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ベクトルマン  作者: 連打
111/189

〔ハル編〕いい感じに引いてるじゃあないか


「びっくりした?」


一階の自販機コーナーで微炭酸の缶ジュースを購入し僕に放り投げる氏原さん。その額や背中にはまだ汗がびっしり滲んでいた。


さっき僕がハルの部屋へ飛び込んだ瞬間、僕に視線を向ける者は誰一人いなくて……ベッドの上で暴れるハルを必死に抑え付け声を掛け続ける医療現場をただアホウの様に突っ立って眺めているだけだった。


「まあ驚くよね。でも最近ちょっと発作が多くて、気付いてるんでしょ?」


僕はその質問に答える事ができず、カキョ、と缶ジュースのプルトップを無言で持ち上げる。


「しっかしなんであんたこんな時間に……ってどうでもいいかそんなコト」


よく洗濯を手伝わされた。

だんだん重量を増す洗濯物の意味に考えが及ばなかった訳じゃない。


「……」


あれはハルの汗が染み込んで重くなっていたんだ。


ハルのやけに厚手のパジャマは痩せていく身体を隠すため。

痛みから来る寝不足による隠し切れない濃い疲労。

7割以上残されていた病院の食事のトレー皿。

見ていたはず、知っていたはずなのに知らないふりで。


僕は。


「……」


氏原さんは薄暗い待合室のソファーにどっかり腰を下ろし、ペットボトルのスポーツ飲料を豪快にあおる。今気付いたんだが氏原さんは所謂ナース服を着ていない。非番だったんだろうか?

薄手の青いシャツの背中は汗でべっとりと張り付いている。


「あのコさ。麻酔嫌がって暴れるのよね。なんかの『贖罪』のつもりらしいんだけど……大の大人が泣き出す痛みをよくもまあ、意地っ張りにも限度があるわ。付き合うこっちの身にもなれってんのよ」


……付き合う?


「たまにはマンション帰ってゆっくりお風呂入りたいなあもう」


「……」


そうか。


氏原さんはハルの事を気にして家に帰っていないのだ。だから氏原さんは僕が病院を訪れるといつも居たし、今私服なのも『仕事じゃないから』なんだ。憎まれ口をいくら叩こうともこの人はハルの完全な味方で……僕はただの傍観者でしかないのだと知る。



―――『結局あなたは人の気持ちが分からないだけの一介の高校生というだけ。物事の分別の付かない、頭の悪いコドモ。それがあなたです。異論あります?あるわけ無いですよね?だってそうなんだもん』



インタビューで言われたことまんま。当たってる。その通りだ。


「ねえ新木?」


ペットボトルのビニールをぺりぺりと剥がしながらゴミを分別し捨てる氏原さんは、なぜだか分からないが少しだけ笑っているような表情で僕を呼ぶ。


「尊厳ってなんだろうね?」


「そ尊厳ですか」


僕は氏原さんの質問の真意が分からなかった。

そのとき僕に出来たのは氏原さんの視線を受け止める事だけ。


そんだけ。


「『礼節』ってのは『衣食足り』なきゃダメなんだって。でもって『尊厳』なんてのも健康ありきの薄っぺらい空想なんじゃないかなあって最近」


思っちゃうんだ、そう氏原さんはポロリと呟く。


「安楽死だ尊厳死だって言ったって『要は医療放棄でしょ』なんて受け止められる場合が沢山あるの。怠慢だってさ。下手すりゃ裁判起こされて医師免許剥奪なんて脅されたら……まあ普通の医者は尻込みするよ」


独り言のような声量しかない氏原さんの呟きは、効き過ぎた真夏のクーラーのように足元に沈殿する。


「でもさ。現実的な痛みもそうだけど『絶対助からない』って状況はポリシーだろうがプライドだろうが尊厳だろうが……根こそぎ剥がしちゃうんだよ。それは責められるような事じゃない。私だってそんな状況に居たら誰彼かまわず罵詈雑言をブツケマクル自信あるもの」



沈み込んでいくような氏原さんの言葉を僕はどう受け止めたらいいのか。

僕みたいな部外者で傍観者の役立たずに、なにか氏原さんに言ってあげられるのだろうか。

いや、それさえ僕のエゴで……氏原さんは僕に何か言って欲しいなんて思ってはいないのだろう。


「変わってくのよ、日に日に目つきや顔付きがさ。悪意を撒き散らし目減りしていく『生』を突きつけられながら憎悪の塊みたいになっていく友人達を沢山見送り続けたヒナタはさ……決めたんだと思うんだ」



僕は驚かない。知っているから。

最初から僕は知っていたのだから。



「みんなの尊厳を守るってね。患者さん殺して回って……誰もしたがらない汚れ仕事を自分でかぶって。んで自分の事は『麻酔は絶対いらない』だからねー。バカなのよ。ヒナタが痛みに苦しんだところでだーれも徳なんてしないのに」




あのコだけ。








あのコだけが救われないじゃないか





そう氏原さんは言った。

僕の胸倉を両手で掴み自分のデコを僕の喉元に押し付けて。

小刻みに震える氏原さんを僕は。




―――僕は。






「う」


よし、いこう。

僕は、そうだ。



「うははははははははあはははははははっ!!!!」



「あ、あら……き?」


いい年した職業婦人がなーにを泣く事があんだよこのやろう!!

しかも、なんだ?自分の事じゃなく他人の為の涙だとこのすっとこどっこいが!!


「どうにもならなくなったとき。誰にも頼れないまさにその時!どうすんのどうすんの!!困るよねこまったよねえー!!」


おおう!いい感じに引いてるじゃあないか!!

そうだそうだ、そういう顔で僕をみたらいいじゃないか!!

あんたは泣くな!!


良いヤツは泣くなよ!!



「ベクトルマン、参・上!!!!」




深夜の病院の待合室。

僕のエキセントリックな叫びが空虚に響く頃にはもう夜は明け始めていた。



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