第12話 王女からは逃げられない
アースガルド王国王女来訪の知らせはあっという間に艦内に広がった。それほどまでに名の知られた存在なのだが、艦内にはそれを知らなかった人物が2人いる。
1人は大きく項垂れ机に突っ伏している。もう1人は良い人ですねと発言し、周囲の人を驚かしている。
「あの王女に対していい人発言するとはなぁ…胆力あるな彼女」
ロイはうんうんと感心したように何度もうなずく。
お約束かの様に舞台は食堂で、これまでと異なるのはテーブルに並んでいるのが料理や酒ではなく紅茶である事くらいだ。
「そんな言い方すると不敬罪で殿下に処罰されるかもよ」
アリアは2杯目の紅茶を自分で注ぎながら言う。ロイはガハハと笑い、
「そりゃアレか?そこの少年と同じように頭突きとかか?あんないい女にやられるんだったら、それはそれでいいかもな!!」
フレデリックは呆れた目でロイを見て、
「あんた…ホント怖いもの知らずだな……」
フレデリックの言葉にロイは口角の片方を上げ、
「怖いもの知らずねぇ…ってことはアレか?アイザー少尉はシャルロット殿下の事を化物か何かとおんなじように恐れていると?それこそ、不敬罪でお前、ぶん殴られるんじゃないかぁ?」
「そ、そう言ってないだろっ!!俺が言いたいのはだな……っ!」
フレデリックが若干おびえた様に震えながら弁解をし始めると、唐突に項垂れていたフィオが顔を上げた。その顔色を見てフレデリックは思わず引いてしまう。
「おい………ひでぇ顔しているぞ」
「……その…やっぱ、知らないと変なのか?」
「は?…あぁ。シャルロット殿下、な」
フレデリックは言い辛そうにと言うより説明し辛いといった表情で、
「そりゃあまぁ…王族だし。幅広く公務に携わっているお方だ。御尊顔はよく知られ渡っている。逆に聞きたいんだが何で知らないんだよ、お前」
「いや、テレビとかあんまり見ないし……」
「学校は?教養として習うだろこんくらい」
「いや……学校には行っていない」
今度はフィオが説明しづらそうな表情で言うとフレデリックは首を傾げる。
これも文化の差かとフィオは思ったが、どう説明したものかと考えているとロイはヤレヤレと呟き、
「星間連合加盟国の約7割が義務教育制度を実施しているが、惑星国家によっては就労などを理由に免除される事があるんだよ。アースガルド王国にだって免除の制度はあるぞ?」
「き、聞いた事はあるけどよ……」
フレデリックはバツの悪そうに眼を逸らすと偶然にもアリアと目が合う。
アリアは眠たげな眼で3杯目の紅茶にミルクを混ぜながら、
「私とリリアも就労を理由に免除されている」
「うっ!」
「気付かなかったの?」
変わらぬ表情と声音のままアリアはフレデリックの無知を突く。恐らくそこには侮蔑や失笑と言った負の感情さえも含まれていない。ただ単に事実を指摘して言っただけ。事の他、そちらの方が言われる側にしてみれば堪える時がある。そんな事をフィオが考えているとアリアはやはり眠たげな何を考えているのかよく分からない目でフィオを見ると、
「結局、学が無いって事?」
「人を馬鹿みたいに言うんじゃねぇ!!これでもなぁ、機械に関しては人一倍詳しいし、それで飯食ってきたんだぞ!!」
「家賃さえ支払えないくらい貧困なのに?」
ボロクソである。容赦ない突っ込みにフィオは再び項垂れテーブルに突っ伏す。
ロイは軽く肩をすくめて見せて、苦笑する。
「ま、少年がシャルロット殿下を知っていようと知らないでいようとそれで起こる不幸は少年の物だけだ。目下、重要なのはシャルロット殿下が今この艦に来てしまったってことさ」
「ど、どう言う意味だよ」
ロイの言い方に何か嫌な予感を悟ったのか、フレデリックが声を震わせながら尋ねる。
「俺たちが今関わっているプロジェクト…『ヴァルキリー・プロジェクト』なんだが、これの最高責任者は誰だと思う?」
「艦長、じゃないのか?」
「艦長はあくまで現場レベルでの責任者さ。艦長の上には上官の将官がいて……更にその上に最高責任者がいるんだな、これが」
将官よりもさらに上の人物と聞いて話の流れを察したフレデリックはサッと顔を青くして、
「おい…まさか…っ!」
「あぁ…この計画の最高責任者はシャルロット殿下だ」
ぐぅと呻き声を上げるフレデリックを見てフィオは首を傾げる。
「何かまずいのかそれ?」
「忘れたのか?!お前が何でここに居るのか!!」
「何で………あぁッ!!」
フィオは叫び声を上げ、フレデリック同様顔を真っ青に染める。
民間人が機密情報の塊である軍用機を動かしたという事実、それを隠ぺいするための猿芝居を打つという名目で今フィオは軍服に袖を通している。
その隠ぺいしなければならない上層部に、しかもよりによってそのトップの人間が猿芝居の舞台に登場してきた。
頭を抱えるフィオにロイはポンと肩を叩き、
「安心しろ、少年」
「え?……あ、あぁそうだよな。まだバレたとは限らないだろうし、あの艦長も今何か対策を……」
「いやぁ?多分確実にバレているし、バレている以上ヤバいのはみんな一緒さ」
「「全然、安心できねぇよ!!」」
フィオとフレデリックの息の合ったツッコミが入る。
度々意見や息が合うなとフィオは嬉しくない、とても不本意な思いに駆られるがそれよりも直面している問題の方が重要だ。
「やっぱ…最高責任者ともなると権限とかも大きいんだよな?」
「そりゃそうだろ。違法な計画とかならまだしも、こいつは星間連合軍の正式な次世代兵器開発のプロジェクトな訳だし……例えば、誰をどう処分するかとかの最終的な決定権はシャルロット殿下が持っているな」
「ぬぁぁ……っ」
フィオは呻き声を上げるが、何をどうした所で不敬罪も偽装工作も無くなる訳ではない。フィオはヴァーナントの言葉を思い出していた。
起きてしまった事は変えられない。変えられるのは起きてしまった事をどうするかだけだ。フィオは必死に考える。満塁逆転ホームランとはいかなくても、これ以上状況を悪化させない一打をと考えてみるが一向にいい案は浮かばない。
そこへ止めの一撃が入る。
「あ、シャルロットさん!」
エルムが厨房から体を乗り出し手を振る。食堂に居た何人かはエルムの台詞に噴きだす。エルムの台詞はまるで街中で知人にあったかのような親しみの篭った声だった。シャルロットは気にする事なくエルムに軽く手を振り答える。それから周囲をぐるりと見渡し、フィオを見つけるとニヤリと笑って見せる。そしてツカツカと歩み寄って来る。
シャルロットはまっすぐにフィオへと歩み寄ってくる。進路上にあるテーブルや椅子は皆、使っていた兵士たちが自発的に動かして道を作る。無論、彼女の前に立つ者などいない。何ものにも阻まれる事無く、シャルロットは悠然と歩みを進める。それが様になっているのだから仕方ない。
ついにはフィオ達がいるテーブルまで辿り着く。
ロイとアリアはまるで気にしていないかのように平常心でいる。内心動揺していてもこの2人ならうまく隠せてしまいそうだとフィオは思った。
フレデリックは恐らくこの食堂内の誰よりも緊張にかたまりピクリとも動かない。逆にフィオは何がそんなに気になるのかソワソワと落ち着きのない仕草を見せる。
そんなフィオをシャルロットはニヤニヤと笑いながら、初見の時とは異なりその場に立ったままフィオを黙って見下ろす。
時計の針が一周するかしないか、恐らくそれくらいの時間だろう。
フィオの限界が先に訪れた。
「す、すいませんでしたぁぁ!!」
椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がると、90度に近い角度まで体を曲げてフィオは謝罪する。
これ以上、状況を悪くさせないための一打と、フィオが辛うじて思いついたのがこれだった。
即ち、謝罪。懸命に頭を下げる事でこちらの謝意を精一杯表わす。同時に下手に顔色や表情を見られて相手に不快に思われたり誠意が足りないなど言われないよう相手に表情をそして自分も相手の顔を見ない様に下を向く。
かつて、旧時代の東洋には『土下座』と呼ばれる最強の謝罪方法があったらしいのだがそこまではフィオも知らない。
むしろとりあえず謝っておけ、そう反射的に考えた上での行動だった。
それに対して、周囲の兵士たちの反応はまちまちだった。
先程のエルムの台詞よりもなお大きな声で噴きだす者もいれば、手で顔を覆って呆れ果てている者もいる。当の本人であるシャルロットは意地の悪い笑みを浮かべたままフィオを見下ろし、
「やはり面白いなぁお主。妾をまったく畏れん」
「畏れって…そこの二人だってそうじゃないないか」
そう言ってフィオは黙って紅茶を啜るロイとアリアを指さす。フレデリックはもう気の毒になるくらい顔を真っ青にして固まっている。
「そこの2人は問題外だ。なにせ2人揃って連合でも屈指の戦士たちだからな…妾もこ奴らの前ではまだまだと言う事だろう」
シャルロットはそう言って不敵に笑って見せる。ニヤケ顔と不敵な笑みがよく似合うお姫様というのはどうなのだろうとフィオはこっそり心の中で呟いたのだが、シャルロットは「ん?」と怪訝な表情を見せ、フィオを見る。フィオは慌ててそっぽを向いてやり過ごす。
「まぁ先程の格納庫での件は最初の課刑で帳消しにしてやろう。それよりもお主、名は何と言う?」
「?…フィオ。フィオ・ランスターだ」
「ふむ、フィオ・ランスターか…よし覚えたぞ。ところでフィオ、偽証罪をどう思う?」
「え……っ?!」
いきなり直球で来た。フィオの表情が強張る。そんなフィオの表情をあえて無視しながらシャルロットは話を続ける。
「軍規に基づけば、軍内部で何かしらの偽証罪が行われればその誤魔化した情報の程度に応じて減俸から最高で銃殺刑にまで及ぶ」
「へ、へぇ。そ、そ、そうなんだ」
フィオはどもりながら視線を逸らす。明らかに動揺しているのが手にとって分かる。
シャルロットは相変わらずニヤニヤと笑い、まるで反撃も出来ずに追い込まれたネズミをいたぶるかのようにその赤い瞳をフィオに向ける。
その視線にフィオは益々目を逸らすが必死で自分に言い聞かす。大丈夫、まだバレたとは限らない。あの狸親父だって上層部を誤魔化すための手段は講じているはずだ。
フィオはよし大丈夫だと頷くと、シャルロットは、
「お主の場合だったら口封じかもしくは頭をいじくりまわされ……」
「知っているよっ!ってかやっぱり気付いていたのかよ!!」
「いや、そりゃバレてるだろ……」
ようやく少し緊張が解けてきたフレデリックがボソリと呟く。そんなフィオの慌てる様子をシャルロットは大声で笑い、
「フハハッ!!やはり面白いな、お主。うむ、成程…これなら……」
そう言ってシャルロットは何か考え込むかのように口元に手をやり、じっとフィオを見つめる。なまじ美人なだけに見つめられるとフィオも威圧的な雰囲気以前に戸惑ってしまう。そんな困惑するフィオをよそにシャルロットはキッチンに居るエルムに向けて声をかける。
「エルム!少し、妾に付き合え!!」
王女殿下からのご命令である。
それに対しエルムはカウンターから身を乗り出して、
「ゴメンなさい!!今、手が離せないんです!!」
断った。最早口を開けて呆けるしかないと言う中でシャルロットは苦笑し、
「そうか!断るのか!!」
「はい!!」
エルムは短く断言する。
今度は全員が絶句した。何せ王族のそれも直系に当たり次期国王といっても過言ではないシャルロットの言葉を真っ向から否定して見せたのだから。
しかしシャルロットは苦笑して見せて、
「そうか、では待たせて貰うとしよう」
そう言ってシャルロットは自分で椅子を引き腰掛ける。その位置はよりにもよって、もしくはわざとなのかフィオの正面だった。
気まずい、フィオはどうしたものかと助けを求め周囲に視線を向ける。しかし誰一人フィオと視線を合わせようとしない。誰だって好き好んで危険に飛び込みたくはないのだ。シャルロットはそんなフィオの様子が面白いのか始終ニヤニヤと笑って眺めていた。
エルムが仕事終えたのはそれから10分後の事だった。しかしフィオにはその10分が何時もの10倍もの長さに感じた。
「お待たせしました、シャルロットさん。マリオンさんがもう行って良いって言ってくれました」
「うむ、では参ろうか」
椅子から立ち上がるシャルロットを見てフィオはホッと胸を撫で下ろす。
しかしその安ども僅かな時間だった。フィオの油断し切った顔を見てシャルロットは意地の悪い笑みを見せて、
「何をしている。お主も付き合うのだぞ」
「え?え?」
「安心しろ、ケインズからはちゃんと許可は取っている」
ケインズの名が出た瞬間周囲に居る兵士の視線に憐憫が混じる。まるで供物に捧げられる子牛を見るかのような視線だ。
「立て」
「いや、許可って……」
「立てっ!」
シャルロットの強い口調にフィオは慌てて立ち上がる。そのまま言われた訳ではないのに直立不動の姿勢を取ってピンと背筋を伸ばす。
周囲に居る兵士たちがシャルロットに道を譲ったり椅子を自分から動かしてしまう気持ちがフィオには理解出来た。
逆らい難いのだ。シャルロットの発する気迫と響き渡る声が逆らう気力どころか逆に従わなければと言う気持ちにさせられてしまう。
シャルロットは満足そうに頷くと、
「うむ。別に妾の気迫が通じんな訳ではないのか…よしよし、では行くぞ」
そう言うとシャルロットはさっさと歩いて行ってしまう。エルムはちゃっかりシャルロットの後ろを付いていき、フィオは慌てて二人の後を追う。
3人が立ち去ると食堂は安堵のため息で満たされる。例外は器が違うと称されたロイとアリアくらいだ。フレデリックに至っては緊張が解け切った影響で先ほどのフィオと同じようにテーブルへと突っ伏してしまう。
「き、緊張した……っ」
「ん?お前なら慣れていると思ったんだが?」
「………冗談じゃねぇ、こんな近くでお会いする様な方じゃねぇよ」
ロイの何か含んだ言い方にフレデリックは少し不貞腐れたような返事をしてそっぽを向く。それにしてもとロイは前置きして、
「艦長に引き続き……殿下までに目をつけられるとはあの少年も可哀想になぁ」
ロイはしみじみと言う。フレデリックは少し視線をロイの方へと戻しながら、
「何にしたってアイツの偽装工作は本国に着くまでなんだろ?本国に着いたらそれでオサラバ……見る限り、二度と軍になんか関わるもんかって感じだぞ?」
「ま、手筈通りならな……」
ロイはそう言って肩をすくめて見せる。そしてざっと周囲を見渡してみる。辺りにはシャルロットが来る前の喧噪が戻っていたがその中で一つ、空いたテーブルがある。
「キーストン班か…」
ベンが班長を務める白兵戦隊のメンバーのみがこの喧噪の中で少しだけ雰囲気が違った。
全員で何か一つのモニターを覗き込んだり、それぞれの端末で情報のやり取りなどをしている。その雰囲気は仕事の時よりかはフランクなので誰も気にしない。
正確に言えば気にしない振りをしている。食堂で態々こう言った作業をするのは何かある時のみ、暗黙のルールの様な物がこの艦内にはあった。その雰囲気を悟っている者たちは気にしていない振りをしながらも何かが起きる前ぶれみたいなものに気付いている。
ケインズと付き合いの長い者たちの間に出来た独特な感覚、それがこの艦内の違う部署同士の兵士を繋げていた。
ロイもケインズとの付き合いは長い。彼の部下に初めてなったのは10年前、すぐにあの飄々とした雰囲気に隠された物に気付きそして、信頼できる上官になった。その後、ロイの異動などがあり、時たまケインズが立てる作戦の応援に呼ばれる事があるくらいだったが、その間もケインズとの交流を深め互いに気心の知れた上官と部下になった。そしてそれはこの艦に居る多くの他の兵士たちにも言え、ケインズを知る者同士でもまた信頼を互いに深めあってきた。そこには目に見えない、気恥ずかしい言い方をすれば絆の様な物が生まれていた。
その絆が、そしてケインズの本性を良く知るものとしての勘がロイに何か訴えかけてくる。このままでは終わらない。何かがある。起きるのではなく、彼が起こすのだと。
そのカギを握るのはあの少年、フィオ・ランスターだろう。
誰もが彼をただケインズに巻き込まれた哀れな少年だと見ている。だが実際のところはどうなのだろうか。少なくともロイには普通の少年には思えなかった。工場惑星でのあの動き、特に最後のアレは普通ではない。
もしもフィオが生粋の軍人で正式な双腕肢乗機乗りだったとしたらロイは敵だろうと味方だろうとも是が非に酒を飲み交したかった。そして真剣に刃を交えたいと思った。尤も前者はマイカに簡単に止められてしまったが。
それはさておきフレデリックも言う通り恐らく、フィオは二度と軍に関わりたくないと思っているだろう。しかしそれでもロイは彼を星間連合軍へとスカウトしたいという思いに駆られる。その想いが誰よりも高いのは間違いなくケインズだ。有能な人材を一人でも多く自分の味方として引き入れたい、ケインズの根底にある想いだ。そしてそれを逃すほどケインズだって甘くない。
あの腑抜けた演技の裏にある本性、隠された牙が大人しくしているとは思えない。きっとケインズはこの偽装工作に乗じて何かを仕掛ける。生憎、ロイは自分の頭が賢くない事は重々承知しているのでケインズが何を仕出かそうとしているのかまでは分からない。だが何かが起きる、その感覚だけはロイの中で何時までも残った。
「はてさて…どうなることやら」
ロイは小さな声で呟く。その声は誰に聞きとどめられる事無く食堂の喧噪の中に消えていった。
ただ1人、無機質な瞳で見つめる彼女以外には。