第5話 烏と梟
約2か月前。
小さな電子音を耳にしてダーナ帝国の精鋭騎士、カラスは閉ざしていた眼を開いた。
「……来たか」
照明を全て切った操縦席の中でモニターの一部が点滅したのを見てカラスは小さく呟いた。星間連合軍の新型機を深追いし過ぎてしまい、カラスとその部下であるラウルは宇宙を彷徨っていた。機体のエネルギーが底を尽きかけ、最低限の生命維持装置にのみエネルギーを振り分け部下のラウルとも日に1回、通信で互いの生存を確かめあうだけに留めた。
只ひたすら待つ事、3日。ラウル以外からの通信を受け、カラスは安堵から肩の力を抜く。暫くすると機体が僅かに揺れた。恐らく双腕肢乗機を使って自分たちを回収してくれているのだろうとカラスはぼんやりと考えた。ガゴンとひときわ大きく揺れる。ハンガーか何かに固定されたなとカラスは思った。そして外部からハッチが開けられると、
「っ!!」
視界いっぱいに金色が映った。何事だと考える前に胸に飛び込んできた重みに身体が強張った。
「た、隊長……っ」
「……フローラ?」
嗚咽に混じって聞こえてきた声は残してきた部下の1人だった。
ようやく頭の回転が追い付いてきた。視界いっぱいに広がったのはフローラの金の髪で、胸の重みはフローラ自身。
「……う、うぅ…」
「…すまないな。心配をかけた」
2度3度と胸に飛び込んできた頭を撫でてやると、カラスは立ち上がり操縦席の外へと出る。キャットウォークには残してきたもう1人の部下であるドーラが厳めしい顔つきで待っていた。
「ご無事で何よりです隊長」
「ありがとう。ドーラも心配をかけたな」
「いいえ。特に心配はしておりません。貴方がこれしきの事で死ぬとは思っていませんので」
全く表情を変えずにドーラはそう言いきった。そうかと言ってカラスは苦笑した。
「ラウルは?」
「アレも問題はありません。若干の貧血などが見られましたので先に救護班に任せてあります」
「そうか」
「あ、あのバカはそう簡単に死にませんから、大丈夫ですよ」
ようやくフローラはカラスから身を離し涙交じりにムスッとした顔を見せる。
「あんだけ大口叩いていたくせに、隊長と一緒に行方不明になって…こんな心配かけて、本当にもうバカなんですよアイツは」
「そうあまり悪く言うな。俺が深追いし過ぎたのが原因なんだ」
でも、と不満そうな顔をしているフローラを他所にドーラはカラスの耳元に顔を近づけ、
「話半分で流してやって下さい。フローラの悪口はラウルへの心配の裏返しですから。先程も運ばれていくラウルを見てボロボロと泣いていました」
「ふ、副隊長!!」
フローラは顔を真っ赤にして叫ぶがドーラは知らん顔だ。
救護班に運ばれていったラウルが気になるがそれでもカラスはホッとした。
あぁいつも通りだと。自分たちの頼れる仲間のもとに帰ってこれたのだと。
「…そうだ、俺たちを見つけてくれたこの艦の艦長に挨拶に行かなければ。ドーラ、名前と階級を教えてくれないか」
そう言うと珍しくドーラの表情が変わった。
フローラも少し目を逸らしている。
ドーラは少し口にするのを渋る様な表情で、けれど言わない訳にはいかないと溜息をつき、
「……ディーン・カノータス中佐です」
「……気遣いありがとう、ドーラ」
部下たちが言い淀んだ理由に納得したカラスは力なく笑った。
艦長にお目通り願いたいと伝え、待たされる事2時間。通された部屋でカラスは久方ぶりに調理された料理を口にしていた。
少々、行儀が悪いがパンでフライを挟んで食べている所で待ち人がやってきた。
「お久しぶりです。カノータス中佐」
カラスは立ち上がり待ち人に敬礼をする。待ち人―ディーン・カノータスもそれに敬礼を返し、チラリとテーブルの上に乗っている料理を見て、
「ザーノス少佐。貴官も帝国貴族の末席を預かる身ならば日頃のささやかな行動にもマナーを持って対するべきではないか?」
言わずともパンに挟んだフライの事を言っているのだろう。カラスは口の端が引きつりそうになるのを堪えて「申し訳ありません。以後気をつけます」とだけ答えた。
正面にディーンが座るのを見てからカラスも椅子に座り直す。
ディーン・カノータス。カラスと同じくダーナ帝国の軍人で同時に貴族である。
髪の色は銀髪できっちりと切り揃えられている。神経質そうに眼鏡の位置を直し、その表情はドーラと同じく無表情だ。凡そ目の前のこの男が感情に身を任せて取り乱した所などカラスには想像もつかない。
冷静沈着。それが二番目に似合う言葉だ。
では一番は何か?
「……まさかこの様な所でお会いするとは思ってもいませんでした」
「奇遇だな。私も貴官がこの作戦に参加しているとは思わなかったよ」
「第28次星間連合侵攻作戦……本作戦をどうお考えでいますか?カノータス中佐、いいえ<灰翼>殿」
<灰翼>、それがディーンのもう一つの名前だ。カラスと同じく翼の名を冠する帝国きっての精鋭騎士。
尤も彼が得意とするのは双腕肢乗機での戦闘ではなく艦隊戦だ。
まるで天上から眺めているかのように艦隊を縦横無尽に動かし、敵を圧倒していく。
智略・謀略に長け、これまで多くの星間連合軍の艦隊を撃沈してきた彼は皇帝より梟のパーソナル・マークと<灰翼>の称号を与えられた。また中佐と言う階級でありながらディーンには1個艦隊の指揮権が与えられている。
知恵の女神の名とその象徴を冠する彼はダーナ帝国の中でも五指に入る名軍師だ。
「曖昧な質問だな、ザーノス少佐。私に何を聞きたい」
「色々と…差し当たってはそうですね。本作戦に関する情報の少なさでしょうか」
カラスは作戦開始時より気になっていた事に関して上げてみた。
「私がこの作戦を知ったのは1年前……星間連合軍の新型機の調査、その潜入任務を受けた時です。この時はまだ星間連合へ潜入し、新型機を探るとしか説明を受けていなかったのですが潜入する1週間前になって突然聞かされましたよ。第28次星間連合侵攻作戦の名前を」
あの時は本当に驚いた。まさか当時の帝国の状況で大規模な遠征計画が立てられているとは考えもしなかったからだ。
「まぁ第28次星間連合侵攻作戦の名前しか聞かされませんでしたけどね。そう言った計画があって今回の潜入任務もその一端だとしか聞かされませんでした。具体的にどれくらいの規模で、そしてどういった経路を使って侵攻するのか。資金、物資、補給ルートの確保、それに未だ膠着状態の続くデ・クラマナン星系とルベルス星系。この2つをどうするのか、そう言った諸々の事を当時は知り得ませんでした。そして作戦が始まった今」
カラスはそこで一端言葉を切り、ディーンの様子を窺う。
その表情は少しも揺れていない。
「今現在も作戦進行中にも関わらずそう言った情報が全く降りてこない。愚考になりますがこれは……いえ、言葉を濁すのはやめましょう。これは明らかに異常です」
作戦の情報が機密扱いされて末端に知らされない事はある。カラスが主に請け負う潜入任務など正にその例だ。しかし今回の作戦はその度が過ぎている。
「私が持っている情報は新型機の破壊任務に関する事だけ。具体的にどういったルートで侵攻作戦を始めるのか全く情報は与えられませんでした。半年ばかりかけてアースガルド王国のシャルロット暗殺計画があるのを知り、担当者とは情報のやり取りをしていましたがその担当者も自分が与えられた任務以外の情報は全くと言っていいほど知り得ていませんでした」
とカラスは言ったが事実と少し異なる点がある。シャルロット暗殺計画を担当していた男―戦死したガウェイン級の艦長はカラスに侵入ルートを聞かれた際に「自分も詳しくは聞かされていない」と嘘をついた。実際には帝国がこれまで知り得ていなかった裏道の存在を聞かされておりそこを通る事は既に知らされていた。しかしカラスの事をよく思っていなかった艦長はあえてカラスに情報の開示をしなかった。
「開示されている情報が少ない…それが疑問か?」
「少ないのでありません。全く無いと言って過言ではありません。カノータス中佐、ご存じであれば教えて頂きたいのですが、本作戦はどういった経路を使って侵攻を行うと言うのですか?そもそも本作戦の目的とは?」
そう。それさえもカラスは知らない。教えられていないのだ。
一体、星間連合のどこへ侵攻すると言うのか。上層部に問い合わせても返答はなく、今だ作戦の全貌は暗闇に閉ざされたままだ。
そしてこれはカラスの勘になるが目の前のディーンも同じであろうと。
「……私が今、携わっているのは主に輸送任務だ」
「輸送?カノータス中佐がですか?」
返ってきた言葉は返答とは違ったがカラスを驚かせるものだった。
「それは……その、輸送任務を軽んじる訳ではないのですが……失礼ですがカノータス中佐が担う任務とは……」
「貴官は艦隊戦と言うものを勘違いしているな。必要であれば何処の艦隊であろうと物資の輸送やその護衛任務に着く事はある。だが貴官の言わんとせん所は理解できる」
加えて言うのならとディーンは腕を組み、
「私も本作戦を受けた時、輸送任務に着くようにしか指示を受けていない」
「……」
やはりディーンも詳しい侵攻ルートに関して聞かされていなかった。カラスは顎に手を当て考える。
「本作戦の意図が読めませんね…侵攻ルートすら明示されていなくてどう作戦を進行させるのでしょうか」
「貴官の疑念も尤もだ……しかし」
ディーンは鋭い目つきでカラスを射抜く。
「貴官に知らされていないと言う事は、それは貴官が知る必要はないと言う事だ。余計な事に頭を悩ます前に貴官は己の任務を忠実に全うするのが使命であろう」
空間ウィンドウを開き、ディーンは映し出された映像をカラスに見せる。それを見てカラスは顔を顰めた。
「貴官の任務に関してはグレイシア中尉から聞いている。その顛末もな。だからこうしてここで貴官と対峙している訳だがこれはあまりにもお粗末だとは思わないか?」
映し出された映像は星間連合で流されたニュース番組の切り抜きだ。工場惑星でのテロ事件。レポーターの後ろに横たわるのは大破したデュランダルの姿だ。
「工場惑星内での襲撃、更には輸送中の襲撃…その両方を失敗し、新型機を取り逃がす」
空間ウィンドウの映像が代わる。それは白い戦艦が宇宙港に入港していく様子が映し出されていた。
「貴官が追っていた件の新型機は無事にバルバスまで運ばれてしまったぞ。幾ら潜入任務に優れる貴官でも首都惑星バルバスで星間連合軍の懐までは飛び込めまい」
「……返す言葉もありません。こうなっては即刻、帝国へと帰還し皇帝へと我が失態を包み隠さずご報告し、処罰を受けるほかありません」
そう言ってカラスは頭を下げる。ディーンはその垂れる黒髪を見て不快気に眉を細め、
「貴官が頭を下げるべき相手は私ではなく皇帝陛下だ。ここで謝意を述べる時間があるのなら1分1秒でも早くダーナ帝国へ帰還しその首を皇帝陛下に差し出すべきだろう」
「…はい」
浴びせられる言葉に容赦はない。
それもその筈だ。
ディーンは典型的な帝国貴族であり、カラスの血に混じった東洋人の色を何より嫌う性質なのだ。正直なところ、ディーンに対して苦手意識をカラスは持っていた。これまでも何度か任務などで一緒になった事があるがその度に言動の1つ1つを見られては貴族としての振る舞いなどを指摘されてきた。
その指摘がどれも的確で反論のしようがない物だからカラスにしてみれば顔を合わせるのを遠慮したい相手なのだ。
「本艦は3日後、物資の受け渡しを完了させた後に帰還する。それまでは貴官には下士官室を用意させるのでそこで大人しくしていてもらう」
「差し出がましいと思いますが、双腕肢乗機をお貸し頂ければ私も……」
「貴官の手を煩わせるような事、起きはしない」
「万が一、星間連合軍に見つかった場合は?」
「そのような愚行を起こすとでも?」
ディーンの顔には一片の驕りも無ければ油断もない。
その上で断言したのだ。敵国のど真ん中で敵に見つかる様なヘマはしないと。いっそ潜入工作もしてくれればいのにとカラスは内心で呟いた。
程なくして退出するように言われカラスは静かに頭を下げて外に出た。扉の外にはドーラが待っており厳つい顔に珍しくこちらを気遣う色が見えた。
「お疲れ様です隊長」
カラスは片手を上げてそれに応えて用意された部屋へと向かう。
「隊長、この後は?」
「部屋で待機、3日後に帝国へ向けて帰還するとさ」
「……そうですか」
カラスはチラリと周囲を見渡す。長年の付き合いでドーラが何か話したい事がある事にカラスは気付いた。それも仕事に関わる重要な事。ドーラもさり気ない様子で周囲に人がいないか確認して小声で呟く。
「カノータス中佐の任務ない様に関してはご存知ですか?」
「輸送任務についていると言ってたな」
「運んでいる物が問題です」
次にドーラの口から出てきた言葉にカラスは眼を見開いた。
「―新型の双腕肢乗機です。この艦に積まれているのは帝国騎士団の新型機です」