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流星のヴァルキリー  作者: 夢見 旅路
第4章 騎士の帝国
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第15話 とある妃の隠し事・③

  カラスが物心着いた頃には母はいなかった。東洋人であると言うだけで差別される帝国では黒髪の人間が働くのはそれだけで苦労が絶えない。

  母も例に紛れず職に苦労し身体を売るしかなかった。そんな職だからトラブルも絶えず、客同士の揉め事に巻き込まれて死んだ。残されたカラスは母の仕事場で幼少を過ごし、下働きをしていた。出来る事など少なく、力も無い子供で周りからは疎んじられた。

  そんなある日、さる貴族の使いを名乗る人物がやって来た。確かそう、カラスが7歳になる位の時だった。

  驚く事にカラスを引き取りたいと申し出たのだ。その人物が言うには、カラスはさる貴族の当主の弟がカラスの母との間にもうけた子で当主の弟がつい最近になって死にその事が分かったのだと言う。

  十分な礼金を払うのでこの事は内密に引き渡してほしいとその人物は言った。元より必要とされていなかったカラスはあっさりと引き渡された。

  この時点でカラスの意思確認はなかった。分かり切った事だからだ。カラスに決める権利はなく、ここに残っても貴族の家に引き取られても待遇に変わりない事もだ。

  カラスを引き取ったのは貴族の対面の為だ。当主の弟が外で作った子供、それも場末の娼婦との子など醜聞でしかない。仕方なく引き取られたカラスはその貴族の家、ザーノス家でも冷遇される―筈だった。


「どうしてその子だけ一緒にご飯を食べないの?」

 始まりはそんな一言だった。ザーノス家に引き取られて以降、カラスは何もない部屋で軟禁されているのと変わりない日々を送っていた。与えられた部屋は物置の様な部屋でベッドがあるだけだった。そこで1日の大半を過ごし、食事の時だけ食堂に連れていかれる。貴族として同じテーブルに着いていると言う体面を保つ為だ。しかし食事の時間は当主たちとは別の時間にずらされカラス1人でパンとシチューと言った簡易な料理が並べられるだけだった。それでもカラスのそれまでの待遇を考えれば十分に贅沢な食事だった。

 そんな食事が20と数回続いたある日の事だった。カラスが食事をしているところにある少女が現れたのは。

 いつも通り、当主たちの食事が終わった後で通された食堂にはいつもと同じ料理が並べられていた。椅子に座りスプーンで大きくよそったシチューを口に頬張ろうとしたところで突然、扉が開いたのだ。ギョッとした表情を見せたのはカラスを見張っていた執事の1人だ。

「エ、エミリア御嬢様!!ここには来てはならないと…!!」

「ねぇロドフィール、どうしてその子だけ私たちと一緒にご飯を食べないの?」

 エミリアと呼ばれた少女―ザーノス家当主の愛娘であるエミリアは小首をかしげて執事に尋ねた。

「…この子はエミリア様方、ザーノス家とは違い…」

「でもハロルド叔父様のタネなんでしょ?」

「エミリア様!?どこでそんな言葉をお覚えになりました!!」

 貴族の令嬢が口にしてはいけない単語が飛び出してきたことに執事は顔を真っ青にした。娼館で暮らしていたカラスもその意味は分かっていた。分かっていて多分、この子は子供って意味の言い回しだと知っているんだろうなぁと考えていた。

「メイド達が集まって言っていたわ。ハロルド叔父様のタネがお屋敷に上がり込んできたって」

「情操教育に悪いことを…!!」

「あと何だったかしら?尻軽女(ビッチ)とか無駄打ちとか…あと…」

「エミリア御嬢様!!お口にチャック!!」

 相当、動揺しているのだろう。執事はエミリアの口を手で塞いだ。他の人に見られたら逆にこの執事が何を言われるかわからない。それに気づけないほどに動揺しているのだ。

「でもロドフィール。その子はハロルド叔父様のタ…」

「お子です!!ハロルド様の第一子にございます!!」

 執事はエミリアがスラングを口にするよりも前にカラスをハロルド―ザーノス家当主の弟の名前でカラスはこの時、初めて父の名前を知った―の息子だと認めた。

「そうよね。ハロルド叔父様の子供なのよね」

「え、えぇそうです」

「だったら私たちの家族でしょ?どうして一緒にご飯を食べないの?」

「エミリア様。ハロルド様の息子とはいえ、この子はザーノス家に来て間もない庶子の子であります。格式あるザーノス家の方々と同じ卓を囲むのは時期尚早で…」

「でも呑んだくれのハロルド叔父様だって死ぬ間際まで同じ食卓で食事していたじゃない」

「呑ん…!!」

 執事が言葉を詰まらせる一方でカラスはこの時、初めて少女の方へ顔を向けた。

 あどけない表情に苦労の一つもした事がなさそうな小さな手。典型的な御嬢様と言う奴だ。けれどその眼の奥に隠された利発さに気付く人間はどれくらいいるのだろうか。

 カラスは黒い眼を細めた。

「ハロルド叔父様だってメイド達は色々噂していたわ。えっとね、例えば…」

「エミリア様!!エミリア様!!お願いでございますから口には出さないで下さいまし!!このロドフィール、ハロルド様の事は知っております故!!」

「そう?でもそのハロルド叔父様と同じように噂されているその子が私たちと食事をするのが駄目でどうしてハロルド叔父様と私たちが一緒に食事するのは良かったの?私、お酒ばっかり飲んでいるハロルド叔父様と食事するの嫌だったわ」

「そ、それはですね…」

 執事は言い淀む。迂闊なことを言えばハロルドを貶める事になり、場合によってはザーノス家を悪く言うことにもなりかねない。言葉を必死に選ぼうとする執事を他所にカラスはパンでシチューの皿を拭って口に頬張ると、

「その辺にしてあげなよ。その人、すごい困ってる」

 カラスは執事に助け舟を出した。

 そうこれは少女の意地悪だ。カラスを自分たちと同じ食卓を囲ませない様にしている大人たちにあどけなさを装って責めているのだ。

 タネとか尻軽女とか彼女は意味が分かったうえで言っているのだ。そしてそう言った言葉を自分が使えば周りの大人がどんな反応を示すか分かったうえで口にしているのだ。

 この子は将来、ひどい悪女になるなとカラスは思った。

 そんな風に考えていると少女はコクリと首を横に傾け、

「嫌よ」

「…どうしてさ。俺の事なんか君には関係ないでしょ」

 カラスは冷たい目でエミリアを睨む。安い同情心から見下されるのは我慢ならなかった。

 エミリアはそれでもめげずに首を横に振って、

「嫌」

「だから何で」

「貴方が将来、帝国を救う騎士になるからよ」

「は?」

 全く意味が分からない。そんな顔をするとエミリアは悪戯気な笑みを浮かべて、そのうち分かるわと言って席に着いた。

「今は取り敢えず、貴方の事を教えて。カラス」

「教えてって何を…」

「そうね。まずは…」

 それから暫くエミリアとの他愛無い会話は続いた。もう自分の手に負えないと判断した若い執事が叱責覚悟で執事長を呼びに行き、エミリアが連れていかれて行く間に交わした会話は本当に他愛もない物ばかりだった。けれどカラスがこの屋敷に来て初めてまともに喋ったのはこの時が初めてであった。

 それからもエミリアは毎日の様にカラスへ話しかけてきた。最初は食堂だけだったのが次第にカラスが普段、幽閉されている部屋へと入り込んで来た。それも昼夜を問わずにだ。朝早くに起こされたかと思えば東洋人は朝食に腐った豆を食べるのかと問われ、真夜中に寝付けたと思ったら布団に入り込んできて百物語をしようと言い出した。

 腐った豆に関しては嘘出鱈目であると告げ、百物語は二人でやるには厳しく結局20を超えるか超えないかの辺りで二人とも寝入ってしまった。前者に関しては後日、そう言った食べ物があると知りエミリアに嘘つきと言われ罰として実際に食べさせられた。顔が青褪めるような味だったのだけ覚えている。後者は次の日の朝、同衾している所を若い執事に見られ胸倉をつかまれズボンを引きずり降ろされた。間違いでもあれば、いや同衾しただけでも危ない。ザーノス家を追い出される処か命の危険もあっただろう。カラスと若い執事で証拠隠滅に走ったのをよく覚えている。

 思い出すときりがない。その度にカラスかあの若い執事が被害を被っていた。

 どうして誰も彼女を止めないのか。カラスが辟易してきたある日、ある噂を耳にした。


 曰く、エミリア・ザーノスは未来予知が出来るらしいと。


「そんな大袈裟な物じゃないの。ただ何となく、そう言った物が見える時があるだけ」

 エミリアはそう言いながら針を動かしていた。刺繍の宿題を家庭教師から言いつけられてやっているのだが如何せん、カラスにはそのハンカチに施されたものが何なのか見当もつかなかった。小鳥に見えなくもないのだが、エミリア様?目が3つあるんですが大丈夫ですか?

「んー上手くいかないなぁ。カラス、お茶を淹れてくれない?」

「かしこまりました」

 カラスはそう言うと手慣れた感じでお茶を淹れ始めた。出会ってから2年ほど経った。カラスは10歳になる前にエミリアの従者、その真似事をしていた。

 エミリアの積極的―いや行動的な説得によりカラスは当主によってザーノス家の一員として正式に認められた。貴族名簿に名を乗せ教育も受けるようになったが黒髪を理由に社交界に出して貰える事はなかった。日々何もする事がなく過ごすというのも苦痛でカラスはエミリアの世話係をほぼ自発的に務める事にした。

 何故、ほぼ自発的なのか。それは、

「ねぇカラス。無理に私に付き合わなくていいのよ?貴方は将来、帝国騎士になるのだから今の内に貴族学校に行かないの?」

「結構です」

 事あるごとにそう言うがエミリアの言う貴族学校とは名門中の名門で有名な所だ。この黒髪で入学でもした日にはどうなるかなんて子供の自分でも分かる。

 それ位ならここでエミリアの世話係をやっていた方がまだ無難だ。

 エミリアも口では進めながらも話し相手がいる今の状況を楽しんでいる。

「だったらせめてグレイシア卿の所で剣の修行をしたらいいわ。立派な帝国騎士になるんだったらその方が後々、役に立つもの」

「…帝国騎士になるかどうかは兎も角、身を守るすべ位は覚えていても損はないかもしれませんね」

 迂闊に返事をするべきではなかった。

 グレイシア卿なる人物が古参の帝国騎士でありながら裏街道でも顔の広い、まぁ力で物を言わせる様な家だとは知らなかった。

 12歳くらいの歳になるかならないか。その頃にはエミリアの護衛を任される程度には力を付けていた。

 当時のグレイシア卿―ドーラの父である―に言わせれば筋が良いとの事だった。

 実力主義を重んじるグレイシア卿は筋の良いカラスに目をかけていた。

「カラス、行く所に困る様だったら我が家を頼ると良い。何だったら俺からザーノス殿に頼んでもいいぞ」

 はいと頷けば待っている将来は何とかの兄貴とか呼ばれる役職だろう。

 自分の黒髪を考えれば悪くもない道かもしれないが、

「…有難いのですが、今はまだ」

 恩義を返せていない。

 それはザーノス家にではない。

 自分をここまで救ってくれた彼女にだ。


 14歳の時にカラスはザーノス家の当主に士官学校に入れさせて欲しいと願い出た。彼女の言葉を真に受けた訳ではないがカラスは帝国騎士になる事を決めた。帝国を救う程とはいかなくてもせめて彼女を守れるくらいの力を。

 そう願っての事だった。

 当主はその申し出に考えた。一つ年下のエミリアにはその頃にはもう縁談の話が幾つか来ていた。従妹同士とは言え、年の近い異性がいるのは好ましくないと当主は考え、条件付きでそれは認められた。それは士官学校を出て帝国騎士団に入団した後、ザーノス家から出ていく―自立する事だった。カラスはそれを了承し士官学校に入学した。

「最近のカラスは学校かグレイシア卿の所で剣の修行をしているかのどちらかでつまらないわ」

「そうは言いましてもエミリア様。私は帝国騎士になると決めたのですからこれまで以上に切磋琢磨しませんと」

「…その喋り方も嫌いよ。すごく他人行儀だわ」

 そう言ってエミリアは頬を膨らませた。フグみたいだと言ったら怒るだろうか。

 だがカラスとしては適度な距離を取らなければならない。ザーノス家を出たらエミリアとは他人になる。そうでないと分かれが辛くなるだけだ。

 カラスは機嫌を取るために紅茶の準備を始めた。


 士官学校に入って一年が経った。もう一年もすれば帝国騎士団に入団する事になりザーノス家から出る事になる。その事はエミリアには伝えていなかった。だが何時もの優れた勘で何かを感じ取ったのか宿舎にいる時は頻繁に連絡を取ってくるようになった。偶の休みに家に戻れば何処へいても付いて回って来た。グレイシア家に鍛錬へ向かう時ですらだ。

「エミリア様、ここにいてもお暇でしょう?お館に戻られては…?」

「嫌よ」

 そう言ってエミリアはムスッと頬を膨らませる。やっぱりフグみたいだと思った。言ったら引っ叩かれるけど。

 グレイシア家の道場で剣の訓練をしている間もエミリアはずっとカラスを見ていた。

 普段はむさ苦しい男しかいないグレイシア家に現れた可憐な少女に門下の男たちは居た堪れない表情をしていた。汗をかいたからと言って素っ裸で水を浴びる事もこれでは出来ない。

 兄弟子のドーラが困った顔でカラスを見ている。

 目で訴えている。どうにかしろと。

 目力の強い兄弟子にせがまれカラスは溜息をつきつつエミリアの機嫌を取ろうとする。

「ではグレイシア卿のご自宅で奥方とお話をされてはどうでしょうか?奥方様も随分とエミリア様の事を気に掛けていられましたし」

「夫人は私の縁談が進んでいない事を気にしているのよ。お母さまが去年亡くなられて以来、ずっと縁談に付き合ってもらっているから」

 エミリアの母親は昨年、事故に巻き込まれて亡くなった。それ以来、エミリアの父も体調を崩す様になり、エミリアの婿取りはザーノス家の命綱だ。

 この命綱が途切れれば御家断絶もありえる。

「ご当主様の為にもご縁を早く結ばれた方がよろしいのでは?」

「私が決めた相手でないと絶対、結婚しないって言ってあるの。もし無理に婚約を決めたらカラスと駆け落ちするって言ってあるから」

「だからここ最近、帰るたびにご当主様から監視されているんですね…」

 本当に病床の身なのか疑いたくなる様な眼でカラスを睨んでくるのだ。使用人たちの目も厳しい。居た堪れなくなり毎度、グレイシア家に来ては鍛錬に勤しんでいる。

 それをエミリアが後を追ってくるので当主の眼は更に厳しくなるばかりだ。

「…ふふ」

「どうかされましたか?」

 カラスの肩を落とした姿を見てエミリアは微笑んだ。何か可笑しい事でもあろうか。

 カラスの心情としてはちっとも楽しくない。

 帰るのが嫌になって来た。

「ううん。ザーノス家はカラスにとって帰るところになったのね、と思って」

 嬉しいわとエミリアは言った。

 何を言うのかとカラスは思った。そこ以外に帰る場所なんて自分にはないと考えて―そんな風に考えた自分に驚いた。

 知らず知らずの内に自分は、

「カラス?顔が赤いわよ?」

 そう言って笑うエミリアをカラスは直視できなかった。

 居心地が悪いと思っていてもそこは確かに自分の帰る場所だったのだとカラスはその日、知ったのであった。


 その日の帰り、隣を歩くエミリアはひっそりと呟いた。

「でもね。私、本当は知っているの。誰と結ばれるのかって」

 その表情は諦めと少しの喜びがあった。

 その人が自分を大切にしてくれる事を知っているから。

「その相手は貴方じゃないの」

 カラスは自分がその相手でない事くらい自分で分かっていた。それ程、自惚れてはいない。

 けれどその時、カラスは自分がどんな表情をしていたか思い出す事は出来ない。


 それから半年の事だった。

 エミリアの父の容態は日に日に悪くなっていくばかりだった。館の中の雰囲気も重くなっていく。それでもエミリアはどんな縁談にも首を縦に振る事はなかった。

 使用人の中にはカラスとエミリアの仲を本気で疑う者もいて責める様な眼でカラスは使用人たちに睨まれた。そんな中、あの若かった執事はカラスに頭を下げた。どうかエミリアを説得してほしいと。

 心苦しいのを隠してカラスはエミリアに何度も縁談を受ける様に言った。その度にエミリアは悲しげな表情をして首を横に振るのでカラスは途中で言葉を詰まらせた。

 寒さが増してきたある日の事だった。当主の往診に来ていた医師からもう長くないと告げられてカラスとエミリアは彼女の自室で沈痛な面持ちで向かい合っていた。

「エミリア様…」

「……カラス、紅茶を淹れてくれないかしら」

 弱弱しく微笑むエミリアにカラスは頷き、席を立った。

 カラスは2週間後、長期の訓練に出向かないとならない。帰ってくる頃には卒業も間近でこの家を出なければならない。

 その事をまだエミリアに告げられていなかった。

 縁談が進まない中、カラスは今日それをエミリアに告げるつもりだった。

 どうか自分のいなくなった後、ザーノス家を守ってほしいと。

 彼女の好きな茶葉でポットに入れるとふとエミリアに紅茶を淹れるのもこれで最後かもしれないと思った。

「お茶が入りましたよエミリア様」

 ありがとうと言ってエミリアはカップに口をつけた。

「…美味しいわ」

「そうですか」

 ほんの少し和らいだエミリアの表情にカラスは自然と眦を下げた。

「…このような時に申し訳ないのですが……」

「カラス」

 カラスの言葉を遮りエミリアは首を横に振った。

「あと…そう3日待って」

「え?」

「3日待ってほしいの。士官学校も暫くお休みできないかしら?」

「2週間後の長期訓練に備えて暫くは…いえ、でも3日位なら何とか」

 エミリアからの突然の申し出に困惑しながらもカラスは頷いた。

「そう良かったわ。3日はここにいて欲しいの。グレイシア卿の家にも出来たら行かないで」

「分かりました」

 エミリアは理由を言わなかった。3日すればわかると言って何も言わなかった。

 誰にもその理由を話す事無く、3日の時が流れた。

 そして3日目の事だった。

 屋敷に皇帝陛下からの使いを名乗る者がやって来たのは。


 胸元を抑え当主は使いの者が告げた言葉をもう一度、尋ねた。

「申し訳ない…もう一度、もう一度お聞きして構わないだろうか。我が娘、エミリアを…」

「えぇ。ザーノス家、第一息女エミリア・ザーノスを第4皇妃として後宮に向かいれる、ジェガス17世陛下からの勅命です」

 驚きと喜びを織り交ぜたような表情を当主はしていたがそれ以上に何故と言う疑問に頭を占拠されていた。

 カラスもその感情を抑えるのに懸命だった。

 そしてエミリアが3日待ってほしいと言った理由をこの時、理解した。

 一人、来る日が来たと呟いたエミリアの表情はあの日の帰り道と同じだった。


 元より皇帝からの勅命、断る事は出来ない。

 その場で勅命を受け、エミリアは第4皇妃として後宮に上がる事になった。

 しかし、

「半年?」

「はい。私はまだ15になったばかりの小娘で御座います。礼儀作法にもまた妻としての作法にも至らないところがありましょう。出来ましたら半年程、準備の時間を頂きとう御座います」

 皇帝への使いへエミリアはそう言った。

 確かに皇帝からの勅命とは言え今直ぐに後宮へあがれと言うのは無体な話だ。特にザーノス家の当主の病状などを考えれば尚の事だ。

 使いの者は皇帝へ上申する事を約束しその日は帰って行った。

 突然の事に放心状態の当主は暫くソファーから立ち上がる事は出来なかった。

「お父様、今日はもうお疲れでしょうしお休みになられては?」

「あ、あぁそうだな。そうしよう」

 エミリアにそう促され当主は頷き立ち上がる。

 その背中へ向かってエミリアは、

「…お父様」

「なんだ?」

「ザーノス家の今後、よくお考え下さいましね」

「…?当然だ。お前が後宮に上がるとなれば、婿を取る訳にはいか…」

 そう言いかけた所で当主はハッと気付いた。

 エミリアが何を求めているのかを。

「エ、エミリア、お前はどこまで…っ」

 唇を震わせる当主にエミリアは寂しげに瞼を閉じた。


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