〔カナ編〕ふるえる(藤崎サイド)
その時、なんだか辺りの時間がゆっくり流れている気がした。
新木と女の子が話している間、僕の目はうねる様にじりじり迫り来る黒い一台の高級車に釘付けだったんだ。
『ああ、あんなタチ悪そうな車ホントにあるんだ』
なんて思っていた。
んが!その車が僕らを明らかに目掛けて来ている。
ダッシュボードにもわもわ乗せたイワユルやんちゃな感じでは無い。エンジン音だって静かなものだし、改造なんて前面真っ黒のスモーク程度。しかし。
「……」
運転手と目が合う。というか、ほとんど止まるような速度でこっちを伺っている。
って、ととと、止まった!?いやいやいや!?
「おまたせ」
30位だろうか?運転手の男は車に乗ったまま窓を半分だけ開け声を発した。僕にではない。新木でもないだろう。と、いうことは。
「あ、早かったね。ちょい時間ある?」
やっぱりか。
運転手は女の子に向け愛想笑いを薄く浮かべる。怖い。
この人全く笑ってない。表情が感情と遥か彼方に分離している。
「どうしたの?カレシと揉めてる?出直そうか?」
しかしこの女の子、なんでタメ口なんだろうか?女の子と運転手の会話は違和感がきつく纏わり付いている気がする。友達では無いだろうし親族って感じでもない。
「いいよ出直さなくて。これわたしのカレシじゃないし。カナのオトコ」
「カナ?」
「ああ、マリアマリア」
「……」
がちゃり、と。車のドアがいきなり開く。
運転手はこの陽気にかっちりスーツにネクタイ姿であるが、妙に煌びやかな靴を履きでっかいバックルのベルトがチラつく。普通のファッションではなさそうだった。
「ニイさん」
全く迷いは無い動きで運転手は、背中越しで振り向きもしなかった新木の肩を掴んだ。ゴツイ腕時計に……僕のところまで漂ってくる香水。
新木は運転手に力任せに反転させられる。
一般的な行動じゃない。
「マリアさんどこいるの?知ってるなら教えてくんねえかなあ」
肩を掴んだまま新木に詰め寄る運転手。そばでニヤニヤとその様子を伺う女の子、僕は動けない。ってか、なんだよその距離は、普通そんな距離で話しなんかしないだろう。文字通りの『肉薄』、新木は運転手の威圧感の真っ只中に晒されている。
「まりあってなんだ?あと、肩取れちゃうよ」
「カナだよカナ。てめえのオンナ位管理してるよな?」
……。なんで?
たまに思うことなんだけど、やはり新木はキモが据わっている。僕なんか声を上げる事すら運転手の圧力で叶わない。でも今回のは……いつもとはランクが違う。
怖い上級生とかイジメとかそんなもんじゃない。にもかかわらず新木は。
「僕なんか自分だって思い通りにいかないんだ。他人の管理してる余力なんか無いよ。あと肩。僕の肩と握力計がそんなに似てるの?」
「……めんどくせえガキだな。さらっちまうぞ」
声を荒げるようなマネはしていないのに運転手はどんどん迫力が膨張していく。新木はなぜあんなに堂々と渡り合ってるんだろうか?
視線にまっすぐ運転手を捉えたまま、流暢に言葉を吐き出している。
いつものドモリのクセも無く。
「あーっ!ナイスアイディア!さらおうさらおうっ!」
突拍子も無いあっけらかんとした声を上げ、女の子はうれしそうに手を叩く。
運転手もホントに誘拐する気は……まあ当たり前だが無かったようで、女の子に向けた視線は冷たい。
「……マジですか?連れてってどうするんです?」
「いいからいいから!わたしから言うから!」
なにを誰に言うのか?
全然分からない。分からないのがさっきからずっと続き、みるみる落ちるように状況が悪くなっていってる気がする。
「んじゃ来いよ。乗れ」
「……だから痛いってば」
振り回されるように引っ張られんとする新木。その新木は『あ』と瞬間空を仰いだ。
……途端首をぐるんと回し僕を見る新木。
正直もうそっとしておいてくれないか新木さん、僕には君のような胆力は無い。ああ、思い知ったよ。敵わないよ君には!
「ごめん藤崎。先帰ってて」
「ああ、あ!わかわか分かった!後のことはまかまか任せて」
何の情報も得られない、しかしこの状況。
とても僕には歯が立ちそうにアリマセヌ。
ここは戦術的撤退。転進。勝負に勝って試合で……って、あれ?逆だっけ?
いやいやいやいや、そんなことはどうでもいい。
背中に伝う冷たい汗に誓おう!
僕は生涯ヘタレであると!!
すまん新木!
「……おいおいしっかり歩けよ」
「……」
……。
もつれる足、ぎこちない挙動。
新木は後部座席に押し込められる際、車の窓に頭までぶつけていた。
…………。
新木は……完全にビビッているのだ。でもカナ先輩の動向を探るため敢えて女の子と運転手について行く。
…………。
ボン、と重い音がしたと思ったら車の後部ドアが閉められた音だった。スモークガラスで中は全く見えていない。見えていないが。
きっと新木は脂汗まみれでおとなしく座っているんだろう。
「……」
ぬるりと発車した黒い高級車が見えなくなるまで僕はその場で突っ立っているしかなかった。
「……」
僕は。
震える足で進む新木を、また1人で行かせてしまった。