第6話 とある酒場にて
ゼクスの家に限らず、この晩は他の貴族の家でも晩餐会は数多く開かれていた。その殆どが新たに誕生した皇太子を祝う名目で遅くまで家の灯りが消える事はなかった。
しかし帝都の全てがそう裕福な貴族ばかりではない。寧ろ数で言えば明日の食い扶持にすら困る様な平民の方が多いのだ。
ダーナ帝国は単体の惑星国家としては破格の領土を持つ。首都のあるローグ・ハインケル星系をはじめ人の住める惑星は少ないがそれでも4つ星系を支配しその国民の数はアースガルド王国の3倍もある。しかしその殆どが資源に乏しく開拓惑星の発見もままならない状況だ。稀に資源のある惑星が見つかっても人の住める環境下ではなく得られる資源とそれに掛かった費用で殆ど儲からない様な状態だ。それでも軍備は拡張され税金は取られる。挙句に貴族の領地では更に税を搾り取られる。自分の故郷では食い扶持が探せず帝都まで来たものの日雇いや安賃金の工場しか職はなく、故郷への仕送りは疎か自分の生活すら危うい状況だった。
そんな人間が逃げ込む場所は昔から酒場と決まっていた。
苦痛を忘れる為に酒の力を借りる。しかし金はないから頼むのは何時も安くて不味い酒。そんな安酒を出す店はこの帝都では珍しい事ではなかった。
そして酒を飲みだせば口から出るのは不遇に不満、そんな物ばかりだ。
「しかし陛下もお盛んだな全く」
赤ら顔の男はそう言ってクズ札を捨てて山札から2枚引いた。
「病床に臥せってるって言うのについこの間、新しい子供作ったんだろ。しかも自分の娘と同じくらいの若いお妃さまとの間にさぁ」
良い手が来なかったのかチッと舌打ちをしている。赤ら顔の男と賭け事に乗じていた2人の男は顔を顰めて、
「おい、やめとけって。帝国騎士にでも聞かれたら不敬罪で捕まるぞ」
「最悪、その場で撃たれるかもな」
「はっ!!あんな奴らよりウチのカカアの方が百倍怖ぇよ」
そう言って度数だけは高い安酒を飲み干すとウェイトレスにお代わりを要求する。飲み過ぎだと言っても聞かないのは分かっているので仲間二人は何も言わない。
困るのはこいつの懐であってそれで怒られるのはこいつ自身なのだから。
「ホラよ、ストレートだ。お前は?」
「けっ。つまんねぇな」
そう言って赤ら顔の男はチップの銀貨を放り投げた。これでもう6連敗だ。酒が無ければやってられない。
「おぉい!!まだかよ!!」
「…お待たせしました」
愛想のないウェイトレスが男の前にグラスを置く。男の方を見向きもしないその態度にカチンと来たのか男は立ち上がりその手首を掴んだ。
「てめぇ!!舐めてんのかぁ!!」
「お、おい!!」
仲間が慌てて止めに入るが酔っている男に何を言っても通じない。だが手首を掴まれた女も動じるどころか眉一つ動かさなかった。赤ら顔の男はそれなりの力で女の手首を掴んでいるつもりだったが、
「ぐっ…」
おかしい。柔らかく若々しい女の肌なのにまるで鋼鉄の柱を掴んでいるかの様に動きやしない。
「お客さん。店で騒ぎを起こすんなら出て行って貰うよ」
バーカウンターでグラスを磨いていた店主がそう言った。場末の酒場の店主にしては着ている物はしっかりしていて不潔感はない。ただ変わっているのはその赤銅の様な髪色だ。滅多に見ない色だが帝国で忌み嫌われている黒髪よりはマシかもしれない。髪は長く、後ろは襟まで、前髪は鼻には掛からないが両目は隠され眼の色も分からない。それでも表情が読みにくい店主の声には静かな怒りが含まれていた。
「あぁ!?そもそもこのウェイトレスの愛想が足りねぇのがいけねぇんだろうが!!」
「ウチは酒を出す店であって媚びを売る店じゃないんだ。足りないのなら通りの女でも捕まえてきな」
「こ、この野郎!!」
カッと頭に血が上った男は店主に掴みかかろうとした。が、それよりも早く男の身体は宙を舞った。仲間二人は信じられない物を見た。
あの愛想のないウェイトレスが赤ら顔の男を投げ飛ばしたのだ。まず掴まれていた手首を軽く腕を振っただけで振り解いた。店主に掴みかかろうとしていた男はたたらを踏み、驚いて振り返るよりも早くウェイトレスが今度は逆に赤ら顔の男の腕を掴んだ。特別、武術の達人とかそうでないのはその後の動作で分かった。何せ強引に男の身体を肩腕一本で持ち上げてそのまま天井目掛けて放り投げたのだから。重力から解き放たれたかの様に空中で3回転して床に叩きつけられた。
「お、おおおお、おい!!大丈夫か!?」
慌てて仲間二人が駆け寄る。店主はバーカウンターからちらりと投げ飛ばされた男の様子を伺い、
「死んじゃいないよ。ただ…」
店主は残った二人の男に前髪の隙間から鋭い視線を向け、
「これ以上、騒がしくするって言うのなら話は別だ」
「わ、悪かった!!悪かったって!!」
そう言って仲間二人は男を抱えて店から出て行った。テーブルの上には賭け事で使っていた金が残っている。代金代わりにそれを全部貰っておく事にした。
「抵抗するなら最初から抵抗をしろ」
店主はウェイトレスにそう言った。しかしウェイトレスは表情を一つ変えずにテーブルの上を片づけ始め、
「私は貴方に雇われた護衛。自分の為に動きはしない」
分かっている。だから口を挟んだのだ。店主は溜息をついた。
有能なのだが如何せん、扱いに困る。故に傍に置いているのだが。
「ところで」
「何だ?」
「代金にしては多いのでは?」
彼女が言うのは店主が回収した男たちの賭け金だ。男たちが呑んでいた酒の代金の倍ほどある。こんな金があるのなら場末の酒場で酒なんて呑まずに大人しく家に帰っていればいい物を。そう思ったが店主は素知らぬ顔で、
「迷惑料込みだ」
「あこぎですね」
ムッと表情を店主が顰めると入口から笑い声が聞こえて来た。
「ハハハッ!!確かにあこぎな商売だなぁ兄弟」
「…何の様だ」
あまり嬉しくない客に店主の声が低くなる。
ここには近づかない様に言っていたのだが忘れてしまったらしい。
「まぁそんなに邪険にしないでくれ。景気のいい話を持ってきた」
そう言ってその男はイシュが片づけていたグラスと酒瓶を勝手に手に取ると酒をグラスに注ぎ始めた。店主は何も言わない。その酒がどれ位、安くて不味いかなど。代わりに別の事を話した。
「態々ここで話さなくてもいい内容なんだろ」
そう尋ねたが男は安酒を口にして顔を酷く顰めていた。こんな酷い酒は自分の生まれ故郷ですらなかった。エタノールを水で薄めた?いや僅かにウィスキーの様な蒸留した酒の香りと味がする。こんな酷い酒を何故造ったのだろうか。
酒には聊か煩いがしかし今はそんな話をしに来たのではない。
「まぁ聞けって。なぁ知っているだろ第2皇太子の…」
「やめろ。オストー」
店主はそう言って睨み付けた。前髪の隙間から除く視線に男―オストーはたじろいだ。
「ここでその話しをするな。何処に耳があるか分からないんだぞ」
「…アンタは警戒しすぎなんだよ兄弟」
オストーはバツが悪そうに目を逸らす。
「当然の警戒だ」
「はっ!その割にはこんな場所でよく堂々と店なんか開いていられるな」
ここは帝国の首都、ローグ・ハインケルだ。皇帝陛下のお膝元でテロリストの首魁が場末の酒場を経営しているのだ。
「バレたら大きな騒ぎになるんじゃないか?なぁガルムよぉ」
ガルムと呼ばれた店主はその目を細め、
「イシュやれ」
「っ!!待っ!!」
オストーが何か言うよりも早くウェイトレス―イシュがオストーの首を締めあげた。彼女の細腕では考えられない力にオストーは目を白黒させる。だがじっとはしていられない。このままでは確実に彼女に殺される。
「待て!!ちょっと口が滑っただけだ!!アンタの事を吹聴するつもりなんてこれっぽっちもない!!」
「…オストー、何度も言わせるな。警戒を怠るな」
ギリギリと力が込められていく。呼吸がしにくくなる。しかしそんなまだるっこしい事をしなくてもイシュの握力なら首の骨を折れる。
「わ、分かっている。だけど聞いてくれ。兄弟」
ガルムはイシュに手を放す様に視線で促す。命の危機から出したオストーはゼェゼェと呼吸を繰り返してからガルムが出した水を飲み干した。遣り過ぎたかと思いガルムは店で3番目に高い酒をグラスに注いで出してやった。
オストーはそのグラスを半分空けるとやっと息が整ったのか深く息を吐き、
「兄弟、俺たちがここに潜伏してもう2年になる。だがその間に俺たちがした事と言えば何だ?精々が公的機関に抗議文を送る事くらいしかしていないだろう。そんな事で俺たちの目的が達成できるのか」
先達が築いてきた<ポラリス>の名声。その名声がここ数年で落ち目に入っている。
理由は簡単だ。ガルムがリーダーになってから直接的な抗議活動が減っているからだ。オストーは何度もガルムに行動を起こす様に言い続けた。だがガルムは動かない。
何度も何度も公的機関へ抗議文を送るだけだ。
「なぁ。兄弟。覚えているか先代に拾ってもらってから俺たちは組織に随分と助けられてきた。今度は俺たちの番じゃないのか?」
「……それが間違いなんだ」
「……何だと」
オストーは声を低くする。まさかこの男は組織の崇高な目的まで忘れたと言うのか。
だがガルムは首を横に振り、
「今までのやり方ではダメなんだ」
「先代を否定すると言うのか」
懐の銃の位置を確認する。引き金を引いてしまえと言う声が聞こえる。幻聴だ、分かっている。兄弟分の頭をぶち抜くほど自分は落ちぶれてはいない。
「信念と思想、そして教義の教えは引き継いでいく。それは必ずだ。だが問題は伝え方なんだ。どんな素晴らしい教えでもそれを聞いて貰える耳が無ければ意味がない」
旧派過激組織<ポラリス>。そう呼ばれてどれ位の月日が流れただろうか。最初は純粋に古くから続く教えを説く為にあった組織だったはずだ。しかしそれだけでは解決しえない貧困や紛争の問題に自分たちは銃を手に取るしかなかった。
ガルムもオストーも古き教えとそれに対抗する流れの中で全てを失った人間だ。拾い上げてくれた先代たちに感謝はしている。しかし、
「オストー。教義に殉じるお前の気持ちも分かる。だがそのせいで命を落としたら誰がその教義を受け継ぐんだ。俺たちの役目は教えを守り、受け継いでいく事だろう」
「……分かったよ兄弟」
オストーは首を横に振り、グラスに残っていた酒を飲み干した。
結局、銃に手を伸ばす事はなかった。いや元よりそんなつもりは微塵もなかった。
だがオストーが望む答えは得られなかった。
「お前とはここでお別れだ」
「オストー」
「じゃあな兄弟」
そう言ってオストーは振り向かずに店から出て行った。ガルムは物憂げに溜息をつくと拭いていたグラスを棚に戻した。
「止めないの?」
イシュが尋ねる。しかしガルムは首を横に振った。ここ最近、オストーは追い詰められていた。直接的な抗議活動―要はテロや襲撃だ―が少なくなり支援者から風当たりが強くなっていた。ガルムとしてはこれを機にそう言った連中と手を切る考えでいた。主だった幹部にも了承は得ている。しかしそうでない者もいてオストーもその一人だった。組織のナンバー2がリーダーと対立する。あからさまなその対立模様に<ポラリス>では内部分裂の兆しがあった。
だがガルムとオストーでは器の違いがあり過ぎた。冷静に根気よく説得を続け賛同者を増やしていくガルムと短絡的なオストーでは時間が経つにつれその勢いの差は開くばかりだった。外部の支援者からもかなりきつい事を言われている様だった。
最悪、暗殺される事も考えていた。この場にオストーが来たのもその為だと思った。
しかし幼い頃、同時期に<ポラリス>に拾われた孤児である自分を、同じ頃に拾われた仲間を兄弟と呼ぶ彼はガルムに銃を抜く事はなかった。
ただ別れだけを告げて去った。彼に残された最後の兄弟に背を向けてだ。
「止めて聞く奴じゃない。星の加護があればきっと…何処かで会える」
ガルムはそう言って静かに祈った。
せめてオストーが十字星教の教えに救われる日が来る事を。
店から出たオストーは苛立たし気に街灯を拳で叩いた。結局のところ信じていた兄弟分であるガルムは怖気づいたのだ。先代たちが命を賭けて守ろうとしていた十字星教の教義を只の伝承で終わらせようとしているのだ。
「俺は違うぞガルム」
そうだ。自分は違う。先代たちの目的、全惑星国家に対して十字星教による統治を行う。それこそがこの宇宙に生きる惑星と人類の真なる共存になると信じているからだ。
「星の声を聞かず、星の意思を無視する奴ら全てに鉄槌を下さなければならない。そうだ俺は何も間違っちゃいないんだ」
そう言ってオストーは携帯端末を取り出した。数か月前より支援者から渡されている携帯端末だ。直接やり取りするべく専用の無線電波を使っていると言う。オストーは勿論、自分の部下にも全員支給された。
程無くして支援者と連絡が繋がった。
「俺だ。例の計画を実行する。あぁ…」
苛立ちを隠せないオストーの姿は夜の霧と共に何処かへと消えて行ってしまった。