第7話 第2皇太子テオドア9世
物憂げな溜息をつく主人に傍で仕えていた騎士が声を掛ける。
「何かお心を乱す事が御座いましたでしょうか。テオドア様」
「いや何でもないよ。今からだと言うのにもうローグ・ハインケルの霧が恋しくなったようだ」
そう言って笑って見せたのはダーナ帝国の第2皇太子であるテオドア9世だ。彼はこれから皇帝ジェガス17世の代役として支配星域であるイグニア星系へ慰問活動を行う予定だった。イグニア星系には3つの惑星がありその全てを回り切るのにおよそ2年は掛かる計画だった。
「無理もないかと。テオドア様は昨年もカルナ星系に行かれておりますし」
「そうだな。昨年は惑星エリシュアに赴いていたんだな」
テオドア9世はそう言って懐かしい目をした。彼の惑星は喉かな惑星で大きな採掘が見込める惑星ではないが花々が美しい惑星だった。
第5皇妃であるリーディアの出身惑星でもあり、その惑星エリシュアが開拓されてから50年と言う節目の年と言う事もありその祭典にリーディアとジェガス17世の代役として共に呼ばれた。忙しない事にその祭典の2か月後には他の惑星の祭典や慰問に訪れ、ここローグ・ハインケル星系にはこの一年余り長居はしていなかった。
「何かと催しがあれば私が代役にされる事が多いからな」
理由は分かっている。自分がジェガス17世の若い頃とよく似ているからだ。美しい蒼銀の髪に涼やかな目元。皇帝の昔を知る人間は誰しもが若かりし頃のあの方に瓜二つだと言う。だから病床にいて外に出る事の出来ないジェガス17世の代わりに瓜二つと称されるテオドア9世が代役になる事が多いのだ。
しかしそれを父、ジェガス17世はどう思っているのか。力が衰える前の自分と瓜二つの息子、その顔を見る度に壮健な頃の自分を思い出して疎ましく思っているのではないか。テオドア9世の心中にはそんな不安があった。
「貴方の息子なのだから当然ではありませんか…父上」
小声で呟いたテオドア9世に傍にいた騎士は首を傾げた。何でもないと首を横に振ると控えめにドアが叩かれた。騎士は扉まで向かい訪問者を確認する。
「テオドア様。出発のご挨拶にリーンハルト皇太子様がお見えになられたとの事です」
「リーンがか?」
テオドアは顔を明るくする直ぐに通す様に伝える。程無くして第5皇太子であるリーンハルトが傍らに美しい少女を伴って現れた。
「兄上、出発前にお時間を取らせてしまい申し訳ありません」
「構わないよ。弟のお前の来訪を誰が拒むものか」
母を同じにする兄弟は笑みを浮かべ握手を交わした。そしてリーンハルトは隣にいる少女を紹介した。
「兄上、彼女はロザリー・ルーベン。ルーベン辺境伯の孫娘です」
「ほぅ貴方が」
テオドア9世も話には聞いていた。リーンハルトに婚約者ができ、それがダーナ帝国でも有数の貴族であるルーベン辺境伯の孫娘である事を。
「お初御目に掛りますテオドア9世殿下。ルーベン辺境伯が孫娘のロザリーと申します」
些か緊張した面持ちで淑女の礼を取る彼女は訊けば16歳だと言う。リーンハルトとは4つ違いだがしっかりとした少女だ。
「第2皇太子のテオドア9世だ。ロザリー嬢、そう緊張しなくてもいい。私たちは遠からず家族となるのだから」
リーンハルトとの婚約を祝福していると告げれば若い少女ははにかみ頬を赤く染めた。そんなロザリーをリーンハルトも優しげな眼で見ている。最近、婚約したばかりだが仲は良い様だとテオドア9世は安心した。
「良い女性を婚約者に迎えたなリーンハルト。大切にするんだぞ」
「勿論です」
そう断言するリーンハルトにこれでは別れの挨拶に来たのか惚気に来たのか分からないなとテオドア9世は心中で苦笑した。
「兄上、今回の慰問活動ですが今からでも中止して頂く様に父上に頼めませんでしょうか」
リーンハルトはそう言って不安な顔をする。
「私では到底、この帝都の第4皇太子派たちを抑える自信がありません」
ダーナ帝国には4つの派閥が存在する。ジェガス17世を支持する現皇帝派、次期皇帝の座を狙う第1皇太子派と第4皇太子派、そして議会派。テオドア9世とリーンハルトは自分たちと母を同じにする第1皇太子ニコラスを支持する第1皇太子派に属している。
病床に就き公務の場に出る事の少ないジェガス17世に不安を覚える者は少なくない。ニコラスはダーナ帝国の治世を安定させる為にも早期の皇帝の座の引き渡しを求めている。だがジェガス17世はそれを拒み今も皇帝の座に居続け、更には第28次星間連合侵攻作戦まで開始した。第1皇太子派の見解では戦争を起こしそれを理由に退位を拒むのだろうと考えられていた。その為か第28次星間連合侵攻作戦に関する情報は秘匿され皇太子たちすらその全容を知らないでいる。
テオドア9世は惑星デヴァンタールの統治を任されているニコラスの代わりに帝都における第1皇太子派のまとめ役だ。第28次星間連合侵攻作戦に関して情報を集め且つ第4皇太子派の動きを妨害する役割を果たしていた。
「戦いが続けば鉱山惑星アッシュバルトを統治しているガルバニア皇太子の力量が必要とされます。今、帝都ではガルバニア皇太子がどれだけ資源をあの惑星から引き出せるか、その事を注目している者たちが多くいます」
「分かっている。連中はそのお零れに預かろうとしている事くらいはな。そうさない為にもお前にはこの帝都に残って欲しいのだ」
聡明なこの弟は人心掌握や交渉の駆け引きに長けている。人当たりの良さと優れた教養から彼に付き従う人も多く、多種多様な人材との繋がりからどう言った話し方や交渉の仕方をすればいいか分かっている。貿易港である惑星デヴァンタールを統治するニコラスは自信が帝位に就いた時にはリーンハルトを次のデヴァンタール伯に任命するつもりだった。
「リーンハルト。お前には第4皇太子派を抑えるのではなくこの帝都で第1皇太子派の繋がりを大きくする事を務めるんだ。ご本人を前に言うのも何だが、ルーベン辺境伯の孫娘との婚約でお前も今、注目を集めている。皇族と帝国最大とも言える貴族との婚姻は否が応でも大きな権力の誕生を意味する。そこに集まる輩も多いだろう。お前は其処から真のダーナ帝国に相応しき貴族を見定め仲間に引き込め。これはお前にしか出来ない事なんだ」
テオドア9世はそう言ってリーンハルトの肩を叩いた。リーンハルトも尊敬する兄からそう言われてしまえば否と言い難い。
「分かりました。私もこの帝都で微力ながらニコラス兄上のお手伝いをさせて頂きます」
「頼んだぞ。リーンハルト」
テオドア9世は寂しそうな笑顔を浮かべる。本当はもっと話を続けたかったのだが時間がそれを許してくれない。傍仕えの騎士がステーションに向かう時間だと告げる。
この帝都から一番近いステーションがある軌道エレベーターがある場所までは飛行機で行かなければならない。皇族の専用機の用意が直前になって少し遅れこうしてリーンハルトと話をする時間が出来たのだ。
「では暫しの別れだ。リーン」
「はい。どうぞお元気で兄上」
二人は握手を交わしテオドア9世はロザリー手を取り甲に口付けた。扉を出てからテオドア9世は傍仕えの騎士からマントを受け取る。皇族にのみ許された国旗を施されたそれを纏うとテオドア9世は傍仕えの騎士と共に皇族専用機へ向かう。その途中で廊下の花瓶に生けられた花に気付いた。
「アザレアか。懐かしいな」
惑星エリシュアでもこの花を見た。一番好きな花だとも言っていた。何もかもが懐かしい。「テオドア様?」
立ち止まった主君に声を掛けるがテオドア9世は首を横に振って再び歩き始めた。専用機に乗り込むとテオドア9世は傍仕えの騎士に言って暫く一人にして貰う事にした。
弟の隣に並ぶロザリーを見てテオドア9世は昔の事を思い出していた。彼女と出会ったのも今のリーンハルトとロザリー位の歳だった。特別美しい女性ではなかったものの彼女といると不思議と心が和んだ。人目を避け幾度も会った。会う度に彼女を愛おしく思う様になり彼女もまた一人の男として自分を愛してくれた。表立って結ばれる事はない。それは二人とも分かっていた。何時かは来る別れ。それは知っていた筈なのに。
「どうして貴方は私の手の届かない場所に行ってしまったのだろうな」
そしてどうしてそれでも自分は彼女を愛し続けてしまったのだろう。
間違いを犯してしまったのだろうとテオドア9世は自嘲した。
「愚かだな私は。こうして帝都を離れなければならないのも思えば私の責任ではないか」
そう言ってテオドア9世は俯き、彼女の名前を口に出そうとし―
リーンハルトは緊張した面持ちで窓の外を見ていた。テオドア9世が乗る専用機が飛び立つのをここから見送りたいとロザリーに言えば快く承諾してくれた。
二人で窓の外から専用機が飛び立つのを待っているが実は言うとただロザリーと一緒に居たかっただけだ。
「リーンハルト様、もうすぐご出発されるようですよ」
「え、えぇそうですねロザリー」
まだ出会っても間もない二人だがリーンハルトは既にロザリーに心を奪われていた。他の貴族の令嬢と違い、とても純真で素直な少女だ。少なくとも血統だけで相手を判断するような子ではない。それがリーンハルトには何より嬉しかった。
「どうかなされましたかリーンハルト様?」
先ほどから一言も喋らないリーンハルトにロザリーは首を傾げる。リーンハルトは意を決してロザリーに言う。
「ロ、ロザリー!!」
「は、はい!!」
しまった。緊張しすぎて声が大きくなり過ぎた。リーンハルトに釣られてロザリーも大きな声で返事をしてしまった。直ぐにはしたないと感じロザリーは顔を俯かせた。
「いや、その貴方さえ良ければその…」
リーンハルトは視線を彷徨わせ、
「私の事を…リーンと呼んでくれませんか」
それは親しい者しか呼ばない自分の愛称だった。家族でもその名前を呼んでくれるのは兄弟だけだ。父上にそんな風に呼ばれた事はない、と言うかあの厳つい口から呼ばれたら驚く。それは兎も角、リーンハルトの提案にロザリーの頬を赤く染め、
「はい。あの分かりました…リーン、様」
愛らしい表情でそう口にしてくれた彼女にリーンハルトも顔を赤く染める。二人はゆっくりと手を繋ぎ合い、幸せそうに笑った。それから再び旅立つテオドア9世を見送る為に外へと視線を向けて―
最初に気付いたのはどちらだろうか。皇族専用機の窓から外へ視線をやったテオドア9世か。それとも建物の中から皇族専用機を見送っていたリーンハルトか。
或いは同時だったかもしれない。空から降って出た黒い影、それが双腕肢乗機だと気付いた時には既にその光刃は振り下ろされていた。
「…え」
その光景が信じられず、間の抜けた声が出る。直後、皇族専用機は爆発しガラスを大きく振動させる衝撃が建物を襲った。リーンハルトは目の前の現実を受け入れらずにいた。
あの専用機には今さっきまで語らっていた筈の兄が、テオドア9世が乗っているのに。
「リーンハルト様!!」
「急げ!!兎に角、殿下とロザリー様を安全な場所までお連れしろ!!」
空港の職員や警護に付いて来ていた騎士たちが走り回っている。リーンハルトも彼らに引き摺られる様にして連れて行かれ事態を受け入れられないまま車内へと押し込められた。
漸く意識が現実に戻り始め、リーンハルトは運転席に座る騎士に恐る恐る口を開いた。
「兄上は…兄上は、どうなった?」
「……」
痛々しいその口調に騎士は唇を噛む。しかし敬愛する殿下に嘘を吐く事は出来なかった。それがどれ程、耐え難い現実だとしてもだ。
「既に専用機にお乗りになっていたとの事でした。脱出も間に合わず…テオドア9世様は御助かりになりませんでした」
嘘だとリーンハルトは叫び涙を流した。傍らに寄り添うロザリーは顔を青くし、それでもリーンハルトの肩を抱き共にその悲しみに涙を流した。
遠ざかる空港ではまだ黒煙が昇っている。
それはダーナ帝国の命運を分ける狼煙に過ぎない事をこの時は誰も知らなかった。
何時もよりも遅くまで寝台の上で寝ていたカラスは扉を叩く音で目を覚ました。こちらに背を向けて眠るジュリエッタを起こさない様に寝台から起き上がると手早く衣服を身に纏い扉を開けた。
「どうしたロドフィール。何かあったか?」
「帝国騎士団より火急の知らせが来ております。ご確認を」
ロドフィールの表情は険しい。その面持ちにカラスも表情を硬くし空間ウィンドウを開く。帝国騎士団から届いた要件は簡潔に言うとカラスの謹慎を解き、帝国騎士団の本部に出向くようにとの事だった。
そして最後の行に付け加えられたE-2の文字を見て眼を一瞬、見開いた。
「ロドフィール、今朝のニュースで何か大きな事件はなかったか?」
「それが…空港にて爆発があったとニュースで。まだ詳細は不明ですが奇妙な事に最初の1時間は何処の局も取り上げていたのですが今はもう殆ど取り上げておりません。偶に調査中であるとテロップが流れるくらいで」
「…そうか」
カラスはそう言って直ぐに準備すると伝えロドフィールを下がらせた。
「放送局への圧力…か。間違いないな」
寝室に備えられた簡易シャワー室で昨晩の跡を流し落としながらカラスは呟く。
E-2とは帝国騎士団で使われる暗号だった。Eは皇族、その次の数字は皇帝の直系を意味する。つまり皇帝の直系に何かあった際に使われる暗号で更に空港での爆発。嫌な予感と言うよりも確信に近い。
信じ難い事だがこの帝都で起きたのだ。
「皇族への暗殺…っ」
1か月前に自分が王族への暗殺に携わったかと思えば今度は仕掛けられる方になるとはカラスも思いもしなかった。
身支度を整え、車を使って騎士団の本部を目指す。何時もの様に霧の深い街並だが人々の足が浮き立っているのを感じる。やはりロドフィールが言っていた朝の空港での爆発騒ぎが尾を引いている様だった。騎士団本部も何時もと以上に空気が張り詰めている。門の前に立つ兵士の数が倍になり、IDの確認も厳重に行われる。
予想以上に状況は危険らしいとカラスは悟った。
「他の方々は既にお集まりです」
そう言われ案内されたのは精鋭騎士にだけ使う事が許された控え部屋だ。緊急時には精鋭騎士たちによる会議の場としても使われる。
「来たか<黒翼>殿」
となれば部屋で集まっているのは当然、精鋭騎士たちだ。ダーナ帝国が誇る研ぎ澄まされた剣たち。その面々を見てカラスは眉を顰めた。
<紅翼>のゼクスや<灰翼>のディーンは既に顔を合わせていたのでいるのは分かっている。だが他にもこれ程の数が揃っているとは思わなかった。
「来て早々で悪いが早速、会議を始めさせてもらう席に就け」
カラスに最初に声を掛けて来たのは40代の女性だ。彼女は<白翼>のマリーベア・シミッター、精鋭騎士たちの中では最も階級が高い少将の立場にある。なので精鋭騎士たちの中ではまとめ役として選ばれる事が多く、会議の進行を行うのも彼女だ。
カラスに冷ややかな視線を寄越す目に気付く。見ればそこにいるのは美しい金髪の美丈夫だった。気品と優雅さを感じさせる彼は見た目からは分からない程に苛烈な操縦技術を持つ。名前をレグルス・ロンバウト、<緑翼>の名を冠した精鋭騎士だ。
他にも<橙翼>を含め3名の精鋭騎士。カラス、ゼクス、ディーンと合わせてこの部屋に今、8名の精鋭騎士がいる事になる。
これは常では考えられない事だった。皆が何かしらの任を帯びて戦線を飛び回るのでこの帝都で一堂に揃う事などそうは無い。
そのことに違和感を覚えながらもカラスは席に着く。
「では会議を始める。だがその前に言っておく…事態はこのダーナ帝国建国以来、罪悪の状況と言っても過言ではない」