第14話 とある妃の隠し事・②
―アルカシア公爵家で事件が起きるその2日前。既にその事件が起きる事を口に出していた者がいた。
ガルムはこれまで何度か官庁に犯行声明もどきを送り付けて来た。それは自分たちの本当の目的をカモフラージュする為のブラフだった。足はつかない様にしてきた。だが何故かあの女はこちらの足跡を辿り接近してきたのだ。
彼女は言った。この帝国を変えて見せると。
首根っこを押さえられたのに等しいガルムは建前上、彼女と協力関係を築いた。
その協力関係も今日までかも知れない。ガルムはその覚悟を持って隠れ家の一つに足を踏み入れた。
そこは名高い貴族が秘密裏に使う高級クラブで地下には個室が設けられている。そこでのやり取りは決して外に出る事は無い。
その一部屋をガルムは借り受けていた。名義上はあの女の物だが。
ガルムは部屋の鍵を開けると懐の拳銃を確認してから中へ入った。
「久し振りですね。ガルム」
「あぁ。顔を合わせたくなかったからなストロフ議長」
フンと不機嫌な顔で鼻を鳴らしたアイリーンは座るように促す。既に開けられた酒瓶を見るに今日の機嫌は大分良くない様だ。
「それで何の様です?」
「帝都を出る」
ガルムは短くそう答えた。
「身内が馬鹿をやらかしたんでな。ここでの活動は難しくなった」
「だから帝都を離れると?簡単にいくと思っているのですか。今、帝都は未曽有の事態に警戒が大変厳しくなっているのですよ」
そう。普通であれば簡単に見つかる。先に宇宙へ上げた仲間にも相当な労力と資金を使ったが同じ手はもう使えない。だからガルムはアイリーンを頼るしかない。
「手を貸して貰いたい。報酬は俺の首だ」
そう言ってガルムは自分の首を横になぞった。
「他の仲間を外に出してくれたらアンタが俺を帝国騎士団に突き出せばいい。奴らの事だ。嬉々としてアンタを褒め称えてくれるぞ」
「私は政治家であって騎士ではないわ。武勲なんて求めておりません」
「だが俺の首は欲したのだろ」
そう言ってガルムは長い前髪から鋭い視線を投げつける。その手は何時でも拳銃を取り出せるように構えている。
「だからオストーからのリークをダーナ帝国騎士団に流した。そうだろ」
幾らオストーが<ポラリス>の身内からの情報とは言えそれを帝国騎士団が鵜呑みにするとは考えられない。きちんと裏の取れた情報を、信用できる相手からの情報でなければ動かないだろう。オストーがそれに値すかと言えば当然ノーだ。
ならば誰が情報を流したのか。
「帝国議会のアンタ、いやアンタたちの誰かなら騎士団の奴らも信用しただろうな。何某か裏は感じたかもしれないが」
「…そこまで分かっているなら隠す必要は無いわね」
そう言ってアイリーンは肩を竦めた。余裕のある態度にガルムは警戒する。
「何を隠している」
「隠している訳ではないわ。前にも言ったでしょ。私たちは帝国を変える為に動いていると」
何年か前に初めて会った時にアイリーンは言った。真に帝国を導けるのは自分たち星の意志に従う者たちだけだと。
「敬虔なる十字星教の信者が、星の意志に従う者たちだけが真に平和を導ける。そうでしょう?ガルム」
「…そうだ。星の意志に、声に、眼差しに俺たちは考えなければならない。彼らが何を言わんとしているのかを」
僅かにだがガルムは違和感を覚えた。
アイリーンは敬虔な信者だ。その考え方は旧派の教えに近い。
だが今、何か絶対的に異なる齟齬があった気がすると。
「それが俺の首を欲したのと何の関係がある」
「私たちが直接手を出してしまうと。皇位の簒奪としか捉えられないのよ。だから他の大義名分が必要だった」
「…暗殺か」
「皇太子同士の覇権争いも終わりが見えてきているわ。彼らが争っていてくれている間はこちらも介入できる余地があったのだけど。それも少なくなってきた」
議会派は第1皇太子派と第4皇太子派に対しては中立だ。だがそれは次期皇帝の際にどれだけの権力を約束できるかによっては傾く天秤でもあった。
「だから終わるなら早めに終わらせ様と思ったの」
「……だから、第2皇太子を狙ったのか」
だとすれば議会派は第4皇太子派へ味方する事に決めたのだろうか。
だがアイリーンは薄く笑い、
「違うわ。私たちは―」
ガルムは息を呑んだ。震えるこの手では拳銃は握れない。それ程の衝撃だった。
「何を考えているんだ貴様は」
狂人めとガルムはアイリーンを睨んだ。だがアイリーンは一向に気にした様子はない。
「これは必要な事なのよ。騎士やテロ組織なんかでは理解できない高度な政治的判断よ」
「だとすれば政治家とは夢想家か危険思想の持ち主だな」
ガルムがそう貶すとアイリーンはキッと睨み付ける。そして手にしたグラスの中身をガルムにぶちまけると、
「私を侮辱するんじゃないわよ。ただの番犬風情の癖に」
その怒りの瞳の奥には黒髪の騎士の姿が浮かんでいた。あの礼儀知らずの騎士も帝国議会議長である自分を敬う事なくあろう事か犬でも追い払うかの様に叩き出したのだ。
屈辱で思い返す度にはらわたが煮えくり返る。
「仲間を帝都の外に出したいのよね。なら条件が一つあるわ」
「俺の首以外にか」
「えぇ。成功したらその首も免除してあげなくもない」
つまり自分の首よりも価値がある物を狙っているという事かとガルムは分析した。
「…何をするつもりだ」
「明後日、大きな事件が起きるわ。それに便乗してある事をやって欲しいの」
そう言ってアイリーンは唇を大きく歪ませた。
―ディアと呼んでくれたあの方はもういない。あの子たちを護れるのは自分しかもういないのだ。彼女は全てを覚悟してこの日に臨んだのだ。
カラスは注意深く侍女の様子を伺う。不審な点はない、只の侍女だ。どこぞの誰かの息が掛かったスパイだとかそういう可能性はなさそうだ。
「…リーディア様。お話はあとでお伺いします。館へ戻りましょう」
「それは出来ないのです。私は今日、罪を犯しました」
リーディアはテーブルに置かれたワインを手に取り震える唇で自分の罪を告白する。
「私は、このワインをルーツィエ様方に注いだのです。良くない物が入っているだろう事は承知の上で。全て分かった上でこの毒酒をあの方々に振舞ったのです」
ルーツィエは何も警戒していなかった。当然だ、リーディアは何の後ろ盾もない名ばかりの妃。例え皇帝の御子を授かったとは言えその継承順位は低く到底、第4皇太子の対抗馬とはならない。またリーディア本人もまた権力争いとは無縁な性格であったし味方に付けても得は無いが敵に回した所で損にもならない。逆にリーディアはルーツィエを敵に回せばこの後、レアやハルト共々どんな目に合わせられるか想像も出来ない。故にルーツィエはリーディアが自分に敵意を向けるとは全く考えていなかったのだ。
彼女に注がれた毒酒を口に入れるまでは。
「どうか私の事は放っておいて下さいザーノス卿。ここで貴方の手を取ってしまえば私は、あの方に何とお詫びすればよいのか」
カラスの喉がひりつく。やめろと声を大にして叫びたかった。だが叫んだところで彼女はやめないだろう。ならば成す事は唯一つだ。
「貴方様がここを離れないと言われるのでしたら私は今この場で問わなければならない事があります」
「それは…」
「リーディア様を脅迫なされているのは帝国議会ですね」
その言葉にリーディアの顔が青くなる。知れているだろうと覚悟はしていたが改めてカラスの口からそう言われると自分の覚悟が足りなかったと悔やむばかりだ。
「一昨日、ストロフ議長と皇妃様がお会いになられている時、私はあの部屋から殺意を感じ取りました。その殺意の出所はリーディア様、貴方様でした」
扉を蹴破ってカラスがまず確認したのはリーディアとアイリーンが何処にどう座っているかだった。そしてその位置関係からカラスは殺意の主がリーディアだと判断した。
「ハルト殿下への婚約者と言うのは建前で本当の目的はリーディア様に近付く事だった」
カラスにもその目的は分からなかった。だが今晩の偲ぶ会合を聞いてまさかとは思ったがその目的に気が付いた。
「権力闘争に関係のないリーディア様を巻き込むことで第1皇女様たちを亡き者にしようと画策した。そう言う事ではないのですか」
「そこまでお分かりなのならもう…私には構わないで下さい」
リーディアは手にしたワインをギュッと握り締める。
「私は大罪を犯したのです。最早、皇妃と呼ばれる資格も―」
「えぇ分かっていました」
カラスはリーディアの言葉を遮り、
「分かっていました。ですからそのワインはすり替えさせて貰いました」
装甲車に乗せられリーンハルトはもう一度、ディーンに尋ねた。
「済まない。もう一度、言ってくれないか?今何と?」
「ですからルーツィエ様方はお亡くなりにはなっていません」
コルネリアはまだ気絶したままでディーンの膝に頭を乗せている。
その状態でディーンは説明を続ける。
「ルーツィエ様方が呑まされたのは一時的に身体を硬直させて脈を薄くさせる薬でしょう。仮死薬と呼ばれているらしいです」
一応は秘薬らしくディーンも詳しい事は聞けなかった。尤も聞きたいとは思わない相手だったので今日まですっかり忘れていたのだが。
「で、では何故アルカシア公爵家より退避せねばならなかったのだ?」
「リーンハルト様。私も率直に申し上げるのも心苦しいのですがあれは明らかに―ルーツィエ様のご用意なされた罠でしょう」
それに関してはリーンハルトも同意するしかない。
敢えて帝国崩壊の序幕だなんて大袈裟な事を言ったのも、
「何か口実を付けて逃げ出す方が賢明だと考えていたのですが…えぇ私よりも先に行動を起こした者がいるようで」
ディーンは口一杯の苦虫を噛み締める様な顔で視線を逸らした。
正直、やるならやるで事前に報告しろと言うのだ。いやあの男の事だ。向こうは向こうで上手くやるだろうから大丈夫などと考え行動したに決まっている。あの男の暴走にはディーンも手に負えない。
だがいい機会かもしれない。このままルーツィエ達には一度、死んだ事になって貰い何処かへ退避してもらおう。公式発表はしないものの密かにそう言った噂を流せば敵の眼も誤魔化せよう。ディーンは努めて前向きにそう考える事にした。
「ではルーツィエ様たちはご無事で…?」
「はい。敵の目を欺く為にも直前まで御身を謀る事をしてしまい申し訳ございません」
カラスがそう言って頭を下げるとリーディアはホッと胸を撫で下ろした。
「そう、でしたか。そうですか」
良かったとリーディアは一筋の涙を零し薄く笑った。
「では後は私が罪人として裁かれれば全てが収まるのですね」
「その必要はありません。誰も傷ついていないのですから」
「いいえ。違うのです。ザーノス卿、全ては私の責任なのです」
リーディアはそう言って首を横に振った。
「私が―私が不貞を働いた罰なのです」
リーディアの告白のその直後、彼女の胸に真っ赤な花が咲いた。
赤い赤いそれは彼女の血だった。
アルカシア公爵家での騒動はまだアーデル・フリューゲル城まで届いてはいなかった。その晩、ジェガス17世は寝室のベッドで静かに本のページを捲っていた。それは十字星教の聖書で在り彼がその聖書を開くのは実に18年振りだった。
聖句の一説を小さな声で読み上げる。
その聖句の意味は―
「…エミリア?」
だが読み上げる途中でジェガス17世は聖書から顔を上げた。傍にいたエミリアは手にしていたカップを床に落としていたからだ。割れたカップの音や破片よりもジェガス17世はエミリアの酷く青褪めた顔に眉を顰めた。
その顔色にジェガス17世は心当たりがあった。
「何が視えた。エミリア」
「…リーディア様が…」
エミリアは唇を震わしながらその名前を呟く。
ジェガス17世の背に緊張が走る。
何故ならリーディアは今、非常に危険な立場にいるからだ。
「リーディア様が…狙われています。陛下、あの子たちを助けなければ大変な事になります」
カラスは咄嗟に反応が出来なかった。狙撃された経験が無い訳ではない。
だが全く気付けなかったのだ。
「リーディア様っ!?」
侍女が倒れたリーディアへ駆け寄る。しかし、
「駄目だ!!伏せろ!!」
カラスの忠告は遅く、リーディアに近付いた侍女は頭を撃ち抜かれて動かなくなる。他の侍女は恐怖に駆られる。だが倒れた主人を放っておく事も出来ない。今すぐにでもリーディアを助けなければそんな悲壮が侍女たちを突き動かそうとする。
だがそんな事をすれば狙撃手の餌食だ。カラスはゼクスに連絡を取る。
「バーバロイ大佐!!支援を頼む!!」
場所を告げ狙撃されている事を告げると直ぐに外から銃声が聞こえて来る。狙撃手に対して牽制を行っている間にカラスはリーディアに近付き傷を確認する。急所は外れている。だが危険な状況だ。
「しっかりして下さい!!リーディア様!!」
荒い息を吐くばかりのリーディアはカラスの呼び掛けに答えない。カラスはリーディアを抱え上げると、
「付いてくるんだ早く!!」
侍女たちを連れその場から離れる。リーディアはうわ言の様に同じ事を口にしていた。カラスはそれを聞きながらも決して心を乱す事なく出口へと走った。
外では連絡を受けゼクスが既に救急車両を用意していた。
「第5皇妃リーディア様だ。必ず救え」
ゼクスはそれだけ救急隊員に伝えるとカラスに向き合った。
「何があった?」
「分かりません。突然、狙撃されました」
「お前が気付かなかったのか?」
ゼクスは信じられないという顔をする。しかしカラスは首を横に振り、
「えぇ。全く気付きませんでした。気配を完全に絶っていました」
カラスとて自分の能力を過小評価している訳でも過大評価している訳でもない。
気付けなかったという事は相手もそれだけの相手だという事。
「ったく冗談じゃねぇぞ。<ポラリス>の連中にそんな腕利きがいるのか?」
「……いえ如何なのでしょうか」
カラスは考え込む。あの狙撃は<ポラリス>の物とは考えられない。むしろルーツィエの暗殺計画が失敗した今、リーディアに手引きをさせた者が彼女を消す為にやった事だと考える方が自然だ。だが今ここで確証もなく議長の名前は出せない。何処に耳があるか分からない。それよりも、
「バーバロイ大佐。申し訳ないのですが私は躑躅の館に戻ります」
「そうだな…下種野郎が殿下たちを狙わないとは限らないか」
ゼクスも渋い顔で頷く。
カラスはリーディアがレア達を人質に取られていると考えていた。故にリーディアが大人しく従っている間は危害を加えないだろうとも考えていた。だが今、リーディアに凶刃を振り下ろしたとなるとそれも危ない。
カラスは車を一台借り受け躑躅の館を目指す。
「だけど警護しているのはお前の部下だろう?俺は逆にやり過ぎちゃいないか心配だな」
ゼクスは去り行くカラスにしみじみとルーツィエ達の事を思い出してそう呟いた。
計画失敗の連絡を受け男たちは準備を始めた。
まず躑躅の館に向けて火炎瓶を投げ入れて火事を起こす。火の手が上がれば男の軍人も消火に出て来る。それに紛れて男たちは同じ軍服を身に纏い内部へ侵入し速やかに対象を抹殺する。これまでに何度もこなして来た任務だ。その対象が些か重要人物なだけで暗殺を専門に教育を施された生粋の仕事人たちにしてみれば何時もと同じ作業だった。
今日までは。
「何をしている」
後ろから声を掛けられ男の一人がナイフを抜いた。
これが只の一般人だったら男たちも穏便に済ませた。何でもない巡回中の軍人を装ってだ。若しくは近付いてくる気配に気付いていたら身を隠していただろう。
その両方でもないので初手で相手を殺す事にしたのだ。
だがそれは無謀な行為だった。
ナイフを抜いた男はそのまま投げ飛ばされ頭からコンクリートの上に落ちた。首の骨が折れる音がする。もう動かない。
一瞬で暗殺のプロたちは臨戦態勢に入った。相手が只者ではない事が分かったからだ。任務の失敗は許されない。例えどんな障害があらわれても排除して実行する。今日もその筈だった。しかし、
「よっと」
一人が太腿の一番太い血管を切られた。勢いよく出血し力が入らない。崩れ落ちたのを隣に立つ男たちが驚いて振り返った。それがいけなかった。注意が逸れたせいで暗がりから現れた別の男が振るうナイフに反応できず二人が死んだ。崩れ落ちた男が一瞬の早業に目を見開く。男はそのまま右目にナイフを突き立てられ絶命した。
『ちょっと私、待機してた意味ないじゃない』
「良いんだよそれで。こんな夜更けにサイレンサー付きだからって狙撃銃をぶっ放す訳にもいかないだろう」
『隊長に褒めて貰えないじゃない!?』
「うるせぇ!!動機が不純なんだよお前!?」
ギャアギャア言い合うラウルとフローラにドーラは溜息をついた。
「二人とも黙れ。近隣の迷惑だ」
「でも副長」
「命令だ」
ラウルは渋々口を噤む。こんな面倒な事で他の館から苦情を言われては堪ったものではない。何でこんな子供じみた事で命令をしなければならないのか。ドーラは呆れるがそれを補い上回って、ラウルのこのナイフ術は賞賛せざるを得ない。
「腕を上げたなラウル」
そうドーラが短く褒めるとラウルは照れながらも笑ってみせた。
「そりゃあ隊長仕込みでもありますからね。下手な技は見せられませんよ」
『―あ、副長。隊長が戻って来たみたいです』
スコープ越しに見えたのかフローラがドーラに報告する。遠くから来るヘッドライトを見付けあの速度で近付く車内の様子に気付いたのかとこれまた感嘆する。
うかうかしていると部下に追い抜かれてしまいそうだとドーラは苦笑した。
「ドーラ、状況はどうなっている」
車から降りたカラスが足早に近づいて尋ねて来る。
「問題ありません。全て排除しました」
「油断するな。腕の立つ狙撃手がいる。リーディア様が撃たれてしまった」
その言葉にドーラは眉を跳ね上げる。カラスがいて且つ彼が腕の立つという程であればそれは余程な暗殺者だ。こんな使い捨ての輩とは比べ物にならない筈だ。
「承知しました。ウチの者に周囲を警戒させます。隊長は館内へ」
「分かった。フローラ、周辺の警戒を行え。今晩は夜警だ」
『了解しました』
フローラは愛銃の狙撃銃を片手に返答するとすぐさま行動を開始した。
カラスは眉間に皺を寄せて重い息をつく。
「隊長。お疲れの様でしたらお休みなられては」
「いや侍女長には話をしない訳にもいくまい…悪いがその後、2時間休ませてくれ」
流石に事が起こり過ぎた。リーディアによる暗殺を未遂で終わらせたかと思えば今度はリーディアが狙われる。しかも暗殺を仕掛けて来た相手は帝国議会の議長である可能性がある。これ以上の処理は自分たちだけでは無理だ。明日、マリーベアに言って応援を貰おうとカラスは決めた。
躑躅の館に入ると館内は少し騒然としていた。既にアルカシア公爵家での出来事の情報が一部、出回っているらしい。緊張の面持ちで真相を訪ねて来た侍女長にカラスは嘘偽りなく述べた。リーディアが傷ついたのは自分の失態だからだ。青い顔をする侍女長にカラスは、
「全ての責は私にある。明日、皇帝陛下にご報告申し上げ如何なる処分も受けるつもりだ。だがその前に貴方には殿下たちの事をお願いしたい」
「…分かっています。幸い、殿下たちはもう床に就かれています」
カラスはそうかと頷くと首から下げていた十字架を手に取った。
「これをレア殿下の下へ。私が身に着けるには畏れ多い―尊いお方から授かった物です。きっと殿下の皇妃様をお想いになる心が星の祈りに繋がる」
「それは…」
カラスが言う尊いお方と言う人物に侍女長は心当たりがあったが口には出さなかった。この三日の間でこの黒髪の男がどれ程、帝国に仕える騎士として相応しき人物かは目にしてきた。侍女長はその十字架を預かりレアの下へ届ける事を約束した。
それから館内を巡回しフローラに再度、相手の狙撃手に気を付ける様に言うとカラスは用意された仮眠室へと向かった。着の身着のままベッドに倒れ込むと瞼を閉じた。
緊張が緩んだのかカラスの耳にリーディアの言葉が蘇る。
「申し訳ありません。エミリア様、貴方の言われる通り、私は―あの館を離れるべきではありませんでした」
「……貴方は何を視たのですかエミリア様」
カラスは遠い過去の女性に問いを投げかけ眠りについた。
その眠りはカラスの過去を遡る事になる。
それはカラスが<黒翼>と呼ばれるよりもずっと昔の事。まだ子供の頃に出会った彼の救いの光でありそして―今や第4皇妃と呼ばれるエミリアとの出会いと別れの記憶だった。