〔リコ編〕かさかさかさ
『ちょっと出てきます。ご飯は帰ってから作るから待ってて』
そう短い文章の書かれたメモがリビングのテーブルに置いてあった。
姉らしい几帳面な字で端的に書かれた文章からは字面以上の意味を読み取る事は困難であるが、『まってろ』と言われたからには待たない訳にはいかないだろう。特に今日は。
「……」
変人は最近にしては珍しくまだ帰ってないようで、マンションの一室は静まり返っていた。
むー。
せっかく道場破りのような覚悟で帰宅を果たしたというのに肩透かしもいいとこである。
てっきり姉は腕組みしながらソファーでふんぞり返り僕の帰りを待っているものかと大説教を喰らうハラを決めていたのに。
この覚悟をどこに温存すればいいんだ。そんなにもたないぞコレ。
「ただいまー」
かといってそんな早く帰って来なくてよくね?すっごい振り回すなあ!あー、憂鬱。憂鬱になってきた。急に。
玄関で靴を脱ぐ姉の物音を聞きながらさっきまで持ってた覚悟のかけらを拾い集める僕。ああぁ早くも蒸発してるぅ。僕のカクゴって儚い。すっごい消えてく。
「あ、帰ってた。はいコレ」
「?」
姉がブッキラボーに僕に手渡したビニール入りの箱。
「お父さん今日遅くなるって。だからたまにはそんなんもいいでしょ?」
過去、慣れ親しんだ油の芳しい香り。おもむろにその箱の蓋をぱか、と開くと。
「ふ、フライドチキン……」
「たまに食べたくなるのよねー。なんない?」
姉はするりと僕の脇を通過し台所に直行する。実に自然な所作。淀みない。
「これでいっか。あんたもいる?」
コンソメスープの箱をかさかさと振り僕に見せる姉。
「……」
「おーい。いる?いらない?」
かさかさかさ。
「こここれは……」
僕はひとまず姉の問いかけを置いといて、気になった事を確認することにする。
「ん?」
「ぼぼ僕が『チキン野郎』であることへの……」
「あてつけてないから」
「じゃじゃ、じゃあ『油でも吸って肉団子にカンバックしろ』という……」
「思ってないわよ」
「て、って事は『お前もこんな風に油で』って……」
「あんた揚げてどうすんのよ」
いいから座って、そう言いつつコポコポとマグカップにコンソメスープをふたつ作る姉。
「……」
怒ってない訳がないのだ。
この姉が……あんな公衆の面前でアカッパジを晒し、なんの成果も得られず説教喰らっておめおめ帰宅する弟に殺意を沸かさない人間であるはずがない。
なんせ僕の肉体改造を完遂させたほど体面を気にするオンナなのだから。今日の僕の行動などは狂気の沙汰、理解不能の恥さらしでしかなかったはず。
「……」
姉なら……あんな無様は晒さない。
方法は全く思いつかないが、もっと効率的な手段を考案し実行に移し成果を勝ち取った事だろう。
でも。
「そんながっつかなくてもいいよ。いっぱい買ってきたし」
ことりとマグカップをテーブルに置き僕の正面に座る姉、一心不乱に鳥を咀嚼する僕。
「……そんなお腹減ってたの?」
僕にはどうすることも出来なかった。晒した恥を隠すつもりも無い。取り繕う見栄だって持って無い。
「はいティッシュ。顔油まみれだよ」
悔しく無いはずがない。
自分のフガイナサに初めて腹が立ち、腹が立ったところでなんにも出来ない自分にまた腹が立ち。
「久しぶりだとおいしい。味が濃すぎてすぐ飽きそうだけど」
鳥6コ咀嚼し終え気持ち悪くなってきた僕は……顔を上げ姉を見た。
チキンを手で少しづつ千切り口に放り込む姉に。
「ああ、謝らないぞ」
僕はそう言った。
「……」
少しだけ目を見開いた姉は千切ったチキンを僕の口にひとつ放り込むと。
「ばーか」
と、にっこり笑いながらマグカップを口にする。
姉にははっきり言って似合わないその無邪気な笑顔、裏表の無い素直な表情が珍しくて。
僕も少し笑ってしまった。