第10話 答えを探して
その顔を見てロイは全て自分の杞憂だったと感じた。
医務室で眼が覚ましたフィオの顔を見てロイは心の中で舌打ちをした。
アレは間違いなく覚悟が定まっていない新兵の顔だ。
あのままではそう遠くない内に良くない死に方をする。
しかし残念な事にロイは頭が良くない。気のきいた台詞や立ち直らせる方法などパッとは出てこない。ゆっくり休めと言って時間稼ぎをして食堂でチビチビと酒を飲みながらフィオに何と言おうか考えていた。
けれど日が明けて食堂に顔を見せたフィオの顔は以前と―始めて会った時と何ら変わらなかった。
それを見てロイは「あぁ」と溜息をついた。
何があったかは知らない。けれど自分の杞憂だったと。
「おーい、少年。こっちだこっち」
「アンタ…こんな朝っぱらから酒飲んでいるのかよ」
仕事があったんじゃないのかと言うフィオにロイはハハっと笑い、
「昨日の夜から飲み続けているに決まっているだろう!?」
「飲み過ぎだ!!というか仕事中だろ!?」
ロイはそんなフィオの言葉を聞きながらポンとフィオの肩に手を置き、
「何があったかは分からないが…覚悟でも決めたのかよ?」
その言葉にフィオは大きく目を見開く。その目をロイはじっと見つめ苦笑した。
「いや違うか。抱え込むつもりだな」
「……」
何も言えず難しい顔をするフィオにロイは片目を瞑り、
「ま、この職業長くやっているとな。何と言うか…何となく分かっちまうんだよ。そいつがどんな覚悟を持って挑んでいるのか。皆、目の色が違うからな。少年みたいな眼をした奴等にだって今まで見た事あるさ」
「その人たちは、どうなった?」
「さぁ?俺も結構、戦場を転々としているからな。連絡を取り合っている戦友ってのも少ないし…それに違うだろ少年?少年が抱え込んでいる物は他人の答えで満足する物なのか?」
「……違うな」
そう言ってフィオは眦を下げた。自分のことながら厄介な事を抱え込んだなとフィオは呆れたがでも悪い気分ではなかった。
「あー、ところでさ」
フィオは少しバツが悪そうに頭をかきながらロイに尋ねる。
「アンタの言う通り、他人の答えで満足する訳じゃないと思う。でも、さ。話聞かせて欲しいんだけど…いいか?」
その言葉に今度はロイが眼を見開いた。そしてすぐに爆笑し、
「ガハハハハっ!!今までも少年みたいに話を聞かせて欲しいって来た新兵は多いけど、どいつもエースである俺の戦闘技術とかそういった話ばかりだったぞ?それ以外の話を聞きに来るなんて少年が初めてだな」
そう言ってロイは椅子に座り直し酒を注文する。もうチビチビ飲むのはヤメだ。ウィスキーをボトルごと注文する。一晩中、起きていた事もあり眠気もあるが関係なかった。
「で?何から聞きたい少年?」
「……」
フィオは意を決して口を開いた。
海賊退治、その失敗の翌々日。ドッグ入りしたシルバー・ファング号は緊急点検が実施され、整備員たちは連日徹夜を余儀なくされた。フランも責任者として殆んど休む暇も無く作業と指示に追われ眼の下には隈が出来ていた。
その苦労もようやく終わり寝床に着く前にヴァルキリーの様子を見に来ていた。だが格納庫に入るなりフランは眉を顰めた。
フランは加えていた煙草の火を消すと側にいた整備兵に声をかける。
「何やっているのあの2人?」
「さぁ?」
フランはやる気のない返事をする整備兵を一瞥するとモニターに目を移した。モニターの中ではフレデリックが駆るS2-27ともう1機、フィオのヴァルキリーが良く分からない動きをしていた。
それは練習機を使っているフィオとフレデリックの動きを『実際に機体を動かした時どうなるか』と言う物をプログラムが再現しているのだが、
「何でぐるぐる回っている訳?」
「さぁ?さっきからハムスターの車輪みたいにずっと同じ動きをしていますよ」
2人の機体は映像の中で縦に円を描く様に上昇と下降を繰り返していた。あながちハムスターの車輪と言うのも間違いではない。何が楽しいのかずっと同じ動きをしているのだから。尤も戦闘に関しては素人のフランでは2人が何の特訓をしているのかはよく分からない。それよりも気になるのが、
「あの2人は何で練習機使いながら言い争っている訳?」
「…さぁ?最初からあんな感じでしたけど。なんか試したい事があるからってアイザー少尉から練習機の使用をお願いされたんですけどね?ランスター少尉も一緒にやって来て何かずっと言い争っているんですよね。それぞれ練習機に入り込んだ後も通信で言い争っていて」
「今に至ると。どれくらいやっているの?」
1時間くらいですかねと答える整備兵。何をやってんだかとフランは新しい煙草に火を点けた。2人の言い争いの声は態々、練習機内の無線を拾わずとも外にまで聞こえて来ている。断片的だが話の内容は聞こえて来てその全貌を何となく察知するとフランは顔を顰めた。
「…ねぇ」
「いやぁ言いたい事は分かりますがね?でもいいんじゃないですか?若いんだし」
そう言って整備兵は苦笑した。2人が話しているのは何と言うか随分と青臭い物だった。長く軍属(この業界)に浸っているフランや隣の整備兵にしてみれば今さらみたいな内容でそれを感情剥き出しに口論し合っているフィオとフレデリックを見ているとこそばゆく感じる。
「だぁぁ!!止めだ止め!!というかそんな事はな俺に訊くな!!」
「先任少尉だろ!!少しは新任の助けになれよ!!」
「それがそもそも新任の態度か?!」
フレデリックは練習機から出てくると扉を乱暴に閉じる。ガシャンと大きな音を立てるのを見てフランは眉を顰めて近くにあったスパナを手に取ると、
「もっと大切に扱え馬鹿」
「げほぉっ!?」
手首のスナップを利かせて見事にフレデリックの後頭部にぶつけて見せる。フレデリックは頭を押さえながら、すいませんとかすれた声で謝ってフラフラと立ち去っていった。
気の毒そうな眼でフィオはそれを見送りフランの方へ視線を送る。
「言っておくけど私に話聞こうとしても無駄だからね」
「まだ何も言ってないじゃん」
「目が言っているわよ。だから先に言っておく。私に訊いても無駄」
そう言ってフランは紫煙を大きく吸い込む。吐き出された煙が天井に向かって伸びていくのを見ながら言った。
「私とアンタ達じゃあ何と言うか……手段が違うのよ」
「手段?」
「そ。目的は一緒かもしれない。でもそこに至る手段が違う。だからって考えた事がないって言ったら嘘になるけど」
珍しい事にフランが言い淀んでいた。何時もならズバズバと言ってくる彼女がどう言葉を紡ぐか悩んでいるのだ。やがてフランは大きくため息をつくと、
「あー…とにかく、私じゃあ訊いても無駄だから他の…ベンとかは?」
「訊いた。隊長とかハリオンさんとかにも話訊いた」
「スタッグ大尉はともかくアンタ、厨房の責任者に相談するってどうなのよ」
「いや、あの人って軍歴長いだろ?」
確かに厨房のルビア・ハリオン伍長はこの艦で一番軍歴が長い。その人がどんな答えを出したのか気になる所だがフランは手の平をひらひらと振って、
「さっさと他の所に行きなさい。ここに居たってもう意味無いわよ」
「…珍しいな。ヴァルキリーの実験に付き合えとか言わないんだな」
フィオは珍妙な物でも見る目でフランを凝視する。フランは何か言いたげな眼をしてそれから煙草を揉み消し、
「安心しなさい。明日には忙しくなるから」
「は?」
「ヴァルキリー関係で今日、ちょっと私も手が離せないのよ」
フィオは首を傾げるがフランは明日になれば分かると言って何処かに行ってしまった。
言い訳して逃げたなと側に居た整備兵は思った。
フィオはポケットから携帯端末を取り出し時間を確認する。まだ時間に余裕はあったが部屋に戻って準備しようとフィオは決めた。
今日はこの後、フィオは人と会う約束をしていた。格納庫を見渡し目当ての物を探すが見つからなかった。仕方なくフランと一緒に居た整備兵に声をかける。
「鉄板って余っていない?」
「……突然どうした。何に使うんだ?」
あまりに唐突な話題に整備兵は呆気にとられた。フィオは少しだけ遠い目をして、
「この後、頭を鋼鉄製の義手で殴られる予定があるんだ」
と語った。
ロンド・ゴルヴァーン。工場惑星にて工房を構える技術者でその技量と知識は同業者からも一目置かれている。彼の工房に持ち込まれる依頼は様々で小さな民間会社から星間連合軍からの依頼など違法でない限りその仕事を拒む事はない。
難点は堅物で筋が通らない事は断固として譲らない。短気なので口より先に手が動く。
それが分かっているからこそフィオは顔を見た瞬間に育て親であるヴァーナンド仕込みの垂直90度の謝罪を見せ、
「………てめぇ」
「……いや悪いとは本当に思っている。連絡できなかった理由もちゃんとあるんだ。だから聞いてくれ」
「あぁ。分かってる。お前が理由も無しに連絡を断って姿を消すとは俺だって思っていなかった。何か訳があるだろうとは考えていたしそれを反省しているのもお前の顔を見たら良く分かった。けどなぁ…」
ロンドはその額に青筋を浮かべ義椀のモーターを鳴らす。
その音にフィオはごくりと唾を飲み込みながらも最後の希望に縋り付く。
文字通り、縋り付いていた。両手で。
「頭下げた瞬間にエルムの後ろに隠れるってのはどう言う事だぁぁコラァぁぁ!!」
「だって頭、無防備に下げたらアンタ絶対殴るだろ?!絶対!!」
往来のど真ん中でフィオはエルムの背に隠れながらそう叫んだ。
結局、僅かな間とは言え可愛がっていた娘を巻き込む訳にもいかず、アンナの取り成しもあって近くの喫茶店に入る事になった。そこでフィオは改めて謝罪と連絡を点けられなかった理由を説明した。尤も星間連合軍に入隊する事になった理由に関しては曖昧にした。
「…正直、お前が決めたってんなら俺は何も言わない。軍人なら食いっぱぐれることもないだろうしな」
「そうね。心配ではあるけど、定職に就いたと考えたらそれはそれでアリなのかもしれないわね」
難しい顔で腕を組んで頷くロンドの横でアンナは片手を顎に当てて、
「でもねフィオ君。軍人のお仕事ってその…危険が多いでしょ?」
「まぁ、うん」
つい先日も危ない目にあったなんて話したら何を言われるか分からない。フィオは黙っている事にした。
「パイロットとかじゃなくて今からでも整備員とかに転向は出来ないの?エルムちゃんも今確か、衛生班だっけ?食堂で働いているんでしょ、そういった部署とかで…」
「いや……このまま双腕肢乗機のパイロットでやっていくつもりなんだ」
フィオはアンナの言葉に首を横に振って答える。それはフィオが悩んで出した答えの一つ。
「危険なのはよく分かっているよ。むしろ軍隊なんだしそういった危険の無い部署なんて少ないんじゃないかな。それに…」
「それに?」
フィオは一度、言葉を切って考える。
聞くべきか否か。出来たら多くの人の意見が訊きたい。ただ今から訊く事はある意味、ゴルヴァーン工房では暗黙の了解で触れない事になっていた物だ。フィオも工房に出入りするようになって暫くしてその事を先輩から教わった。
それを訊くのはきっとアンナを悲しませるしロンドに辛い事を思い出させる。だから口にしてはいけないと言われてきた。悩むフィオの手にそっと柔らかい物が触れた。
エルムの手だ。難しい顔をしている自分に気付いて、けれどどうするかは自分で決めなさいと言わんばかりに触れるだけで何も語らない。
それだけで良かった。それだけでフィオは決心がついた。
「知ったから…もっと考えなきゃいけないと思ったんだ」
「…何を?」
フィオは深呼吸を一度して口を開いた。
「ロンドさん、前に軍人だったんだよな」
一度だけ聞いた話だった。フィオが生まれるよりもずっと前に一度だけ、工場惑星はダーナ帝国によって占領されかけた。孤立無援になり、工場惑星に常駐していた星間連合軍と惑星統括機構が保有する治安維持部隊は足りない兵力を住民から求めた。
「……誰から聞いたかなんて知らねぇがもう随分と前の事だ。それにあん時は非常事態宣言で連合軍が義勇兵を募っただけだ。正式な軍人じゃなかったよ」
ロンドは腕を組んだまま答える。その左手は強く機械化された右腕を掴んでいた。
「それがどうした」
「知りたい。教えて欲しい」
訊きたい事は真っ直ぐに。隠すことなく真摯に相手の目から口から発せられる言葉も思いも逃さぬように。
「…戦場で、命を奪うってどういう意味なのかを」
乱暴に扉を開ける音を聞いてその場に居た全員がげんなりとした。今日は何時もより割増で機嫌が悪い。何かの拍子で簡単に殴られかねないと。
そんな自分の部下たちの心情も知らずに口髭を蓄えた男は艦長席に腰を降ろした。
「どうなった」
「はい親分。艦隊は再集結を整え終わりました。人員もなんとか足りています」
そうかと短く答えて親分と呼ばれた男は鋭い視線を空間ウィンドウに向ける。
そこには十数隻の艦が並んでいた。どれも違法に改造されたのが一目で分かる代物だ。これが今、抱える自分たちの総戦力。
ドマーズ海賊団の総戦力なのだ。親分と呼ばれた男―海賊団の首領、ドマーズは自分の号令一つで動くその戦力を見て不機嫌な表情を造った。
部下たちは戦々恐々と様子を窺っている。先日の戦闘でドマーズ海賊団は戦力を大分失った。まず戦力の要であったあの双の鋏を持つ双腕肢乗機。あれが3個小隊も撃破されてしまったのだ。更に母船を護衛していた艦の1隻も打撃を受け砲門が半分潰れてしまった。
だがそれだけで済んだのだ。部下たちは皆、そう思っていたのだがドマーズだけが違ったようだ。遠慮がちに部下の1人である副官がドマーズに言う。
「親分、昨日の戦闘でやられちまった分はもう仕方ないです。けれど見て下さい。これだけの戦力がまだありやす。次に連合軍が襲ってきて返り討ちにできますって」
「……その戦力が何処から来たか分かってんのか?」
「は?いや、そりゃあ分かっていますが…ほら、口にするのもあれじゃないっすか」
そう言って副官の男は言葉を濁して苦笑した。
実のところを言えばドマーズ海賊団の本来の戦力はドマーズが乗っている母船と被害を受けた護衛艦のたった2隻だった。
しかしどういった伝手か知らないがある時、ドマーズ海賊団に取引を持ちかけてきた者がいた。曰く、詳しい事は話せないがこちらの新兵器の性能を試して欲しい。そう言って渡されたのがあの双の鋏を持つ双腕肢乗機だった。その驚くほどの性能に皆、酔いしれてここ3カ月ばかしは連戦連勝。一度、2機ばかし沈められてしまったがどこから聞き付けたのかすぐに代わりの双腕肢乗機を持ってきてくれた。更にはドマーズ海賊団が使っているのと似た形式の護衛艦も連れて。拡大していた戦力に浮かれていた事もあり、昨日の戦闘では危ういところまで追い込められたが、取引を持ちかけてきた協力者の助けによりその窮地からも立ち直した。
協力者は自分の素性については何も語らなかった。だがこれほどまでの戦力を整えられて且つ星間連合軍に対してはっきりと敵対を出来る様な陣営は1つしかない。
誰も明確に口にはしないが恐らくはダーナ帝国。
「星間連合の住人にしてみりゃあ奴さん達は敵かもしれやせんが、そこはほら。同じ穴の狢ってもんでしょ」
「あぁ俺らも星間連合軍に対して牙を剥いている意味ではな」
だがそうじゃねぇんだよとドマーズは馬鹿な部下に心の中で呟いた。
増大した戦力、表面だけを捉えれば喜ぶべき事だ。しかしドマーズはそれを素直に喜べない。何故なら協力者を名乗るあの男、その目的が分からないからだ。
敵の敵が味方であると言う単純な理由からここまで厚い支援をする必要があるか。少なくともドマーズが同じ立場だったら最初の1機が落とされた時点で手を引いている。それなのに相手は代わりの双腕肢乗機を寄こして更には艦まで渡してきた。見返りに求められたのは戦闘データを渡す事だけ。ドマーズはそれが気味悪くて仕方がなかった。
ただ戦闘データが欲しいだけなら自分たちで使って集める事も出来る。自分たち以外が使った戦闘データが欲しいだけなら1機か2機渡せばいいだけではなかったのか。そこまで考えてドマーズは協力者の裏に他の目的が隠れている事を悟った。その目的が全く分からず戦力ばかりが大きくなり、ドマーズの警戒心は最高潮に達した。
「あの協力者には連絡付いたか」
「いえ、それが全く」
「引き続き取れ。取れなきゃ草の根掻き分けてでも奴の艦を見つけろ。いいな」
了解ですと副官は頷いて通信装置の前に座った。昨日の戦闘の後、協力者は新たに5個小隊もの双腕肢乗機と10隻の護衛艦を連れてきた。更にはそれらを使う為の人員もどこからか集めてきた。皆、闇市場や裏社会で生業をしているゴロツキばかり。どう言った取引があったか知らないが全員がドマーズの部下となる事を約束し指揮下に入っている。
全てを引き渡した後。協力者はさっさと姿を消してしまい連絡が取れずいる。
ドマーズの長年の堪が警報を鳴らしている。
「何がしてぇ……いや、何をさせるつもりなんだ俺たちに」
ドマーズは底知れぬ暗闇に囚われた気分のまま、協力者に連絡がつくのを待つ事になる。
心の何処かで無駄だとは分かっていながら。