〔カナ編〕サイン
ホテルの室内は終始明るいまま。
必要以上にベタベタされることも無く。
時間通り仕事をこなした。
「はい御苦労さま。シャワー浴びてくるねー」
きっかり終了10分前にそう僕に告げたアラサーの客は、タオルも巻かずに軽やかな足取りでガラスの扉のシャワールームへと突撃していく。
「……」
一貫して、このヒトなんだか乾いている。
いつもの客が漏れずに持っている、湿った欲や濁った望みはほとんど感じられなかった。
僕はベッドの上で自分の頭を頭皮ごとワシャワシャと掻きむしり、軽い痛みで辛うじて吐き気を抑えていた。いつもならこうはいかない。
トイレに行くフリをして水を景気よく流し、悟られないようゲロって……帰り道でついでにもう一回吐くのがパターンだったのだが。
いやあ、これってアレ?
とうとう僕も仕事が板についてキタって感じ?ようし、これで僕もイッパシの……
「っ!?」
不意の吐き気に涙ぐみ、やたらふわふわした二段重ねの枕に(毎回思うがコレ意味あんのかよ)窒息寸前まで顔を押し付ける。
はい、すいません全然慣れませんこんなの。チョーシ乗っちゃいましたごめんなさい。
「……なにバタバタ暴れてんの?シャワー浴びてきなよ、時間でしょ?」
「あ、はいスイマセン」
はええ。
随分手慣れたヒトなんだなあ。時間10分前で『はいシューリョー』なのはシャワーの時間を見越してのことだろうし、シャワーはささっと必要最低限洗うのみ。
でもまあ、僕は基本的に舐めてるだけなのでいつもうがいと歯磨きだけで済ませている。
いつもの客であれば『もうちょっといいじゃん』的なノリを前面に押し出してくるので、時間に追われ僕のシャワータイムはいつも無かったんだけど……促されたのは初めてだった。
僕がそう告げると『そうなん?』と一言だけ呟き、やたら細長い煙草を咥え火を付けるアラサー。
それにしても。
僕が来てからこのヒト、一貫して裸である。なんらかのシューキョー的な理由でもあるのかと疑いたくなるような曝け出しっぷりだ。
「はい、お金」
パサリとベッドの上のシーツに紙幣を投げ出すアラサー。
って、これ。
「お、多くないですかコレ」
かなり、いや。倍近くあるんじゃないかコレ。
「あ、来週もキミ呼ぶからついでに払っとくね、はい」
無造作にお札をお札に載せていくアラサー。分厚い財布からほいほいと出していく手際は手品師のように見事だけど。見事だけれども!
「いや、だから。多いですって」
「やーね、わたしお金にはシビアなの。合ってるよソレ」
シーツの上のすべてのお札は綺麗に同じ方向に揃えられていたようだ。意外に几帳面なヒトなんだって事は分かるけど、明らかに多い。受け取れない。
「宿だーい」
煙を吐きながら僕の隣にボスっと飛び乗ったアラサーは、僕に人差し指を突き付けて楽しそうにこういった。
「キミ来週もこんなカンジで仕事こなしたら……クビ♡」
「へ?」
「知ってるでしょ?」
「は?い、いやあの」
くく、クビって何だよ!?いきなり何言ってんだこのアラサーは!
僕は何の事だか理解できずに、でも黙っている訳にもいかなかったんで反論を試みる。
僕は訳も分からずクビになる訳にはいかないのだ。
カナの借金を返すまでは!
「一体あ、あなたに何の権限が……」
「お金、数えてみ?ちゃんと『倍』あるから」
……。
…………。
ーーーおんなじお店で誰か利用するときは倍額ーーー
…………げ。
マジで?
「わたしアキラ。クズ店長によろー」
しっしと『さっさと帰れ』のアラサーのブロックサイン。
僕はイマイチ訳が分からないままホテルの一室を後にする。