第12話 情報の使い方・下
結論から言えばドーラの不安は的を外れた。ディーンが詰めている第4皇女コルネリアの下へ向かうとすんなりと会う事が出来た。
用意された別室に通されるとドーラは挨拶もそこそこにディーンに例の暗号文を渡した。暗号の解読方法は<黒翼>小隊独自の物だ。だがそれを気にする必要はない。
5分ほどディーンはそれを眺めその解読方法を見極めた。それから1分弱で内容を読み解くと、
「…成程な」
やはり自分の予測は正しかったと心中で呟いた。尤もこの情報が正しければの話だが。
それを確認する為に目の前に座る大男に視線を向けると、
「情報元は<泥犬>です」
「貴官らはまだあんなのと繋がりを持っているのか」
ディーンは軽蔑の眼を向けた。ドーラはそれを受け流し、
「有用に使える内は使った方が良いでしょう。ご安心を。いざとなればザーノス少佐が自ら処断します」
「出来ると良いな。今度こそ」
ディーンはそう言って舌打ちをした。あまり話題に出したくない輩からの情報だが真偽を確かめる必要はないだろう。
「それで?ザーノス少佐はこの情報をどう見ている?」
「いえ小官は存じ上げません」
「…何?」
ディーンは目を細める。ドーラはその視線を正面から受け止め、
「カノータス中佐の下へこの情報を届けたのは小官の独断です。ですがザーノス少佐から情報を預かった時点でどう扱うかは小官の判断に委ねられたと考えました」
カラスとしてもそのつもりだろう。潜入工作を主とする<黒翼>小隊では情報をどう使うかは現場の判断に任せられる。一人一人が的確な判断を下せなければ到底、任務はこなせない。そんなレベルの任務をカラスたちは与えられているのだ。
ディーンはフンと鼻を鳴らし、
「的確な判断である。流石は<黒翼>小隊の副長だな」
「有難う御座います」
「だが情報の扱い方を心得る貴官が只、私にこの情報を持ってきた訳ではあるまい。何が望みだ?」
話が早くて助かるとドーラは思った。無論ドーラもこの情報を無為にディーンへ届けに来たわけではない。
「アイリーン・ストロフ議長はご存知でいらっしゃいますね」
「現職の議長の名も知らぬ人間に見えるか?」
知らない部下がいたので念の為に口に出しただけだとドーラは心中で呟いた。
「先程、ストロフ議長が第5皇妃様の下へ訪問されました」
「ほぅ」
ディーンの眉が動いた。
「特にアポイントメントを取っていた訳ではない様でしたが第5皇妃様はお会いになると仰られて個室に入られました。会話の内容は分かりませんでしたが」
ドーラはアイリーンが訪れた時のリーディアの表情を思い返していた。
あの顔は取り繕っていたが僅かな強張りと恐怖―そして憎悪があった。優し気な風貌には決して似付かわしくない黒い感情だ。
「友好的な会話ではなかっただろうと思います」
「グレイシア中尉。貴官は随分と危険な想像をすると見える」
ディーンはそう意地の悪い笑みを浮かべながら言う。帝国の上層部に裏切り者がいると言う情報に加えて議会派のトップと皇妃が良からぬ話をしていたと言う。
「まるでこの情報を裏付ける様な話ではないか」
「小官には何の事だか。しかしここ最近、議会派がハルト殿下に婚約者を宛がうのではないかという噂があります」
「ふん。その情報の真偽が欲しい訳か」
ディーンは空間ウィンドウを呼び出し幾つかの情報を確認する。
「確かに議会派の有力議員が自分の娘をハルト殿下の婚約者にと申し出ている。世間ではストロフ議長の懐刀と言われている男だな」
ディーンは議長の腰巾着と呼んでいる。そう言えば昨日のカラスの軍法会議にもいたなと思い出した。ジェガス17世から叱責を受けていた大臣だ。
「その娘と殿下の齢は近いのでしょうか」
「あぁ…いや待て。妙だな」
ディーンは顎に手を当てると目を細める。
「この娘…養子だな」
「養子、ですか」
ドーラの眉が動く。最初ドーラは貴族社会でありがちな高貴な血を自分たちの一族に取り込むための婚約者の売り込みだと考えていた。しかし、
「親戚筋には当たる。しかし本家の血筋とは言い難い」
「拍を付ける為に自分の娘にしたとは?」
「いや。それならば今でなくても良い筈だ。ハルト殿下がもう少しご成長してからでも候補は幾らでも見繕う事は出来るだろう」
貴族社会とは言え生まれて直ぐに婚約者が決まると言う例はほぼ無い。余程、生まれる前から何かしらの取り決めがあれば別だが相手は皇族だ。そんな約束を取り付けられる訳がない。どれだけ技術水準が上がろうとも健康に成長する事は絶対ではない。
この時点でディーンは婚約者云々と言うのは只の口実だと考えた。
目的は第5皇妃に近付く事だと勘付いた。
「理由はなんだ…第5皇妃は権勢からは遠い筈…」
それでも議会派がハルトとリーディアを選んだ理由は何か。権勢を伸ばす為でないとしたら、
「……逆か」
「逆と言いますと?」
ドーラが尋ねるがディーンは自分の導き出した結論に言い淀んだ。これは余りに不敬である。確証がある訳ではないし只の推測だ。しかし事実だとしたらこれはとんでもない事になる。
「ザーノス少佐に伝えろ。ハルト殿下はアキレス腱なのかもしれないと」
アルカシア公爵家からの使者から伝えられた話を聞いてカラスはリーディアの顔色を窺った。残念ながらリーディアは顔を下に向けその表情は読み取れなかった。
「アルカシア公爵夫人からは第5皇妃様にもご参加を頂きたいと」
「…分かりました」
カラスは制止の声を出しかけ心中で舌打ちをした。カラスが任されているのはあくまでハルトが住まうこの後宮の警備だけだ。リーディアの行動までは制限する事は出来ない。
しかし明らかに第4皇帝派の罠である事は分かり切っている場所に送り込むのは気が進まない。
アルカシア公爵家の使者は丁重な礼を述べるとその場を辞し去っていった。
「…宜しかったのですか?」
「何がでしょうザーノス卿」
「あまり、気乗りされている様子ではありませんでしたので」
カラスがそう言うとリーディアは困った顔を見せ、
「テオドア様を悼みたいと言う気持ちに嘘はありませんから。アルカシア公爵夫人が何をお考えなのかは私には分かりませんが、せめて星の彼方にテオドア様の魂が導かれます様に祈るだけです」
分かっているけど分かっていない振りをしているだけだなとカラスは思った。
神妙な顔つきで頭を下げ、
「差し出がましい事を申し上げ失礼致しました」
リーディアは首を横に振り、
「構いません。ですがザーノス卿、式に向かう相談をしなければなりません。暫し侍女長と二人きりにさせてもらえませんか」
男の耳には入れたくない話だなとカラスは悟った。
「心得ました。小官は館内の巡回を行って参ります」
そう言ってカラスはリーディアの前から去ると扉の外に立っていたフローラを連れ館内の巡回を始めた。
「そうは言っても館内は平和そのものだと思うんですけど」
フローラはそう言った。確かに館内は静かな物だ。カラスを不躾に見て来る侍女がいる位で後は何も問題は無い。
「まぁこうして巡回しているだけでも色々と収穫はあるさ」
「例えば何ですか?」
「ホラ、あそこ。多分あそこに非常用の武器が収められているんだと思うぞ。壁の色が微妙に違う。大きさ的にショットガンかな?」
カラスが指さすと近くを歩いていた躑躅の館の警護官がビクッと肩を震わせた。当たっていたらしい。しかしフローラにはさっぱり分からない。
と言うよりも
「隊長、そう言う事を言わないで下さい。普通の人は警戒するんですから」
「あぁうん。そうだな。どうにも気になってしまって」
カラスはそう言って頬をかいた。
そう気になるのだ。この館の造りには大分、粗雑な所が見え隠れする。重要な隠し通路や今みたいに非常用の武器の隠し場所がカラスから見て分かりやすい。
「……これはさっき小耳に挟んだ話なんですけど」
フローラは目を少し伏せて、
「この躑躅の館が建てられた時、第2皇妃様から横やりが入ったんじゃないかって」
「横やり?」
「えぇ。元は自分の侍女が同じ立場になるのが気に食わなかったのか調度品とか色々と口出したがあったそうです。自分の使っている物より格式の高い物は許さないとか」
その関係で館そのものにも口出しがあったんじゃないかとフローラが言うとカラスも納得がいった。
「手抜きか」
「流石に皇妃の館ですから見てすぐ分かる様な欠陥は無いと思いますけど」
もしもカラスと同程度の観察眼を見た悪意を持った人物が見たらどうなるか。カラスは閉口した。下らない横やりもあったものだと。
それから、
「フローラ。後で全部、俺が気付いた事を書き纏めておく。それをこの館で一番、信用できる警護官に渡しておけ。同じものを侍女長にも渡しておくから」
フローラは目を一度大きく見開き、それからいい笑みを浮かべ、
「良いんですか?あまり第5皇妃様に肩入れすると他の皇妃様か疎まれるのでは?」
「職務の範囲内だろ。もしバレて他の皇妃から何か言われたら『宜しければ同様の事をそちらの館でもさせて頂きます』とでも伝えとけばいい」
「成程です」
フローラは頷いた。それからフローラはふと思い出した。
「そう言えば隊長」
「どうした」
「皇妃様の話が出たついでなんですけど、第4皇妃様って隊長の御親戚って本当なんですか」
カラスは思わず噴き出しそうになった。
「…そう言えば、この前にお会いしたんだったな」
「はい。その時に副長から聞いたんですけど」
「……まぁ別に隠している訳ではないが。ただ…第4皇妃様とはお輿入れされて以来、殆ど会っていないからな。それに俺のこの髪色だ。傍に居られても迷惑だろう」
「はぁ」
「そもそもだ。陛下の妃になられたのだ。言ってしまえば人妻だぞ?どうしてお会いできるか。先程も会わなくていいのかとか余計な事を言っていたがお互い気まずいだけだろう。顔を合わせるの等、何か必要に駆られて以外でする必要は無くて…」
「隊長、何か必死過ぎません?」
今度こそ噴き出した。そんなカラスの様子をフローラは怪訝な目で見ている。
「……要はだな。俺のこの黒髪であの方に迷惑が掛かるのは困ると言うか」
「はぁ…?」
「誰とは言わないが…第4皇妃には黒髪の愛人がいるのではみたいな根も葉もない噂、いやもうやっかみだな。そんな事があってな?」
「だから顔を合わせるのを避けていると」
「まぁそんな所だ」
カラスはそう強引に言い切って歩き出した。あからさまに様子がおかしいカラスにフローラは首を傾げる。
「それよりもレア殿下とハルト殿下は今、どちらに居られるんだ?」
「お部屋でお昼寝の最中です。侍女の方が先ほど寝かしつけていましたよ」
「警護官は当然、付いているんだな」
「はい。でも隊長なら何かあったら直ぐに分かるじゃないですか。それに殿下たちの場所も気配とかで分かりそうですし」
「これ程、人数がいると個人を限定して捉えるのは面倒なんだ」
フローラは面倒なだけで出来ない訳ではないなと勘付いた。以前ラウルに同じ事が出来るか聞いてみたが首を横に振って、
「アレは隊長がおかしいから。帝国全土を探しても同じ事できる奴なんでいないぞ」
「バーバロイ大佐とかは?」
「出来なくはないだろうけど隊長ほどではない。絶対」
との事だった。普通はもっとぼんやりとした物らしい。
こうした音がしたら誰かいる。目に付いたあれは女性の物。そこに誰かいれば空気の動きも変わる。そう言った積み重ねを感じ取り且つ経験則を積んでいく事で段々と分かって来るそうだ。
つまり気配を読むとは経験則。カラスほどの域に達するにはどれ程の経験を積めばいいのか分からないとラウルは言っていた。
カラスはそうかと頷くと考え込む。
「フローラ。明後日だがリーディア様はお出掛けになる。その際にだが俺も同行しようかと思う」
「え?でもここの警備は如何するんですか?」
「出掛けるのは夜になる。ハルト殿下たちもお休みになる時間だろう。寝室で護衛に就かせて貰え」
カラスがそう言うとフローラは怪訝な顔をする。
「何かあるんですか?隊長が護衛対象から離れるなんて思いもしなかったんですが」
「今だって少しの間、離れていただろ?」
「そうですけど」
納得のいかないフローラにカラスは肩を竦め、
「気になる事があるんだ。それを確かめるのは今のタイミングしかないんだ」
そう言ったカラスの横顔は何処か寂し気であった。フローラはその表情に何か嫌な予感を覚えた。しかし敬愛する隊長である彼からの命令に逆らう事は出来ない。了承する返事をしてカラスが明後日、館から離れるのが決まった。
その夜、ドーラからカラスの下へ情報が届けられた。ディーンから預かった言付けだ。
ハルトがアキレス腱ではないかと言う話だ。ドーラはその言葉をそのまま伝えた。それだけでカラスもディーンが何を想像したか大体の事を察した。
「そうか」
カラスはそう呟いただけだった。