第22話 悪意の狼煙・上
手渡された紙の台本を見てオスカーは思わず唸った。文面だけ考えてくれれば良かったのだが所々に細かい指示が書き出されている。どの様に身振り手振りを交えればいいか、どの様な感情を込め、表情を作ればいいか。流石に本職は違うと場違いにも思った。
「こう言った文面を考えるのもまぁ出来なくはないんだが…やっぱりプロに任せて正解だったな」
「別にあの方は活動家ではありませんよ」
そう彼女は言ったがオスカーはそれを鼻で笑った。星間連合のテレビ番組なんて詳しくないがそれでも名前くらいはオスカーだって聞いた事があった。
「ま、別段いいさ。こっちとしては世話になっている訳だしな」
「棘のある言い方ですね。構いませんが」
無駄な言い合いをするつもりは無い。それは相互に同じ考えだった。
「時間がありませんのでこれで」
「あぁ。精々派手に引っ掻き回してやるよ」
オスカーがそう言うと台本を持ってきた人物は何も返す事無く立ち去っていった。
「素っ気ないですね」
「仕事なんだろう。向こうにしてみれば」
オスカーはそう言って台本に目を通す。あと数時間以内に台本の中身を全て暗記しなければならない。台本を見ながらの演説など様にはならないからだ。
「あの野郎から預かった機器の調子はどうだ?」
「問題ありません。試しにパルム惑星軍の通信網に侵入してみましたが気付かれた様子はありません」
「何か有用な情報はあったか」
そう聞くとニッと笑い、
「かなり気が立っていますね。爆発させるのはそう難しくないですよ。それに例の音響装置も拍車をかけています」
「そうか。それじゃあ予定通りやろうか」
オスカーはそう言って嗤って見せた。
「まずは誤情報を流せ。そうだな…<お星様>が発砲したなんてどうだ?」
青空の下で食べる食事は本当だったら美味しいだろうにそれが戦艦のデッキの上だと途端に色を失う。それでも空腹だった胃の中にサンドイッチはあっと言う間に収まっていった。籠の中には水筒もあり注いでみれば中身は暖かい紅茶だった。少し時間が経ってしまっているせいか何時もエルムが淹れてくれるより渋く感じられた。
「有難うございます。フィオさん」
「いや、ホラさ。この前は俺が世話になったわけだし」
エルムから伝えられた感謝にフィオは顔を赤くした。自分で言っておきながらあの時の事を思い出してしまい、顔を赤くしているのだ。アリアに見られたら絶対に呆れられる。
「それよか怪我は本当に大丈夫なのか?血も滲んできているみたいだけど」
フィオが心配げにそう尋ねるとエルムは首を横に振り、
「大丈夫ですよ。額を切ったので出血が多く見えるだけで傷自体は浅いんです」
「本当かぁ?」
疑り深い目でフィオはエルムを見る。いっそ過保護な心配にエルムはちょっとムッとした表情を作る。
「大丈夫です。そう言うフィオさんは怪我とかしていないんですか?」
「俺はかすり傷程度だからさ。唾でもつけておけば治るって」
戦闘中に操縦席で腕をぶつけた時に出来た小さな傷位だ。絆創膏の一つでもしておけば勝手に治る。
「唾に殺菌作用はありませんよ」
「ゴルヴァーン工房ではこんなの何時もの事だからな。唾付けている内に殺菌作用が身に付いたんだよ」
かなり適当な事言ってフィオは肩を竦めて見せる。
本人にしてみればただの冗談だったのだが、
「本当ですか?じゃあ私の傷も殺菌してください」
「はいっ!?」
そう言ってエルムは額の髪をかき上げてフィオに突き出す。目を瞑って顔をこちらに差し出すその姿勢はまるで口付けを待っている様にも見える。
心臓がバクバクと音を立てている。冗談だと一言いえば済む話だったのだが気付けば白い頬に手を当てていた。雪の様に滑らかで手が離せなくなる。出来る事ならこのままずっと触り続けていたい気持ちだった。しかし頬だけでこんな気持ちになるとなれば唇はどれだけと考えた所で理性が訴えかけて来た。
曰く落ち着けと。傍から見れば明らかに不審人物だ。ここはまず一度よく落ち着くべきだ。そして周りを見渡して誰もいない事を確認しなければならない。深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、「フィオさん?」と訊ねて来たエルムに何でもないと答えて開きかけた瞼を反対側の手で覆って目隠しをしてあとは―
うん。本人も良いって言っているんだし舐めて良いんじゃね?本能と手を組んだ理性がそう言ってきた。ならば問題ない筈とフィオは自分自身を納得させた。
そしてエルムの額にそっと顔を近付け―
「………何、しているの」
静かに聞こえて来た声にゾクリと背筋を震わせた。振り返ればそこにはアリアとフレデリックがいた。フレデリックは気まずげに視線を逸らしている。間の悪い時に出くわしたと思っているのだろう。
問題はアリアの方だ。目が何時になく無機質だ。何の色も見えない。ただ静かに紡がれた声だけにありありと殺意が乗っかっていた。
友人のエルムに思いを寄せるフィオをアリアはまぁ悪くは思っていない。エルムがその気持ちに応えると言うのならアリアとしては祝福するだけだし。
だがそれは別に何でも許すと言う訳ではなく、
「アリアさん?」
「エルム、何しているの?」
フィオに顔を固定され目隠しまでされているエルムにアリアは出来るだけ優しく尋ねた。そっとフレデリックはアリアの傍から離れた。無論、怖いからである。
「フィオと、何をしようとしていたの?」
「えっとですね」
「エルム!!待っ―」
フィオが止めるよりも先にエルムは口を開いてしまった。
「フィオさんが額を舐めてくれるって言うのでお願いしました」
エルムも状況が良く分かっていないのだろう。大分、端折って説明をした。
そうと頷きアリアは身を屈め、
「死ね―っ」
助走をつけての飛び蹴りをフィオに喰らわした。フィオはアリアの殺気に射竦められた体は得意の反射神経でも躱せず、思いっきり顔面にブーツの裏側を残した。
余計な怪我を増やして軍医の周・美に怒られるのはこの10分後である。
「フラン君。悪いが仕事を頼まれてくれ」
格納庫に入って来るやいなやケインズはそう言った。その瞬間に他の整備班員たちはコソコソとフランの傍から離れて行った。余計な事に巻き込まれたくないという事だ。それをしっかりと把握して後で全員シバくとフランは心の中で決め、半眼でケインズを見遣る。
「艦長?私、これ以上は過労死するから勘弁してもらいたいんだけど」
割かし本気でそう言ってみたのだがケインズには伝わらなかった。流石に気の毒に思ったのかマイカも眉を下げて、
「艦長。現在、敵機の分析を進めている最中です。今後の事を考えますとこの新型機の分析は急務かと」
「そうだね。だけどこちらも重要なのだよ」
「…話だけ聞いてあげる」
フランがそう言うとケインズは頷き、
「<王家の路>を探し出して欲しい」
聞かなきゃ良かった。本気で後悔した。既にこの艦の幹部クルーたちの間では公然の秘密となっているとは言え、はっきりと第1級機密事項を口に出されるのは困る。
「……あー、どうしよう。何から突っ込んだらいい?」
フランは呆れ顔でマイカに尋ねる。だがマイカは只々、顔を青くし、
「か、かかか艦長っ!!それは第1級機密事項であり、口にするのははははは」
マイカの脳裏に数か月前の出来事が思い浮かぶ。近衛艦隊に拘束され山積みの誓約書に延々と署名をし続けた光景。あの山積みの書類がまた目の前に浮かんできてマイカの顔からは血の気が引いている。
「駄目だ、壊れた」
溜息をついてフランは煙草を咥えて火を点けた。どうもニコチンなしには聞いていられない話の様だ。
「副艦長様が言う通り、まずそれは機密事項に当たるから勝手には研究できないわよ。あと、殿下から教えて頂いた通りならあれは観測する方法がない、若しくは見付かっていない。アースガルド王国が幾十年と費やしているのにも拘らずね」
「だが技術連合は既にその正体を掴んでいる様だよ」
「ぶほぉ!!」
咥えていた煙草を思わず吹き出してしまった。マイカは顔を青くどころか土色にして天井を眺めている。完全に現実逃避だ。フランは変な所に入った紫煙を吐き出し、
「は、はぁ!?どういう意味よそれ!!」
「いや言葉通りだけど」
「何であの連中がそれを掴んで…!!いや、それは不思議じゃないかもしれない、けど何を根拠に!?」
「研究施設だよ」
ケインズがそう言うとフランはポカンと口を開け固まった。それから暫くして再起動したが直ぐに蹲った。
「そーいう事…誰にもバレずにここに研究施設を作れたのはそーいう事なのね」
「あぁ。多分、この惑星パルムの近くに<王家の路>がある」
「はぁ…じゃあそれ、シャルロット殿下に伝えなさいよ。その方が安全よ色々と」
フランがそう言うとケインズは首を横に振った。
「殿下に知らせる事も考えたがそれだと時間が掛かる上に例の<幽霊船>に勘付かれるからね」
「あぁまぁそうね。向こうの方が電子戦に関しては強いだろうから…」
「あの、時間がないと言うのは…?」
現実逃避していたマイカは割と早く戻って来た。この辺りが真面目過ぎると言われる要因なのだが。ケインズと付き合っていく内にそれでは耐えきれなくなるぞとフランは思っている。
「うん。これは惑星パルムの近くに<王家の路>があると言う前提―ほぼ確実にあるだろうが、その前提で言うとね?」
ケインズは一度そこで言葉を切り如何しようかと考える。マイカは随分とショックを受けている様だった。自分も気が逸り過ぎた自覚があるのでこれ以上、続けていいものか悩む。
だが結局知る事になるのだしイイかと判断した。
「その<王家の路>はダーナ帝国の深部に…もしかするとローグ・ハインゼル星系に繋がっているかもしれないんだ」
その言葉を聞いてマイカはついに倒れてフランは再び聞かなきゃよかったと後悔した。
ケインズの言葉をより簡潔に言えばこういう事だ。
つまりダーナ帝国に深く進攻できるポイントがこの近くにある、と。
けれどその後悔もケインズがこの後で受け取った報告に比べればマシだったかもしれない。戦闘服を着た兵士が告げた報告にケインズは眉を顰める。
「街で発砲?ウチの兵士がか?」
事の発端は住民同士の揉め事だったらしい。諍いを始めた住民たちを落ち着かせるべく偶々そこにいた星間連合軍の兵士―シルバー・ファング号のクルーが割って入った所、住民の一人が今度はそのクルーに掴みかかった。訓練を受けている軍人ならただの住民に掴み掛られた位でどうという事はない。だがそのクルーは何故か、拳銃を取り出して住民に発砲したと―
「で?」
ベンが続きを促す。だがクールクイス人の部下は耳の後ろを掻きながら、首を横に振る。
「いやそれだけッス」
「発砲したクルーは誰?撃たれた住民は?怪我したのかそれとも死んだのか?」
「不明ッス」
「…じゃあ発砲の報告を最初に挙げて来たのは誰?」
「パルム惑星軍の誰からしいとの事ッス」
ベンは半眼をクールクイス人の部下に向けた。
部下は唇を尖らせて拗ねた。
「そんな目で見ないで欲しいッス。いや、出鱈目なのは分かってますけど。でもこの報告を上げて来たのは俺じゃないんですから」
「分かっているけどさ。それでもどこの間抜けがそんな報告をしてきたんだと思っても仕方ないだろ?」
ベンはそう言って溜息をついた。
ケインズから街で発砲があった件について調べて来る様に言われ、報告の内容を改めて部下から聞いていたのだがあまりの内容に呆れてしまった。
「艦長に報告を上げて来たクルーは誰だったの?」
「艦橋のオペレータの一人ですが街の外で行動している兵士から連絡を受けたそうです。で、その兵士に連絡を取り直したんですがその兵士も他の兵士から、パルム惑星軍の兵士からの又聞きみたいで詳しい事は不明だそうです」
眼鏡をかけた年若い部下がそう言うと肩を竦めて見せた。
「意見を言ってもいいでしょうか班長」
「どうぞ」
「騙されたんじゃないんですかその人?」
その可能性は高いかなぁとベンは思った。パルム惑星軍の兵士からは相当に嫌われている。いや兵士だけではない。この街の住民全体からだ。
元々、地方の惑星軍と星間連合軍とでは仲が悪いのが殆どだがこの街はそれが顕著だ。
「難癖をつけようとしている、まぁその可能性もあるだろう」
「なら律儀に調査なんてしなくてもいいんじゃないでしょうか?」
「だけどそうも言っていられないみたいだぞ」
副班長の大男が見ろと言った。ベン達が向かっていた発砲があったとされる場所では人だかりができていた。遠目から見ても星間連合軍と住民が言い争いをしているのが見えた。
「何かあったのは確実みたいだな」
「けど…おかしいわ。騒ぎになっているのにパルム惑星軍がいないわよ」
「妙だな」
ベンは眉を顰めた。だがまずは状況の確認が先決だろう。一番近くにいた星間連合軍の兵士に声を掛けようとした時、
「もう勘弁ならねぇこの<お星様>野郎が!!」
そう言って住民の一人が兵士を突き飛ばした。不意打ちだったからだろうか兵士はたたらを踏む。マズイと思った時にはもう乱闘は始まっていた。
訓練を受けた兵士と一般市民では数の優位が無い限り兵士の方が力は上である。これ位の乱闘ならすぐに収められるが、
「割って入るよ」
「あん?別に俺たちが手を出さなくても…」
「いや。兵士たちの方を止めるんだ」
様子がおかしいとベンは言った。見れば兵士たちの顔に余裕がない。血走った眼をしている者もいる。このままでは銃を取り出す者がいても不思議ではない。
ベンは兵士の肩を掴むがその兵士は乱暴にベンの手を振り払う。どうやら割って入って来たのが仲間のベンだと気付いていないみたいだ。
ベンは遠慮なくその兵士の腹を殴りつけた。目玉を飛び出しかねない様な顔をしてその兵士は蹲った。他の人、兵士も住民たちもギョッとした顔をする。
「白兵戦部隊のベン・キーストン曹長です。何が起きているのですか?」
「え?え、あの。もしかして、あのキーストン曹…」
「知っていられるなら話は早いですよね。何があったか聞かせて貰えますね」
兵士はこくこくと頷く。その間にベンの部下たちが住民を落ち着かせて話を聞いている。
「その発砲があったと聞いて駆け付けたのですが」
兵士がぽつぽつと話を始める。彼らも発砲の件を聞いて情報を確認する為に現場へ来たがそこには誰もおらず、発砲の証拠を確認しようとしている間に住人たちが来た。
住人たちは兵士たちが発砲の証拠を消そうとしていると突っかかって来た。兵士たちがどの様に弁明しても住民は反発しその内に、
「その…情けない話なのですが冷静さは失ってきて」
「手を出した、と」
申し訳ないですとその兵士は頭を下げた。ベンは頭に血が上った兵士たちを艦に戻らせた。ここに残した所で問題を増やすだけだ。だがベンは不審に思った。
この程度の住民との衝突などよくある話だ。経験と訓練を受けていれば冷静に対処出来る筈なのに兵士たちは気が立っている。
「ん…?」
クールクイス人の少年が眉を顰めて周囲を見渡す。その様子に気付いたベンが彼に尋ねる。
「どうした?」
視覚や聴覚に優れたクールクイス人は普通の人では気付かない事にも感付く。
「いや、何か聞こえた気がしたと思ったんッスけど」
「誰かの声か?」
「分かんないッス。聞いた事もない音で、小さい…いや高いのかこれ?」
高音、聞き取れない位に高い音となるとモスキート音などかもしれない。ベンがそう考えていると、ベンの耳にも奇怪な音が届いた。
「雑音…?」
砂嵐の様な音にベンが音のする方へと顔を向ければそこには古びたテレビがあった。記憶が確かなら先ほどまで音楽番組が流れていた筈だ。それが今では灰色に塗りつくされている。ここ最近の経験から電波障害の言葉がすぐに思い浮かんだ。
だがそれだけではなかった。テレビ画面の砂嵐の向こうから何かが浮かんでくる。
人だ、声が聞こえる。雑音に塗れた声は徐々に大きくなっていく。
繰り返し繰り返し、同じ言葉をしゃべっている。
それは、
『………な諸君、騙さ…』
「この男、どこかで…?」
「いえ、待ってください。確かこの男って」
眼鏡をかけた少年の兵士がその目を凝らす。
「<ポラリス>のナンバー2じゃないですか…!!」
名前は確か、オスカーと言う名だ。