〔ハル編〕それでもハルは
「……」
現在午前1時を回った。
僕は闇をその身に絡め、暖かくなりつつある春の生ぬるい空気に同化しつつ巨大な建造物を見上げていた。
「……」
さっき追い出されたばっかりの病院、その駐車場を縫うように進む。狙った獲物は決して逃がさないサル顔の怪盗ばりのステルススキルを発揮しつつ、正面玄関の綺麗に磨かれたガラスのドアまで移動する。
はっきりいって無くても困らない、誰からの電波も受信しないスマホを忘れてきたのだ。ハルの病室に。
だってさホラ、『スマホ無かった!?アレねえとマジ困んだよねー、ラインのタイムラインとかツイッターとか!!』などと言ってみたかったのだよ。リア充の振りとかしたっていいじゃない!?文句あんのかよこんにゃろう!!
確かにタイムラインの意味なんか知らないよ!世界発信してまで呟きたい事なんか一生ないし、スカイプなんてつい最近まで育毛剤だと思ってたよ!!
だって僕には必要無いから!!泣いてないからなこのハゲっ!!
「……」
いかんいかん。つい錯乱してしまった。
僕は手の甲で滲んだ涙を拭うと1,000円札を2枚財布から取り出す。
「……」
当然正面玄関はとっくにロックされており、昼間は自動ドアのこの玄関のガラス戸は閉じたまま。かといって裏から行けば警備員さんに優しくやんわりと追い返されるのがオチである。
「……」
しかし僕にはハルより伝授された奥の手がある。
正面玄関のロックは外部からは絶対開かないが中からならすんなり開くらしいのだ。
『夜中に会いたくて会いたくてどうしょうも無くなったら会いに来てー!毎晩待ってるから』
そういってハルは投げキッスと共に侵入方法を教えてくれたのだった。
「……」
ま、まあね。
ハルにああ、会いたいから来たわけじゃないから……ほら、やっぱスマホって大事じゃないですか。リア充ライフに欠かせないっていうか。
べべべべ別に僕は浮かれてないよ?『ハルに会える!』なんつっていそいそと夜中に出てきたわけじゃ、なななないから。まじでまじで。
僕はするりと1,000円札をガラス戸の合わせ目の隙間に滑り込ませた。
はらはらと病院の内側で舞うお札を見ながらしばし静観。
ん?外したかな?
んじゃもういっちょ……
僕は先程と同じようにもう一度1,000円札を隙間にねじ込んだ。
「ぅお」
音もなくするすると開いていく正面玄関のガラス戸。どうやらうまく内側にだけ設置されたセンサーに反応してくれたようだった。
「……」
僕はお札を拾い上げ薄暗い内部を見渡す。
シンと静まり返る外来の受付カウンターが並ぶ玄関を足音を立てないように慎重に進んだ。ウォータークーラーや銀行のATMが並ぶ壁側沿いをまっすぐ、緩和ケア病棟に繋がる通路まで一直線。何度も来てるから全く迷わない。
「……」
気に入ってくれるだろうか?
コンビニで買ってきた『30th アニバーサリー ローズ』期間限定フレーバー。溶けてないだろうなコレ?
まあでもちょっと位溶けてた方がおいしいよなハーゲンダッツ、食べやすいし。
「……」
ニコニコ笑いながら食べてくれるんだろうか?
それともブツブツ言いながらまたデローンと吐き出すのだろうか?
また氏原さんに怒られて、シーツ洗濯させられて……それでもハルは。
訳の分からない僕のインタビューでバカみたいに笑って、沢山の時計の音に塗れるあの病室でいつも氏原さんと楽しそうにケンカしてたハルは。
誰にも理解されず、ヒトゴロシのレッテルを擦り付けられたまま。
「……」
やっぱり死ぬんだろうか?