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流星のヴァルキリー  作者: 夢見 旅路
第1章 Boy and Girl engage Valkyrie
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第2話 少女との邂逅

 宇宙で働く事、育つ事。

 その過酷な環境をフィオは幼い頃より知っていた。

 放浪の技術者であった育て親に連れられ宇宙のあちらこちら旅をした。そこで宇宙の怖さは嫌と言うほど味わったし、その恐怖に囚われた人の末路も見て知っている。

「だからと言って進んで見たい訳でもないけどな」

 と眉間にしわを寄せながら呟くと諦めて作業に移る。ゴルヴァーン重工の裏手には今日、フィオが回収してきたコンテナに交じってあの脱出ポットが転がっていた。コンテナの中身は全て工房に運び込まれ組み立て作業が進められている。フィオも参加していたが夜になり今日の作業が終わるとフィオはロンドから黙って工具を渡された。それは解体用の工具でロンドは黙って工房の裏側を指さした。

 それだけで十分だった。

フィオは渡された工具を使い脱出ポットの解体に臨んでいた。

 開閉部分に慎重に刃を入れ縁に沿って切り取る。下手な部分を切り取って中途半端に残ったエネルギータンクに当たりでもしたら誘爆して吹き飛ぶ可能性だってなくは無い。故に作業は慎重に進める。低振動の刃はゆっくりと開閉部分の縁を切り取っていき30分ほどかけて漸く斬り終わる。切り取った縁にバールを差し込んで開閉部分をこじ開ける。

 明けた先には更に頑丈そうな扉が待っていた。

 まぁ珍しい話ではない。こういった脱出ポットが幾枚もの装甲で守られているのは当たり前とも言えよう。竹の子の皮をむくかのように2枚目3枚目の扉をこじ開けながらフィオは4枚目の扉に手をかけようとする前に別の機械を手に取った。

「中に何が入っているのか…一応、簡易スキャンでもかけてみるか……」

 気が乗らないなと思いながらも扉に向けてスキャナを近づけてスイッチを入れる。不可視光線が扉を透過し内部を調べる。結果は、

「…?<不明>(unknown)?」

 その表示にフィオは首をひねる。何も入っていなければ結果は<反応なし>(nothing)だ。だが表示されたのは<不明>、つまり<何が入っているか分かりません>で<何かが入っています>と言う事だ。

「やべぇ……開けたくねぇ……」

 フィオは脱出ポットから身を引く。もしこれで中に入っていたのが正体不明の生物とか危険物だったら大変な事になる。とりあえずこの事をロンドに相談してどうするか判断を仰ごう、そう決めるとフィオはそそくさとその場から離れる。




 工房の2階にあるロンドの自室にノックなしで入ろうとして危うくロンドと奥さんとの共同作業を目撃しかけてロンドから半殺しにされかけた。




 脱出ポットが置かれていた工房の裏手には使用済みのジャンクが山をなして放置されていた。ちょっと暇を持て余した技術者が遊ぶには丁度いいガラクタがそこには揃っていた。その山積みされていたジャンクから折れ曲がって使い物にならなくなった鉄骨が一つ脱出ポットに落ちてきた。鉄骨と言っても小さい物で過酷な宇宙環境にも耐えられるように作られている脱出ポットには傷一つ付けることは無かった。

 しかしその衝撃で機能停止していた脱出ポットのプログラムが再起動した。

ガタガタと脱出ポットは揺れ始め、センサーが点滅する。

「pj…fnio?…da…h……u……」

 言語回路が破損しているらしく、支離滅裂な声を立てる。やがてセンサーが赤く光り、何かを計測する。

「ox……O.K…………a…gr……n」

 赤い光から緑の光へとセンサーは色を変え、脱出ポットの全身から煙が噴き出す。もしもこの場に誰かいれば気付いたかもしれないが、その煙はとても冷たかった。

 脱出ポットは内部の冷凍ガスを全て吐き出しながら中の温度を徐々に温めていく。僅かな電力を節約し、生命維持装置を最小限に稼働させるにはこの方法しかなかった。脱出ポットに搭載された人工知能が多くの生命維持装置の中から長時間稼働と効率の面から選んだのは人体を超低温ガスで凍らせる事で心肺機能を一時的にダウンさせる冷凍睡眠(コールド・スリープ)だった。

 超低温ガスの排出と心肺機能の復活を終わらせた脱出ポットは自身の体を開閉する。しかし歪んだボディは言う事を聞かず、扉が中途半端なところで開かず止まる。

人工知能はすぐさま判断した。

残電力を使って扉を強制排除、吹き飛んだ扉は鉄くずの中に埋もれて分からなくなる。それと同時に電力を使い果たした人工知能はその機能を停止させた。元々動いている事すら奇跡だった。人工知能の鏡と呼ぶべきか。脱出ポットはその役目を全うした。

「………ん…」

 大気に触れ揺れる瞼。そっと瞼を開けるとそこには満天の星空と淡い光を放つ月が照らしていた。それを見て彼女はゆったりと微笑む。ぐっと背中に力を入れるが解凍されたばかりの体は思うように動かない。ギクシャクしながら体を上げると、その目に映ったのは壊れた機械の山だった。

 それを不思議そうに見つめながら彼女は首を傾げた。

「どうしましょう……」

 頬に手を当て考える。何もいい案は浮かばなかった。何時までも座っていても事態は好転しないだろうと彼女は立ち上がり脱出ポットから出る。出る時に「ありがとうございました」と脱出ポットに頭を下げる。辺りを見回すと建物が見えた。とりあえず中に入ってみよう。冷凍睡眠から目覚めたばかりの頭は霞がかかった様に思うように動かない。しかし彼女は何故こんなにも頭がぼんやりしているのか分からなかった。フラフラと建物中に入ると壁に作業着が吊るされているのを見つけた。

それを見て彼女は、

「…へっきし!」

 小さなくしゃみをした。


 夫婦の貴重な時間を邪魔されたロンドは酷く不機嫌だった。

「お前…これで中身が何でも無い物だったら……」

「これ以上何するっていうんだよ?!」

 ロンドの右腕が低く駆動音を響かせる。

 あれか。あの義手で殴るとでも言うのか。フィオはブルリと体を震わせる。

「で…?あの脱出ポットは?」

「あぁそこに……アレ?」

 工房の裏手には確かに脱出ポットがあった。だがいつの間にか様変わりしている。

 最後の一枚であったはずの扉が無くなっており中が見えている。

 脱出ポットの中は空でとても危険物などがある様に見えない。

 フィオの後ろでふぅとロンドがため息をつき静かに首を左右に振る。

「……覚悟は良いか?フィオ」

「待て待て待て待て待て!!ヤバい!!その義手だけは絶対ヤバい!!っていうかなにその異常な駆動音っ?!明らかに正規品の出力超えているよね?!!」

「ふっ……こいつの出自は聞かない方が良いぜ……尤もお前が知る機会はもう無いだろうがな」

「うぉぉぉい!!」

 振り上げられた拳を見てフィオは猛ダッシュでその場から離れる。「待ちやがれっ!!」と後ろから声が聞こえるが無視。工房に一直線で入り込むと鍵をかけて電子錠のパスワードを即席で書き換える。これで暫く時間が稼げるはず。フィオはヤレヤレと首を振り、工房の中へと振り返る。

 工房の中には今、組み立てている機体と工具、作業乗機などがそのままにされていて壁には作業着が吊るされている。別段珍しい光景でもなく男ばかりのこの工房では更衣室などと言う上等なものはなくそもそもそんなもの気にしない連中ばかりなので工房内で当り前に着替えるから作業着も壁にかけっ放しだ。当然、フィオの作業着も壁に吊るされていてそれを女の子が手にしていて、

「え?」

「はい、なんでしょう?」

見慣れた光景に1つの違和感。もう一度よく観察し直してみる。フィオの作業着は今、女の子が手にしている。少女は上着の袖を捲って白い腕を覗かせている。その手にはズボンが握られており今まさに片足を入れたところだ。振り返って背中越しに頭を向ける彼女はフィオに向けて首をかしげている。さらさらと揺れる銀色の髪は腰まである。長い髪が揺れるたびに白くて小さな臀部が見え隠れ……

「なぁっ!」

 フィオは反射的に目をそらしてしまう。

不本意ながら男どもの着替えは工房内で見慣れている。

しかし今目の前で着替えをしていたのは男ではなく女、しかも同じ年くらいの少女だ。

 状況がさっぱり分からない。見知らぬ少女が自分の作業着を着ていてしかもその着替えの様子を後ろ姿とは言え見てしまってどうしようもなくフィオは緊張していた。

「あの…どちらさまでしょうか?」

「それはこっちの台詞だよ!!誰だお前!!あと何で俺の作業着を着ているんだよ」

「あ、この服あなたのだったんですね」

 ちょっと待って下さいと言い、途中だったズボンを履く作業に戻る。履き終わるとフィオの方へと体ごと振り返る。

「はじめまして、私の名前はエルム・リュンネと言います。すいません、御断りも無くお洋服まで借りてしまっていて」

「な、なんで作業着なんかに……」

「裸だったからです」

「ぶふっ!」

 どんな状況だとフィオは思わずにいられなかった。

裸で入ってくる少女、いやエルムとか言ったか。恐らく自分がそんな場面に出くわしたら今以上の衝撃を受けていたかもしれない。

年頃でそう言った事にはフィオも年相応に興味はあるが、如何せんまだまだ若かった。

「あの、怒っていらっしゃいますか?」

「いや、その……」

「もし違うのでしたらお名前をお伺いしてもよろしいですか?というか私は名前を言ったのにあなたがまだなんて不公平です」

「いや、勝手に名乗ったの君だよねぇ!なんで俺が怒られなきゃいけないんだよ!かってに話を進めないでくれ!」

 フィオは呼吸をいったん落ち着け、エルムの方へと振り向く。良く見ると目鼻が整った美少女だ。腰まである銀髪にエメラルドのような緑色の目がよく映えている。それだけに彼女が着ている作業着が野暮ったく見えてしまう。

「えーっと…色々言いたい事はあるけど、とりあえず。俺の名前はフィオ・ランスターだ。リュンネだっけ?何してるんだ、ここで」

「ですから、服をお借りして……」

「いや、そもそも見知らぬ他人の家にあがりこんで服を無断で借りようなんて普通しないだろう」

「緊急事態でしたから」

 そう言ってにっこりと笑うエルムは可愛かった。大抵の事はその笑顔で押し切ってしまえるのではないかと思える魅力を感じた。

 しかしそうは問屋が卸さない、フィオは出来るだけ表情を険しくて問い詰める。

「事と次第によっちゃあ警察に……」

「ふぁ……」

 フィオが言いかけたところで、エルムは小さく欠伸をして目をこする。その目はとろんと垂れていて眠たそうだ。そしてフラフラと小さな頭が揺れたかと思えば遂には身体ごと倒れる。

「っ!!おい!!」

 慌ててフィオはエルムの体を支える。

「大丈夫…です。冷凍睡眠から解放されたてでまだ、頭が若干回らないだけですぅ…から」

「は?冷凍睡眠?」

「すぅ…すぅ…」

 フィオが問いかけた時にはもう既にエルムは寝息を立て夢の中へと旅立っていた。

 毒気を抜かれたようにフィオは立ち尽くし、どうするか悩む。

「とりあえず、親方に……」

 と言いかけた所でギョッと眼を見開く。裏手の扉は確かに閉めた。しかしどうやら表の扉は開けっ放しだったようだ。と言うよりこの工房は彼の所有物なのだから鍵くらい持っていて当たり前だろう。

「………ほぅ。工房内に女ぁ連れ込むとは中々やるじゃねぇかフィオ」

「…待ってくれ。俺にも状況がさっぱり分からないんだ。だからお互い冷静になろう」

「安心しろ俺は冷静だ………まずはその子をそっと床に下ろすんだ」

「あ、あぁ分かった」

 フィオは恐る恐るエルムを床に横たえる。あまりに華奢なその体は気を付けなければ簡単に傷を付けてしまいそうだった。

「よし…じゃあ今度はゆっくりこっちに来い。騒ぎを起こしてその子を起こすのは可哀相だからな」

「………親方、冷静に冷静に」

「冷静さぁ……冷静に、静かに物音立てないようにぶん殴ってやるから来い」

「それ絶対冷静じゃ……っ!!」

「うるせぇっ!!人の楽しみは奪っておきながらテメェがお楽しみって言うのはどういう了見だコラァ!!」


工場惑星は止まる事を知らない。自動作業工場や交代制で作業を続ける工場もある。物資はあっても有り余る事はないからだ。

 それが戦時中なら尚更のこと。常にどこかで銃弾が吐き出され、宇宙戦艦はミサイルを放っている。軍用双腕肢乗機は戦闘で腕を落とすこともあればそのままパイロットの棺桶になることだって頻繁だ。

 その物資を補給するためや逆に物資を運ぶのに工場惑星へと軍関係の宇宙船が来ることも珍しい話ではない。

だがそれが星間連合軍(アライアンス・フォース)の主力戦艦となると話は別だった。当初、ステーションのスタッフも知らされていなかった。それ故多少の混乱が生じたが、それはステーション側の不手際だろうと艦長であるケインズ・マクシミリアン大佐は考えた。

 ともあれ無事入港できれば後は艦長の仕事と言えば物資の搬入終了の報告を受けるくらいだ。持て余した時間をケインズは趣味の写真鑑賞で時間を潰すことにした。

 お気に入りの写真集を開き艦長室のすわり心地の良い椅子に深々と座り束の間の休息を味わう。その束の間の休息もわずか10分で終了する。

 ブザー音がして顔を上げてみると、どうやら来客がやってきたようだった。多分、余り嬉しくない来客だろう。読んでいた写真集を閉じようとして、やっぱり開いたまま入室を許可した。「失礼します」と澄んだ声とともに入室してきたのは黒髪の女性だった。

「艦長、今後のスケジュールですが……何をしていらっしゃるのですか?」

「写真鑑賞だよ、副艦長殿。束の間の休息だ。君もゆっくり休みたまえ」

 副艦長、早川(ハヤカワ)舞夏(マイカ)中佐は黒い瞳をすぅと細めケインズを睥睨する。クールビューティの名前が似合うような知的な顔つきの美女も目の前でノウノウとやたら女性の露出が激しい写真集を広げているような艦長に対して、どうやら感情を抑えきれなかったらしい。つかつかと歩み寄るとデスクの上に報告書を叩き付ける。

「目をお通し下さい。今後の運航スケジュールとそれに伴う各部署のシフトです。問題がないようでしたら署名をお願いします」

「あー……オッケ、オッケ。問題ないよ」

「碌に目を通さずに生返事をするのはやめていただけませんか……っ!艦長…っ!」

 マイカは眦を上げケインズを睨む。

ケインズは我関せずといった顔で写真集から目を離さない。

 この男が上官じゃなかったらこの場で懲罰房に叩き込んでやるのに、マイカは真剣に軍司令本部に事の次第を報告して然るべき措置を取ってもらうべきかと考える。

 しかし、休憩時間中に写真集を見てはならないという軍規はない。

 気を取り直してマイカはゴホンと咳払いをして、

「お暇でしたら溜まっているデスクワークを片づけてはいかがですか?艦長はいささかデスクワークに時間をかけて行う方のようですから」

 有り体にいえばデスクワークが遅いということだった。しかもその後始末が副艦長である自分にまわってくるのだから腹も立つ。

「いやいや、デスクワークは大丈夫だよ。何せ優秀な副官がいてくれるおかげで私のやる事が無いからね」

「…っ!それは本来あなたがやらなければならない仕事を!私が!代わりに処理しているだけです!」

 最早上官と言う事を若干忘れ叫ぶ。

 ケインズはそれを特に気にせず、ニヤニヤと笑っている。その笑みにすぐにマイカはからかわれているのだと気づく。

「……失礼いたしました」

「ん?随分と立ち直りが早くなってね」

 ケインズの言いように又もや叫びたくなるが、ぐっと堪えて敬礼を返し退室することにした。戦略的撤退だ、これ以上ここで時間を浪費しても仕方がない。マイカが退出した後、ケインズは首を横に振り、

「ヤレヤレ…真面目なことだ」

 と呟いた。一回り以上年齢が違う副官はとても優秀だが肩に力が入りすぎているように見える。

 無理もないかとケインズは考える。座り心地の良い椅子に深く座り直し、部屋の壁へと目をやる。シミ一つない真っ白な壁紙、調度品も何一つとして摩耗したものはない。

 それも当然、この航海がこの戦艦にとって処女航海なのだから。

それもなんと試作艦。実戦検証(バトル・フループ)もまだ途中な言わば純潔の乙女。

 何もかもが造りたてで、クルーの間でもまだ多少の連携ミスがある。完全完璧を求めるつもりはない。もとより人が造り、そして人が動かすものなのだから完全完璧であるよりもある程度の柔軟性があった方が人としての強みを生かせるとケインズは考えていた。

 最も若い士官であるマイカにはその辺りがまだよく理解できないようで、何かと神経質になりがちだ。最新鋭戦艦の副艦長に選ばれたからにはという責任感もあるのだろう。

 まぁその辺りは年長者が上手に手綱を取ってやればいいかとケインズは写真集を閉じ、マイカの持ってきたスケジュール表に目を通す。

「……うん、流石だな」

 マイカは知らないが、各部署の責任者にはケインズの古くからの知り合いが何人かいる。ケインズは彼らのことをよく知っているし、彼らもケインズのことはよく分かっている。「こうしたシフトの組み合わせならきっとケインズや他の部署のアイツはこうしたメンバーをそろえてくるだろうな」と言ったことがなんとなく分かるのだ。そうして各部署で連携の取れたシフトや運航スケジュールは効率的で且つ有効的なものになっている。

 マイカも各部署から上がってくる報告書の効率性は分かっているのでケインズが斜め読みしても渋々ながら引き下がる事が多い。

 報告書をデスクの上に戻し、椅子から立ち上がる。艦長室には最低限の物しか置いていない。来客用のソファーとテーブル以外には目立った調度品は見当たらない。豪勢なワインセラーや著名な画家が描いた絵も飾っていない。

 艦長室にたとえ自腹を切って着飾ったとしても、沈んでしまえば全て灰になってしまうのだから勿体無いとケインズは考えている。マイカが聞けば「不謹慎な」と言って怒るだろう。ケインズ自身、少し不謹慎な考えだなと思っているので誰にも言ったことはない。

「でも折角だからこの写真集についているポスターでも……」

 そんなことをすれば、次にマイカが来た時にまず間違いなく上層部に報告されてしまうだろう。若しかしたらその場で引き裂いてしまうかもしれない。その顔を見るのも面白いかもしれない。ケインズはどうにもああ言った片真面目なタイプの人間を見るとからかいたくなる性質であった。

 すると再びブザー音が鳴った。

「どうぞ」

「失礼し……艦長、それ」

「写真鑑賞だよ、スタッグ大尉」

 入室してきたのは機動兵器隊隊長であるロイ・スタッグであった。引き締まった体つきと長身から熊に例えられる彼はケインズとは10年に渡る付き合いになる。ロイは刈り上げた赤毛をガシガシとかいて、ケインズに近づき、

「それ、俺の秘蔵品っすよ!いつの間に掻っ攫ったんですか!」

「一昨日、君が食堂で酔い潰れている時にリリアくんに頼んで君の自室の電子キーを開けてもらった」

 ケロッとした顔で答えるケインズにロイはため息をつく。

「返して下さいよぉ、艦長ぅ。それがなくちゃあ俺はこの暇な航海、酒飲むしかやる事ないじゃないですか」

「いや、機動隊隊長としての仕事が当然あるよね?今日みたいに物資の搬入とかさ」

「あぁ、あれね。銃弾を一発も打たないようなのを俺は仕事だとは思いませんよ?そりゃあ平和なのは大変結構ですがね。あと格納庫からせっせとコンテナを宇宙に放り捨てる様な作業を搬入とは言いませんよ。第一、艦長だって仕事があるんじゃないんですか?デスクワークとかデスクワークとか」

「仕方ない、こっち貸すからもう少し読ませてくれ」

 そう言ってケインズはデスクに戻り、引き出しから別の写真集を取り出す。ロイは渋々それを受け取り懐に隠す。

……少なくとも、こうした写真集を貸し借りするくらいの仲ではあった。

「で、何の用だい?給料の前借りなら副艦長殿に言ってね」

「いや、それはまた別の機会に……それよか出撃許可貰えませんかね?」

「結論から話すのは大変分かり易くていいけど…ちゃんと理由を説明してくれないか?」

 実直な性格であるロイは相手が上官であっても言うべきことはいう男で、ケインズもその性格は気に入っている。ただ余りにもざっくばらんに言うので今みたいに困惑することもある。

「あぁ、すいません。訓練ですよ、訓練。時間が空いている時にでもアイザーの奴を少しでも鍛えておいてやらないと、アイツ太りますからね。軍の飯で肥えて死ぬようじゃあ税金の無駄遣いでしょ?食った分は働いてもらわないと」

「練習機じゃ駄目なの?」

 ケインズが尋ねるとロイは首を横に振り、

「練習機なら的当ての訓練にはなりますが、宇宙空間での無重力感までは分かりませんよ。出来るだけ実戦に近い空気を吸わせてやりたいんです」

 ケインズはふむと頷く。ロイは口悪く言っているが、その真意はまだ腕が未熟な隊員が少しでも生き延びられるようにしてやりたいと言う隊長としての責任感からだった。

 軍として、そしてその中で上に立つ者として忘れてはならない心がけだった。昇進する毎にその心がけを忘れるものは多く、最前線で戦う人間ですらそれを忘れて戦場で自己保身に走る者もいる。ロイは軍に入ってもう12、3年になるが昇進を重ねることはあっても自己保身に走るような人間ではなかった。それはケインズもよく知っていた。

「分かった。実地訓練を許可しよう」

「ありがとうございます。では明日の一一〇〇時より開始します」

 ロイはあらかじめ用意していた計画書をケインズに渡しサインを貰う。

 計画書など上官の許可を貰う資料の大半はこの時代になっても紙媒体が使われていた。これは偽造を防ぐ意図がある。高度に発達した電子記録媒体は機密性とセキュリティを高める一方で、それを破る技術も発展してきた。イタチごっこを続ける両者に終わりはなく、紙媒体なら一度印刷してしまえば、よほど巧妙にやらない限りその内容を書き換えると言うことは難しい。単に鉛筆で紙に書いた文字を消したとしても跡が残るように、紙媒体に印刷された情報には内容の不変性は電子媒体よりも強いのだ。前戦で指令を早く伝えなければならない場合を除けば、重要な指令書ほど紙媒体で渡される可能性が高い。

 古風な万年筆で書かれた筆記体の文字も余ほど巧妙にやらなければ模写するのは難しい。加えて佐官以上の軍人が持つことの許される印鑑はレーザー加工により、100分の1ミリの細かさで星間連合軍(アライアンス・フォース)の印が刻まれている。連合軍のシンボルマークは神話に出てくる巨大な(ユグドラシル)がモデルになっている。大樹の枝を一本一本真似るのは実質不可能、同じ印鑑を作ろうにも一般の工具程度では不可能だ。

 署名と押印を貰ったロイはふとケインズに尋ねる。

「ところで、ここに来る途中でマイカ嬢とすれ違ったんですが……今度は何やらかしたんです?すごい怒りようでしたけど」

「写真集を見ていただけだよ。残念ながら彼女とは芸術を語り合えないらしい」

 ケインズが肩をすくめるとロイはうんうんと頷き、

「いつの世も中々賛同が得難いもですよ、芸術ってのは。それでも芸術を求めることを止められない、悲しきかな人間の性っ!」

「まったくだよなぁ、大尉!」

 がっしりと握手を交わすケインズとロイ。

そこには互いに信頼のおける上官と部下と言った光景ではなく、どちらかと言うと気が合う中年同士といった言葉の方がピッタリだった。

 そんな光景を開きっ放しの扉の外から呆れた視線を寄こす女性が1人。物資の搬入の報告に来たのだがなんだがあまりに馬鹿馬鹿しい光景を男二人がやっているものだから声をかけるタイミングを逃してしまったのだ。

「……で?もう良いかしら?さっさと報告済まして休みを取りたいんだけど」

 本来であれば上官に対してこんな口のきき方しただけでも十分、罰則ものだがケインズは全く気にかけない性格だし今更そんな気を使うような付き合いでも無かった。

 なにより疲れていた。慣れない服を着て普段使わない口調で喋ると言うのは酷く疲れる。

「ん?あぁお帰り。物資の搬入は無事に終わったかい?」

「えぇ…お陰さまでね……尤も次からはもっと別の手段を講じてくれると嬉しいんだけど」

 こめかみを押さえながら女性は言う。

「作業乗機を使うっていうから何するのかと思えば……」

「悪いね。下手にステーションなんかで物資の受け渡しをするとこっちの身元が割れると思ってね。この艦自体まだあまり人目に触れるのは避けたいからね」

「……確かにその可能性も無いとは言えないけど……けどねぇ…放流する事は無いんじゃない?艦長?」

「次はもっとまともな手段でも講じるよノーランド中尉」

 冗談としか思えない表情を浮かべるケインズを見て、フランは諦めて溜息をついた。



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