのだと」

 ジェガス17世からの愛に嘘は無かった。生まれて来るレアの事を想い、ジェガス17世はリーディアを皇妃として迎え入れた。その厚意をリーディアは受け入れた。どの道、テオドア9世と結ばれるはずもない。生まれて来る子の事を考えれば故郷に戻るよりもこの帝都でジェガス17世の庇護の下で過ごした方が安全だろうと考えたからだ。

 だからリーディアはテオドア9世との事をジェガス17世には伝えなかった。

 テオドア9世も一度は身を引いた。父であるジェガス17世を憎みもした。だが彼女のお腹にいる子供に罪はなく第2皇妃に嵌められたリーディアを恨む事も出来なかった。

 ジェガス17世だけが何も知らなかった。知らなかったからテオドア9世とリーディアをエリシュアへ向かわせたのだ。

 そして再開を果たした二人は道ならぬ恋の炎に焼かれてしまった。

「ですが知ってしまったのですね。貴方が」

「大きな未来を視るのは本当に久し振りでした。けれど無視する事は出来ない内容でした」

 帝都へ帰って来たリーディアは身体の変化に気付いていた。青褪める彼女にエミリアは辛抱強く説得を続けそしてジェガス17世に全てを話した。

「世間に公表する訳にはいきませんでした。過ちであるとは言え先に手を出してしまった陛下にも負い目があります。今の状況下で大きなスキャンダルは避けたかったのです」

「それで殿下の誕生を遅らせて発表した…」

 エリシュアにいた時期に妊娠したのではなくその後に妊娠した様に見せかける為に。出産をした後もベッドから起き上がらずに布団をかけ服の下に詰め物をして妊娠している様に見せ掛けたり、若しかしたら生まれたばかりのハルトはエミリアのいる勿忘草の館に預けられたりしていたのかもしれない。

 だが、

「それでも殿下の秘密に気付いた者がいた」

 帝国議会の議長、アイリーン・ストロフ。議会派を率いる彼女は一体どこでその情報を掴んだのか。気になるが今は後回しだ。

「どの様なやり取りがあったのか私にも分かりません。ただ―」

 エミリアは憂いた顔をする。偶然にも見えたそれを彼女に伝えたのが間違いだったのかもしれないと。

「私の眼にはリーディア様が苦しむお姿が見えたの」

「それはっ!?」

 まさか今日の事は既に予知していたのか。リーディアはそれを知って尚、あの宴に参加したと―カラスはそう考えたがエミリアは首を横に振り、

「私が視たリーディア様のお姿には血の跡は一切なかったわ」

「では…一体何が?」

「今日までは…いいえ、つい先程までは何も視えなかったの。でも視えてしまった」

 エミリアはそう言うとカラスの両手を握り締めた。

「お願いカラス。あの子たちを護って。このままだとあの子たちにどんな危険が待っているか分からない」

 視えたのは本の一筋の光景。恐怖の顔を浮かべた幼い彼女とその腕で眠る弟の姿。

 そして拳銃だ。

「リーディア様がお苦しみになられたのは、まさか」

「えぇ。レア殿下とハルト殿下に何か危機が訪れたからよ」

 事件はまだ終わってはいなかったのだ。


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