〔ハル編〕今回は僕だ
よっし。
熱めのシャワーを全身で浴び終え、がっしがっしとタオルで頭を拭く。
特に理由なんて無かったんだがなんとなくそういう気分だった。
「……」
このあといつもならくたびれたスェットに着替えた後、ネットの海にダイブすべくコーラをラッパ飲みしながら自室に引き篭もる訳なんだが……ナニブン今夜はすべき事がある。
ドライヤーはメンドクサいから省略し、僕はジーンズに足を突っ込んだ。
パーカーをスポッと頭から被り玄関でスニーカーを履く。
まあ、やっぱり理由なんて無いんだけど、僕はスニーカーの紐を一旦抜き取りしっかりと締め直す。
「……」
柔道家が帯締め直すようなもんなのかなあ。
なんとなく気分が引き締まるような気がしないでもない。
僕はせっせとスニーカーの穴に紐を通し、きゅ、と締める。ちょっと楽しかった。
「どこか行くのか?」
居たのかバカ親父。
僕が振り向くと爪楊枝を加えた変人は、玄関で座っている僕を見下ろすような格好で突っ立っていた。
「最近古都が夜居ないんだよなあ。お前なんか知ってる?」
「……さあ」
「まあ、あいつの事だから夜な夜な街に繰り出しクラブで酒池肉林……なんて事態は心配して無いんだが」
想像力の羽根デカイなバカ親父!そんなんならむしろ見てみたいわ!
「お前のツラ……古都の深夜徘徊よりよっぽど重症だな」
「は?」
何をしたり顔で人のルックスに文句付けてやがんだこのやろう!
どうせ童貞だよ、ほっとけクソ変人!!
「そりゃ笑ってんのか?いや、悲しんでるのか……気持ち悪いなぁおい!顔芸も程ほどにしとけ肉団子」
いいか!?
今僕を肉団子呼ばわりする唯一の人間があんただ!
いつまで根に持ってんだよ悪かったな昔太ってて!もう痩せたんだからそろそろ勘弁してくださいよ!!
「……じゃあ僕ちょっと、でで出かけてくる」
紐を締め終えた僕は静かに立ち上がる。
ここでこの変人中年と一戦交えてもいいんだが生憎今日の僕にはやることがあるからね。
「おう。あんまり羽目外すなよ」
バカで変人の中年はなにやら親っぽい事を口走って満足したのか、爪楊枝をシーシーしながらリビングに消えていった。
「……」
そして僕は無言で夜の闇にぬるりと滑り込む。
見慣れた景色に歩く淀みは皆無、僕は迷い無く音の無い住宅街を進む。
進む。
足を交互に突き出し、顔はアホみたいに夜空を見上げた。
あのときみたいにハルと交信できないか、なんてちょっと思ってみたんだが……実際出来たら正直ドン引きする自信があるから出来なくて良かった。どこのニュータイプだよ!?って突っ込んでくれる人間がいないからね。
スタンドアローンなこんな夜、ボケは全くの無力なのだ。
「……」
スタンドアローン、でもなかったか。
前方の街頭に照らされるように不景気な顔を晒し立っている男に心当たりがある。
「一個質問があるんだ」
まっすぐ僕の顔をみて藤崎はそう言った。
「……」
んー。なんだよその顔。
「その答え次第で僕は帰って気持ちよく布団に入れる。面倒は無いよ。なんせキミは誰にも頼るつもり無いみたいだし、キミだってその方が都合がいいんだろ」
まーだ怒ってんのか藤崎。
申し訳ないが今日の僕は忙しいのだ。
イケメン君の難くせに付き合うのは後日、また今度ってことで。
僕は無言で藤崎の横をすり抜ける。視線も合わさない、藤崎もそうはしなかった。
藤崎はまるで独り言のように、自分の目の前に広がる夜の空気に染み
込ませるように呟く。
「日向春を殺すつもり?」
がっ、と脳を掴まれた。
反応してはいけない、そう思った瞬間にも僕の目は藤崎を見てしまった。
「そんな訳……ないよな?だってさ、いい、意味が分からない。なんで新木がそのコを殺さないといけないのさ?っていうか新木は好きなんじゃないのそのコの事……いやいやいや、違う。そんなことが言いたいんじゃなくて……え、っと」
藤崎は僕と向き合いながらも目を合わせる事はしなかった。
ただ向き合い、夜の闇の中。
ただ困惑している。
「わからない、分かんないけど、さ。新木が『違う』って言ってくれさえすれば僕はすぐ帰れるんだ!『そりゃそうだ』って納得して眠る事ができる。だってそんな訳ないんだ!どんな理由があれば好きな相手、しかも重病人の女の子を殺す、なんてイカレた結論が出るわけ?笑っちゃうよまったく」
ああ、こういう顔の事か。
僕はさっきの変人の言葉を思い出していた。
『笑ってんのか?泣いてんのか?』
今まさに藤崎はそういう表情をしていた。
「答えろ新木」
藤崎は俯きながら僕の肩を掴む。
ゲイの別れ話か?夜の歩道でヤロウが2人、見苦しいったら……
「こたえろっ!!!!」
顎先で何かが弾けた。
僕の顔は衝撃でぐるんと一回転するほどの勢いで振り回される。
平衡感覚がぶれまくった僕はその場でぺたんとしりもちを付いた。
「今回は……僕だ」
僕をブン殴った手の平をぷらぷらと振りながら、しりもちを付いた僕を見下ろす藤崎。
やはり暴力には免疫が無いのだろう、藤崎の目にはうっすらと涙が浮かび。
「頭のイカレた怪人を正義の味方がせせ、成敗する!人殺しなんてさささせないからなこのああ、悪の手先!!」
声を震わせ歯を食いしばりみっともないほど震えている藤崎は、それでもはっきりこう言った。
「べべ……ベクトルマン!!参上!!」
おおう。
人がやるのを見たのはコレが初めてだが……相当イタイなコレ。
でもまあ。
僕はやることがあったので……ケツについた砂を払い立ち上がる。
そうだ。
ハルを最期に救うのは……誰かを救い続けてきた少女を救うために殺すのは。
僕なのだから。