スチャッの怪異
<< 1 >>
場所は特定されていない。時間帯も、対象とされる人も、共通点はなく、ランダムに発生するらしい。ただ、人が何気なく眼鏡やベルトなど装備を整える際、それが「スチャッ」という擬音語と共に表現するにふさわしい場合に、そいつは現れる。
「あー! 今、君、スチャッ、としたよね?」
物陰から、壁の隙間から。その怪異は、ふわふわと宙を浮く、白いヤモリの姿をとっているらしい。
「えっ、何? な、なんで? し、し知らないです?」
とドギマギしながら逃れようとすると
「嘘だぁ、だって今、スチャッとしたもん!」
と食い下がり、ぷんすこ怒り出す。お尻をフリフリしながら、口からは、ぷはー …… と小さな炎を出すとの事だ。
「おうよ、こんな感じだな!」
と言って、見事にスチャッを再現して決めて見せると、そいつは大喜びだ。
「わっ、これはまた見事なスチャッ頂きました! これで明日の晩も、熟睡できるかも知れないね!」 と言って消えるらしい。
一方、モジモジして何も返事を言えない人、恥ずかしさに言葉を継げない人には、「ふむ、そうかそうか、そのままゲシュタルト崩壊しちゃいそうかな? 」
そして胸をはり、
「そんなあなたの為に、ご用意しました! スチャッ ランキング! あなたは現在、…… 12億 1781番目のスチャッ名人です! どう? 嬉しい? あははは」
と言って消えていく。これは人間側の精神が崩壊しない為の、怪異による優しさだと噂されている。
古代から、この怪異はいたらしい。なにしろ、刀剣類なども、スチャッとする道具なのであるから、頷ける話だと言うべきである。
なお、この怪異と会話を交わした者たちは、ほぼ皆、その夜は快眠に恵まれたとの事だ。
<< 2 >>
天使は、空高くに佇み、苔むした大岩を見下ろしている。まばゆく神々しい光が彼女を包み込んでいる。誰もその姿を見る者はない。
彼女はとある薬草を求めてここにやってきた。
ここは魔界。魔族や人族、ドワーフ、エルフたちの住まう世界である。巨大な黒い森が横たわっていて、文明の支配する地域はその周縁に点在する。
森には、魔物や魔獣たちが跋扈している。
水辺には肉食魚がひしめき、木陰には大小さまざまな虫たちがおり、それを狙う蛇やトカゲが息をひそめる。
ウルフたちが獲物を求めて群れを成し、森をさまよう。ゴブリンが徒党を組んで歩き、同じく人型魔物のオークと抗争を繰り返す。
注意深く他者の存在を嗅ぎ付け、距離を取り戦闘を避ける者もいれば、食事にあり付けたとばかりに襲撃を開始する者など、様々である。
植物も負けてはいない。気配を殺して蔦を伸ばし、目当ての魔物に取り付いては決して放さず、そのまま養分にしてしまう。
一つ目巨人のサイクロプスや、天を穿つような巨躯のドラゴンなどは、その歩みの後には、薙ぎ倒された木々や気まぐれに空けられた大穴などが死屍累々と大地に残されるのであり、それ自身が災害であった。
彼らには、誰もが恐れて近づこうともしないのだった。
そんな中、森に降り立った天使。金髪に碧眼、美麗に整った鼻梁、すらりと長い手足。彼女の腰には、レイピア(細剣)が輝いている。その周囲は神聖な光が覆っている。
「あった……」
天使のお目当ては、苔むした岩場に、一輪咲いている淡いピンクの花だ。
「これを、あの村の兄妹の元に届けてやろう」
彼女にはどうしても助けてあげたい兄妹がいた。彼らは天使に祈りを捧げ、よく働き、村人からも可愛がられていたのだが、先日、病を得て床に伏してしまった。
天使は大層心を痛め、彼らの為に何かをせずにはいられない気持ちだったのだ。
腰からレイピアを抜き、目にも止まらぬ速さで花の根元を斬った天使、花を取り落とさないように、もう片方の手でそっと受ける。
ぶんぶん、とレイピアを振って、腰元の鞘にスチャッ、と納刀し、ふう、と一息つく。さて、兄妹の元へ…… と腰を上げたその時、
「あーっ! 今、スチャッ、としたよね?」
うふふ、と白いしっぽをふりふり、何者かが天使に向かって語り掛ける。
「は……?」
天使は、自身の目を疑った。空中に、白い、半透明の、ヤモリのような生物がぷかぷかと浮かび、こちらに語り掛けているのだ。目をぱちくりさせて天使は問う。
「君は、何者かな? 私が見えているの?」
「うん、見えているよ。とてもきれいな天使のお嬢さん。」
自信満々にヤモリが答える。天使はちょっとうろたえる。
「そうか……。で、君は私に何か用かな?」
ヤモリはピッ! と左手を上げて、
「そう! さっきあなたは、スチャッ! としました。だから僕がここにきたの」
「スチャ……」
ああそうか、と天使は咄嗟に思い、急いで考えを巡らせて
「さっき、レイピアを鞘に納めたからね、それの事かな。…… スチャッの妖精さん?」
天使はにこっと笑う。
「そうそう! そうなんだ。あのね、天使さんのスチャッ、には、祈りのようなものを感じて」
だからね、と白いヤモリは続ける。
「もう一度、スチャッ、としてくれないかな?」
妖精らしく、両手を合わせ、しっぽを左右にふりながら天使の目を見る。
突然の事に、どう返そうか慌てふためきそうになるのをこらえながら、天使は、ぐっとお腹と両足に力を込めて答える。
「うむ、お安い御用さ。ほら、こんな感じでどうだい?」
天使は片手でレイピアを抜き、軽くぶんぶんと振ってから、もう一度、スチャッ! と華麗に鞘に納めた。
「うわ~! 素晴らしい! とっても美しいスチャッ! を頂きました。これで、また、毎日良い夢を見られるようになるね!」
ありがとうー、と言いながら、白いヤモリは姿を消す。
天使はその姿の消えていった方向を見つめ、しばし佇んでいた。
「ふふふ、このお花の出番がなくなったかも知れないな……」
少し苦笑してから、白い妖精への感謝の思いを抱き、天使はそっと涙を流した。
<< 3 >>
その村では、勤勉な兄妹がいた。
二人がまだ小さい時に、冒険者だった両親がギルドの仕事に行ったきり帰って来ず、帰りを待ち続けた二人は、その後も両親の帰還を信じて、長く、ずっと働き詰めだったのだ。
幼いながらも、兄妹で助け合い、励ましあって生きている。
ただ、過労が災いして、まず兄が病に倒れ、次にその看病をしていた妹が倒れてしまった。
村人たちは、二人を大層心配してずっと気にかけていたが、どのような薬草も、二人を治すには至らなかった。
天使は、そんな兄妹が朝に夕に祈りを捧げている相手である。二人は毎日、どれほど忙しくとも天使に祈りを捧げ、天使もまた、二人を優しく見守り続けているのだ。
ずっと祈りを届けてくれていた二人の声が、ある時から、か細くなった。それで天使は二人の様子を見に行き、病に苦しむ姿を見つけた。「ああそれならば、恐らく、あの苔むした岩場のお花が、二人の病状を和らげてくれるに違いない」、そう考えて、魔物の跋扈する森の中へ赴いたのである。
そして、天使は、白い妖精と出会った。
遠い昔に聞いた事がある。白いヤモリの姿をした妖精は、普段は気まぐれにあちこち出現しては、罪のない悪戯をするという。
だが、特に強い願い、他者の為の願いを抱えている者に対しては、その出会った相手の願いを叶えてくれると聞く。これは天使自身も伝承でしか聞いた事のない話だった。その目でその姿を見、直接会話を交わすまでは。
・・・・・
翌朝。まず先に、兄の方が目覚めた。
「あー、よく寝た」
すっきりした顔をしているが、「あれ?」とか「病気じゃなかったっけ」とか、何やら混乱しているようである。そして「あっ!」と思い出して急いで妹の部屋に行き、ノックをする。
「おはよう」
妹の声が聞こえ、ドアを開ければ、妹にも、もうどこにも病の跡は見られなかった。
二人ともすっかり元気になって、「え、もう大丈夫なの?」「なんともないよ」などと言い、互いに確かめ合って、おいおいと泣いたのだった。
その日の夜、兄妹の家には、淡いピンクの可憐なお花が生けられていた、という事である。
二人の元気になった姿を見て、村人たちも、何が起こったのかとびっくりした。
薬師も「信じられない……」と頭を抱えた。
とは言え、ずっと気にかけていた兄妹の病状が改善した事に、喜びを隠せない様子だった。
ただ、二人の家に生けられたお花を見て、
「ああ、あれは! …… なるほど、それならばあり得るのか?」
などと思案に沈んだという。兄妹は、そのお花は気付いたらテーブルに生けられていた事を説明して、薬師の様子に気付き、そんなに貴重なものなら、ぜひ持って行って下さいと伝えた。薬師はためらい、「大事なものなのではないのかね?」と何度も確認したのだが、兄妹の心に変わりが無い事を知ると、大切にそのお花を薬局まで持ち帰ったのだった。
「やれやれ、私も初めて出会ったよ。しかし、伝承は本当だったんだね」
その様子を天界から眺める天使。
「あの白いヤモリちゃんは、いったい、何者なんだろうね」
彼ら天使の間でも、深く詮索するな、あいつは我々の友だと伝承されている。それでも、あの人懐っこい感じは、可愛かったな、また会いたくなるじゃないか、と微笑みながらため息をつく天使なのであった。




