〔ハル編〕揺れていた
僕はハーゲンダッツの溶け具合を気にしながら緩和ケア病棟に侵入を果たす。
建物の中にさえ入ってしまえば巡回の警備員さんと夜勤の看護師に気を付ければ病院内の移動はチョロイ。まあ基本的に病院に侵入し狼藉を働こうなどどいう鬼畜は珍しいだろう。
加えてここは緩和ケア病棟、昼間の時間帯でさえ看護師さん以外は余り人は寄り付かない。
「辛気臭いから!誰が好き好んで死に掛けの病人の話なんか聞きたがるのさー?」
とはハルの弁。なんせ家族の面会でさえ入院1年もすれば見かけなくなるのだと言う。世の中は割と情に薄く出来ている、その事実を全くソグワナイ笑顔であっけらかんと告げるハルの鉄のメンタルに心の中で敬礼した。びしっと。
「……」
廊下に設置された緑色夜間灯に沿って歩く。自分の影をぼんやり眺めながら、僕は。
「……」
気付く。
いつからなんだろうコレ?
もうこの病院に通うようになってひと月くらいは経ったと思うんだけど。
僕はここに来ると自然に考えるのを辞めていたのだ。いろんな大事な事を。
ぼんやりと緑色に浮かび上がる僕の影のように虚ろで心許無い感情は濃淡の境目をあやふやにしつつ、揺れていた。
考えてみれば夜間にここに来たのは初めてだな。
「……」
だからかな。
「……おおう」
一歩一歩廊下を進む僕は足を突き出す度に呼吸が浅く、速くなる。むー、これはいかんですよ。
病院内の殺人、強制終了されるハルの人生。まあそれについては分かってた事、はじめっから。異論も文句も無いし、僕がびしっと挙手したのち「イギアリ!!」なんつっても何にも変わらないのはリョーショー済みなのであって。
緩和ケア病棟の窓から覗くあの月だって、日々悲劇を繰り返してるはずの『ここ』なんかには興味は無い訳で。
「……おぉ」
夜ってこええええっ!!
センチメンタルの強靭さったらないなおい!!
すーって。
「……」
一粒涙デタ。
アホらし。
何をいまさら。
「?」
バカでどうしょうも無い考え事を頭でこねくり回しながら何とかハルの病室が伺えるトコまで来ると……なにやら深夜だってのに人影が廊下にたむろしていた。
やはり僕と同じように廊下に設置された緑色の夜間灯に晒されながらうずくまる人影は皆、ハルの病室に手を合わせ目を閉じているようだ。
ハルの病室から時折聞こえる声は雷鳴のように廊下にまで響き、その都度身体を硬直させる人影。
「……」
いやいやいやいや。
そんなばかな。
『……!!』
病室の声はよく聞こえない。
「……」
聞こえないよ!!
何言ってんだか聞き取れねえよ!!
気付けば僕は廊下の景色を後方にすっとばし、深夜にも関わらず場違いな灯りの漏れるハルの病室へと走り出していた。
月が綺麗な夜だったのを覚えている。