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流星のヴァルキリー  作者: 夢見 旅路
第1章 Boy and Girl engage Valkyrie
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第14話 目と目を合わせる事が会話の基本とは限らない

 その頃、ブリッジではケインズを除く全ての人が目まぐるしく動いていた。幾つもの空間ディスプレイには夥しい数の数値やデータが映し出され、それを基にマイカがクルーたちに迅速な指揮を出している。 そんな中、ケインズだけが一人暇を持て余しているかのように欠伸を噛み殺していた。

 襲いかかる睡魔を堪え少し滲んだ涙を袖で拭うとケインズの正面に青筋を浮かべたマイカが立っていた。

「艦長……?お願いですからもう少し緊張感を持っていただけませんか…?」

 険しい目で睨みつけてくる副官にケインズは首を竦めて、

「これは失敬……優秀な副官殿のおかげで仕事が無くてねぇ」

 何が「仕事が無いだ」とマイカは心の中で舌打ちした。

 最初の砲撃があってすぐにケインズが指示したのはただ一つ。「とりあえず逃げて」だ。襲われたにも拘らず反撃を試みる事も無くシルバー・ファング号はケインズの指示のもと逃走を続けている。何の意図があるのかケインズは何も説明することなくただ暇そうに椅子に腰かけている。見かねたマイカがクルーに指示を出し情報の収集に当たっているのだが状況は芳しくない。

「帝国の戦艦…っ!」

 外からの映像で判明した砲撃の犯人、それはダーナ帝国の主力艦であるガウェイン級と呼ばれる戦艦だった。こちらの倍近い砲門を持ち堅牢を誇るダーナ帝国らしい設計の艦だ。赤銅を思わせる色の装甲がビームを放つたびに妖しく光る。

 砲撃ばかりで無重力空間戦闘での要とも呼べる双腕肢乗機を出撃させてこない事にマイカは疑問を感じていたが今はそれが幸いだ。

「艦長っ!!やはりこちらも打って出るべきです!!相手はまだ双腕肢乗機を展開していません。今ならまだ有利な状況で反撃に出る事も…!!」

「こうして不意打ちされている時点で優位性はないよ」

「しかし…っ!」

 なお食い下がるまいかを軽く手で制しながらケインズはひじ掛けに肘を乗せて頬杖をつく。艦橋にまで響く低い轟音―砲撃の音もケインズにしてみればもう何年も聞き飽きた妻の鼾みたいなものだった。

 今更これくらいでは緊張もしない。むしろ何時も通りだとも思う。

「とにかく今はまだ無用な手出しは禁物だよ。とにかく脚を動かし続けるんだ」

「ならばせめて…っ!きゃっ!」

 思いのほか大きな揺れにマイカは体勢を崩す。

「ほらほら座っていないと危ないよ?」

 そう言ってケインズはマイカをたしなめるがマイカは「大丈夫ですっ!」と叫んでキッとケインズを睨み返す。

「とにかく!!何故反撃に出ないのか納得のいく説明を下さい!!」

「説明ねぇ……」

 ケインズは静かに嘆息し、そして、

「面倒だなぁ……」

「っ!!」

 瞬間、マイカの顔が真っ赤に染まる。流石に他のクルーたちも呆れた様な顔をしている。例外は作業に黙々と臨んでいるリリアくらいだ。マイカの中に僅かばかりに残っていた最後の上官への絶対服従という鉄則は脆くも崩れ去った。

「艦長っ!!どうしてそんなに気を抜けていられるんですか!!現状の深刻さをよく認識して下さい!!」

 ともすればケインズに掴みかからんばかりに激昂を飛ばすマイカにケインズは苦笑しながら答える。

「面倒だとは言ったけど説明しないとは言ってないだろう?……面倒だと言ったのはほら…アレだよ」

 そう言ってケインズはモニターを指し示す。

 シルバー・ファング号の前方より近づいてくる影。それに気付かなかったのは敵の通信妨害もあったからというのが一つ。もう1つは追って来る敵に集中し過ぎていたと言うのが1つ。まだまだ錬度は低いなとケインズはぼんやりと考えていた。

「もう1隻ガウェイン級が?!」

「所謂、挟撃ってやつだねぇ」

 落ち着いた様子で呟くケインズを見てマイカはまさかと思いケインズの方を振り返る。

「……か、艦長、もしかしてこの事を見抜いて………」

「確証は無かったよ?でも逃げに徹するこちらに対して追撃がちょっとゆるい感じがしたからこれは何処かに誘導しようとしているなって思ったんだ。下手に反撃とかに出て後ろから突かれるのは面白くないからね。纏めて引きずり出してからの方が面倒は無いし」

 絶句するマイカを他所にケインズは空間ディスプレイ越しに敵艦をじっと見据える。

 工場惑星での襲撃。シャルロットの暗殺。どちらも失敗や未遂に終わった。

 しかし時程なくしてこうして両事件の関係者は揃い踏みし再び襲われている。

「どこまでこの状況を見据えていたかだよねぇ……」

 誰に聞かせるともなくケインズは呟く。

これは偶然かそれとも意図された結果なのか。

 希望的観測を述べるのなら前者であってほしい所だがそうもいくまい。こんな都合のいい偶然がそうそうあって堪るものか。

 だとすればこれは、

「初めからこの展開……挟撃戦に持ち込む事を考えていた奴がいるって事か…」

 ケインズは面倒だともう一度ため息をついた。


 そんな面倒な状況を作り出した張本人は僅かに背中がむずかゆくなる衝動にやや眉を顰めながらも艦橋から戦場を見守っていた。

 そもそも艦隊戦は自分の領分ではない。戦場の華である戦艦同士の戦いと自分の様な工作員とでは雲泥の差があるのだと彼の部下が聞けば顔を真っ赤にして否定する様な事を考えながらもカラスは戦場をじっと見つめていた。

 ここまでくれば後は問題ないだろう。とりあえずは自分の立てた作戦が最終局面を迎えた事にホッと胸を撫で下ろした。

 そもそも綿密に立てた作戦とは言えなかった。

 なにせ工場惑星での襲撃が失敗したその後、アースガルド王国王女暗殺失敗の情報からその場で組み上げたものなのだから。

 元々はカラスたち工作員たちが工場惑星でテロを起こし新型機の破壊という事件で軍の目を工場惑星に向けさせるのが目的だった。その間に別の部隊が王女が乗った艦を攻撃、王女を無きものにするという2重の作戦。どちらが成功してもまたどちらも成功しても帝国の利は大きい。

 しかし現実はそう甘くなく、工場惑星でのテロは失敗、王女は脱出して行方は掴めず。普通ならその時点で撤退を考える。しかしそれでは精鋭騎士の沽券がなにより部下たちの名誉が損なわれる。カラスは暗殺が企てられたポイントと工場惑星との距離が比較的近く、またその場に敵の新鋭艦がそのルートを通るだろう確立が高い事に気付いた。

 そしてすぐに算段を付けた。如何にしてこの状況を利用するか。

 カラスは暗殺計画の実行部隊に連絡を入れ王女暗殺の計画を具申、新鋭艦がうまく王女を保護してくれるように磁場嵐発生など嘘の情報を流しルートを誘導した。

 程なくして内通者から王女が新鋭艦に保護された情報が届くとカラスたちはある地点で待機した。

 王女を保護した時点でもうカラスには新鋭艦がどういったルートを辿るかはほぼ分かり切っていた。王女の安全を第一に行動し且つ新鋭艦とあの新型を運び出すとしたら向かう先はただ一つ。アースガルド王国の本星のみだ。星間連合の中枢とも言えるあの惑星なら戦場からも離れ防衛も圧倒的に優れ確実。当然向うに決まっている。

 しかしその道中までが必ずしも安全とは限らない。

 ルートが分かり切っているのだから待ち伏せするのは簡単。カラスたちが待機しているその間にもう1隻のガウェイン級はゆっくりと新鋭艦に近づき頃合いを見計らって攻撃を開始。

 そして攻撃と同時にカラスたちも新鋭艦に近づき挟撃。

 こうして見事に新鋭艦はカラスの当てはめたルートを沿って行動しこちらは挟撃戦にへと持ち込むことに成功した。

 行き当たりばったり感も無くもないがこうして上手くいったのだから良しにしようとカラスはひとまず胸を撫で下ろしたのだった。

「貴殿の情報通りだったなザーノス少佐」

「いえ、艦長殿のご協力があってこそです」

 カラスは目の前の椅子に座る艦長に向けて最敬礼をする。一方ガウェイン級の艦長はカラスの方を見ることもせず鼻を一つ鳴らし不満そうな顔を見せている。

「では艦長殿。我々もデュランダルで出撃してまいります」

「うむ。期待しているぞ。『黒翼(レイヴン)』の」

 カラスは短く「ハッ」と返事を返しブリッジを後にする。

 カラスが去った後で艦長は不愉快そう顔を隠すことなく舌打ちをし、

「あのような若造の立てた策で功を立てる事になるとはな……」

ダーナ帝国の純血主義とも呼べる典型的な考え故にカラスの立案を聞いた時には感情的に拒否しかけたが最終的には「作戦の功はすべて譲る」というカラスの言葉に打算が働き、協力することにした。

「これより本艦は挟撃戦に入る!!双腕肢乗機隊は各機出撃せよ!!」


ブリッジを退出したカラスは自らが率いる黒翼小隊のいる待機室へと足を向けていた。

「全員、準備はできているな」

 挨拶もそこそこにカラスは待機室に入ると小隊の顔を見て尋ねる。その場にいたのは3人の男女だった。全員が体に密着したパイロット・スーツに身を包み、カラスが入室すると同時に立ち上がり敬礼をする。

「万全であります、隊長」

 小隊の中では年長者であるドーラ・グレイシア中尉が答える。赤茶の髪は律義にかき分けられており、鋭い眼差しは如何にも真面目な軍人である事を思わせる。事実、彼ほどルールに煩い男はおらず、融通が利かない所もあるが年長者の余裕を見せ部下の気配りも出来る。カラスよりも年上だがそのことを気にかけることも無く隊長であるカラスを良くサポートしてくれるドーラはカラスが全幅の信頼を置く副官だ。

「デュランダルの整備も済んでいます。今から俺たちだけで攻めに行っても大丈夫ですよ」

 好戦的な笑みを浮かべるのはラウル・ガーナッシュ少尉。士官学校を卒業してからまだ半年しか経っていないがカラスの隣で腕を磨き続け、すでに実戦を何度もくぐり抜けている。下級騎士の出身で軍の上層部にあるような血統主義を気にかけることも無く、カラスのその実力に素直に崇敬している。

「バカ、訓練じゃあるまいし勝手な出撃なんて出来る訳無いでしょ」

 そう言ってラウルの頭を叩くのは小隊内では唯一の女性、フローラ・ラブレス少尉だった。彼女もラウルと同じく、士官学校を卒業したてだが実戦をくぐり抜けてきた戦士の1人だ。口と手が出るのが早い所が玉に瑕だが専らその被害は同僚のラウルに集中しているので同僚同士のコミュニケーションの内だろうとカラスは苦笑交じりに黙認している。

 帝国少佐が率いるにしてはあまりに少数の部隊。しかし事実、カラスはこの少数の部隊でこれまで数々の功績を上げてきた。敵国での潜入任務の中、孤軍奮闘しカラスの容姿と出自から謂れなき誹謗中傷をその身に受けながらも付いてきてくれた仲間。

 それがカラスの部下だ。

「さて…作戦も大詰め。罠にかかったネズミたちに最後の一撃を加えに行くぞ……ちなみに艦内の状況は何時も通りだ」

 苦笑交じりにカラスは言う。ここに来るまでだれもがカラスを一瞥し、形式的な敬礼は見せてくれたがその目に映るのは不審と蔑視だ。

「ま、それは慣れましたよ」

 そういってラウルは肩をすくめる。

「連中が隊長の事を軽んじているなら、見せつけてやればいいんですよ。隊長の実力と俺たちの力ってやつをね」

「そうそう、バカのラウルも分かっているじゃない」

「んだとぅ……初めの頃は俺より沸点が低くて連中に掴みかかっていたくせに」

「一言余計だっ!」

 そう言ってフローラはラウルの頭をまた叩く。緊張感を感じさせない光景だが、これがカラス小隊のいつもの風景だった。

 だからこそ、カラスは安心できる。

 だからこそ全幅の信頼を置く事が出来る。

「そう、いつも通りだ。俺たちはいつも通り働けばいい……そして見せてやろうではないか、本当の騎士の実力を」

「「はっ!」」

 口喧嘩をしていたラウルとフローラもぴたりと口論を止め、ドーラと共に敬礼をする。一糸乱れぬ動きとはまさにこの事だろう。カラスは満足そうに笑みを浮かべ敬礼を返す。

 チャリと胸元に隠した十字架が音を立てた。カラスはそっと服の上からその十字架を握りしめる。

 何があってもこの道を突き進む、そうあの時から誓いを立てて何年が経ったのだろうか。今でもその誓いはカラスの胸に刻まれ決して薄れる事の無い遠い記憶としてある。

「この誓いのためにも……悪いが沈んでもらうぞ」

 パイロット・スーツに着替えながらカラスはあの白き戦艦と脚の付いた双腕肢乗機に向けてそっと呟いた。


 艦橋につくと問答無用でミーティング・ルームに連れていかれた。これまでの状況を説明するためだと言っていたが、どうしても1つはっきりさせなければならない事が彼にはあった。

「何で…俺までここに居るんだよっ!!俺、戦闘には出ない約束だろ?!」

「はいはーい。静かにしてねランスター君。ちゃっちゃと始めちゃうから」

 さらりとフィオの叫びを無視してケインズは空間ディスプレイに現在の状況を映し出す。

「まず敵なんだけど見ての通り、ダーナ帝国だ。数は2、主力艦のガウェイン級だ」

 更に加えてと言ってケインズが空間ディスプレイに触ると赤い点が増えた。

「先程、前後のガウェイン級からそれぞれ双腕肢乗機の出撃が確認された。正確な数は不明だが合わせて2個小隊くらいかな?数では圧倒的に不利な状況に立たされていると言う訳だ。幸いにして距離はまだあるからすぐには後ろの敵と合流される事は無い」

 尤も挟撃されているのは事実。まいったねぇと呟くケインズの顔は困り顔だがあからさまに胡散臭い。

 しかしフィオを除く双腕肢乗機小隊のメンバーはあのロイを含め、真剣な面持ちでケインズの次の一言を待っている。

 マイカにしたってそうだ。この危機をどう乗り越えるつもりなのか、本当にこの人に何か考えがあるのかもし無いのらと複雑な葛藤を抱えていた。

 一刻を争う状況でケインズは勿体ぶった様な態度はフィオをいらつかせた。

 それはフィオだけではなかったようだ。

「早く何か言ったらどうだケインズ?」

 空気がヒヤリと凍ったかのような錯覚を覚えた。現にフレデリックやマイカはその体を強張らせている。

 周囲に緊張をまき散らせるような真似が出来るのは今この艦内ではただ1人。

 シャルロットだ。

 双腕肢乗機小隊のメンバーでもなければクルーでさえないのにシャルロットは堂々とミーティング・ルームの1席を占領していた。

 シャルロットの目は今、獅子を思い出させる。獰猛で野性的にも関わらず高貴さを携えた王者の瞳。その瞳に居抜かれているにも拘らずケインズの表情は揺るぎもしない。

 ここに来てフィオもようやく勘付いた。

(飄々としている癖にその実、トンデモナイ食わせ者だ……!このオッサン……!!)

 シャルロットの鋭い眼光を受け平然としているケインズ。一触即発の空気が流れる中、口を開いたのはケインズだった。

「やりようも…無い事はありませんが、リスクも大きいですよ?」

「構わん。早く言って決断を下せ。そのために態々、退転してまで相手から距離を取ったのだろう?」

 この状況を見越して「逃げる」と言う指示を出していたのだから当然それに対しても、対抗策を練っているのだろうとシャルロットは眼で訴える。ケインズは観念したかのようにフゥとため息をつき、

「そのリスクの中にはですね……そこのランスター君が含まれているのが悩みどころでしてねぇ」

「はっ?!」

 フィオが驚きで声を上げる。

「ちょっと待て!!約束が違うじゃないか!!」

「あの時にはまさかこんな事になるとは私も思っていなかったからねぇ……」

 食いかかるフィオをケインズはとぼけた態度でいなすがそれで引っ込みの付くフィオではない。思わず椅子から立ち上がりテーブルの上に乗り出さんばかりに吠える。

「第一!!俺は……!!」

 軍人じゃないと言いかけた所で襟首を掴まれ無理やり引き下ろされた。

 キッとその相手を見やるが、

「そこまでにしておけフィオ」

 相手(シャルロット)の眼光の方が圧倒的に強かった。居抜かれ身体が強張る。これまでに感じた事の無いプレッシャーに極度の緊張に駆られている。

「一応、妾は貴様の事情については知らぬ事になっているからな。迂闊に下手な事は暴露しない方が良いぞ?」

「ぐっ…!!」

 暗に釘を刺されてしまった。しかし事が事だけにフィオはそれでも諦めなかった。

 シャルロットに掴みかからんばかりに顔を近づけ低い声で、

「ふざけんな!!俺はこれ以上厄介事に巻き込まれたくないだけだ!!特に命にかかわる事はな!!」

「これ位で慌てるとは……見っとも無い奴め。もう少し骨のある男だと思ったのだが」

 シャルロットはフィオに対し明らかに侮蔑の視線を投げた。

「軍服に1度袖を通したなら自身の命などもう捨てた物と思え。いついかなる時も戦場に立つ覚悟が出来ぬ者にその銀河を司る星間連合の紋章は似合わぬ」

「……てめぇ……」

 フィオの額に青筋が浮かぶ。

 こちらの事情に勘付いていながらあえてフィオを本物の軍人として扱おうとするその態度にフィオは怒りを覚えた。

無論、シャルロットには既にフィオが軍人で無くケインズのお芝居だと言う事はお見通しだった。それでもフィオに対しこのような物言いをしてしまったのは彼女が少なからずフィオに対し期待を抱いていたのと内心の焦燥に自分をコントロールできなくなっていたからだ。

 形振り構っている訳にはいかない。

 両者の譲れない部分は互いに交じりあい衝突を避けられなかった。

 もう少し冷静でいられていたならばこんな険悪な雰囲気は生まれなかっただろうが最早、後の祭りだ。

 フレデリックやマイカは今にも手を上げそうなフィオに顔を青ざめている。

 アリアは興味が無いのか傍観に徹している。

 ケインズやロイはどうしたものかとやや辟易している様な感じだ。

 そして遂にフィオがシャルロットへと手を伸ばそうとしたその時、

「――フィオさん?」

 その場を支配する空気にはあまりにも似つかわしくない鈴を転がした様な声がフィオの手を止めさせた。

 ミーティング・ルームにいた全員がその声のする方へと顔を向ける。

 軍服の上からエプロンをかけ、手に持ったお盆には紅茶のセットが乗っている。

 銀髪に翡翠の瞳、言わずもがなエルムだ。相も変わらず神出鬼没というかなんというかとフィオが虚を突かれて気を緩めたのを見計らってかエルムは至近距離で睨みあいをしていた2人に近づきシャルロットへと伸ばし掛けていたフィオの手をそっと掴む。

 そのか細い指は振りほどこうと思えば造作もない事だが、何とはなしにその気にはならなかった。

 エルムはフィオの手を左手で掴んだまま反対の手でシャルロットの手を掴む。

「エルム、何を……」

 シャルロットが訝しげに眉を顰めるのを他所にエルムはニッコリと笑い、

「えい」

 と、2人の手を胸元にまで持ち上げて押しつけた。

 より綿密に説明するのならば、まずエルムは2人の手を掴みそれを持ち上げた。そして持ち上げた手を今度は自分の両胸に張り付けるかの如く強引に押し付ける。更に2人の手の甲の上から手を重ね、身体ごと密着するようにしてより強引に自分の両胸へと、痕が付くのではないかと言うくらいに押しつける。

 密室で少女の胸を揉む男女。

 20文字くらいで表すと極めてシュールで言葉を選んで言うのならそれはあまりにも現実離れした光景だった。

 などと小難しげな言葉で表現しなくとも少女の胸を揉む男女など特別な関係や事情が無い限りただの変態でしかないのだが。

 最初は状況が全く飲み込めなかった2人も少女特有の柔かな感触にハッと我に返り、というより羞恥に顔を赤める。

 触られている本人より触っている方が恥ずかしくなってしまうのは何故だとバカみたいな怒りに駆られながらもシャルロットは眉を思いっきり逆立てて叫ぶ。

「えぇい!!離さんかっ!!」

 シャルロットはエルムの手を振りほどこうとするがエルムはむしろ益々自身の胸へとシャルロットの手を押しつける。より一層食い込む様な形になりシャルロットは耳まで顔を真っ赤に染める。

「う……」

 気まずい空気の中エルムと真っ直ぐ目を合わせる事の出来ない2人は天井の隅と床の隅にそれぞれ視線を逸らして何とか現実から逃れようとしているが逆に手の平のエルムの感触がより鮮明に感じるようになってしまう。

 気まずいのはフィオ達だけでなかった。ケインズやロイ達も唖然とその光景を眺め、フレデリックやマイカは顔を赤くしている。目の前の光景に皆、訳が分からないと言う思いで満たされる。

 その気まずい空気を打ち破ったのはエルムの何げない、しかし予想外の言葉だった。

「落ち着きましたか?」

 柔かな笑みを浮かべてエルムは尋ねる。

 その時になって初めて2人はそれまで互いの間でぶつかっていた刺々しい空気が霧散していてむしろ自分たちは何を言い争っていたのかエルムに声をかけられるまで忘れかけていたほどだ。

「ちゃんと相手の言葉に耳を傾け合いましょ?そのために相手と真っ直ぐにぶつかり合うのも大切ですけど、ぶつかり合っているばかりでしたらちょっと視線を逸らし合うのも話し合う上でのコツですよ」

「だ、だからって……お前」

 フィオはいい加減その柔らかな感触に手、というより自分から掴んでしまわないようにと開きっぱなしにしている指が痺れてきているだけなのだが、そこへ視線を向けてまた目をそらしてしまう。

「恥ずかしい事があると人って思わず目をそらしてしまうんですよね」

 さっき知りましたと朗らかに笑うエルム。

 さっきというのはもしかしなくともおっぱい発言か。

 知ったのなら学んでくれ、いや学んだからこその行動なのか。

 フィオの頭の中で煩悩が渦巻く中、シャルロットはクックッと笑い、

「全く妾とあろう者が……こんなに風に諭されるとは思いもしなんだ。未熟、未熟だ……」

 そう言う割にはシャルロットの顔は何処か嬉しそうだ。

 そしてフィオの右手をエルムと同じように掴むと、同じように持ち上げて自分の胸に押しつけた。

「ぎゃあーーっ!!」

 あらん限りの声を上げて、フィオは顔を真っ赤に染める。

「どうした?素直に感想でも述べたらどうだ?ん?」

「ば、ばひゃいひぇ!!」

「全然、呂律が回っていないぞ」

 あまりに酷いフィオの反応にシャルロットはつまらなそうな顔をして言う。

 そして澄ました顔でフィオの手を離すとそのまま椅子に座る。

「エルム、紅茶をくれ……それとフィオ。まずは落ち着いて話を聞こうではないか」

 そう言うシャルロットの瞳には先程までのぎらついた感情は見えなかった。

「聞かせろ。ケインズ…貴様の言うリスクと打開策をな」

「……ま、今回は引き延ばしすぎた私にも責任がありますしね。ちゃっちゃと進めますか」

 ケインズはそう言って軽く肩をすくめ、ディスプレイを操作する。

 そしてケインズの話を聞きロイは笑い、マイカは顔を覆い、フレデリックは愕然とした。アリアは眉一つ動かさなかったが内心呆れていた。

「成程……おもしろい」

 と獰猛な笑みを見せるシャルロット。

 その瞬間、もう逃げ道はない事をフィオは悟り頭を抱えた。

 不思議な事に先程の様に怒りがこみ上げてくる事は無く、もしここで爆発していたとしてもきっとエルムに止められていただろう。

 先程と全く同じ手段で。


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