香水くさい
毎朝のランニングの成果をフル活用し自宅マンションまで転がるように逃げ帰ってきた僕。何もしてないとは言え公的機関の権力を鵜呑みにしない僕はクール・ダンディー。且つ、ソーキュート。
追っ手を隙間風のようにするりとかわし、愛すべき自宅の扉の前でノブを掴んでいるのだが……体が硬直して動けないでいた。
なんだこの邪悪なオーラは。僕は『凝』ばりに注意深く辺りを観察すると入り口の扉、その輪郭に沿って漏れ出している紫色の澱んだ瘴気が窺えた。大型の乾燥機の如くシューシューと絶え間なくあふれ出すソレはとても僕なんかの手に負える類のシロモノではないのは明らか。これはもう彼の出番でしょう。しかめっ面で博識で、黒装束の古本屋である京極d
「はいおかえり」
「ひゃあああああぁっ!!」
いつの間にかわずかに開かれていた扉、そこからにゅるりと伸びた手が僕の手首を優しく掴む。力自体は入ってないのに解けない!?それどころか体の力が吸い取られるように足腰が固まってしまった!!
「早く入りなよ、近所迷惑でしょう?」
優しい!!優しいだけにエゲツナイ怒りを感じる!!音も無く問答無用で開かれていく扉。
「心配したんだから。ああ、もう3時なのねえ」
なぜ笑顔!?姉は玄関の時計を確認し貴婦人のようにふふ、と笑う。姉の威圧感に縦横無尽に蹂躙されていく僕の心。……いや!まて!逆に考えるんだ!!自らの正当性を力の限り掘り返し論理的に対処するのだ!!はっきり言って疚しいことなど何も無い!!それに僕はもう高校生なのだ!!夜遊びのひとつやふたつは許容して頂く!!少々帰りが遅くなったからといって咎められる筋合いではなーい!!
「どこいってたの?」
「ちょちょちょっと寄り道し、してた」
だらだら流れる汗が目に入って染みるが堪えるのだ!!ここは分岐点!!今後の行く末まで影響を及ぼすであろう重要なフラグ!!大体新婚夫婦じゃあるまいし引け目など感じるほうがどうかしてるのだ!!
「私待ってるって言わなかったっけ?ひょっとして言い忘れたかなあ」
僕の脱いだ靴を下駄箱にしまいながら独り言のようにぽつりと漏らす姉。当然だが、姉が僕の靴をしまうなど初めての行為だ。姉のメンタル方向への追い込み具合が加速して襲い掛かってくる。
「ぼぼ僕はべ別に」
「香水くさい」
「って……え」
「香水くさい」
「いや……あの、こここれは」
「香水くさい」
あのDQNオンナか!!確かに姉のふわりとした謎のイイ匂いとは違う主張のキツイ香り。相手に意識させる事を明確に目標にした人工的なフェロモン。その香水の存在意義は僕をすっとばして姉に作用したようだった。
「まずお風呂、でそのあと話し聞くから」
「いいいまから?もももうおお遅いし朝にでも……」
「なんだか気分が悪くなるのその匂い。はやく落としてきて」
「あああとはね寝るだけじゃ……」
僕の耳の横を物凄い速さで何かが通過したと同時、ばんっ!!と激しい激突音が響く。一拍置いて姉の腕が僕の背後の壁に手を付いたのだと理解。
態勢的に間近に迫った僕と姉の顔。目を逸らす事も出来ない僕はここ最近では一番の降雨量、記録的な大雨が背中を伝う。
「まだ朝まで時間あるから。はやくね」
そうニコリと微笑むと姉の背中は僅かの迷いも無く僕の部屋へと消えていった。
「……」
な……なんだよ!!なんなんだよあれは!!
僕は何だ!?同棲はじめたばっかりのヒモオトコか!?おまえは僕の姉だろ!?がっつり血の繋がった完全無欠の肉親じゃないか!!っていうか姉の圧が凄過ぎて僕の心の中のツッコミも無くなっちゃってるじゃないかあっ!!僕のリーゾン・デートル返せようっ!!お願いだから返してくださいようっ!!アブノーマルなラブコメハンターイ!!お笑いバンザーイ!!
そう、心の中で血の叫びとも言えるシュプレヒコールをばら撒いた僕は、今風呂場で血が出るほどごしごしタオルを自分の体に擦り付けていた。
だってこわいもの。