〔リコ編〕ダレヲヨブっ!(理子サイド)
軽い高揚と緊張感。懐かしい。
薄暗い会場とざわついた生徒たち。
この学校に入学してくる生徒たちは基本真面目だ。
中学の頃には「歌なんて」と誰も真剣には取り組まなかった『合唱』。
でも私は歌うのが好きで、だから合唱部に入って……
辛い事もあったけどプラスマイナスで言えば全然プラスだった。勉強ばっかりしてた私が唯一『やった』と胸を張れる思い出はほとんど部活の事ばかり。
合唱の、この時だけは感じられる一体感が何より好きだった。
細かい技術的な事は後から付いてくる、でもそんなことなんかより……ただ皆で声を合わせる、それだけのことが楽しくて。
私のクラスに号令が掛かり舞台の裏へと移動する。私はヒソヒソと会話をする私のクラスのみんなの後ろに付いていく。
私への対応は相変わらずで、きっと私は悲しいんだと思う。でも。
合唱で何か……伝わるんじゃないだろうか。
音楽はすごい力を持っている。そうテレビで熱っぽく語っていたミュージシャンを思い出す。
『言葉より音楽なんだ』と。
そのとおりだと思う。仲たがいしていた一部の合唱部の女の子たちは予選、本線、全国大会と進むにつれお互いを無二の友人だと信じて疑わなかったし事実そうなったのだ。
笑い、泣き、怒って……その周りにはいつも音楽があって。壁に向き合って頑張って乗り越えて、その先にはきっと笑顔が待っている。私は知っている。
急な変化は望めなくても……きっときっかけ位にはなるんじゃないだろうか?
せめて私の至らない点、気に入らない根拠を示してくれるんじゃないだろうか?
私を見て……どんなカタチであれ存在を認めてくれるんじゃないだろうか?
一生懸命歌おう。
拙くてもいい、評価されなくても構わない。
私は精一杯歌って音楽を楽しむのだ。
みんなの力の一部になりたかったんだ。
「……」
いよいよ壇上に移動する。胸が高鳴る。
ライトに照らされ、緊張と相まって顔が熱い。クラスの私語もなくなっていき重たいような独特の空気を掻き分け最前列に並ぶ。
そう、ここ。
背の低い私は中学の頃から最前列。
無数の人間の頭をスイカだと思い込み、それでも鼓動は早鐘のように忙しなく主張し……あとは一生懸命やるだけ。
真っ白な私の思考を塗りつぶす音楽に、必死に付いていくだけ。
ピアノの旋律に背中を突き飛ばされ、音楽の一部に溶けるべく。
出だし。
いつも注意されていた。合唱はスタートが一番重要なんだと。
神経質な合唱部顧問の音楽教師の教えはいつも的確で、私はそれを忠実に遵守する。
『~~』
うまくいった!
あとは音楽に逆らわずみんなの声に逆らわず一部に……
「っく」
なんだろう、なんだろう?
「ぷっ」
変だ。違和感が……
「歌ってんじゃねーよ」
「バーカ」
「ナイな」
「キモ」
…………
……………………
…………………………………………。
私だけ?
私だけ……歌ってた。
誰も私の方は見ず、そこらじゅうに散乱する短い嘲笑。
「……やめんなよ。ホレ歌え」
「くっ」
「アイドル気分かよ」
「クスクス」
……ああ。
ピアノと私の途切れ途切れの歌声だけが小さく響く。
ライトの熱だけが熱心に私を照らす。
ああ。
こま……ったな。
クラスメイトの嘲笑のひとつひとつ小石のように私に当たり……痛かった。
どうしようもなく
痛かった。
「ナクナヨー」
「マジ?うわ」
「クスクス」
「フフ」
「あちゃ」
こまった……な。
床が……滲んで……うまく立てないや。
なんか力も入らないし……こまったな。
俯いた私の首が、なんか大事なコードが切れたようにだらんと下を向いてしまう。
まだ演奏は続いてるのに、歌わなくちゃ……なのに。
こまった事に……声が出ない。よ。
「クスクス」
「クスクス」
「クスクス」
「クスクス」
あれ。
なんだっけ。
梶センパイ……言ってた。
『困ったときは呼ぶんだ、理子もな』
なんだっけ?えと……なんだっけ。
もう、忘れちゃったな。だってアレ梶センパイと初めて会った時のことだし。
私、今、床がぐにゃぐにゃ揺れてるし。
なんか鼻水つまって……ツンってするし。
どうにも……なりそうに……な”いじ。
あ……ぁ。
んバンっっっっ!!!!
不意に何かの激突音が合唱会場に響き渡る。
「……ダレヲヨブっ!!!!」
「……ぇ?」
ライトの光とは違う、外の太陽の逆光で全く顔は分からない。
でも。
一部のクラス……特進クラスだろうか?そのクラスの塊が跳ねるように……合唱の最中に大げさに扉を開いた生徒に喝采をぶつける。
その特進クラスの声を体中に浴びながら……鼻血?を自分の袖に擦り付けずんずんと壇上に接近する影。
薄暗い会場は俄かに明度を増し、特進の生徒は通路を通り過ぎる影の背中をバンバン叩く。
なぜかひとりとして教師のいない合唱会場は……喧騒の渦を形成していく。