〔カナ編〕いいねいいね
じわり、と掌に汗が溜まる。
待機所であるマンションの一室に入るなり、その独特の空気は質量を持ったように僕の首筋を撫でた。
しかしまあ、あれだ。
こういった『誰かを複数で排除する愉悦』っていうのは幾つになっても逃れ得ない快感なんだろうか?
「ほら愛しのユキト君来たじゃん、前みたいにサカらないの~?」
「隣の部屋空いてんだから遠慮すんなよ!」
「近所迷惑だから声は控えめにね~」
僕の入室によりアクセル吹かし気味に真央さんを煽る……3人か。ソファーにふんぞり返ったり絨毯にねっ転がったり、まあおよそ他人と話す態度では無い。一方真央さんはと言えば。
「……」
だんまりか。多勢に無勢、何か言ったってどうせまともに話す気なんかない相手なら沈黙もアリ。悪くない一手だと思う。でも。
あの、真央さんの表情。あれはもうここには来ない気だな多分。
目の奥では3人に対する嫌悪と呆観で……自分に投げかけられている言葉をほとんどシャット・ダウンしてしまっている。
「あ、あのさ」
あの目は良くない。断絶はだめだ。なんとかするんだ。
「ユキト君の声初めて聞いたんですけど!」
「喋れるんだ!」
「ベンゴ!?ベンゴしちゃうの!?」
ほとんど一斉に声を上げた3人。僕はこういった場面で役に立った試しは無い。ぶっちゃけ役立たずである。口べたな自覚はあるし、『排除する側』に回ったことのない僕は3人の気持ちが壊滅的に分かっていない。
ならば。
「あ、あんたと話す」
3人相手に弁論大会する気は無い。僕はソファーでふんぞり返っている一番態度のデカそうな女性に向け人差し指を突き出した。
「はぁあ!?なに言ってんのコイツ!別に話すことなんかないって!!」
げらげらと何がそんなにおかしいのか、そんな事すら僕には理解不能なのだ。今僕が身長40メートルのゴジラ的な生命体ならば、このマンションごと踏みつぶしている。なぜってメンド臭すぎるから。
でもそんな事出来ないし、それは『解決』では無い。
まずは、聞く。分からなければ聞いて理解してみよう。
「ぼ、僕は本当にこういった仕事が……っていうかバイト自体初めてで。出来たら教えて欲しいんだ」
「だから話す事なんかねーって……」
「お、お願いします」
「しつけー!!んじゃ土下座!アタマ床に付けたらハナシ聞いてやってもいいけど?」
お。意外に話せんじゃん。いやあ言ってみるもんだ。
僕はふかふかした絨毯にデコを勢いよくぶつけるように押しつける。
「おねがいします」
「ちょ……マジ?」
ん?
リアクション悪いなおい。自分でやれっつって放置ってさすがにないと思うの僕。
「ちょっとゆきとん!!」
「うわ!?」
意外に力あるな真央さんって。床に這いつくばった僕の腕をむんずと掴んだかと思ったら一気に引き上げられる僕。
その目はさっきの凍った諦めでは無く、怒りで揺れている。ま、さっきよりマシといえばマシな目つきだった。『拒絶』より『応戦』の方が好ましい。いいねいいね。
「別に話なんかしなくていいし!!こいつらに何言ったって無駄!!」
「はぁあ!?なんだよ真央、『こいつら』って誰に向って言ってんの?」
「あんたらヒマ人3人だよ!!」
いいね、とは思うが。
ここで罵り合いしたところで何も進展は無い。落ち着こうぜ真央さん。
僕は真央さんの頭をわしわしと乱暴に撫でまわし、この子の頭に昇った血を落下させることにご執心。
「ちょ、ゆきとん!もうっ!!」
「はい?」
「なんでゆきとんが頭下げなきゃいけなくなるのっ!?なんでわたしの事でゆきとんがこんな目に……」
怒りで揺れた目を覆うように涙がうっすらと滲む真央さん。自分のために誰かが不利益を被るのをヨシとしない善意の子のようだが……あいにく僕も引けない理由があるのさ。そのためなら頭だろうが血糖値だろうが下げられるものなら何でも下げようじゃありませんか。なあに、大したことじゃないって。
ほんのさっき、言われた言葉が脳裏にはっきりと浮かぶ。
ーーーあんたさ、真央と仲いいんだったら何とかしてやれよ。今待機所で吊るしあげられてんだよーーー
正直、仲いい訳じゃないし何か真央さんに特別な感情を抱いている訳でもない。
でも。
あのナミさんが……真央さんを助けてあげたいと思っていた。
その動機は僕と同じ、『友人を助けたい』。シンプルな理由。
なんとかしたい、僕は単純にそう思ったんだ。