〔カナ編〕条件
「……いいか、一旦整理するからよく聞け。違ってたらその場で言ってくれていい。分かったか?」
「はい」
もう2時間にはなるだろうか?
僕の主張は概ね一貫しているのではあるが、どうにもこのテンチョーと呼ばれる男性には伝わりにくく聞こえるらしい。
人にモノを伝えるってのは簡単じゃないんだと……僕ははじめて来たマンションで感慨にふけっていた。
「まずマリアの出勤に関して一切無理強いするな、合ってるか?」
こくりと頭を垂れる僕。
ざっくり眉間にシワを入れるテンチョー。
「そしてマリアの借金を無くせ。これは出来たら、ってことでいいのか?」
全く正確に伝わっている。なんの申し分も無く完璧に。
なんだこの人ちゃんと話聞いてるじゃあないか、てろんてろんのスーツなんか着込んでごっつい指輪とかしてるからてっきり怖い人なのかと思ったよ。
「……で、後はと。送別会、か?ウチで開いてやればいいのか?」
「けじめだから。もちろんユズキカナが『別にいいよ』って言うならやんなくても」
頭をばりばり掻きながらテンチョーはナミさんに視線を合わせる。
そのナミさんはと言うと……さっきからものすごく驚いたような表情で僕を射抜くように見続けている。
「……なあ美鈴。君の連れてきた同級生、どうかしてるんじゃないのか?この状況分かってる?」
「……元々ヘンなヤツだとは思ってたんだけど、ね。だいぶひくわ」
2人は溜息混じりに僕を眺める。本当に、心から呆れ返ったといった様子で脱力感さえ漂わせながら。
っていうかなんで『ミスズ』なんだよ。だいたいマリアってなんなんだよ?
名前が多すぎて混乱する。
「ええと、新木君か?お前自分が何を言ってるのか分かってるか?ここがどんな場所か分かってるのか?」
「デリバリー風俗事務所」
「そういう『ガワ』じゃなくて。例えば……こういった職種に関わるある一定の人種ってのが居てな?」
「……はあ」
「知らないか。じゃあ、お前が無事にここから出られる可能性については?考えたことないか?」
「あんまり……考えなかったです」
「そうか。んじゃ教えてやる。ゼロだ、悪いな」
座っていた事務チェアーを弾き飛ばすような勢いでテンチョーは跳ね上がった。短い悲鳴はナミさんのものか……なんて考えていたら途端息が出来なくなり、高そうな絨毯の上に肩を勢い良くぶつけた。
「…っは」
腹を突き出された足で射抜かれたようだった。
こんな衝撃はゴリ以外では初めての経験、僕の呼吸に合わせるように何度も吐き気が込み上げて来る。
ふたつ折りになってうずくまる僕を確認しようともせず、また腹に衝撃。
「がっはっつ…」
「多少痛めつけねえと、よ。シメシつかねんだよ。てめえみてえなガキに舐められたまま帰すワケにゃいかねえんだ。言っとくが悪いのはてめえだからな」
喋りながら、蹴る。
ひたすら僕の腹を蹴り続ける。
革靴の先、随分尖ってるなあ。痛いはずだコレ。衝撃は背中まで突き抜けるように同じところばかりに炸裂する。
……。
人って初対面の人間にこんなに執拗に暴力を加え続けられるもんなんだなあ、感心する。僕に今出来るのは、せめて絨毯を血で汚してやろうということ。
僕は景気良く血反吐を吐き出してやった。高そうな靴と絨毯に。
「……案外タフだな新木君よ」
ゴン、と即頭部に掛かるピンポイントの重力。
ふかふかの絨毯のはずなのにマンションの床の衝撃が頭に直撃した。
思いっきり踏まれているらしいが吐き気が強くて、もうね。
「……おい、てめえ」
スーツのズボンにも盛大に血を吐きかける。
いやいやいや不可抗力だから。コレ僕の意思じゃ……
「がっふっ」
いってえ。マジで……効いた。
吐き気でまどろんでいた僕の意識の胸倉を掴み起こしビンタされたような蹴り。また腹の同じ箇所。
「おいまだ寝るな」
「……」
寝るか。
僕はまだ何もしてないんだ。
「明日迎えに人間やるから……その気があるならもう一度来い。条件次第で新木君の要求呑んでやってもいい」
僕は吐き気を呑みこみつつ上体をもちあげる。足は意志とは関係無くのん気にブルブルしているがそれどころでは無い。
今このテンチョーなんて言った!?
「ホントにタフだな。殴られ慣れてんのか?」
膝に両腕を突っ張りなんとか立ち上がる。身体の芯にきていた。しかしゴリって……ひょっとして手加減してくれてたのかなあ。
見るからにこのテンチョーの体の方が細いのに痛みがいつまでも染み付いている。
「よ、要求」
「条件次第だ。不服なら交渉は決裂、警察でもどこでも行きやがれ。ま、そんときゃてめえの家族や親類まとめてこの程度じゃ絶対済まねえがな」
そうか。
……そうか。
こんな僕でもユズキカナを助けられるかも知れないのか。
ふと、マンションの壁を見るとカーテンの向こうに闇が広がっていた。僕は腹筋を擦りながら溜息をひとつ吐き出す。
もう夜かー。
……。
その時溜息と一緒に出た血の粒は、今度は自分の靴にぺたんと張り付いた。